逆利き手の礼法
「ゆっくり話していらっしゃいよっ」
アルメリアに明るく背中を押されてその場に踏み止まったアスレットは、第二王子ソーマと謁見の間を後にする天音秀事アスレットから視線を逸らした。
暗い表情を俯きで隠す天音秀は、アスレットの知る天音秀ではない。けれど、同一人物なのだ。
「其方には秘密があるな?それを明かすつもりはないか?」
「‥‥」
正直答えに悩む。
「ふむ。前世の俺は、信用に値しない人間だったか?」
少し口調に圧を感じる。この人は強引なのだ。
「貴方の言うこと聞けと助言したのは聖なる乙女アルメリア・プリムスでした。そんな俺に誰にも言うなと言ったのは貴方です」
「ふむ‥稚児しいな。前世の俺は、何を隠そうとしたのだろうな?よし、お前に爵位と領地をくれてやる。宮殿の立ち入りも許可しよう。どうだ?」
「貴方は俺を家族だと思えますか?」
少し息苦しさを感じながら尋ねた。
「兄として振る舞えと言うことか?昨夜、アルメリア・プリムスも言っていたな。家族としてこの地に残れとお前に言えるのかとな」
意外な言葉に目を丸くしてしまう。
「答えは否だ。お前とは共に過ごした時間がない。
しかし、これから共に過ごせばいいとも思う。違うか?」
(急ぐなってことか)
頭の中を整理したアスレットは、玉座のルーカスを見上げて前世での出来事を語った。
前世でもアスレット・レグザは転生者だったのだ。
「レイノルド・アズール・ピショップ。それがアスレット・レグザの前世の名前でした」
「成る程、お前がリシュリー王女の右腕の騎士だったのかっ?」
耳が痛い。自分は賞賛されるような人間ではないと知っている。
「俺は‥前世で犯した罪に苦しんでいました」
「ふむ。叔父のショアン・アボールの死の真相は、明らかになっている。アボール伯爵が、犯した罪も明白だ。両親を殺された息子が、犯人を殺めた。やむを得ぬ事件だと言えるだろうな」
レイノルド・アズール・ピショップは、何者かに両親を殺され外国で暮らす叔父夫婦に引き取られた。アズールは知っていた。叔父ショアンの婚約者が母のソニアであり、父アーノルドの婚約者が叔母のマチルダだったと言うことを。アズールの両親は、全てを捨てて駆け落ちしたのだ。そんな罪深い両親の間に生まれた自分を引き取ってくれる叔父夫婦を恩人だと疑わなかった。
「大国の小さな月、リシュリー王女にご挨拶いたします。伯爵家のレイノルド・アズール・ピショップです。以後、お見知りください」
「外国の人なの?」
「はい。両親が本国で他界しまして、レグザの叔父夫婦に引き取られられました」
「綺麗な髪ね」
そう言って微笑んだリシュリー王女は、美しく可愛らしかった。女神様を見たことはないけれど、彼女のような人だろうと納得してしまう。
「でも、私とは関わらない方が良いわよ。国王に見放されて誰からも見向きもされない私と親しくなっても得をすることはないから」
「損をするばかりよ」と、苦笑いをしたリシュリーを気の毒に思った。ボロを纏う彼女は痩せていて自分より酷い扱いを受けていると理解したからだ。
「僕には友達がいません。暇な時、話し相手になってくださいませんか?」
「うーん。良いわよ。でも、レイノルド・アズール・ピショップって呼び難いからアズールと呼ばせてもらうわ」
誰かに呼んで欲しい。それに気が付いたようにアズールと呼んでくれたリシュリーに自然と笑んでいた。
どんなに厳しく躾けられてもふたりに恩を返すべきだと信じていた。例え、食事を抜かれて寒い部屋で寝起きしても。無意味に叱られ罰を与えられても。厳しすぎる稽古だったとしても。父のアーノルドに因みレイノルドと新しい名前を与えてくれた叔父夫婦を恨むことなど許されない。
リシュリーが辺境の地の平定の任を受けたと聞く前からアズールの出兵は決まっていた。その時でさえ叔父の代わりに役に立てることが誇らしかった。
か弱いリシュリーを守る盾になるつもりで懸命に戦い抜いたアズールは、片腕を負傷しながらも胸を張って帰還したのだ。
けれど、凱旋パレードを終えて屋敷に戻ったアズールの姿に驚愕した叔父は「何故、生きて戻ったっ⁉︎」と怒鳴り付けた。
「お前をレイノルドと名付けたのは、兄のアーノルドのように不運な死を遂げろという意味だっ!」
この時、漸く理解した。両親を殺したは、叔父夫婦だったのだと。それからのことはあまり覚えていない。気が付いたら屋敷は血の海で、絶叫したような顔をした叔父夫婦が床に横たわっていた。
アズールは、屋敷を逃げ出した侍従の通報によって駆け付けた治安部隊の騎士に捕まり連行されたが、直ぐに釈放された。行き場のないアズールを迎えにきたのはリシュリー王女だった。
「早く迎えに行けばよかったっ」
そう言って泣いてくれた彼女に一生を捧げると誓いを立てたアズールは、王女に仕える騎士になった。その後、アズールは、毎日神殿へ出向き神に祈りを捧げながら暮らしていた。
何を祈っていたのかはいまいち覚えていない。ただ、無心で手を合わせていただけかもしれない。だが、何もせずにはいられなかった。
それから隣国へ援軍として出立するリシュリーを守るために国を出て命を落としたのだ。
「貴方は、そんな俺に罪を感じる必要はないと言い聞かせ、口外することを禁じました」
「成る程な。幼い末の弟が、苦しむ姿に胸を痛めたというところだろうな」
暗い話を吹き飛ばすようにルーカスは、自分の太ももを叩いた。
「よし、分かった。お前には、伯爵の地位とアズール・ピショップの名を与えよう。お前がレグザに永住する決意をしたのなら、俺に声を掛けろ。首都に近い領地を与えてやる」
アスレットを目の届く範囲に置くという判断をするのはルーカスらしい。前世でもルーカスは、結婚したアスレットを宮殿に何度も呼び付けた。だから、領地の屋敷で暮らすより宮殿で生活する方が楽だと思えていたのだ。
「ありがとうございます。謹んでお受けいたします」
アスレットは、左手を胸に当てて頭を下げた。今では一般化している紳士の礼法だが、これが広まった経緯が自分だと知っているルーカスの前で行うのは妙に照れ臭い。
「当事者の礼法を間近で見るというのも感慨深いものだな」
利き手の怪我を隠してリシュリーに礼を尽くしたアズールの行動に彼女は心配して泣いた。それを見ていた他の騎士達が、次々と真似をしたのだ。ステファニアでは、利き手を胸に添えるのが基本的なマナーであり、逆利き手を使うのは武器を持っている状態或いは負傷した時だけなのである。しかし、アスレットは、敢えて逆利き手を使っている。身に付いた動作を変える必要はないと思っているからだ。




