交錯する思い
「両親と折り合いがつかず、高校生の時に家を出て祖母の家から学校に通いました。そんな僕をそばで支えてくれたのが理人です」
「バイトしながら専門学校に進学し調理師と栄養士の資格を取りました」
「その時、ふたりは同棲していたの?」
「はい。日本では同性の結婚は、認められていなかったので、籍を入れることはできませんでしたが」
「與田理人は、モデルで生計を立てていました。彼のマンションに移ってからも生活は安定していましたから僕たちは、日本で老後を穏やかに過ごすことができた」
(老後っ⁉︎)
「確かに楽しく生きられたよ。こいつが、階段で足を滑らせるまではな?」
「面目ない」
「俺が共同墓地を購入していたからそこに納骨して二日後か?俺も帰らぬ人となった。九十五歳まで生きたよ」
「老衰のようなものだね」
明るく話すふたりに嘘は無さそうだ。
「秀が足を滑らせた病院の階段は、後々問題になって騒がしかったんだからな?」
天音秀は、マンションではなく病院の階段で転落したようだ。老人が、うっかり足を滑らせて亡くなったのだ。病院側は、対策に追われたのだろう。テーブルに頬杖を突いて愚痴をこぼす與田理人事リズリーに天音秀事アスレットが眉を下げて微笑む。
そして、話はふたりの再会へと移った。
本来ならリズリー・アデレードは、幼少期にアスレット・レグザに振られて婚約者から外されてしまう。しかし、これを與田理人は回避しようとしたらしい。
その理由は理解できる。この乙女ゲームには、三つのエンディングが存在する。ノーマルエンドとブラックエンドにバットエンドだ。ノーマルエンドでは、ハッピーエンドと言えるキャラクターも存在するが、必ずしもそうだとは言い切れない。攻略対象者にモラハラ要素が出てくるブラックエンド。これがあるので攻略対象者達は、人格そのものに問題があると見て取れる。
一作目でも二作目でも攻略対象者として登場するアスレット・レグザは、二股気質の王子としてプレイヤーからバッシングを受けていた。彼の問題は二股そのものではない。主人公達に掛ける言葉なのだ。
「お前が俺の運命の乙女だ」
という台詞をノーマルエンドで使い回すことにプレイヤー達が「お前の運命の乙女は何人いるだよっ」と、怒ったのだ。
このゲームでは、二心は認められていない。もし、うっかり意中以外のキャラクターの恋愛イベントを発動させてしまうとノーマルエンドには辿り着けない仕様になっているのだ。
ブラックエンドのアスレット・レグザは、病み体質であり、レグザの国王ルーカスを言葉巧みに誑かし、ステファニア王国に戦争を仕掛けてしまう。レグザへ連れ去られた一作目の主人公は、アスレットに恐怖で洗脳されてしまうので、思い直すように説得することができない。
虚偽の説明を信じたルーカスが、ステファニア王国を滅ぼし、第二王子に統治するように命じる。それを快く思わないアスレットに第二王子は、呆気なく毒殺されてしまう。その後もアスレットの思惑通りの展開が進み、第三王子のアスレットとその妻である主人公が欠けた第二王子の穴を埋めるかたちで統治する流れに収まるのだ。
「もう、邪魔をする奴等は誰もいない。これで俺も国王だ」
邪悪な笑顔を見せるアスレットに主人公は、黙って虚な目を向けているだけだった。
アスレットに転生していた天音秀には当然、アルフェルト・レガーとしての記憶はない。けれど、與田理人とゲームを楽しんだこの世界で平和に過ごしたいと考えていた彼は、リズリーとも仲良くしよう穏やかに接したという。しかし‥。
「私っ知ってるのよっ?婚約破棄するつもりでしょうっ?私が貴方を恐怖で洗脳してあ・げ・るっ」
五歳の誕生日に婚約者として第三王子アスレット・レグザと引き合わされたリズリー・アデレードは、ガーデンチェアに膝立ちになり軽く身を乗り出すと、ガーデンテーブルの天板に片手を突いて挑戦的に笑んだ。
「貴女も前世の記憶があるのですか?」
「そうよって‥‥そっちも?」
こくりと頷くアスレットにリズリーは、大きな溜息を吐いてガーデンチェアに座り直す。
「なーんだ。‥‥で?どうするのよ?婚約破棄」
「しません。仲良くしましょう?」
「‥‥リズでいいよ」
これにもアスレットはこくりと頷いた。
「その癖、あいつを思い出すな。前世の俺は男だからその辺よろしくな?」
「大変ですね」
「あぁ‥歯が丈夫なうちにスルメが食いたいな‥」
「幾つの時に他界されたのですか?」
話しながらアスレットが紅茶のカップを傾けると、中央のお皿から大きめの紅茶のクッキーを掴んだリズリーが、噛み砕くように齧り付いた。クッキーは、スルメじゃない。
「九十五。そっちは?」
「二、三若いくらいです」
苦笑いを浮かべたアスレットにリズリーが微笑む。
「もう、老衰だな」
「そうですね」
「老人ホームってどんな感じ?」
「あっ僕はマンションで具合が悪くなって緊急入院したんです。その病院の階段でうっかり足を滑らせちゃって‥そのままぽっくりと」
そう答えながらアスレットは、そばに立つ侍女を気にした。乳母のようにアスレットに付き従う彼女は、無感情そうな眼差しを向けていた。幼いふたりの会話や振る舞いは、この場で給仕に当たる彼女の報告によって両陛下や兄達の耳にも入る。見守っているのではなく監視していると知っているから、些か窮屈に感じてしまう。
「お前っ天音秀じゃないのかっ?」
「はい。どこかでお会いしましたか?」
戸惑う天音秀事アスレットにリズリーは、自分に人差し指を向けて主張する。
「俺だよ、おーれっもう、ボケちまったのかよっマンションで一緒に暮らしてた理人だよっ」
「‥‥」
「‥‥」
「えぇっ?リヒト?ヨダ・リヒトなの?」
「そう。若しき頃は、モデルをして稼いでいたリヒトだよ」
モデルをしながら専門学校に通った與田理人は、メイクアップアーティストとしても活躍したのだ。
「久しぶりだね。また、よろしくね?」
「おうっ」
にっこりと笑んだリズリーに侍女の表情が険しくなる。その後も険しさを増す侍女の表情を気にしながらふたりは、思わぬ再会を喜び楽しい時間を過ごしたという。
「と、こんな感じでした」と、人差し指を立てて説明を終えた天音秀事アスレット・レグザが椅子に腰を下ろす。
(そうよね。前世の記憶があれば悲劇を回避しようと動くものよね)
「恐怖で洗脳?」
ひとり納得がいない様子のアスレット事アルフェルトが、難しい表情で首を傾げる。
「それであんたは何なんだよっ?」
些か不機嫌そうなリズリーに声を掛けられたアスレット事アルフェルトが視線を向けたのは、天音秀事アスレットである。
「俺はお前だよ、アスレット・レグザ」
「はあっ?」
慎ましさを求めらる令嬢が破顔してはいけない。呆気に取られて表情を崩すことも然りである。前世が男性だった名残りが消えないリズリーは、王族の伴侶に相応しい淑女になるべく厳しい教育を受けている筈である。感情に素直なリズリーが、それをどう乗り越えているのか。疑問である。
「稚児しい話になるのだけど‥私達は、前世でもこの世界に生まれているの。豊城澪香の記憶は、前々世のものなのよ」
「私はアルメリア・プリムスの人生をやり直しているし、アスレットはアルフェルト・レガーとして転生したの」
何とも言い難そうな表情をしたリズリーは、何も言わずに視線を向けてくるだけだった。
「俺は自分の人生を取り戻したい。お前はどうだ、天音秀?」
真っ直ぐに見詰めるアスレット事アルフェルトの問い掛けに困り顔をした天音秀事アスレットは、視線を下げた。
「僕は‥僕はこのままリズリーと一緒にいたいです」
「つまり、その体を譲るつもりはないってことだな?」
視線を向けて頷いた天音秀事アスレットからアスレット事アルフェルトは視線を逸らす。
(大国レグザの王子の婚約者をステファニアの貴族男性が奪うのは難しいわよね)
天音秀事アスレットが、慎重になるのは仕方ない。ふたりが入れ替わり、婚約者を取り換えればレグザの為政者の反感を買うことは避けられない。しこりを残すことで国際問題に発展する事態を恐れるのは十分に理解できる。
「ルーカス国王がそれを望んでもか?」
「僕には大切な家族です。お兄様達とも離れたくはありません」
悲しげな顔で目を伏せた天音秀事アスレットは、現在の国王ルーカスが、情より利益重視の人だと知っているのだ。自分を選ばない可能性が過り辛いのだろう。
「老人ってもっと達観しているものだと思っていたよ」
期待外れというように吐き捨てて立ち上がったアスレットを見上げてからアルメリアは眉を下げてふたりに向き直る。
「お互い様じゃないのか?」
不機嫌を隠さずに告げたリズリーの言い分も尤もだと分かっている。今世の天音秀には、アルフェルト・レガーの記憶はないのだから。
(ピッピの言葉の意味が何となく理解できたわ。突然、別人の人生を送れと言われて直ぐに納得できる人はいないもの)
ふたりはアルメリア達の味方でも敵でもない。逆を言えば敵にもなり得るし、味方にもなってくれる人達なのだ。
「ごめんなさい。でも、アスレットに取っても大切な家族なんです」
立ち上がり頭を下げると、天音秀事アスレット・レグザが眉を下げて俯いてしまう。
「お前達は、ステファニアから来たんだろうっ?突然、異国に連れて行かれる気持ちも考えてみろよっ」
逆の立場で物を見ろと反発するリズリーの言い分も間違いじゃない。
「私は前世でステファニアから連れ去られた経験があります。とても大変だと理解していますが、周りの温かいサポートがあれば徐々に慣れていくことも知っています」
ふたりが黙り込んだ。直ぐに色よい返事は期待できない。アルメリアが、隣のクレマチスに視線を向けると、彼女は小さく頷く。
「このあと、国王陛下に謁見を申し込んでいるわ。シリウス・レイスター宰相が、迎えを寄越す筈だけど‥」
宮殿に視線を向けると、薄墨色の髪と燻銀の瞳を持つ宰相のシリウス・レイスターが渡り廊下で佇んでいた。近付いてきたシリウスに違和感を覚えて眉を顰めてしまう。
(片腕が‥)
前世の彼は、片腕の肘から下に義手をつけて生活していた。アスレットが子供の頃に国王が崩御して第一王子のルーカスが国王になった際に彼は、第二王子ソーマを支持して謀反を起こすのだ。
シリウスが加担した謀反は、ルーカスの知略で失敗に終わり彼は片腕を失った。
幼いルーカス・レグザは、血の粛清を選ばず優秀な人間を味方につける選択をする。ルーカスの温情に感謝して改心したシリウスは、その後宰相へと上り詰める。
(未来が変わってしまっているわ)
片腕を失っていないシリウスを信じていいものか、不安になってくる。シリウスは、暗い表情で俯く天音秀事アスレットに一瞥視線を向けてから、こちらに厳しい眼差しを向けてきた。
「国王陛下がお呼びです。聖なる乙女クレマチス様、ご同行願います」
名前を呼ばれたクレマチスが椅子から腰を上げる。アスレット事アルフェルトと頷き合ったアルメリアは、ふたりに続いて宮殿へと入っていく。
見知っている広い廊下を歩きながら、周囲を窺うと見事な生花が彼方此方に飾られていた。
(私の知っているレグザの宮殿とは、少しずつ違うのね)
「物珍しいですか?」
こちらに振り向くこともせずに先頭を歩くシリウスが声を掛けてきた。
「そう思いますか?」
質問を疑問で返すと、流石のシリウスも足を止めて振り向いた。アルメリアに顰めっ面を向けてくるシリウスは、明らかに好意的ではない。
(私、何かしたかしら?)
怒らせるようなことをした記憶がないのだ。けれど、シリウスは不機嫌だった。廊下の花瓶に視線を向けてから顔を正面に戻したシリウスは、それから一言も話し掛けてはこなかった。
元から寡黙な人ではあるが、纏うオーラが黒に近い紫色で歪に揺れ動いている。黒は、恐れや怒りなどの負の感情。今のシリウスは、強い不快感を宿しているに違いない。
(とても嫌われているのよね)
見上げるほどに大きな扉の前で足を止めたシリウス・レイスターが案内したのは、謁見の間である。
「どうぞ、お入りください」
王座の国王を守る二人の衛兵が、扉を開いて道を譲る。通路に敷かれた赤いカーペットの上をゆっくり歩いて階下付近で足を止めた。
「ステファニアの聖女、遠路はるばるご苦労だったな」
労いの言葉にまで威厳がある。
「アルメリア・プリムスです。お会いできて光栄でございます」
玉座に続く階段の前で足を止めたアルメリアは、許しがあるまで見上げて目を合わせることはできない。目を伏せて淑女の礼をした。その隣でアスレットが、左手を胸に当てて優雅な一礼する。
「アルフェルト・レガーです。大国を照らす太陽に拝謁できます機会を嬉しく思います」
「楽にせよ」
王座に腰掛けるコバルトブルーの瞳と艶やかな黒髪が冷静沈着な心象を抱かせるルーカス・レグザの隣には、長いサンドベージュの艶やかな髪と新橋色の瞳を持つ物腰が柔らかそうな第二王子のソーマが佇んでいた。ルーカスのオーラは、黄色味のある橙色だ。好意的と言えるだろう。反してソーマは水色である。今は静観する構えだと理解した。
(ルーカスは、アスレットに好感を持っているみたいね)
「アルフェルト・レガーお前は腕が立つらしいな。どうだ、レグザで騎士を目指すのは?お前なら直ぐに叙爵できるぞ」
「お声掛けありがとうございます。身に余る名誉です」
「ふむ。殊勝だな。それでは、其方達がレグザまでやってきた目的を聞こうか?」
「恐れながら、ルーカス国王陛下の耳にも届いているかと思いますが、ステファニアの伯爵令嬢アナイス・レガーは、今苦境に立たされております。彼女の再調査をステファニア王国に要請していただけないでしょうか?」
「ふむ‥レグザの利益はなんだ?」
不思議そうに問い掛けたルーカスは、無償で手助けをするつもりは微塵もないようだった。
(やっぱり、ルーカスね。利益がないと動いてはくれないわ)
「私たちは前世の記憶があります」
「ほう?」
「私たちの知識が何かお役に立つかもしれません」
「クレマチス、神語の解読は進んでいるのか?」
「いいえ。暗号の解読に進展はありません」
申し訳なさそうに視線を下げたクレマチスから逸らされた視線は、アルメリアに向けられた。
「ふむ。クレマチスに神語を教えたのは其方だな、アルメリア・プリムス」
「‥‥」
(慎重にならないと国に返してもらえないわ)
「答えよ」
「神語には日本語と言われる言葉が使われております。日本語は複雑で、例えば人という一文字の漢字だけでも様々な読み方があるのです」
落ち着いた口調で答えたのはアスレット事アルフェルトだった。
「‥‥それもアルメリア・プリムスから聞いた話か?」
「いいえ、私が知っていることです」
「どういうことだ。ステファニアは、神語の解読に力を入れているのか?」
訝しむような視線を向けたルーカスにもアスレット事アルフェルトは動じない。顔を顰めたソーマの視線は、階下の宰相のシリウスに向けられる。しかし、表情を硬くしたシリウスも腑に落ちないようであった。
(何故、アスレットが知っているんだろう?‥‥いや、それより良くない展開な気がするわ)
今の状況は、アスレット・レグザのブラックエンドの流れに酷似していた。ステファニアの動向を怪しんだルーカス国王は、唆す声に耳を傾けてしまうのだ。
「アスレットっ」
焦ってしまったアルメリアが、咄嗟に制止を促すように声を張った。そこで失敗に気が付いた。あっと思わず口を両手で押さえたアルメリアが顔を伏せると、気不味い沈黙が落ちる。
「其方達の前世の記憶について聞く必要がありそうだな」
ルーカスが不適に笑んだ。違う方向でもよくない展開である。彼は、興味を覚えたことには貪欲な姿勢を貫く。
「えっ‥と。それは‥‥細かいことはいいではないか?じゃないのですか?」
「ほう、俺の口癖を知っているのだな。大したものだ」
愛想笑いで乗り切れないかと笑顔になってみるが、ルーカスには通じなかった。直ぐに真顔になり威圧的な眼差しを向けてくる。戸惑うような視線を向けるソーマとアスレットの表情が懐かしく思えてくるから不思議だ。
「俺の前世は、レグザの第三王子アスレット・レグザです。貴方達は俺の兄でした」
「では、アルフェルト・レガーは‥」
「天音秀がアルフェルト・レガーです。その姉、天音優がアナイス・レガーでした。俺たちは未来を知っています」
「私はアルメリア・プリムス。人生をやり直しています。私は前世ではレグザの聖なる乙女でした」
「それで神語を知っていたのですね」
「ソーマ殿下、虚言の可能性もありますっ」
口を挟んだのはシリウスだ。彼は珍しく焦っているようだった。
「口を慎めシリウス。真偽の程は定かではないが、神語の解読には、役に立つと申しているではないか」
不機嫌そうなルーカスに咎められたシリウスが顔を伏せた。その表情は、悔しそうに歪められている。
「しかし、‥そのような荒唐無稽なことを素直に認める訳には‥」
(シリウスには、入れ替わりを認められない理由があるのね)
「今のアスレットが誰だと真理の追究をするつもりはない。アスレットはアスレットだ」
王座のルーカスに縋るように顔を上げたシリウスが階下で膝を突く。
「畏まりました、国王陛下」
今度はアスレット事アルフェルトが辛そうに顔を伏せた。アルメリアが眉を下げてルーカスを見上げると、彼は無感情に見えた。
(アスレットの望みは潰えてしまうの?)
自分の人生を取り戻したい。アルメリアには、当たり前の要求に感じる。過ぎた願いではない筈だ。
「私は、精霊王ピッピの契約者でもあります。私の願い事を使えばふたりの体を入れ替えることができます。国王陛下には、公平な判断をお願い申し上げます」
「何故、入れ替える必要がある?」
堪えられなかったのだろう。アスレットが左手を胸に当てて一礼をすると扉の方へと歩き出した。
「アスレットっ」
呼び止めても足を止める様子はない。その背に声を掛けたのはルーカスだった。
「ふたりには、宮殿で待機を命じる。アナイス・レガーの問題に着手するかは、これから吟味する」
「ありがとうございます」
一応調べてはくれるようだ。些か安堵した。
視線を感じてシリウスに顔を向けると、彼は憎悪に近い眼差しを向けていた。
「国王陛下、アナイス・レガーの問題を解決なされるべきです」
(さっさとステファニアへ帰れってところかしら?でも、アナちゃんの問題に早急に取り掛かってもらえるのは有り難いわ)
アルメリアは、何も言わずに淑女の礼をしてクレマチスと謁見の間から退室した。先に退室したアスレットを追いかけて廊下を見渡しても彼の姿は何処にもない。
(自分を選んでもらえなかったのは辛いよね)
アルメリアには、アスレットがレグザの王子であろうが、アルフェルト・レガーのままであろうが関係ない。けれど、アスレットには大きな問題なのだ。
(自分とは違う名前で呼ばれ続けるのは嫌よね)
「庭園かしら?」
嘗ては、群生するタチアオイの草原だった場所に建てられた宮殿は、ベニタと呼ばれている。ウスベニタチアオイから因んで名付けられた宮殿に相応しく、タチアオイが植えられた立派な庭園があり、アスレットの好きな場所でもある。レグザの国花でもあるタチアオイを愛する国民は多いのだ。
「アルメリア、あんたに見てほしいものがあるの」
傷心中のアスレットが気に掛かるが、アルメリアは声掛けてきたクレマチスに向き直り頷いた。クレマチスが案内してくれたのは、前世でアルメリアが使っていた部屋だった。
アルメリアは、可愛いらしい装飾を施した家具が好きで白を基調に揃えていた。今の部屋の主クレマチスは、伝統的な家具を好むようで、並ぶ家具の色も落ち着いた茶色が多い。だが、配置は一緒だ。
「実はステファニアへ送られた調査員が、カルンディラの採掘場から持ち帰ったものがあるの」
「もしかして鍵っ?」
これに首を振ったクレマチスが差し向けたのは、古ぼけて黄ばんだ紙だった。
「ルーカス国王陛下が、レグザの欠けた秘書の一部だと訴えて持ち帰らせたものよ。貴女に読める?」
アルメリアは、机に散乱する破れた紙と日記帳に視線を落とした。見覚えのある日記帳は、リシュリー王女が残したものだ。日記帳を手に取って一枚ずつ捲って確認していくと、所々でページが破れかれて欠けていることに気がついた。
「誰かが破いたのっ?」
「いいえ、初めから破かれていたのよ?」
「そんな筈ないわ」
日記帳を抱えたアルメリアは、泣き出しそうな気持ちを抱えてタチアオイの庭園へと向かった。多彩な花が咲き乱れる庭園には、アスレット事アルフェルトが佇んでいた。
「アスレットっこれを見てっ」
「リシュリー王女の日記だな?」
「こんなに破かれているのよ?」
戸惑うアルメリアに首を傾げたアスレット事アルフェルトは、日記帳を開いて確認し始めた。
「俺が見たときもこんな風だった」
「元々破れていたの?」
「ああ、劣化してしまって読めない箇所も所々ある。でも、破れ方を見る限り誰かが意図的に持ち去ったとも思えるんだよな」
「‥私は全て読んだことがあるのよ?」
とても信じられない気持ちで告白したアルメリアを見詰めたアスレットは、何も言わずに日記帳に視線を落とす。
その後、アルメリアとアスレットは呼びに来た侍女の案内で客室に通された。破かれてしまった日記帳を眺めながらぼんやりして過ごしていると、部屋のドアが叩かれた。
「はーいっ」
ドアを開けて訪ねてきた人を確認すると宰相のシリウスであった。
「おふたりの会話を聞かせていただきました。国王陛下が謁見の間でお待ちです。そのままで構いませんのでご一緒ください」
彼のオーラは、紫とオレンジに赤が混じっている。強情そうなオーラだ。何となく拒むと無理矢理連れて行かれそうな雰囲気を察したアルメリアは、小さく頷いた。
謁見の間では寝巻き姿のルーカスが佇んでいた。
その手には縁周りが劣化した紙があり、思わず持ってきてしまった日記帳に視線を落とす。
「これが何か分かるか?」
差し出された紙を読んで紛失したページに挟んでいく。何枚かは神語を真似て書かれた偽物も混じっているようだったが、捨てるのは惜しい気がして日記帳の一番後ろに挟んだ。
「破かれた日記帳の一部と偽物が混じっています」
「ほう、偽物か」
興味深そうに笑ったルーカスは、アルメリアから日記帳を受け取るとページをパラパラと捲っていく。
「ルーカス国王陛下。アスレットは本物のアスレットです」
「そうかもしれぬ」
意外な言葉だ。
「それなら何故?」
ルーカスは、アスレット事アルフェルトに興味を覚えながら敢えて素っ気なくしたことになる。
「例えば、育てた我が子の血が繋がらないと発覚したとする。確かにそこで縁が切れる者もいるだろう。しかし、共に過ごした時間は、取り替えることができんのだ」
ルーカスの表情は真剣そのものだ。
「アスレットも家族を恋しがっています。消えていない温もりを求める気持ちは本物です」
「俺は体などはどうでもいい。今のアスレットは、王子としては優しすぎるが、とても器用で賢い。今後も国の為に貢献してくれるだろう。切り捨てるのは惜しいのだ」
乙女ゲームのルーカスは、第二王子ソーマが毒殺された時も涙を流さずに平然としていた。しかし、前世のルーカスは、家族を大切にする人だった。相反するルーカスの姿が判断を迷わせる。
「俺は国王だ。もうひとりのアスレットが、アルフェルト・レガーとしてこの地に残れば、身の丈に合う爵位や領地を用意してやれる。それでいいではないか?」
「なら残れと言ってくださいますか?」
確信が欲しい。
「俺は初めから残れと言ったと思うが‥?」
「いいえ、ご家族として残れと言って欲しいのです」
アスレット事アルフェルトが求めているのは、身分や地位ではなく家族の温もりだ。
「考えてみよう」
そう言ってルーカスは、日記帳を返してきた。
「神語の解読を条件にアナイス・レガーの再調査と国外追放の処分取り消しをステファニアに要請してやろう」
「‥できることはするけど‥」
「自信がないのか?」
「いいえ。ただ、この日記は、リシュリー王女の生涯が綴られているのです。その内容があまりにも可哀想で」
「彼女はレグザの初代女王にして初代聖女。苦難は多かろうが人々に愛された人物なのだ」
「リシュリー王女が初代の聖女?」
初耳である。
「ふむ。神殿側の主張でもある」
あまり公にされた立場ではないのだろう。
「そうですか」
一度日記帳に視線を落としたアルメリアの心の中は複雑なままだ。しかし、アナイス・レガーは一刻も早く救わなければならない。モヤモヤを抱えたまま視線を上げたアルメリアは、隣に立つルーカスを見詰めて口を開く。
「紙とインクを用意してください」
「ふむ。良い返事だ。期待しているぞ?」
ぽんぽんとアルメリアの頭を撫でたルーカスは、穏やかに微笑む。ルーカスに部屋まで送り届けられたアルメリアは、あとから部屋を訪れた侍女から紙とインク。それと燭台と長い蝋燭を三本渡された。
アルメリアは、窓辺で日記帳を開いてみることにした。少しだけのつもりが、気が付けば夜が明けるまで休むこともせずに読み続けていた。
「カルンディラの採掘場なら心の鍵でしょう?何故、リシュリー王女の日記の一部が出てきたのかしら?」
昨夜のルーカスは、アスレット事アルフェルトを静かに受け入れている様子だった。そもそも彼は初めから驚く様子は見せなかった。何か感じるところがあったのだろうか。
元気のないアスレットは、国王は利用価値のない相手に興味がないと、いつものように諦めてしまったのだろう。しかし、ルーカスは意外にもアスレットの存在を認めていた。それを教える必要がありそうだ。
「そうかもしれぬ‥って言ったものね」
「神語の解読をするつもりか?」
不意に声を掛けられて振り向いたアルメリアは、睨み付けるようなリズリー・アデレードに穏やかに微笑みかけた。
「ご機嫌よう、リズリーさん」
「ご、ご機嫌よう」
硬い表情で挨拶を返すぎこちないリズリーにアルメリアは首を傾げる。
「あんたは、日本人の記憶があるんだろう?その言葉遣いに抵抗はないのか?」
「ご機嫌ようは日本人でも使うわよ?」
「本当かっ⁉︎」
余程、驚いたのだろう。リズリーが目を見開いて声を張る。
「ええ、私のおばあちゃんの女学校時代は、みーんな使うもんだって言ってたわよ?」
序でに言えば、祖母は女学校へは行っていない。
「女学校って‥」
言葉の乱れは心の乱れと、何度となく注意されてきたのだ。間違えない。そもそもご機嫌ようは、日本語なのだ。気持ちを落ち着けるような咳払いをしたリズリーが、話題を切り替える。
「んっ兎に角だ。神語の解読はするべきじゃない」
「何故?」
(そうよね、ふたりは日本人だったのだから読めるわよね)
「リシュリー王女は、戦争時代の転生者だ。ミサイルや爆撃機なんて物をルーカス国王に知られたら、この世界が劇的に変わってしまう」
確かにルーカスなら興味を示すだろう。他国より早く手に入れようとするかもしれない。
「確かに野蛮な事件も多いけど、それでもこの世界は長閑な平和が守られている。それを壊してはいけないんだっ」
できることはすると了承したばかりのアルメリアは、日記帳を抱き締めて俯いた。途方に暮れるばかりだ。
(アナイス・レガーを助けるか、世界を助けるか。ふたつにひとつということなの?)
残酷だと思う。リズリーから逃げるように駆け出したアルメリアは、廊下の角で誰かとぶっかりその相手に支えられた。
「前見て歩けよ?」
肩を支え案じ顔を向けてきたのは、アスレット事アルフェルトだった。
「アスレット‥リシュリー王女は、何故日記帳を残したのかしらね」
「同じことを繰り返すなって警告だろう?」
リシュリー王女も世界を守りたかったのだろうか。
「皮肉なものよね」
「どうしたんだよ?」
「リズリーさんに言われたの。リシュリー王女の日記は、この世界には危険な物だから解読はしない方がいいって‥でも、アナちゃんを助ける為には解読をしなくてはいけないわ」
「お前らしくないな。困難にぶつかっても真っ直ぐに向かって行けるのがお前の長所でもあるだろう」
まるで馬鹿のひとつ覚えと言いたげなアスレットの言葉は、アルメリアの胸にストンッと収まった。
「そうよね、私は解読しないっ解読なんてしたくないわ」
アルメリアは、日記帳の表紙に手を添えて押さえる。それが今の正直な気持ちだ。
「アスレットっ手伝いて頂戴っ賄賂よっ賄賂が必要なのよっ」
アルメリアは、眉を下げたアスレット事アルフェルトの手首を掴んで駆け出した。
読んでくださってありがとうございます。是非、貴重なご意見や感想などをいただけると嬉しいです。評価やレビューもお待ちしています。よろしくお願いします。




