存続の危機
「フローラっこれはどう言うことだよっ⁉︎」
「何よっ煩いわねっ」
「何よっこれはっ」と、フローラも驚き目を丸くしてしまう。ラムダスが手渡したのは、弁護士からの慰謝料請求が添えられた受任通知書であった。その莫大な請求金額に愕然としてしまう。
「どうしてこんなことになったんだよっ?」
フルール家だけではない。数えることも億劫そうな紙の束にフローラは、血の気が引いていた。
「ラムダスっどうしよう?」
(みんな、どうしてこんなに怒っているのよ?)
フローラには意味が分からない。彼女たちの婚約者にちょっかいをかけたことは認めるが、取り上げた訳でも不祥事を騒がれた訳でもないのだ。詛呪の腕を上げる為に近付いた相手だ。好意などはない。フローラは、割り切っていた。だから、特定の相手に狙いを定めたことはなく、あくまでも平等に男子生徒と仲良くしていただけである。
「婚約破棄に至った経緯にフローラ・プリムスの淫らな行為があったと目撃証言があるって書かれているけれど、本当なの?」
(ルカっあの子が言ったんだわっカエサルの嘘つきっ!やっぱり、ルカには媚薬の効果が表れなかったんだわ)
無理矢理口付けをされたルカが、周りに言い触らしたことで女性たちが勘潜ったのだろう。その結果、他の男性との仲を誤解されてしまったのだとしたら理解ができる。
(濡れ衣よっ!)
「被害届を取り下げてもらえないとプリムス家は、没落するよ?」
「没落ですってっ⁉︎本当なのっ?ねぇ、嘘でしょうっ?ラムダスっ?」
フローラは、縋るようにラムダスの腕を掴んで引いた。けれど、ラムダスは、眉を下げて危機迫る現状を告げる。
「没落するだけならまだいいよ。貴族として国に納める税金が払えないと、貴族でいることもできないんだ」
「そんな‥」
貴族ではないフローラをレガー伯爵は、息子の嫁とは認めないだろう。
(子爵家ってだけでも難しい立場なのに‥)
「フローラ、皆さんに謝罪するんだよっ自分の行動を顧みる素振りを見せて素直に反省すれば、減額に応じてくれるかもしれない」
「‥‥嫌よっ!」
自慢の髪を切り落としたハミング・フルールに謝罪するなど考えるだけでも堪えられない。フローラが、謝罪すれば勝ち誇った彼女は、嘲笑うだろう。あの狂ったような表情で声を上げて笑われるのだ。我慢ができずにソファーから立ち上がったフローラは、叫んでいた。
「フローラっ!」
呼び止めるラムダスの声を振り切るように、居間から飛び出して階段を駆け上がる。
ソファーに座ったラムダスは、衝動的にテーブルを叩きたい気持ちを抑えて拳を握り締めていた。
(くそっ!お父様にもお母様にも頼れない状況なのにっ)
家門を見限ったアルメリアの気持ちが今、痛い程に理解できた。フローラの問題行動を正せないラムダスでは、プリムス家に未来はないと判断したのだろう。
「どうしてフローラは、問題ばかり起こせるだよっ」
翌日、フローラは登校することを拒否して自室に立て籠もる選択をしたようだった。侍女達が部屋のドアを叩くが返事すらない。そんなフローラに半ば呆れたラムダスは、ひとりで馬車に乗り込み学園へと向かった。
噂は広がっているのだろう。学園では、針の筵状態だった。密やかな話し声がやたらと煩い。
休み時間の度に教室から出ていくラムダスは、昼休みも逃げるように裏庭へと移動した。そこで偶然、裏庭のベンチで購買部のパンを食べているニーナを見掛けて声を掛けたのだ。
「ニーナっ」
「ラムダス様」
俯いたニーナの横顔が暗い。
「どうかしたの?」
「私‥」
何かを言い掛けたニーナは、小さな吐息をだけを零して黙り込む。彼女らしくない振る舞いだ。
「ニーナ、何か考え事でもしているの?」
「ラムダス様。私、学園を卒業したら結婚しようかと考えています」
(えっ?)
「結婚っ?ニーナには恋人がいたの?」
寝耳に水だ。
「いいえ、下宿先のご夫婦の息子さんから頻繁に声が掛けられるようになったのです」
彼女の下宿先で管理人を務める夫婦には、息子がいる。名前をコリンと呼んでいた筈だ。
詳しく話を聞くところによると、ラムダスとフローラの誕生日にドレスに着替えて屋敷に向かうニーナを見掛けたコリンが彼女に一目惚れをしたらしい。
「そして‥先日、到頭、付き合って欲しいと」
泣き顔に崩れたニーナは、両手で顔を覆った。
「私、お嬢様に申し訳なくって‥」
「ニーナはコリンさんが好きなの?」
「分からないんですっでも、断ったりしたら生活がし辛くなる気がしてっ」
ニーナには帰る家がない。学園を卒業するまではプリムス家に戻らない方がいいと頑張っていたことも知っている。しかし、だからと愛のない結婚するのは間違いだ。
「なら、僕を選んでよ。僕を頼って欲しい、ニーナっ」
「ラムダス様」
驚いた様子のニーナは、ラムダスを見詰めてぼんやりしていた。
「ニーナも知っていると思うけれど、プリムス家は一斉訴訟を起こされて多額の負債を抱える寸前なんだ。僕は貴族のままではいられないかもしれない。でも、一生懸命に働くよっ」
告白する場面で格好いい台詞を言えないのが辛い。でも、ニーナを愛しく思う気持ちを伝えたかった。
「‥‥ありがとうございます。ラムダス様」
その後、ニーナから購買部のパンを分けて貰いながらフローラの様子について話をした。執事のエバンスの調査でもフローラの行動に非があるのは明らかなのだ。
「フローラは、お父様とお母様にも会おうとはしないし、被害者に謝罪することも拒絶して部屋に閉じ籠もっているんだ」
「そうですか。アルメリアお嬢様は?」
「分からない。何も連絡を寄越さないから。でも、きっとお姉様のことだから深く考えもせずにふらふら付いて行ったんだよ」
お人好しの長女は、頼み事を断れない。それどころか、誰よりも一生懸命になって解決しようと動く。相手が想い人のアルフェルト・レガーなら涙一つで意のままにされてしまいそうで心配だ。
「アルフェルト様を信じて付いて行かれたのですね」
ニーナは、元々レガー家で勤めていた侍女だと聞いている。アルフェルト・レガーとも少なくない交流がある筈だ。彼のことも信じているのだろう。
「私がフローラ様に掛け合ってみます。このまま放置してしまうと、取り返しがつかない事態になりそうですから」
「ありがとう、ニーナ」
「私の今があるのは、アルメリアお嬢様とプリムス家のお屋敷の皆さんのお陰ですから」
控えめに微笑んだニーナにラムダスの心臓がドキドキと音を立ててしまう。
「ニーナっ婚約することをお父様とお母様に伝えてもいいかな?」
「フローラのことを報告しない訳にはいかない。でも、お父様とお母様に良い話も聞かせてあげたいから」
「はい。ラムダス様」
心優しいニーナは快く微笑んでくれた。
部屋のドアを叩く音がして被っていた布団から顔を出す。いつもなら視界に長い艶やかな髪が見えている筈なのに。何にも邪魔をされないから視野が広がったように感じる。
お気に入りの化粧台の鏡には、布が被せてあった。短い髪を見ると嫌でもハミング・フルールを思い出す。あの狂ったような顔で笑うハミング・フルールが、脳裏に焼き付けて離れなれずにフローラを苦しめる。彼女の所為で自慢の髪を失ったと認めるのも嫌だった。
「フローラお嬢様、ニーナです」
「はぁ?ニーナ?」
(何でニーナが来るのよっ)
不快感から顔を顰めた。
「部屋から出て来てください。きちんと話し合いましょう?」
(煩いわねっ平民の癖にいつまで姉のように振る舞うつもりなのっ)
今のフローラには、図々しいとしか思えない。
(みんな、何処かに行ってよっ!)
「そうよ。ハミング達が死んでしまえばいいのよっそうすれば、問題はなくなるわっ」
机の引き出しから小さな人形を取り出したフローラは、震える手で多く針の刺さった人形に新しい針を刺していく。
「消えろっ消えろっ消えろっ」
ひと針ひと針、強く念じる。
「フローラ、今、お父様とお母様にも報告したんだけど、僕はニーナと婚約することにした」
「なに‥言ってるのよ?」
ラムダスの声に呆然としてしまう。我が耳を疑う言葉だ。
「ニーナは平民なのよっ⁉︎こんな時に平民なんか選んでる余裕なんてないでしょうっ?貴族のお金持ちと婚約するのよっそして助けてもらうのっ」
惨めな自分の姿を晒せないフローラは、人目を避けて部屋に閉じ籠もっている。だから、部屋の中からドアに向かって叫ぶしかない。プリムス家は今窮地に立たされている。家門を存続させるためには、愛よりお金が必要なのだ。ラムダスは、プリムス家の後継者である。自分を犠牲にしてでも貴族としての誇りを守るべきだ。フローラには、当然の主張だと思う。しかし、ラムダスの心には響かなかったようだ。
「行こう、ニーナ」
「待ってっラムダスっ!」
ふたりの足音が遠のいて行く。
「どうしてみんな邪魔ばかりするのよっ!ニーナっニーナがいなければっあの子さえ消えてくれたら」
血走ったフローラの目が捉えたのは、裁縫道具とフェルトの作りかけの人形であった。怪しい文字が書かれた赤い紙を机の引き出しから取り出したフローラは、「ニーナ」◯月◯日と書き込んでそれを筒状に丸め手作りの人形の中に詰め込んだ。




