神様のスパイス
翌朝、賑やかな声で目を覚ますと双子達がはしゃいでいた。ちっともじっとしていない双子達の着替えに両親が梃子摺っている。枕に視線を向けると藍色の小鳥が羽に顔を埋めて眠っていた。
(青い鳥が守ってくれなかったら)
そう思わざるを得ない展開ばかりだった。神様が寄越したと言われている幸運を運ぶ青い鳥。
(健気な頑張り屋なのね)
翼にキスを送り起き上がたアルメリアは、窓辺で首を傾げている藤色の小鳥と目が合った。すると、チチチチっと呼ぶように鳴くからベットから降りて窓へと近付くと、窓枠を掴んでをゆっくりと開く。
小鳥は窓が開くと同時に部屋へと入り込んで藍色の小鳥のそばに降り立ち右へ左へと首を傾げている。暫くすると、藍色の小鳥を残して窓から飛び立ち森の中へと消えてしまう。
(もしかして‥怪我でもしているのかしら?体調が悪くって起き上がれないんじゃないのかしら?)
不安で表情が暗くなってしまったのだろう。両親が案じ顔を向けている。藍色の小鳥は身動きしない。野鳥は国の法律で守られている保護動物だ。狩猟で生計を立てる狩人も定められた掟を守っている。獣医師に診てもらうにもそれなりの理由が必要かもしれない。
(私の所為で死んじゃったらどうしようっ)
アルメリアが涙ぐむと同時に開いている窓から部屋に入ってきた小鳥が、藍色の小鳥のそばに降り立つ。全身香色の小鳥がふわふわの布団の上をしっかりと歩いていく。何処か威厳のある体の大きな小鳥は、金の嘴に木の実を咥えていた。これを藍色の小鳥の前に置いてから額と額を合わせるように顔を擦り付けた。ゆっくり目を開いた藍色の小鳥が、木の実を啄んでちゅんちゅんと鳴くと片方の羽を広げてから体を振った。
(何かを伝え合っているみたいだけど‥)
「怪我をしているのかもしれないね。獣医師を呼んでもらおう」
「それが良さそうね」
悪戯っこの双子を抱き抱えた両親の言葉に振り向いたアルメリアは、両手を組んで見上げた。
「おとしゃまっおかしゃまっおねがいしましゅっ」
朝食の席で父のジョナサンがレガー伯爵に交渉して近くの町の獣医師を呼んでもらうことに決まった。レガー伯爵は快く引き受けてくれたが、屋敷に訪れた獣医師は翼を痛めているだけだと診断して片側の羽を包帯で固定して帰ってしまった。
「しばらくあんせぇいにしていなさいって。わかる?」
アルメリアが部屋から出て行こうとすると、首を傾げていた小鳥が立ち上がり数本歩いた。
「あなたあるいてちゅいてくるつもり?」
帰宅する時は馬車に小鳥を乗せていくつもりだった。小鳥が懐いている相手はアルメリアだ。他の人に野鳥の世話は頼めない。
「ちょっとまっててっ」
お屋敷の侍女から小さなバスケットを借りたアルメリアは、ハンカチを敷いた上に小鳥を乗せて部屋を出て行く。
「旦那様っ心を入れ替えますっですからお屋敷を追い出さないでくださいっ!」
広い廊下を歩いてアンティーク調の手摺りを掴んで緩やかな階段を下りていくと、必死に叫ぶ声が聞こえてきた。思わず声のする方へ顔を向けてしまう。
「少し遅かったようだな」
家族用の玄関に向かうとあの意地悪なエラが必死の形相で跪きながら懇願している。簡素な茶色の鞄をひとつだけ持って屋敷から追い出されていく場面に居合わせてしまったようだった。
「お嬢様っ!お嬢様?貴女様からもお願いしてください」
引き攣った笑顔を向けて胡麻を擂るエラにアルメリアは呆れてしまう。怯えている様子のアナイスは、エルマの背後に立ち半分体を隠していた。
「わ、わたしは」
「今までお世話したのは、この私ですっ!」
(はっ?今まで意地悪したのは、この私の間違いでしょうっ⁉︎)
幼い子供を虐めるなど、悪事を詳らかにして涙ながらに謝罪しても足りない罪である。それを怒鳴り付けて従わせようと試みるエラの身勝手さに腹が立つ。
「あなたねぇっ」
堪忍袋の緒が切れてしまうアルメリアが肩を怒らせると、同時に眉を吊り上げたエルマが声を張る。
「出て行きなさいっ!」
穏やかなエルマの声とは思えない迫力に体がビクッと震えてしまう。震えたのはアルメリアだけではない。アナイスもこちらを見て文句を言おうとしていた様子のエラも目を閉じて体を震わせた。
「アナイスから聞いた貴女の所業にどれだけ残念に思ったかしれません。これ以上、看過しませんよ?口を慎んで出て行きなさいっ」
うわっと泣き出しその場に崩れたエラに手を貸したのは執事のエルフィーだった。何処か優雅な身の熟しでエラを立たせると屋敷の外へと問答無用で追い出してしまう。
(どちらも優しい人だと思っていたわ)
穏やかな人たちだと思い込んでいたアルメリアは、昨夜のエルフィー行動を思い出して苦笑いを浮かべてしまう。お人好し過ぎる程に優しい人など、この世にはいないのだろう。
「アナイス、貴女ももっと強くならなくては駄目よ?怯えていないで、嫌なことは嫌。欲しいものは欲しいとはっきり伝えて頂戴?言葉にしないと届かない気持ちもあるのよ?」
「はい。おかあさま」
しっかりとした返事を口にしたアナイスを母のエルマは、大切そうに抱き締めていた。この様子にレガー伯爵は優しげに目を細める。
「アナイスおねぇしゃま」
「わたしはおねさまじゃないわ。アナイスとよんでほしいわ」
「はいっアナイシュしゃま」
舌足らずのアルメリアに驚き目を丸くしたアナイスが隣のエルマを見上げる。滑舌の悪いアルメリアは赤面して目を伏せた。上手く言えていた言葉でも失敗することは稀にある。まぐれの滑舌だって今は多いのだ。前世では幼少期の言語障害は、渡り人に多々見られたことでもある。養育者が愛情を育むための神様のスパイスだとアルメリアは考えている。
これにふふふと上品に笑うとエルマが提案してくれた。
「アナと呼ぶのはどうかしら?」
「いいでしゅか?」
とても素敵な提案だが、本人に承諾が必要になる。瞳を輝かせて尋ねたアルメリアにアナイスは小さく頷いてから「さまはダメ。おともだちだから」と小さな声で言った。母のドレスに顔を隠してしまうアナイスは照れているのだろう。耳まで真っ赤になっている。
エルマの背後には小さなアルフェルトの姿も見える。視線が合うので首を傾げて見せると彼は、口を開いた。
「らい‥きらいっ」
「え?‥‥えーっ⁉︎」
思わず頬に両手を当てて叫んでしまう。
「こら、アルフェルトそんなことを言うものじゃないぞっ?」
困った様子で注意するレガー伯爵にアルフェルトは眉を吊り上げたままで顔を背けてしまう。
(オーマイゴッドっ⁉︎)
何故なのか。いつ嫌われてしまったのか分からない。
(アレか?彼は、お姉ちゃん子だから取られたと思ってしまったとか?)
不安にさせてしまったのだろうか。混乱するアルメリアを見兼ねたエルマが、アナイスに視線で促す。困り顔のアナイスは、立ち尽くすアルメリアの手を引いて一階の子供部屋に連れて行く。
「わたち、じこちょーかいもまだなのにぃ〜っ」
涙ぐむアルメリアに部屋のドアを閉じたアナイスが困り顔で慰めようとする。
「アルトはあかちゃんだからおかあさまのことばをくりかえしただけだとおもうわ」
アナイスの言葉にエルマの言葉を思い出したアルメリアは、取り敢えず納得してみる。アルフェルトが嫌いと口にする前に確かにエルマは、嫌なものは嫌。欲しいものは欲しいと言ってと娘に諭していた。しかし、立派な一歳児だと思う。母の言葉を何処まで理解しているのだろうか。疑問は尽きない。
「アナちゃん。ニーナとイじゃベラはどうなったの?」
「まだ、わからないの。おとうさまとエルフィーにきかれたことをこたえているみたい」
「こんかいのわるいことはおとながしゃせたことよ?」
「でも‥」
意地悪をされたアナイスには、実行犯のニーナとイザベラを許すのは難しいだろう。実行犯と指示役の線引きも難しい。甘えたことを言わせないなら、決断し行動に移したのはどんな理由があれど、本人達なのだから。だから言い逃れできない罪はある。けれど、幼いふたりの考えた浅はか意地悪は、悪質すぎるものではなかった筈だ。幼稚な意地悪にアナイスの優しい心は傷ついただろう。けれど、今だからやり直すこともできると信じたい。
「アナちゃんにおねがいがあゆのっ」
両手を組んで上目遣いを向けてみる。
「おねがい?」
不思議そうに首を傾げたアナイスにアルメリアは、力強く頷いた。
執事の書斎から出てきたニーナとイザベラは、赤い目をしていた。泣き腫らしたふたりは、肩を落として使用人区域の廊下へ向かう。そこで、廊下の角に隠れていたリリーナが呼び止めて庭へと誘い出した。
ふたりの到着をアナイスと一緒に待っていたアルメリアは、早速本題に入る。
「イじゃベラ、あなたはしあわせなくらちがしたいだけなのよね?」
「‥‥もういいの」
「もう、むりなのよ。わたしもイザベラもここをでていくの」
「ニーナはわたちについてらっしゃい。イじゃベラは、アナちゃんにたしゅけてもらうのよ」
「どういうこと?」
「あなたたちのごりょうちんはあなたたちをたいせつにしてないでしょ?いまは、はなれてくらしゅのよ」
「あなたたちはわたちたちをりようしゅるのっイじゃベラはアナちゃんにたしゅけてもらいながら、ぎしゅちゅをみにつけてすてきなはなよめしゃんになるのよ?」
「ニーナはきじょくになれるようにこれからべんきょうしゅるの。がくえんにかよってすてきなきじょくのはなよめしゃんになるのよ?」
「でも、かぞくをすてたら‥いみないわ」
弱り顔のイザベラが視線を落とすとニーナも眉を歪めて目を伏せた。
「あなたたちがこんかいえらばれたとき、あなたたちのごょうちんはしんでもしかたないとおもっていたはじゅよ?」
「そんなっ」
「そんなはずないっそんなはずないわっわたしのかせぎがないといきていけないっていってたもの」
眉を下げた悲しげな微笑みを浮かべるイザベラには家族は心の拠り所なのだ。辛いことも貧しい家族を不憫に思うから堪えてこられたのだろう。
「イじゃベラ、それはあいじゃないわ。あなたにぎむをおしちゅけているだけよ?」
「でも、うらまれるわ」
イザベラは顔を背けるような目を伏せた。
「あなたもいちゅかかじょくをうらむわ。このままいうとおりにしていたらかならじゅゆるせなくなるひがくるわっ」
「わたしが?」
迷いが窺えるイザベラにアルメリアはしっかりと頷いてみせた。迷いを断ち切るのは簡単でない。特に無条件で親を愛する時期の子供には難しい決断だと分かる。
「ほんーとにあいしているならあなたがしあわしぇになってもおこらないわ。むしろ、よろこんでくれるものよ?」
「わたしがしあわせになってよろこんでくれたときはどうすればいいのっ?うらぎっているのにっかぞくにあえないわっ」
葛藤を持て余したイザベラは眉を歪めて声を張る。
「そのときは、あたちがあやまってあげゆわ。イじゃベラもゆうふくになっているはずでしょ?かじょくをしあわせにできるはじゅだわ」
「いまのままじゃなにもかわらない。そういうことね?」
「そーよ、ニーナ」
「アナイスおじょうさま、いままでほんとうにごめんなさい。やつあたりしていたの。あなたがうらやましかったのよ」
「わたしもごめんなさい。やさしくできなくって」
ニーナに続いてイザベラも謝罪の言葉を口にする。これにアナイスは穏やかな微笑みを浮かべていた。
「あやまってくれてありがとう。‥‥イザベラをわたしのじじよにすればいいのね?」
「うん。それともじとすうじをおしえてあげてほしいの。いつか、かならじゅやくにたちゅから」
アルメリアのお願いを頷きで了承したアナイスには、迷いはなさそうだ。
「イじゃベラはなにがじぶんにあうおしごとかかんがえゆのよ?」
「はなよめさんになってもわたしがはたらくの?」
キョトンとしたイザベラに声を掛けたのはアナイスである。
「ヨハンナもはたらいているけど、エリックとけっこんしてしあわせだとみんながいってたわ」
「そうか。わたしもエリックみたいなひととけっこんすればいいのね?」
レガー家の屋敷に勤めている料理人のエリックとヨハンナはおしどり夫婦として有名だ。
「そうよ。そのためにもじぶんみがきをしゅるのよ?」
「べんきょうしててにしょくをつけるのね?」
腑に落ちた様子のニーナの表情は何処かスッキリとして明るい。
「うん。なんどもじゃせつしそうになるとおもうわ。でも、がんばゆのよ?」
「わたしプリムス家についていくわ」
「ニーナ」
ニーナの決断に戸惑うイザベラは、振り向いて声を掛けたが、彼女は励ますような表情で微笑んだ。
「イザベラもかぞくのためにがんばってみたら?」
「‥うん。そうする」
そうと決まれば善は急げだ。こちらには幸運を呼び込む青い鳥がついている。きっと、大丈夫だ。