ブルースターに気が付いて
バレット家が王都に所有する邸宅を訪れたルイス・チャールズは、庭に用意されていたガーデンチェアに座って婚約者のルティアナ・バレットを待ち続けた。
この日、ルイスは彼女に婚約破棄を告げるつもりだった。
いや、正確には、告げられるのは自分の方だろう。
(僕が間違えていた)
今更後悔しても仕方ないことだと分かっている。
何度も何度も彼女の言い分を無視して傷付けてしまったのだから。今のルイスには、破滅する自分から解放すること。
それが、彼女の愛に報いる唯一の方法なのである。
国外追放を言い渡されたアナイス・レガーの失踪に加担したのは、実弟のアルフェルト・レガーだと分かっている。
第一王子派のチャールズ家は、失踪した罪人の捜索に当たっていた。そこで、怪しまれたのが第二王子のリゼル・ステファニアだった。リゼルは、問題発生の数分前に埠頭で目撃されているし、彼の護衛騎士たちの証言もある。
ただ、黙秘を貫くリゼルは、謹慎処分が下されていて面会することも叶わない。だから、彼が頼れそうな相手を虱潰しに当たった。オーガレット家、ルシーラ家、ナイゼル家、ホフトン家。人を雇い屋敷の中を隈なく捜索したが、アナイス・レガーを匿っている様子は、見られなかった。そんな中、一度も隙を見せない家門があった。それが、侯爵家のバレット家である。
「単刀直入に言うよ?アナイス・レガーを匿っているの?」
「‥‥」
沈黙。それが彼女の答えだった。それからバレット家の侍女を買収し屋敷内の調査をしようと試みるも失敗に終わり、何度も何度も彼女とは言い合いを続けた。
「君はアミル・ルイーズ嬢にも冷たいことを言ったのだろうっ?」
「ルイーズさんの証言には、根拠がありませんでしたっ」
「それでも彼女は傷付いたんだよ?」
「わたくしは恥じてはいませんっ罪もない友人を庇うのは当然ですわ」
彼女は涙ぐみながらも怒鳴るようなルイスの態度を責めずに震える手を懸命に握り締めて、堂々と胸を張っていたのだ。そんな彼女をルイスは、疎ましく思い続けていた。
(最低だ)
アナイスの引き渡し要求に応じないルティアナは、屋敷内の捜索要求も頑として拒み続けていた。
正直、ルイスはルティアナの想いに胡坐をかいていたのだ。
(自分を好きだから最後は折れると考えていた)
浅はかだった。彼女は、気高い侯爵令嬢ルティアナ・バレットなのだ。ただ、あの時は、喧嘩をしても引かないルティアナにルイスは呆れていた。
(どうせ、折れる癖にごねるように片意地を張るのは何故なのか)
そう高を括り心の中で吐息を吐いていた。
ルイスには、三人の母親がいる。彼女たちは、常に互いを牽制していた。そんな彼女たちに育てられたルイスは、女性は見栄っ張りで面倒な者だと理解しているつもりになっていた。そういう目で婚約者のルティアナ・バレットを見ていたルイスに彼女の真意を見極めることはできない。あの時、踵を返す前に一度でも彼女の声に耳を傾けていたら何かが違ったのだろうか。悔やんでも悔やみきれない。
一応の報告で王宮に向かったルイスは、渡り廊下でレグザの使者を見掛けて足を止めた。レグザの宮殿では、外交官にも制服を支給しているので、彼らの服装はステファニアでは目立つのだ。
そこへ偶然、貴族たちを引き連れて廊下を歩いて来た宰相のルーフェンスに気が付き足を止めたレグザの使者が、その場でルーカス国王の要求を伝えた。
その言葉に我が耳を疑う。世界から音が消えてしまったのではないかと思うほど、彼らの声しか聞こえてこない。
「伯爵令嬢アナイス・レガーの国外追放の取り下げと再調査の再考をルーカス国王陛下はお望みです」
「何故レグザ王国が、ステファニアの伯爵令嬢の国外追放に興味を抱かれたのか、お話願えますか?」
「国王陛下は、アルフェルト・レガーに爵位と新たな名をお与えになられました。それだけではありません。国王陛下は、彼にレグザの領地もお与えになる考えがあります」
(国外逃亡したアルフェルト・レガーが、大国レグザの貴族っ?)
「そんな‥」
愕然としてしまう。思わず呟いていた。
「お待ちくださいっ!アルフェルト・レガーは、我が国の聖女アルメリア・プリムスを連れ去った疑いがございますっ」
切迫詰まった様子で声を張り上げたのは、宰相のルーフェンスに付き従うようにしてそばにいた貴族の男性だ。
「アルメリア・プリムス。彼女もレグザで聖女として認められました」
「なんとっ!レグザでも聖女っ?」
「そんな筈はっ」
使者の言葉に動揺が広がっていく。
「‥‥我が王国の聖なる乙女クレマチスに神語の解読方法を授けたのは、アルメリア・プリムスなのですから当然のとこです」
「さっ‥流石‥プリムス家の聖女だ」
「やはりな、彼女ならステファニアに平和を齎すと信じていたのだ」
無理矢理に笑う彼らは、最近までプリムス家を弾圧しようと画策していた名の知れた貴族たちである。彼らの身内にライラック学園に通う女生徒がいて、彼女たちの婚約破棄に至った原因にプリムス家が大きく関わっていると明言し、一斉訴訟に踏み切る準備をしていた筈だ。
(失踪していたアルメリア・プリムスが、隣国でも聖女として認められたと聞いて、貴族達が手のひらを返したっ)
視線を上げると、渡り廊下でユリアスと護衛騎士のアルディス・ムーアの姿を見つけた。ふたりも話を聞いていたようだ。ルイスは、他の貴族達に見つからないように彼らを追いかけていく。
「ユリアス様っ」
「ルイス・チャールズ」
足を止めたユリアスは、人形のような顔をしてこちらに視線を寄越す。
(こんな時にも平静でいられるんだ)
その姿に些かホッとし胸を撫で下ろす。逆風に動じない彼が頼もしく感じられたのだ。この時は、奥の手があるのだろうとも過った。
「このままでは、ユリアス様のお立場が‥っ」
「そうだな。このままでは、僕は王太子にはなれないだろう。ルイス・チャールズ。チャールズ家で全責任を持ってくれないか?」
一気に血の気が引く思いがした。派閥に属するというのは、時には身を盾に擁護することを意味する。汚名を被ったチャールズ家は、没落してしまうかもしれない。
「アナイス・レガーは無実ではないのですよねっ?」
縋るような思いで尋ねた。
「僕はそう思っている」
あまりに曖昧な言葉に言葉を失う。視線を横にズラしてアルディナス・ムーアを見ても彼は視線を逸らすだけだ。
「父に相談してみます」
これ以上の言葉が出てこなかった。そのままチャールズ家の邸宅に帰宅したルイスは、書斎に向かうと父に全てを報告した。それ以外にできることがなかったのだ。
「初めてからルティアナ嬢の意見に耳を貸していれば良かったんだっ」
普段は、年老いて温厚な父が声を荒げて叱り付けた。
「彼女は、お前にはない冷静さがあり、芯の強い人だ。状況を見通す力があったんだ」
力なく項垂れた父の背が小さく見えた。反論の言葉が出ないルイスは、惨めな気持ちで翌日を待ち、ルティアナと婚約破棄の話をするためにバレット家の邸宅に向かった。
「君が正しかったよ、ルティアナ。チャールズ家が処罰を受けるのなら僕との婚約はなかったことにする方がいい」
これに眉を吊り上げたルティアナが、悔しそうに顔を顰めた。彼女らしくない振る舞いだ。
「婚約解消には応じられません。これまでルイス様とは、擦れ違ってばかりでしたが、その間も嫌いになれたことはありません」
真っ直ぐなルティアナの言葉にルイスは目を丸くする。今、婚約を破棄したいのは、ルティアナの方ではないだろうか。
「でも、それじゃ君が‥いや、バレット家が」
「それは君の行動次第だと思うよ、ルイス・チャールズ」
リゼル・ステファニアの声に驚き振り向くと、そばに立つ彼は、二階の窓を見上げていた。玄関には、王家の金の紋様で縁取られた白い馬車が一台停まっている。そこで漸く会話に夢中で、蹄の音にも気が付かずにいたのだと理解した。
二階の窓からこちらを窺っている人影が、慌てた様子で窓辺から離れていく。その暫しで、玄関から駆け出すようにアナイス・レガーが姿を見せた。
「リゼル様っ!」
「アナイスっ」
抱き締め合ったふたりが眩しく見える。きつく目を閉じたリゼルが悔しそうに告げた。
「何もできなくってごめんっ」
「いいえ、リゼル様は悪くありませんっ私を守ろうと動いてくださいました。迎えに来てくださってありがとうございますっ」
大切そうに抱き締めるリゼルに身を預けるように縋り付くアナイスが、階段から誰かを突き飛ばすような行動をするようには思えなかった。
風に運ばれて漂う甘い香りに視線を周囲に向けると、青い花が彼方此方で咲いていることに気が付いた。ルティアナの好きな花は、幸せを呼び込む青い花だ。小さく可憐な蕾を揺らす光景にルティアナの姿が重なった瞬間だった。
「今度、白い薔薇を持ってきてもいいかな?」
「‥勿論ですわ」
少し驚いたあとで嬉しそうに微笑んだルティアナの瞳の色と同じ青い花。辛い時も耐え凌ぐ蕾のような彼女が見せた花の顔に救われた思いがする。その微笑みを心から美しいと感じられた。




