真意
食堂の片隅でアルメリアは、青白い女性の正体をクレマチスとエリオットに説明した。ふたりは驚いた様子である。真剣な表情で目を伏せたクレマチスは、あの夜の女性を思い出そうとしているようだった。
「あの青白い女の人が本来のアルメリア・プリムスだというのね」
「そうなの」
「霊魂という言葉は聞いたことがあるけれど‥実際に見るのは初めてだよ」
船の上では、船員が予期せぬ幽霊騒動に怯えていた。何でも、アルメリアの部屋に現れる前に船内で多数の目撃情報があり、遭遇してしまった船員の中には、果敢にも幽霊に飛び掛かり返り討ちに遭った人もいるそうだ。ガタイのいい船員でさえ歯が立たないのだ。幽霊に免疫のない船員達が、縮こまってしまうのは、無理からぬことでもある。
「私はこの目で見たのよ。ブワッとこうブワッと全身が青白く輝いていて‥首をこうくるっと首だけをこうくるりと動かしてみせたのよっ」
「祟りよ祟りっこの船は駄目よ。もういつ沈没してもおかしくないわっ」
「筏を作りましょうっ?」
「バッカねぇ‥あんた、こんな海のど真ん中で筏で漂流なんてしたら、それこそサメの餌食じゃないのっ」
何故かあれからも幽霊の目撃情報は増えている。リラは、誰かを探しているのだろうか。
調理場で騒ぐ船員たちの声に耳を傾けながらアルメリアは、エリオットとクレマチスに視線を向ける。ふたりは、眉を下げるだけだ。
「人間の襲撃なら対抗する術はあるんだけれど‥」
「幽霊では、触れることもできないわ」
相手は、足音もしないから見つけるもの困難だ。
「船内の見回りを強化して遭遇するのを待つしかない。リラだったかい?彼女の目的が、平和的で且つ誰かに会いたいだけなら案内してみるよ」
食事を終えたトレーを下げるために椅子から腰を上げたエリオットに賛同するようにクレマチスも頷いた。
「私じゃないことを祈るわ」
クレマチスの祈りは天に届くのか。定かではない。今、船員の大半が夜の見回りを恐れている。それを知っているエリオットとクレマチスは、一緒に船内の見回りをしてくれているのだ。
食事を終えて廊下に出たアルメリアは、手摺りに集まる小鳥達にパンを千切って与えていた。
昼間の暖かさと明るさが心地よく感じる。幽霊騒動さえなければ、毎日代わり映えのしない景色にウンザリしているだろう。
「何故、私はリシュリー王女に憑依したのかしら?」
誰に尋ねるのではなく呟いた言葉に返事をしてくれたのは、部屋から出てきたアスレットだった。
「リシュリー王女は、過酷な生活をしていた。彼女は、救いを求めていたのかもしれない」
「その心の隙に私が取り憑いてしまったと言うの?」
「箱庭の管理者なら分かるのかもな」
「そうね」
自分が何故リシュリーに憑依したのかは、分からない。しかし、長い年月を経て漸く初恋の人と結ばれたのだ。無駄だったということはない。
「リラが徘徊してるんだろう?」
「そうみたいね」
「もし会えたら連れてきてくれ」
「話してみたいのね?」
「ああ」
恐らく、リラの目的はアルメリアではない。アルメリアは、あれからも同じ部屋で寝起きしているのだ。会いたければ来るはずである。
「よしっ任せておいてっリラは私が捕まえてみせるわっ」
胸に拳を当てて胸を張ったアルメリアに何とも言えぬ表情をしたアスレットが、額に手を添えて目を閉じた。
「そういう意味じゃないんだよっ」
「あのね、リラに怯えている船員さんは、筏を作って逃げる相談をしていたわよ?お料理する人がいなくなったら大変じゃない?」
意表を突かれたような顔したアスレットに微笑み掛けてみる。
「毎日私の手料理でいいなら大丈夫よ?」
「‥‥」
その日の夜、部屋のドアを叩く音で外に出た。迎えに来たのはアスレットである。
「青い鳥は?」
「みんな寝ているわ」
小鳥たちは、ベットの上で行儀良く並んで目を閉じている。
「あいつらリラが怖いのか?」
「どうして?」
「この部屋にリラが現れた時もベットの下で丸くなっていたんだよ。揃いも揃って役に立たないから部屋から追い出しやったんだ」
「もうっ」
(でも、おかしいな。あの子達は、暗闇でも助けに飛んで来てくれるのにリラの時だけ大人しいなんて)
部屋に一瞥視線を向けてからアルメリアは、ランプを持つアスレットと並んで歩き出す。
真っ暗な船の中は、不気味な雰囲気であり、いつ怪奇現象が起こっても不思議だとは思わない。歩く度にギシギシと鳴る床。何処から聞こえてくる寝息。恐らく、いびきなのだろう。食堂の入り口で足を止めてランプの灯りで照らしながら周囲を確認する。誰もいないようだ。食堂の奥の調理場を確認するために足を踏み入れる。不意に廊下を誰かが横切った。歩く足音が焦っているのが伝わってくる。
「巡回の船員さんかしら?」
「いや、普通にトイレだろう?」
「怖い話する?」
「何で今なんだよっ」
風が吹き抜ける。思わず、アスレットの服を握って周りを確認してみるが、誰もいない。
「本当にリラなのかしら?」
「‥‥」
何も答えないアスレットに焦れて「ねぇ」と、声を掛けて見上げてみると、目を見開いたアスレットが何かを見ていた。振り向くと、青白い顔が宙に浮かんでいる。
「きゃあっ!」
「あなた達、楽しそうね」
心臓が止まるかと思った。服を引っ張るアルメリアを注意しようとしたアスレットは、無防備に振り向いてしまう。すると、真後ろに青白い顔が、迫っていた。目が合うと何故かそいつは不気味に微笑んだ。人は驚きすぎると声も出ないのだろう。初めての経験だった。
「リラなのねっ?」
「そうよ」
「何か探しているの?」
「あなた達を探していたわ」
「私の部屋は、知っているでしょうっ?」
「船の中は、何処も同じようで区別がつかないのよ」
「貴女、方向音痴だったのね」
「なんで探していたんだ?」
アスレットの問い掛けに何かを考え込む仕草をした彼女は、アルメリアだけを見詰めて口を開いた。
「豊城澪香‥耳を貸して?」
「うん」
こそこそと耳打ちをして何かを伝え終えたリラは、アルメリアから離れると、こちらに視線を向けてきた。
「私、貴方と話したいわ」
「俺も聞きたいことがある」
「あ、私は‥?」
人差し指を自分に向けたアルメリアが尋ねる。この場に残るべきか去るべきかで悩んだのだろう。黙って聞いていても差し支えはないと判断したアスレットに反してリラは、排除を選んだ。
「そうね。少し出ていてもらえる?」
素直に背中を向けて出入り口へと歩き出したアルメリアにリラは、片手を翳す。途端に強風が吹き抜けてアルメリアを強制的に廊下へと押し出した。
「きゃああああーっ」
「アメリアっ!」
間一髪で船の手摺りがアルメリアの体を受け止めてくれた。ぐったりとしたアルメリアを確認した途端、部屋のドアが独りでにパタンッと閉じられる。
リラは、手加減が苦手なのだとアスレットは察した。アスレットを転生させた時も彼女は、バルコニーから突き落としている。アルメリアの話では、彼女に危害を加えた認識はなく、アスレットを別の世界に飛ばしただけだという。
(痛みがなかったのは運が良かっただけなのか?)
「これが何だか分かるか?」
アスレットがリラに見せたのは、青い宝石と台座に赤い宝石が付いたブローチである。何故、不思議な力が宿っているのだろうか。
「時を渡った宝石には、加護が付くことがあるの。青い宝石には、悪きものから障壁となる加護が‥。赤い宝石には、呪いを可視化する加護が付与されているわ」
「これはアルメリアが持っていた方がいいんだな?」
「今、貴方が持っている。それが全てよ」
つまり、巡り巡って持つべき相手の手に収まったということだろうか。
「何故、ユリアス・ステファニアの宝石には、呪いを可視化する加護があるんだ?」
幸せを願って投げられたウェディングブーケに飾られた宝石に浄化の加護があるのは納得がいく。けれど、呪いの可視化は不可解だ。
「この宝石を持って来る際に豊城澪香は、恨めしいと連呼していたの。そう願って付いた加護というところでしょうね」
「偶然の産物なのか」
「そうね。偶然は時として運命だと言えるわ。忘れないでね。運命なのよ」
嫌な予感がする。これから何かあるのだろうか。
「俺に聞きたいことは何だ?」
「今、幸せ?」
「‥‥、ああ、幸せだよ」
自分の体には戻れなかった。故郷と呼べる場所から遠ざかり家族とも離れ離れになった。けれど、愛する人を手に入れることができたのだ。自分の人生を愛する人と彩ることができるのは、幸せなことだと思う。
「ならいいの」
目を閉じて口角を上げたリラは満足そうだった。
「何故、人形のように振る舞っていたんだ?」
自分を気遣うリラとあの人形のように振る舞うアルメリア・プリムスが一致しない。矛盾した彼女の行動に困惑してしまう。
「私に切り捨てられるアルメリア・プリムスの体は、眠るように息を引き取る筈だった」
魂という言葉を聞いたことがある。生き物の核のような物らしい。恐らく、アルメリア事リラは、それを抜き取り死を早めようとしていたのだろう。衰弱させようとしたリラと回復を促そうとするアスレット。ふたりの思いは相容れない。
「でも、貴方が毎日世話をして話し掛けてくれるから私の中で迷いが生まれてしまったわ。でも、貴方が求めるのは私ではなく豊城澪香でしょう?」
アスレットは知らず知らずのうちにリラを巻き込んでしまっていたらしい。リラを身代わりにするつもりなどなかったが、彼女が生きる選択をすれば、それを強いることになっていたのだろう。リラは、アスレットの気持ちが離れていくのを待っていてくれたのだ。
「私の笑顔は可愛かった?」
小首を傾げて尋ねてくるリラは、期待しているようだった。
「‥‥」
しかし、これは知っている。優しさで答えてはいけないやつだ。
「無理に笑う必要はないよ。楽しい時に自然と笑えばいいんだ」
「そうなのね」
ふふふと軽く笑ったリラは、ドアへと視線を向けた。ドアが独りでに開いくと、豊城澪香事アルメリアが驚いた顔で佇んでいた。
「豊城澪香、入っていらっしゃい」
「あっ、私はっ」
何処か遠慮したい雰囲気が伝わってくる。スッと無表情になったリラが、アルメリアに片手を翳した。これに危機を察した様子のアルメリアが、元気な返事をして足早に入室してくる。
「はいはいはいっ」
「澪香、私の言ったこと忘れないでね?」
「うん。必ず浄化してみせるわっ」
「お母様が呼んでいるわ。もう行かなくっちゃ」
「いつも忙しいのね?」
「そうね。授乳の時間は間隔が短いの。急いで行かないと、先を越されてしまうわ。残り滓みたいな母乳では、満足できないでしょう?」
「きょうだいが多いのね」
「アシルがいけないのよ。もう、卒乳してもいい筈なのにっサーシャも飲み過ぎだわ」
「だから、真ん中は嫌だと言ったのよっそもそもアレクシルとアレクサンドラなのに何故、私だけリラなのっ?」
リラの抱える不満につい納得してしまう。二文字は少し寂しい気がする。この世界では、きょうだいに優劣を付けないために態と似通う名前を付ける風習もあるのだ。
「リラは、ライラックを意味する言葉だと聞いたことがあるわ」
「そうなの?お母様とお父様の好きな花だわ。待ってっもう帰るからっ」
何かにハッと気が付いた途端、上空に両手を翳したリラが、光と共に消えていく。慌ただしい別れだ。




