アナイスの悩み
翌日、学園の教室へ向かうとアミル・ルイーズの周辺に女生徒達が屯していた。最近よく見られる現象なのだ。日増しにその輪が大きく堅固になっているような気がする。
「‥‥」
「‥‥。あっアルメリアさんおはようございますっ」
隣のアナイスと目が合った筈なのに無視をして明るい笑顔をこちらに向けてきたアミルにアルメリアの表情は、引き攣り苦笑いになってしまう。
「おはようございます、ルイーズさん」
(と、その仲間たち)と、内心で悪態をついたアルメリアは、自分の席へと移動する。アナイスを見てクスクスと笑ったり、ヒソヒソと話す姿に苛立ちが募る。しかし、注意したくても決定的な攻撃はしないのだ。偶然、あちらを見て話していただけと開き直られる可能性の方が高い。
(歯痒いわっ)
暗い表情で顔を伏せたアナイスが、心配になってくる。席に着いたアナイスの隣を歩いてきた女生徒が、机の足を蹴って足を止めた。
「あらっごめんなさい」
ちっとも反省した素振りではない。見下すような視線を向けてくる女生徒に驚いた様子のアナイスが、力無く目を伏せる。
「いいえ‥」
何とか返事をしたアナイスのズレた机を戻したのはルーク・ファンレイだった。
「急いでいたようには見えませんでしたが‥‥気を付けてください」
「‥‥」
顔を真っ赤にした女生徒は、急足でアミル・ルイーズ達の輪に加わって背を向けた。暫くすると何故だか彼女は泣き出して仲間たちが非難の視線を向けてくる。これに呆れたようなルークが、溜息を吐く。
みんなでサポートしても彼女達は、隙を見て嫌がらせを仕掛けてくるのだ。それを咎めたり責められたりすると、被害者は自分達になるらしい。
アナイス・レガーは悩んでいた。アミル・ルイーズが向ける憎悪は顕著であり、彼女に協力する生徒が出てきて誤解が深まるばかりなのである。自分の好きな人を明かせばいいだけなのだが、自分に相応しい立場だとは思えない。そんな時、王宮で開かれるお茶会の招待状を受け取ったのだ。
お茶会に参加したのは会いたい人がいたからだ。そこで、偶然アルメリア・プリムスの姿を見掛けて安堵した。
(いい機会ね)
「アルメリア、ご機嫌よう」
「アナちゃん、ご機嫌よう」
挨拶を交わしてから庭園を散策するように歩いていたアナイスは、隣のアルメリアに視線を向けて足を止めた。いざ、話そうとすると俯いてしまう。よくない癖である。
「話したいことがあるの。聞いてもらえるかしら?」
大切な友人のアルメリアには、一番初めに秘密を打ち明けたいと思っていた。
アルメリアは、真剣な表情で向き直ると、小さく頷いた。この場所には、人の気配が少ない。秘密を打ち明けるのに適した場所なのだ。
「私、リゼル様をお慕いしているの。リゼル様と婚約するつもりよ」
自分で言って目眩がする。大それたことだと思うからだ。
アナイスの好きな人は、落ち着きのあるユリアスではなく、明るく人懐っこいリゼルなのだ。
「ふたりの馴れ初めを聞いてもいいかしら?」
「昔、お茶会で会話する機会があってアルメリアと仲の良い私に興味を向けてくれたの」
些細なきっかけでリゼルと親しくなっていったアナイスは、現在恋人関係にあった。しかし、敢えて周りには内緒にしていた。王子の伴侶になるのは重責だとアナイスは怯えていたのだ。
話を聞いたアルメリアは、目を丸くしたあとで微笑む。
「ふたりは、お似合いだと思うわっルイーズさんにも伝えるべきじゃないかしら?」
アルメリアの言う通り唯の誤解なのだ。ユリアスを慕うアミル・ルイーズの嫉妬は、見当違いだと言える。
綺麗な笑顔を向けてくれたアルメリアに肯定される思いがしたアナイスの迷いが晴れていく。アナイスは決意を固めたのだ。
(大勢の前で告げるのだからリゼル様にも断りを入れなくては‥)
「私、リゼル様を探してくるわっ」
お茶会が開催されるまでまだ時間がある。頷くアルメリアに見送られてアナイスは、王宮の渡り廊下へと向かって走り出した。
リゼルは会場へ向かう途中にこの渡り廊下を使う。息を切らして駆けてきたアナイスに気がついたリゼルが、手を振ってくれる。
「リゼル様っ私‥‥皆さんに報告しようと思うのですっ」
アナイスの決意にリゼルが目を丸くした。
「私は、とあるご令嬢にユリアス様との仲を誤解されていて‥このままではいけないと思うのです」
「僕は構わないよ?レガー伯爵とレガー夫人にも婚約の許しを得たと思っているんだ。それでもいいかな?」
「はいっよろしくお願いします」
快く返事をしてくれたリゼルが、アナイスの決心が付くまで待っていてくれたことを知っている。
アナイスは、涙で滲む視界を払うように微笑んだ。
幸せいっぱいのアナイスはこの時、疑うことをしなかった。幸せになれるのだと信じていたのだ。
翌日、学園は騒ぎに包まれた。アミル・ルイーズが階段から転落したのだ。運が悪いことに階下には、アルメリア・プリムスがいた。階段から落ちてくるアミルに押し潰されるかたちで受け止めたアルメリアは、気を失い救護室に運び込まれてしまう。
上段の踊り場にいたアナイスは、両手で口を押さえて震えていた。
女生徒が、階段から落ちただけでも問題になる事件であるが、聖女が巻き込まれたことで更に大きな問題へと発展したようだった。
しかし、幸いなことにアルメリアは、直ぐ意識を取り戻し、折れた骨もなく打撲の軽傷だけで済んだ。これにアナイスは、ホッと胸を撫で下ろす。救護室へと駆け付けたラムダスとフローラも驚いたのだろう。アルメリアは、ふたりに苦笑いを浮かべていた。
「お姉様は聖女なのよっ?」
救護室に居たアナイスとアミルを責めるようにフローラが声を張る。申し訳なさそうに目を伏せたアミルは、涙を堪えるように唇に力を入れていた。
「やっぱりお姉様は、教会で保護してもらうべきよっ」
「止せよっフローラっ」
「意気地なしっ!」
間に入り止めてくれたラムダスを罵ったフローラは、救護室を駆け出して行った。
どうしたらいいのか分からない展開である。遅れて様子を見に来たアルフェルトが、暗い顔でアナイスの肩に手を置いた。
「今日は帰宅するように第一王子に言われたよ。教室に荷物を取りに戻ろう」
その日の夕方、王宮の騎士がレガー家にやってきてアナイスの処分を告げたのだ。まさかの事態に耳を疑う。
「聖女を傷付けたアナイス・レガーを国外追放に処す。アナイス・レガーは、即刻馬車に乗り込むべしっ」
愕然としてしまうアナイスの肩を掴んでいた母のエルマの手が震えていた。ただ、アミル・ルイーズに声を掛けようとしただけで、国外追放になるとは夢にも思わずにいたアナイスは、迎えに来た騎士に連行されて馬車へと乗り込んだ。




