【番外編】エキナセア(後編)
(どういう意味かしら?)
アルメリア・プリムスは、助言をしてくれたのだろうか。
放課後に別館の図書館に向かったエシャリは、青い鳥について調べてみることにした。そこで、改めて分かったことは、青い鳥は人間の言葉を理解するというものだった。
(単純に人間の声に反応するからそう言われているのだと思っていたけれど‥言葉そのものを理解しているのね)
「青い鳥は、金の模様を持つ。あの子は、嘴が金色だったわ」
間違いなく青い鳥だ。分厚い本を読み進めていくと、女神エニスのそばに青い鳥が飛んでいる挿絵が出てきた。
「神様の使い‥」
エシャリの恋は、許しを乞う必要があると言うことだろうか。重い本を閉じると、同時に大きな溜息が出てしまう。
(相手が言葉を理解できても私には、小鳥の言葉が分からないわ)
きっと、ルーク・ファンレイも同じ状態だろうと、この時、漸く理解した。幾ら愛の言葉を伝えても小鳥の返事は分からない。
(ルーク様と話してみよう)
意思疎通ができない相手を好いたルークの気持ちが知りたいと強く思った。
(ルーク様は、孤独だったのではないかしら?)
ルティアナが、助言してくれた言葉を今、理解した。ルークの気持ちを知らずに想いを寄せても無意味だ。上辺だけを好いたエシャリをルークは、受け入れてはくれないだろう。
(私は、ルーク様の何に惹かれているのか、確かめる必要もあるわ)
青い鳥の関連書籍を数冊借りてそのまま生徒会室に向かったエシャリは、居ても立っても居られない心境だった。向き合うべき人に向き合ってこなかった。後悔にも似たような気持ちで胸が締め付けられる。堂々巡りしていた時間が惜しい。一刻も早くルークに会いたい。
顔を見てその声を聞いて、彼の心に寄り添いたい。
(伝えても答えがない愛に傷付かない人はいないわ。私は‥ルーク様を守りたいんだわっ)
エシャリ・ルシーラは、守られるだけの令嬢では満足できない。そう言う女の子なのだ。
逸る気持ちが足を前に押し出す。早足がいつしか駆け足になっていた。息を切らしながら生徒会室のドアを開いたエシャリは、目を見開き愕然とした。
生徒会室の窓辺には、小鳥に手を差し伸ばすルーク・ファンレイがいた。その表情は、温かく穏やかで、孤独感など微塵もない。
思わずドアを閉じたエシャリは、混乱する頭を整理しようとした。その時、手に持っていた本が、一冊床に落ちてとある一節に目が止まった。
(龍は馬とも子供を作るですってっ⁉︎)
神話の本が開いているのだ。ステファニア王国で語られる物語を集めた本なので、青い鳥以外の記述も数多く載っている。
(待って‥待ってっ!もう、相思相愛なのではないかしらっ⁉︎)
身振り手振りという言葉もある。言葉で愛が伝えられなくても好意を示すことはできるのだ。
そっとドアを開いて隙間から覗き込んで見ると、ルーク・ファンレイは、小鳥の顎を人差し指で撫でていた。一羽と一人が、幸せそうな光景に思わず、無の表情になってしまう。
(あなた野鳥でしょうっ⁉︎野生の警戒心はどうしたのですっ?)
叫び出したい気持ちを必死に抑え込む。ドアが、力強く開かれて思わずよろけた。
「お前は何がしたいんだ?」
勝手に開いたドアに視線を向けたエシャリに呆れたような顔を向けているのは、副会長のアルフェルト・レガーであった。
「資料を届けに来たのか?」
資料が散乱する机に両手を突いて立ち上がったのは、副会長補佐のアルバートン・クライブである。思わずエシャリは、指を差して注意を促す。
「貴方方は、あの光景に何も思わずいるのですかっ?」
エシャリの指が示す方向に視線を向けたアルフェルトとアルバートンが、困り顔を向けてきた。
「何が幸せかは、本人の自由だろう?」
諭すようなアルフェルトの言葉にエシャリは、眉を吊り上げて小鳥に視線を向けた。まったりと寛ぐ小鳥は、ルークの告白を受け入れてしまったのだろうか。
「ルーク様っお話したいことがありますっ!」
「‥はい?」
間の抜けた返事をしたルークは、小首を傾げてから手のひらの小鳥を近くの木の枝に寄せてやる。ちょんと枝に飛び移る小鳥は、可愛いくも憎らしい。小鳥の姿に優しげな面差しを向けたルークは、現状に満ち足りていると分かる。
場所を中庭へと移したエシャリとルークは、池の前で向かい合って佇んでいた。
(私っ咄嗟にルーク様って呼んでしまいましたわっ)
しかし、今は話題にするつもりはない。ルーク本人も気にしていないようであるし、他に話したいことがあるのだ。
「ファンレイ様が、あの小鳥に特別な想いを寄せていらっしゃることは知っています」
「‥‥」
「ファンレイ様が、小鳥を想うように私も‥。私もファンレイ様をお慕いしているのですわっ」
澄まし顔をしていたルークが、目を丸くした。何処か申し訳なさそうに目を逸らしたルークにエシャリは、霞む視界を閉じないようにと、懸命に口角を上げる。泣き出したい。表情を見ればルークの気持ちは嫌でも分かる。でも、此処で諦められるような想いではない。
「私に機会をお与えください。ファンレイ様と同じ時を過ごしお互いを知る。そんな特別な時間が欲しいのですっ」
「‥‥分かりました。僕と同じ気持ちだと仰るのなら真剣に向き合わせてください」
息が止まる。それほど驚いた。
(此処で考える時間を与えては駄目だわ)
否定的な気持ちを抱えるルークは、撤回しようとするかもしれない。
(どうせ、諦められる機会にしようとするわ。でも、それでもこれは好機なのよっ)
「では、昼食と休日のデートをお願いしますっ」
「こちらは構いませんが、昼食は生徒会室で食べることになりますよ?」
生徒会長のルークが、お昼休みも生徒会の活動をしていることは知っている。恐らく、同学年のアルバートンと、一緒に食べているのだろう。
「はい。お弁当は私が作って参ります」
「分かりました。よろしくお願いします」
恋のお誘いを真顔で事務的に済ませるところが、真面目なルークらしさだと思ってしまう。
(これも恋の力よね)
幻のような感情だ。勝手に相手を輝かせて魅せる。
「それと、好きです。ルーク様」
エシャリが、微笑みを向けるとは思っていなかったのだろう。鳩が豆鉄砲を食らったような顔したルークは、一礼してから去って行った。
(毎日言う必要があるわ)
暗示のようなものだ。言われているうちに意識するようになるかも知れない。縋れる可能性には、全力で縋り付くつもりだ。
『好き』を刷り込むつもりでいく。最初で最後の恋だから。
翌朝、ルシーラ家の屋敷には、令嬢の悲鳴が一番鶏のように響いていた。
「初めて作った手料理が、美味しい訳ないですものねっ?明日は、もっと上手に作れる筈ですわっ!」
上品な金の模様が美しい緑色のランチクロスに包まれたお弁当を両手で手渡した。勢いよく差し出したエシャリは、目を閉じていた。出来栄えはよく理解している。思い切って行動に移さないと躊躇いが迷いを大きくしてしまう。
お弁当が手から離れていくので、ゆっくり目を開けると、呆れ顔のアルバートン・クライブが、口を開いた。
「せめて一口食べさせてから言えよ」
生徒会室の窓辺に寄せられた長机にお弁当を置いてランチクロスの結び目を解いたルークが、蓋を開いて目を丸くする。
唯一火を使ったお菜の卵焼きは焦げているし、お弁当のおかずに凝ったものは一つもない。正確には、料理などしたことのない不慣れなエシャリには、時間が足りずに作れなかったのだ。サラダとカットフルーツだって不揃いで不恰好だ。
空いている窓から姿を見せた青い小鳥が、蓋に付いたサラダを啄んだ。
「あなたは食べなくっていいのですわっ」
「チュン‥」
がっかりしたように項垂れた青い小鳥が、見守っていたルークの肩に飛び移り翼に顔を隠す。
「貴女のお口には合わなかったようですね」
思わず眉を寄せたエシャリは、折れそうになる気持ちを奮い立たせてルークに熱い視線を向けた。肝心なのは想い人のルークの口に合うかどうかだ。その場で両手を合わせて祈りを捧げたルークは、お弁当に備え付けられたホークで、サラダを一口分だけ掬って食した。熱のこもった視線を送っていたエシャリに何も言わずにルークは、咀嚼する。
「‥‥」
「‥‥」
「会長の口にも合わなかったみたいだな」
一部始終を見ていたアルバートンが、やれやれと言う具合で背を向けた。気を利かせてお世辞を言われるよりは、ずっといいと思うが、残念な結果だ。
「‥‥」
気落ちしたエシャリに微笑みかけたルークが、優しい声で告げた。
「次回を楽しみにしています」
いつまでと期限を決めていない。だから、ルークの匙加減となる。ルークが、これ以上は無意味だと結論付けてしまわないうちは、お弁当作りを続けられるのだ。一度の失敗でべそをかく令嬢を好きになる人だとは思えない。頷いたエシャリは、気持ちを切り替えて自分のお弁当を隣の席に置いて椅子に腰掛けた。味見はしているが、このお弁当を食べる前と食べた後では、感想も異なるだろう。
必要な量や欲しいおかず。今回エシャリは、ルーシラ家の料理長が作ったパン生地で石窯パンを焼いた。しかし、お米も候補に上がっていたのだ。お米なら炊けるだろうとも言われている。趣を変えてスコーンを主食にしても良さそうだ。
あれこれ考えながらエシャリは、お弁当を食べ進めていく。難しい表情で食べ続けるエシャリに、視線を向けていたルークが、小さく笑った気配がした。
翌日は休校になる。絶好の機会を逃してはいけない。エシャリは、宣言通りルークを劇場に誘うことにした。この場には、アルバートンとその恋人のアンジェリカに役員のリサがいるが、問題にはならないだろう。
「ファンレイ様、明日のご予定をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「特別な予定はありませんが‥」
「それでしたら、私と劇場に行きませんか?」
この月の始めからミステリーものを公開していると聞いている。ルークが、恋愛ものに興味がないとしても楽しめるだろう。
「分かりました。但し、必ず侍女を連れてきてください」
「‥‥分かりました」
ルークが、二つ返事で了承してくれたのに渋い顔をしてはいけない。貴族令嬢に監視の目は必要だ。分かっているが、両親にも筒抜けになってしまうのが気掛かりだった。侍女から報告を受けた両親は、エシャリに何事かと尋ねてくるだろう。慎みの欠けた行いだと責められるかもしれない。
気持ちが重くて、つい俯いてしまったエシャリに声を掛けてくれたのは、アンジェリカ・キャンベルだった。
「何も知らない侍女を巻き込むより私たちが、ご一緒する方が、よろしいのではないですか?」
「アンジェリカさん?」
頼りない顔を向けたエシャリに微笑みを浮かべて返したアンジェリカは、近くの机で購買部のパンを食べているアルバートンに視線を向けた。
「アルバートン様、エスコートしてくださいませんか?」
「ん?‥劇場か?」
「今、公演している舞台は、好評だと聞きましたわ。女優のアイリーンが演じるヒロインは、明朗で好感を持てると聞いて一度、拝見してみたかったのです」
「ふーん。別にいいけど」
あまり興味がなさそうな返事をしたアルバートンに向けてにっこりと微笑んだアンジェリカは、隣のリサに尋ねるように両手を合わせて首を傾げる。
「ありがとうございます。リサさんもご一緒に如何ですか?」
「私ですか?‥そうですね。謎解きが面白いと聞いていたので、興味はありました。是非、同行させてください」
頬を染めて恥じらいつつも自分の気持ちを言葉にしたリサにエシャリは、微笑んだ。生徒会に入り自分は、得難い大切な人たちと巡り会えたのだと改めて思う。
「生徒会役員の慰労会のようなものですわ。明日は、楽しみましょう?」
両手を合わせて微笑んだアンジェリカが、話を綺麗にまとめてくれる。エシャリは、背筋を伸ばしてから頭を下げた。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
両親に隠し事をするのも気が引けてしまう。何処か後ろめたいエシャリの気持ちを汲んでくれたアンジェリカたちには、感謝しかない。
(明日は、全力でルーク様との距離を縮めますわよっ)
心の中で拳を握ったエシャリは、前進あるのみと決意して心の距離を詰めることを固く心に誓うのである。
当日、いつもより早起きしたエシャリは、侍女の手を借りて身支度を済ませ、馬車に乗り込んだ。
王都市内の劇場の前には、アンジェリカとリサの姿があり、ふたりはこちらに気付くと、手を振ってくれた。
恐らく、この場にいないアルバートンが、窓口でチケットを購入してくれているのだろう。学生の身分なので高額な席は、購入できない。でも、アルバートンは、貴族だ。ある程度の席を確保してくれるだろう。
混雑している劇場の入り口周辺から離れた場所で佇むアンジェリカとリサは、配られた宣伝の紙を持っていた。
「犯人役は、定番の方でしょうか?」
「それを言っては面白くないわ」
リサの言う通り悪役がハマり役という役者もいるのだ。答えに窮し困り顔をしたアンジェリカにエシャリは、クスッと笑ってしまう。
「クライブ様は、頼りになる男性ですわね」
この混雑の中、窓口へと向かってくれたアルバートンは、大した男性だと思う。
「ええ」
「‥ご両親が、それを理解してくださるといいですね」
神妙な顔で俯いたリサにアンジェリカは、眉を下げて力なく微笑んだ。
「アルバートン様は、努力家で、とても優しい方よ。気さくな物言いを粗野だと誤解する方もいらっしゃるけれど、私は好きなの」
きっと、両親と折り合いがつかないのだろう。悲しげに目を伏せたアンジェリカを鼓舞するようにエシャリは、両手を握って声を掛けた。
「エデビラからグリスへ進級されたことで、あの方の実力は、証明されていますわっ生徒会の活動も真摯に取り組んでいらっしゃるし、それは必ず報いられる筈ですわ」
「私もそう思っているわ。来年は、ロッテナに進級して卒業しようと頑張っているアルバートン様を見ていると‥私は、このままでいいのかと、不安になるの」
このまま何もせずに諦めてしまいたくはないのだろう。でも、難しい答えだ。
「アルバートンは、官僚か教職に就くつもりらしいぞ?」
声の方を振り向くとアルフェルト・レガートと、その隣にアルメリア・プリムスの姿を確認した。彼らも生徒会の役員だ。誰かが声を掛けたのなら、この場にいても不思議ではない。
「‥‥私も教職を目指そうかしら?」
呟くように口にした言葉には、迷いがある。思わず目を丸くして振り向いてしまったエシャリに気が付いたアンジェリカが、明るい笑顔を見せた。
(そうよね。家を継ぐことができないなら働いて支え合う方がいいのかもしれないわ)
その覚悟があるのか。それは、大事なことのようにも思えた。
アンジェリカは、家を出る覚悟があるのだ。新しい道を模索し始めたアンジェリカの瞳は、不安に呑まれることなく澄んでいる。
(私は、まだまだですわね)
「席が買えたぞ?」
「窓口では、見易い席だと言われましたが、結果は後ほど分かるでしょう」
七枚の黄色い紙を軽く振って声を掛けてきたアルバートンの隣には、ルークの姿もあった。制服姿ではないルークは、新鮮な印象を与えてくれる。とても素敵である。自分もルークにそう見えているのか‥見えていて欲しいと切に思う。
こちらに視線を向けて目を優しげに細めたルークに、エシャリの心臓が大きく脈打つ。
(二人きりだったら、恥ずかしさのあまり逃げ帰っていたかもしれませんわっ)
劇場の入り口で大きな振鈴を鳴らす少年に、視線が向かう。開演間近なのだろう。誰となく劇場へと向かって歩き出した流れに逆らう必要はない。
(ドキドキしましたわっ)
胸に片手を当てて落ち着けながら席を立つ。好奇心旺盛なヒロインが、命からがらな目に遭うのはよくある展開でもある。見せ方が上手いのだ。
「素晴らしい時間でしたわね」
「はい。面白かったですっ」
「悪くはないな」
素っ気なく評価したアルバートンについ視線が向いてしまう。このエシャリの視線に視線で尋ね返すアルバートンに心のモヤモヤを打ち明けた。
「努力を正しく評価されない被害者が、気の毒でしたわ」
この劇では、貧しい家庭で育った音楽家の卵が、夢半ばで殺害されてしまうのだ。その理由が、誤解と嫉妬である。事故に装い殺害された被害者の無念を思うと切ない。
「まぁ、努力を評価されることが常じゃないのが世の中だ。でも、そこで腐ったりしなければ、何かしらが残るんじゃないのか?」
アルバートンの代わりに答えたのは、アルフェルトだった。
「愛とかね?」
アルフェルトの隣からひょっこりと顔を出して補足したアルメリアが、幸せそうに微笑む。
(愛‥)
何気に重い言葉に感じた。もっと、夢のあるふわふわとしたものが恋や愛だと思っていた。夢描いていた幸せな理想と冷ややかな現実の差に心が沈んでいく。
「ルーシラ嬢、これから少し話せませんか?」
意外にも声を掛けてきたルークに驚いてしまう。
「それならこれから喫茶店に行きましょう?新しく開店したばかりの喫茶店が、近くにあるですっ」
胸の前でパチっと手を打って元気に提案したのは、アルメリア・プリムスだった。これに困り顔をしたアルフェルトが口を開く。
「最近、行きたいっ行きたいって催促ばかりしてくるんだ。今頃の時間は、混雑していると思うから席は離れると思うが、話すには丁度良いだろう?」
エシャリは、視線で皆の意見を尋ねる。挙手をしたのは、リサだった。
「行ってみたいですっ」
この言葉で決まった。アンジェリカが、頷いて理解を示す。
「なら、移動しようぜ?」
アルバートンに促されて劇場から舗装された歩道へと歩いて行く。
真新しい赤茶の煉瓦造りの喫茶店に移動すると、店内は大変な混雑であり、アルフェルト・レガーの予想通りエシャリとルークは、離れた窓際の席に案内された。
アルバートンとアンジェリカとリサは、店内のカウンター席に並んで座っているし、アルフェルトとアルメリアは、奥の席に案内されたようだった。
誰の会話も聞こえてこないから、こちらの会話も聞こえないだろう。
「今日は、劇場に誘ってくださってありがとうございました」
「いいえ。大変な混雑の中で、チケットを購入してくださってありがとうございます。夢中で楽しめましたわ」
「それは何よりです」
優しげに微笑むとルークは、早速本題に移った。
「僕は、ファンレイ家を継ぐつもりがありません。あの家に固執するつもりがないんです」
ルークには、兄がいると聞いている。以前、役員同士の集まりで、何気なく家族について話す機会があった。その時、あまり自慢できるような人ではないと、やんわりと紹介を拒否された経験があるのだ。本人の口から仲も良くないと聞いている。それは、社交辞令のような言葉ではなく本心から出た言葉だと理解していた。
「祖父は、僕を次期当主にとお考えのようで‥最近は、縁談話ばかり責付くのです。なので、ルシーラ嬢のような人なら楽だと思ってしまいました。僕は、逃げたんです」
残念ではないと言えば嘘になる。でも、逃げることが悪だとは思えないのだ。
「逃げてはいけませんの?」
意外そうに目を丸くしたルークは、非難されると思っていたのだろう。でも、伴侶として選ぶ相手は、安心できる人ではないだろうか。心地良い場所を見つけるのは、間違えではない。
(言動や仕草にドキドキしたり、キュッと胸が締め付けられるような相手ばかりを選ぶ必要はないのではないかしら?)
ルークが、何故青い鳥を伴侶に選ぼうとしたのか、分かったような気がした。
「ファンレイ様に取って青い鳥は、心が安らぐ相手だったのではありませんか?」
「‥‥そうですね」
深呼吸するように目を閉じたルークが、口角を上げた。
「ルーシラ嬢は、変わった方ですね。僕の行動を知っていながら、否定する言葉で傷付けることが、ありません。全てを受け入れてくれるような気がしてくるのです」
「青い鳥は、そういう相手なのですね?」
「そうです。母のような方です」
「実母には、抱かない気持ちを育ててくれた相手なのです」
「是非、青い鳥との出会いを聞きたいですわ」
「‥‥失踪した祖母が経営する牧場で、誘導してくれたのが始まりです。祖母は、僕に気がついてしまえば逃げていたでしょう。そんな祖母の帽子を奪って足止めをしてくれた白い小鳥と、僕をその場所に導いてくれた藤色の小鳥は、番のようです」
「屋敷に戻った祖母に祖父が、どう接するかと悩んでいると、藤色の小鳥は、おどけて踊ったりして場を和ませてくれたりします」
「僕が、ひとりでぼんやりしていると、肩に止まって可愛らしく歌って慰めてくれるのです」
「離れた場所からじっと見守る白い小鳥は、父。優しく気遣う藤色の小鳥は、母。そんなふうに思うのは変ですかね?」
恥ずかしそうにして笑って誤魔化すルークにエシャリは、微笑みを浮かべて答えた。可笑しなことだとは、思わないからだ。
「いいえ。大切なのは、心の繋がりですわ」
ルークの今までの言動は、小さな子供が、母親にお嫁さんになってと、甘えて強請るようなものだったのだ。そう理解すると、ストンと心の中で落ち着いた。本当の母親には、そんな甘え方ができなかったのだろう。代役を立てることで自分を自分で癒していたのだ。
無理に言葉を交わす必要はない。エシャリは、注文した紅茶とケーキを食べながらルークと過ごす時間を楽しんだ。
夕方、屋敷に帰宅する頃合いで、雨が降り出してきた。始めは、通り雨だろうと思っていたが、一向に止む気配がない。
「ピッチュン‥‥ピッチュン‥‥」
雨が落ちる音が、哀れな小鳥の鳴き声に聞こえてくる。何となく窓を開けて調子の悪い雨樋を確認しようとしたエシャリは、そこで目を丸くした。
「あら?あなたは‥」
木の葉を傘にした藤色の小鳥の上に雨水の雫が落ちて弾ける。その雫に合わせて鳴いていたようなのだ。目を閉じて耐える小鳥に驚いたエシャリは、窓を大きく開いて声を掛けた。
「中にお入りなさい。あなたの旦那様も一緒にね」
手前の藤色の小鳥に場所を譲っている白い小鳥もずぶ濡れである。エシャリの声に反応した小鳥たちが、窓から飛び込んでくる。部屋の中を飛び回る小鳥たちを追いかけようとする侍女を制して窓を閉じたエシャリは、自然に落ち着くのを待ってから再び声を掛けた。
「濡れた羽を拭かせてくださらない?」
ふかふかのタオルを広げて首を傾げると、家具の上から不思議そうに見ていた小鳥たちは、自ら翼を広げて降り立つ。入浴を済ませてネグリジェ姿のエシャリは、肌寒さを感じつつも優しく包むように丁寧に拭いてやる。
「今日は楽しい一日でしたわ」
きっと、この小鳥たちには伝わっているだろう。孤独なルークを心配してそばに寄り添う健気な小鳥たち。この時、エシャリは、素直に彼らを大切にしたいと思ったのだ。
この日の夜、エシャリは夢を見た。小さなルークの夢だった。歳の近い兄だけを可愛がる両親を離れた場所から羨ましそうに見詰めるルークを疎ましげにする家族の姿にエシャリは、強い憤りを感じる。小さなルークを抱き締めようとしても触ることもできない。両親と兄から背を向けたルークに手を伸ばし懸命に呼びかけるが、反応することはない。
「私を選んでください。ひとりにはしませんわ」
目が覚めたエシャリの言葉に反応したのは、白い小鳥と藤色の小鳥だった。タオルを敷いた編み籠の中から二羽が、揃ってじっと見詰めているのを知らないエシャリは、ただの夢だとは思えなかった。
開口一番の言葉は、エシャリのその後の誓いにもなったのだった。




