共同開発
「君たちがあ〜と言う日は終わった」
「あぅ」
アルメリアが目を開けると目の前にはユリアス・ステファニアがいた。周囲に視線を向けて見渡そうとすると、視界が上がっていく。こんな経験は初めてだ。人体に憑依しているわけではないようだ。
「分かっている。装着しているのは君たちなのだから」
部屋の中のソファーでは、アルフェルト・レガーが小さな男の子を抱えて座っていた。その男の子の顔は、前回同様リゼル・ステファニアにそっくりだった。貴族の家と呼ぶに相応しい部屋は、壁紙から凝った作りをしている。出窓が僅かに開いていて優しい風が通り抜け、木製のベビーベットの中で横たわる赤ん坊の髪を揺らす。そのオムツ姿の赤ん坊に熱心に話し掛けているユリアスは、真剣そのものだった。
「おむつかぶれは改善されたと言えるだろう。けれど、着け心地は如何だろうか?率直な意見を聞かせてもらいたい」
「うっ」
「そうか、中中なんだな?」
「あまり笑わせないで‥破水しちゃうよ」
「大丈夫だ。君には産道がない」
「口から破水するかもしれないよ?」
「新しいかたちだな。よし、漏れがないか確認しよう。あ〜こらこら動くんじゃない。逃げても無駄だ。君は全方位を柵に包囲されている」
寝返りを打った赤ん坊は、よじよじと布団の上を這い上る。その足を掴んだユリアスが、悪戯な足を伸ばしてから脇を抱えて元の位置に赤ん坊を戻した。
「ふぅくくくっ」
アルフェルトが、おかしそうに笑うと抱えられていた小さく幼児が、見上げて首を倒し可愛らしく口角を上げる。
「前回に比べてつけやすいと思うが‥」
呼吸を整えたアルフェルトが涙を指先で拭いながら口を開く。
「そうだね。使い捨てだから衛生的だしエステル領でも広げていければいいね」
「価格の見直しを検討する余地があるな。毎日使うものだから誰にでも手に取りやすい良心的な値段設定でなければ浸透しない」
「履かせるおむつも欲しいな」
「トイレの練習に重宝しそうだな」
「大人用も便利だと思うよ。介護の現場とか仕事柄長時間持ち場を離れられない人には、不可欠な品になるかもしれない」
「ナプキンなるものが出てきたからな。大人にも焦点を当てたオムツは、画期的な商品になるかもしれないな」
「携帯できるとお出掛けにも安心だよね」
抱えていた幼児に話し掛けるようにアルフェルトが横から顔を覗き込むと、彼はにっこりと笑んだ。
「便利な時代を皆が求めている。商品の更なる改良には君たちの力が必要だ。期待しているぞ?」
「だぁーっ」
声を張った赤ん坊と目が合った瞬間、アルメリアは自分の部屋で覚醒した。
「‥‥オムツとナプキンか」
今は綿を詰めて使うことが常識と言える生理用品は、不便であり衛生的とは言えない。貧困層は、綿を洗って何度も使うのだ。持ち運びすることも考えると、前世のナプキンは便利だったと改めて思う。
「必要よね」
アルメリアは、ベットの中で小さく呟いていた。
朝食を食べ終えて食堂から自室へ戻るアルメリアに声を掛けてきたのはフローラだった。浮かれた足取りで階段を上がってきたフローラは、自室のドアの握り玉を掴んだまま体を横に倒して進路を妨害し鼻歌を口遊む。
「ふふふ、お姉様、私十五歳になるのよ?結婚もできる年だわ」
「そうね。おめでとうフローラ」
洗練された大人の女性とは程遠いが、フローラも結婚適齢期となるのだ。未だに婚約者のいないフローラは、アルフェルト事アスレットに無我夢中で周りの男性に目を向けていない。ただ、アルフェルト事アスレットに関心はなく伴侶としは眼中に無い。このままだと歯牙にもかけないアルフェルト事アスレットを追いかけて適齢期を逃してしまいそうだ。
「私、今日は黄色のドレスを着るつもりなのよ。お姉様は、黄色のドレスを遠慮してよねっ?」
(私の時は態と同じ色のドレスを着た癖に‥)
何度言ってもフローラは黄色いドレスを脱がずに譲らなかった。その時のアルメリアの気持ちを理解させるには今日が打って付けだろう。自分でした嫌がらせは返ってくると、経験させることも大人の女性になる為には必要である。
「貴女は自分の時だけ身勝手な要求をするつもりなの?」
これにフローラはムッとして膨れ面を向けてくる。
「自分のした振る舞いは何れ自分に返ってくるものよ?」
けれど、アルメリアには、アルフェルト事アスレットからもらった新しい髪飾りがある。黄色に拘る必要もないのだ。だから、忠告だけをするつもりだった。
「お姉様は意地悪がしたいだけじゃないっ?」
(本当に自分に都合のいい解釈しかしないのだから)
フローラの欠点である。口に出して言ってしまいたい程に腹が立つ。
「橙色に纏めるつもりよ」
苛立ちを飲み込んで顔を背けたアルメリアは、要点だけを答えた。
「大して違いが無いじゃないのっ」
フローラがいくら不満を並べても聞き入れるつもりはない。アルメリアの不満を先に無視したのはフローラなのだから、責める良心もない。
「今日は私の誕生日なのよ?」
引き立て役に徹して欲しいのだろう。けれど、こちらにそのつもりはさらさらない。アルメリアは、家族として祝い席に出席する訳で裏方を務める助っ人ではない。主役のひとりであるフローラは、参加する人間に礼を尽くすべきなのだ。
「そうね。だからリボンを返して欲しいわ」
「話にならないわねっ」
ふんっと顔を背けて部屋に戻ってしまうフローラは、態と大きな音を立ててドアを閉じた。廊下に響く音に鼻から息を吐いて一呼吸したアルメリアは、落胆した気持ちで自室のドアに手を伸ばす。
「お嬢様、旦那がお呼びです」
「ありがとう、エバンス」
両親に先に声を掛けていたのはアルメリアの方だった。あの不思議な夢で見たオムツと話で聞いたナプキンの商品化を頼むためである。
アルメリアは、ジョナサンの仕事のあとで声が掛かると思っていた。なので、朝食のあと自室に戻る選択をしたのだが、エバンスの手間になってしまったようだった。今日は、双子の誕生日パーティーがあるので、仕事の予定を入れていなかったのだろうか。
エバンスに通された書斎には、アナベルとジョナサンがいて何かを話し込んでいた。その様子が暗く、聞こえてきたアナベルの声が切迫感を帯びていたので、あまりよくない相談なのだろう。
「私がよくなかったのです。これからは、もう少し気を付けてみます」
「あまり猶予はないよ?」
「ええ」
ドアが開くと同時に顔を向けたジョナサンとアナベルは、アルメリアの顔を見て優しく目を細める。
「話があるとはどんなことかな?」
「貴女はおかしな発想ばかりするから楽しみだわ」
ふたりの様子に先程の話は触れるべきではないと悟ったアルメリアは、夢で見たオムツと日本のナプキンの話をした。
「ふむ。確かにあると便利そうだね」
顎に手を添えたジョナサンが真剣な表情で考え込む。
「ナプキンの表面には、圧縮したコットンを使うといいと思うのです。問題は月経や尿を閉じ込める吸収素材だと思いますが‥何か使えそうな植物がないか、お祖母様にも相談して探してみるつもりです」
「ナプキンはいいわね。私も使ってみたいわ」
「新事業を行うのは問題ないよ、アルメリア。社会貢献に繋がりそうな事業なら関心を向けてくれる支援者は直ぐに見つかるだろう。ただ、学業を疎かにはしないこと。これは絶対条件だよ?」
ジョナサンの言葉にアナベルも微笑んで頷いた。
「はい、ありがとうございます。お父様、お母様」
「私にもお手伝いできることがありましたらお声掛けください」
執事特有の格好で軽く頭を下げたエバンスも穏やかな表情を向けてくれる。だから、アルメリアはにっこりと笑んだ。
「ありがとう、エバンス」
「何の話?」
書斎のドアを閉じたところでラムダスに声を掛けられたアルメリアは、質問に答えるか悩む。ラムダスに話せばフローラに筒抜けになる。家族同士でわざわざ口止めするのは嫌だし、フローラだけを除け者にするのは避けたい。けれど、邪魔もされたくはない。だから、食事の席では話題にしなかったのだ。
「ええ、少し気になることがあってね。貴方ももう十五歳ね。お誕生日おめでとうラムダス」
「僕には相談してくれないの?」
苛立ちを見せたラムダスが拳を握り締める。
「え?」
「新事業をお姉様に任せるって話だったよねっ?」
自己完結のように声を張ったラムダスが逃げるように去って行った。
「ラムダスっ」
階段を駆け上がるラムダスは、アルメリアの声に足を止めようとはしない。難しい年頃なのだと分かっていても溜息が出てしまう。
「アメリアっ」
懐かしい呼び掛けに振り向くと、玄関口にアルフェルト事アスレットが佇んでいた。執事のエルフィーとレガー伯爵の姿もある。こちらに客人を案内してきたのは、侍女のリリーナのようであった。
(パーティーまでは時間があるのにどうしたのかしら?)
「おはようございます。レガー伯爵、アルフェルト様」
「おはようございます、アルメリアお嬢様。プリムス子爵にお取次願えますでしょうか?」
穏やかな表情で声を掛けてきたのは執事のエルフィーだった。アルフェルトに宛てた手紙の返事を何度か書いてくれていた人だ。親しみを感じてしまう。
「父のジョナサンは書斎です。今、呼んで参ります」
視線でリリーナを促すと、彼女は慌てた足取りで書斎へと向かってドアを叩いた。この音に反応してドアを開いたのは執事のエバンスだった。
「エバンスさん、お客様でございます」
リリーナから玄関へと視線を移したエバンスが、お客様に頭を下げてから書斎へと顔を向けて声を掛ける。
「旦那様、レガー伯爵がお見えになりました。こちらにお通ししてもよろしいでしょうか?」
「ああ、私が出迎えよう」
エバンスが対応を尋ねると、ジョナサンが部屋の中で返事をした。廊下まで出てきたジョナサンが「おはようございます。どうぞ、お入りください」と、穏やかに声を掛けると、玄関口で足を止めていたレガー伯爵と執事のエルフィーが、ゆっくりと歩き出し入室して行った。
「ふたりで話せるか?」
「うん」
こちらに近寄ってきたアルフェルト事アスレットは、書斎には向かわずに足を止めた。エバンスが、一瞥視線を寄越してから書斎のドアを閉じたので、大大大だろう。アスレットを見上げて返事をしたアルメリアは、その背に続いて歩き出した。
「アルフェルト様っ!」
騒がしい声に階段を見上げると、踊り場の手摺りから身を乗り出したフローラの姿が見えた。階段を駆け下りてこようとするところで、アスレットが背を向けて玄関を去っていく。その背を追いかけたフローラが、アルメリアを押し退けて横切り、腕を捕まえようとする。それをアスレットは弾いて拒絶した。
「フローラ、俺の気持ちは伝えた筈だ」
「でもっ」
「アメリア、行こう」
「ええ」
悔しそうに俯いたフローラは、ギュッとドレスを握る。その手が震えていた。しかし、長年の付き合いだ。きっぱりと拒絶の意思表示のあとにしつこく言い寄っても良い効果は望めないと知ってる。
(アスレットは、淡白なところがあるから‥)
真っ直ぐに馬小屋に向かったアルフェルト事アスレットは、入り口で道具の手入れする馬丁に声を掛けた。
「馬具を付けてくれないか?」
「私の馬に馬具を付けて頂戴」
「畏まりました」
前世では、五歳の誕生日を過ぎた頃に父ジョナサンから白馬を譲り受けたアルメリアは、その世話を十分にこなせずに心残りであった。隣国に連れ去られアルメリアに馬の世話や乗り方を教えてくれたのはアスレットである。
この世界では、馬は生活を豊かにしてくれる大切なパートナーなのだ。今世では、アルメリア自ら自分の馬を選んだ。毛並みが美しいだけでなく優しく賢い子なのだ。
馬丁に連れてこられた銀色の馬をアスレットは、軽々と乗り熟すとこちらに手を伸ばしてくる。
二人乗りは久しぶりだ。アスレットは、乗馬が得意だ。安定した乗り心地なので安心して景色を楽しむことができる。暫く馬を走らせたアスレットが向かったのは、森の中の草原だった。茶葉に使う草花の採取にもよく使う場所である。
「今日、レガー伯爵が、婚約を成立させるつもりだと言っていた。これで良かったんだろう?」
「婚約っ⁉︎」
思わず振り返ってアスレットと視線を合わせる。
「いつまでも仮婚約のままではいられないだろう?」
訝しむようなアスレットが眉を顰めて軽く首を傾げた。
「でも、あんたの体はレグザにあるのよ?」
「ん?アルフェルトが戻ってきたら城攻めにするんだろう?」
「え?‥でも、戻れなかったらあんたが困るじゃないっ」
「俺が?」
「そうよっ」
(私にアルフェルト様って呼ばれるだけで不愉快な癖にっ)
視線を上げて斜めに目を逸らしたアルフェルト事アスレットの仕草で分かる。頭の中を整理しているのだ。
「それはどういう意味で言ってるんだ?」
「どういうって」
(待ってっこれって告白に近いんじゃないっ?)
アスレットが困るのはアルフェルトとして扱われることだ。アルメリアの心が自分にない状態での結婚も論外だろう。
(アスレットとの結婚は嫌じゃないって言ってるみたいじゃないっ)
顔が熱い。真っ赤になってしまった顔を隠すように前方を向いたアルメリアは、俯いてしまう。心臓がドキドキと音を立てている。
(気付かないわよ。ノンデリカシーないんだから)
(気付かないでよっ)と強く念じた時、何かを話し掛けるような気配を背中で察知したアルメリアが、顔を上げて声を張る。
「私、新事業をするつもりなのっ」
「新事業?」
「そうよ。夢で見た使い捨てのオムツとナプキンを作るつもりなのよ。今のままでは、衛生的とは言えないでしょう?」
「夢‥‥前世ではアナイス・レガーが、様々な商品を開発していたな。天音優の前世の知識だと国王は興味津々だった」
「天音ちゃん達が、どんな素材を使っていたか分かる?」
「ああ、俺が作り方を調べたからな」
「それを教えてくれる?」
「共同開発ってことか?」
「そうよ。肌に当たる部分は、圧縮したコットンを使うつもりなの。吸収素材に使えそうな植物の候補もいくつかあるわ。でも商品化した物があるなら参考にしたから」
「この話、フローラやラムダスには言わない方がいい」
「そのつもりよ?あの子達は、まだ幼いから分別がつかないもの。資金の提供なら心配要らないわ」
「なら幾つかカタチにしてみるのが良さそうだな」
「試作品ね?楽しくなりそうねっ」
(こんな風にアスレットと話せている方がいいわ)
逃げかもしれない。けれど、今の関係を壊す未来を受け入れられないアルメリアは、アスレットの表情を確認することをしなかった。




