時を越えた恨み
体育の授業がある男子生徒とは違い女子生徒は、体操着を常に収納箱に仕舞ってはいない。しかし、学園に通う生徒には、制服か体操着のどちらかしか選択肢の余地はない。
(目立つわね‥‥頭に来るわ)
「プリムスさん、体操着は洗ってから返却してくださいね」
白いカーテン越しに声を掛けてきたのは養護教諭である。
「はい」
救護室で体操着を借りて着替えを済ませたフローラは、帰宅時間になるとカエサルを探して校内を歩き回った。通りすがる生徒達に尋ねようかとも思ったが、不思議なことにカエサルの顔やその特徴を思い出せない。
カエサルの姓を知らないフローラは、途方に暮れてしまう。疲れて裏庭のベンチに腰を下ろした時、背後から声を掛けられた。
「フローラ様ではありませんか?」
「カエサルっ?貴方を探していたのよっクラスは何処なの?何年生なのよ?」
「どうして私を探していらっしゃったのでしょうか?」
「もっと強い力が欲しいのっだってっお姉様は、ぴんぴんしてるのよっ?」
フローラは、納得できていなかった。二階のトイレから水を掛けたのは、アルメリアに唆された生徒達の筈だ。アルフェルトの信頼に優っているアルメリアは、フローラがどんなに抗議しても擁護されてしまう。今日もフローラを気に留めることもせずに授業を受けていたのだろう。
(本当に性格が悪いんだからっ何が聖女よっ何もかも理不尽なのよっ)
「私の願いを叶えてくれるって言ったじゃないっまだ、足りないのよっ」
カエサルが、制服のポケットから取り出したのは、一枚の白い紙切れだった。
「人目を避けてこの場所にいらしてください。きっと、貴女の望みが叶います」
紙切れを確認すると王都の地図らしいと理解した。
「この雑貨屋さんは、知ってるけれど‥裏口から忍び込むの?」
この雑貨屋は、アルメリアが紅茶の茶葉を置いているお店で、プリムス家と古くからの付き合いがある。フローラも数回利用したことがあるが、裏口があるとは聞いたこともなかった。記憶では、店の横にドアがあり、路地に繋がっていたような気がする。返事を期待して顔上げると、カエサルの姿はもうなかった。
その日の夕方、こっそり家を出たフローラは、目的の場所まで辻馬車で向かった。直きに迫る夕闇に追い立てられるように通りを歩く人の足は早い。そんな人達に紛れて足早に歩くフローラは、人目を気にしながら雑貨屋の路地に入り込む。薄暗く狭い通りを歩いて行くと、店の裏は一面が煉瓦の壁で、ドアなどはなかった。しかし、その壁を背にしてローブを被ったふたりの女性が、佇んでいた。人目を避けているのだろう。目深に被ったローブが、ふたりの顔を隠している。
ふたりは、立ち止まったフローラに気が付くと、そのローブのフードを持ち上げて微笑んだ。
「マリアっジェシカっ」
駆け出したフローラは、ふたりに抱き付く。ずっと会いたかった人達だ。感動で涙が浮かぶ。
「お嬢様、お久しぶりです」
「此処からは、私たちに付いていらしてください」
「でも‥貴女達」
人気のない場所だ。警戒してしまう。貴族に誘拐は付き物だ。だから、外出を制限されてしまう。躊躇うフローラに優しげに微笑み掛けたマリアが、手を伸ばしてきた。
「ご安心ください。お嬢様は特別なお方です。私たちが、安全にお連れいたします」
マリアの手が、優しくフローラ手を包み込む。プリムス家を解雇されたふたりの侍女には、フローラを恨んでいる様子ではない。可哀想なフローラを擁護してくれていたふたりのままだった。
安心したフローラが、頷くのを確認したふたりは、ゆっくりと歩き出した。
パン屋の看板が掛けられたままの廃屋の裏口からふたりは入室していく。窓には板が打ち付けてあり、明かりが差し込まない。徐々に暗闇に目が慣れてくるとそこは厨房であった。暗闇に包まれた厨房の中は、埃まみれである。慣れた様子のふたりに付いていくと、地下へと続く階段の前で止まった。階段の一部の壁が窪んでいて、蝋燭が立て掛けられていた。携帯していた火打石を打ち鳴らし灯火を付けたマリアが、先頭になってフローラの足元を照らしてくれる。
地下室のドアを開くと多くの人でごった返していた。皆が黒か茶色のローブを着用しているが、部屋の中は楽しげな声で賑わっていた。フードを外して楽しげに談笑している彼らに警戒心は感じない。恐らく、倉庫として貸し出していたこの場所を隠れ蓑にして定期的に集まっているのだろう。
「おいっ!まだなのかっ?」
その中でひとりの男性が、大声を張り上げて苛立ちを静めようとしていた。彼の生活が荒れているのは一見で分かる。無精髭を生やし、艶のない髪もボサボサだ。
「あの人は誰?」
「嘗ては貴族だった男性です」
「ほら、アルメリアお嬢様の入試の採点を不正して自主退職された教師ですわ」
「そんな人も居たわね」
でも、興味はない。
「本来ならこの集会所は、特別な人しか入れません」
「ふーん」
彼女達が言うのでそうなのだろう。暫く様子を窺っていると、ローブ姿の老人達が、部屋の奥の壇上に上がった。
「これより詛呪を披露し皆さまに伝授いたします。決して口外などされませんように」
前置きを述べるが、何を言ってるのかさっぱりだ。
「詛呪というのは呪いの術なのです」
「呪い?」
「お嬢様なら直ぐに使い熟せるようになりますよ?」
ふたりの優しい言葉に従って彼らが代わる代わる披露する怪しげで不思議な術を見続けた。
一時間くらいだろうか。集会所から人が出て行く流れに従い廃屋の外へ出たフローラを路地で待っていたのはカエサルだった。
「どうでしたか?」
「まぁ‥悪くはなかったわね」
そんな会話をしたフローラは、この怪しい集会所の常連になっていった。
詛呪を習得するには修練を積む必要があり、呪いをかける対象者が必要不可欠になってくる。暫くは、屋敷の使用人で賄っていたが、呪いの源は恨みだ。普段から世話をしてくれている使用人に特別な恨みなどはないので、呪いが成功しても吹き出物ができたり小さな怪我をする程度である。
「うーん、どうしよう。屋敷の使用人ばかり狙っていたら私の仕業だと勘付く人が出てくるかもしれないわ」
成功しても達成感が少ない。物足りない気持ちは否めない。それを解消するためには、フローラが強い恨みを向ける相手が必要なのだ。考えを巡らせたフローラは、にやりと口角を上げる。
「そうだわ。居るじゃないっ絶好のカモがっ」
こうして、フローラは、自分に悪さをした女生徒達を実験体にして詛呪の腕を上げていくことを試みた。その結果、彼女達の肌は、徐々にアザや染みが目立つようになり、次第に学園を欠席する頻度が増えていった。
「素晴らしいですね」
フローラが、詛呪に成功する度にカエサルは、何処からともなく現れて飲み込みの早さを褒めてくれたが、幾ら聞いても自分の正体を明かそうとはしなかった。
「次は身体中に奇妙なあざができるだけでなく、長く苦しみを与えられるような術をかけたいわ」
誰もいない教室のドアは閉じられていなかった。しかし、不思議なことに廊下を通り過ぎる生徒は誰もいない。下校時間は過ぎている。しかし、普通ならもう少し人の気配がするものだ。
「‥‥苦痛ですか」
興味の無さそうな言葉を口にしたカエサルは、背にした窓に視線を向けた。横顔が夕日に照らされる。よく見れば綺麗な顔立ちをしているのに、少し離れるとその顔を思い出すことは難しい。きっと、何かの術なのだろう。誰かの机に寄り掛かり背中を預けたフローラは、溜息を吐いてぼやく。
「はぁ〜相手の心を操る術があればいいのに‥」
アルフェルトが、フローラに夢中になれば全てが丸く収まる。婚約者のアルメリアを捨ててフローラの手を取る。そんなアルフェルトに絶望するアルメリアを思うだけで愉快な気持ちになれるのだ。フローラは、優越感に浸りながらアルフェルトの隣に立てばいい。
「ないこともありませんよ」
「そうなのっ⁉︎」
驚いた。意外な言葉だ。
「この地は、呪いが幾重にも掛けられたステファニアですから、環境に適しているといえます。個体によって染まりやすい染まり難いはありますが‥」
「それを教えてっ!」
恐らく暗示や洗脳に近いのだろう。しかし、どんな状態だろうと、アルフェルトが手に入るなら構わない。縋るように声を張ったフローラに薄ら笑いを浮かべたカエサルは、唆すように告げた。
「そんな回りくどいことをせずにアルメリア・プリムスを亡き者にしてしまえば、よろしいのではありませんか?」
それでは意味がない。多くの苦難を味わわせたい。フローラは、その苦しむ姿を近くで見て満足したいのだ。
「嫌よっ私にアルフェルト様を奪われて悔しがるお姉様が見られないじゃないっ私はお姉様に邪魔されて苦しんできたのよっ?同じように苦しませないと‥‥気が済まないわ」
凄んだフローラをカエサルは何も言わずに見詰めていた。
「近いうちにお姉様を詛呪で醜くするつもりよ?お姉様が、呪いに罹ったら聖女としても致命的だし、愛想を尽かしたアルフェルト様は、私を選ぶと思うのっ」
「そうですか。私には、どうでもいいことです。ですが、私にも望みはあります。今までの情報提供の対価と言えばいいでしょうか」
単調な口調で話すカエサルは、フローラの横恋慕には興味がないと知っているが、不可解な言葉だ。フローラは、眉を顰めて尋ねてみる。
「何よ?」
「私が今までの情報提供の対価に望むのはフローラ様の魂です」
少し勿体振った言い方だ。しかし、意味が分からない。
「たましい?」
「私の国では、霊魂と呼ばれるものです。貴女自身の本体と言えばいいでしょうか?」
「ははは、何よそれ。いいわよっいつか死んだらね」
煙を欲しがるようなものだ。形のない根拠も曖昧なものを信じるカエサルがおかしかった。純粋な人には見えなかったが、幼い一面を隠していたらしい。他国の信仰心なのかもしれないが、現実的ではないし、フローラは掴めないものを信じる心を持ち合わせていない。
(詛呪だけでも十分に怪しいのに空想に振り回されているなんて)
いい加減な口約束をしたフローラにカエサルは、不適な笑みを浮かべて「約束ですよ?」と、念押しした。
この日の夜、フローラは不思議な夢を見る。
荒れた土地で佇んでいた自分に矢が飛んでくるのだ。咄嗟に目を閉じたフローラを助けてくれたのは、金の髪を編んだ美しい女性であった。大きな槍を薙ぎ払い矢を叩き落す。
「ステファニーっ!」
「大丈夫よっアーヴェル」
地面に両手を突いたそばには水溜りがあり、自分の顔が映っていた。とても冴えない少年である。
「直きに決戦よっしっかりしてっ?」
周りに声を掛けたステファニーは、大きな槍を片手に握ったまま身軽な動作で白馬に飛び乗った。
「援軍だっ!援軍と合流できるぞっ」
何処からともなく男性の声が響いて、辺りに歓喜の雄叫びが響く。力強い声が振動になり地面を揺らすようだ。
「ステファニーっ」
黒鹿毛の馬を操って駆けてきたのは、香色の髪が金にも見える美しい青年だった。
「アルテルトっ」
ふたりが馬を操って援軍の方へと駆けていくと、栗毛の馬を操る黒髪の男性が、アーヴェルに手を伸ばして、その体を軽々と引き上げる。
「アーヴェルっ」
「レガートっ」
馬に跨ったアーヴェルは、美しい藤色の髪を靡かせて援軍に合流するために進軍する。
そこで理解した。自分が術師の冴えない男性で焦がれる程に二人の美しい姉妹に恋をしているのだが、どちらも別の相手を選んでしまうのだ。
手を伸ばしても誰もその手を掴んでくれる相手はいない。
援軍の先頭に立つのは、銀髪を靡かせる美しい少女と片腕を下げた騎士だった。
そこで目を覚ましたフローラは、寝巻き姿のままで庭へと駆け出す。どういう訳か、フローラが会いたいと思うと、カエサルは現れる。今も彼が待っている気がしたのだ。
屋敷を飛び出したフローラをやはりカエサルは待っていた。近くの草原まで走ったフローラは、躍る胸に従って両手を伸ばしその場でくるりくるりと回転する。
「私もお姉様と同じだわっ聖女になれるのよっ」
フローラには、前世の記憶があるのだ。聖女の資格は十分にあると言える。こんなに心が浮き立つのは久方ぶりだ。歓喜するフローラにカエサルは「おめでとうございます」と微笑む。
前世の記憶があるフローラは、アルメリアより優れた聖女として持て囃される筈だ。
(お姉様、悔しがるわっいい気味よっ)
「ですが、黙っていた方が身のためですよ?あなたは、数多くの詛呪術師を生んだ呪い師。断罪されても敬われることはない」
「あなたは人を不幸にする才能に恵まれていらっしゃる。それは詛呪術師に必要な能力なのです」
「それ故に疎まれ忌み嫌われる」
放心するフローラの瞳を見詰めたカエサルは、不吉な兆しを醸し出しながら顔を近付けてくる。
「でも、私は違います。あなたの魂は、詛呪の根源になる。これからの我々に必要なものなのです」
初めてカエサルが怖いと感じた。優しく思えていた彼が望むのはフローラの死だ。恐怖で体が震えてくる。
「漸くです。待ちに待った覚醒なのですっこれから‥」
「嫌よっ私、死にたくないっ」
カエサルの話の途中で逃げ出したフローラの耳に「いいわよ。死んだらね」と、嘗て言った言葉が繰り返し聞こえてくる。
その場から辛うじて逃げ出したフローラは、息を切らしながら屋敷へ戻った。庭の花壇では、花に水遣りをするアルメリアがいた。その姿を見てハッと息を飲む。夢の中で見た銀髪の少女、リシュリー王女に似ていると気が付いたのだ。その隣には、アルフェルトに似た片腕の不自由な騎士もいた。
(ふたりは前世から惹かれ合っているんだわ)
そう悟ったフローラは、拳を強く握り締める。
(隣国のリシュリー王女が、平民のアルテルトを援護しなければ、ステファニーは彼と結ばれなかった筈だわ。アルテルトが、乱世を平定しなければ、美しい魔女アーヴェルも私生児のレガートと結ばれるきっかけを得られなかった)
彷徨う自分を保護して呪い師の知識を与えてくれたのは、心優しい魔女のアーヴェルだった。もし、ステファニーとアーヴェルのもとで暮らせていたのなら、ふたりは自分に好意を寄せてくれたかもしれない。
(惨めにステファニアから去らなければならなかったのは、全て‥リシュリー王女の所為よっ!)
時を越えた恨みに支配されたフローラは、憎悪を募らせてアルメリアを睨み付けた。




