邪魔立て
昼休みの鈴の音が廊下で響くと、生徒が各々に動き出す。アルフェルト事アスレットは、購買を利用する生徒であったが、この日はアルメリア・プリムスからお弁当を作ってきたと報告を受けているので、机の上を片付けたら裏庭に行くつもりだった。
(あいつに食えるものが作れるのか?購買でパンでも買って行った方がいいかもしれないよな)
一抹の不安が過る。そんなアルフェルト事アスレットが、鞄の中の財布を掴んだ時、教室に騒めきが広がった。顔を上げると生徒達の視線が廊下に向けられていることに気が付く。
その視線を追い掛けてアルフェルト事アスレットは、あっと表情を崩した。一年生の教室の入り口で佇んでいたのはアルメリア・プリムスだった。
こちらに気が付いた途端、大きく手を振って笑顔を向けるが、言葉に詰まったアルメリアは、陸に打ち上げられた魚のように口をぱくぱく動かしていた。
「あっあっあっ‥」
(地上で溺れるなよな‥)
「アッくんっ!」
思わず体勢を崩しそうになるアルフェルト事アスレットは、財布をズボンのポケットに捩じ込んで足早に廊下を目指す。
教室に残っていた同級生達が当惑気味の視線をこちらに向けてくる。アルフェルトになってから交友などに興味がなかったアルフェルト事アスレットは、近寄り難い人と避けられる節があった。全てが誤解ではなく、突っ慳貪な態度を取っていたことも否定しない。全てに投げ遣りだったのだ。そんなアルフェルトが、婚約者に愛称で呼ばれている姿が意外なのだろう。
「プッ‥形無しだな。聖女の前じゃ大人しいってか?」
何かと遠回しに絡んでくるフレデリック・エドガーが、態とらしく吹き出すと、その周りでリッキー・ホワイトとセシル・カーライツそして、カイン・ロックスが笑い出す。まだ教室に残っていた第二王子リゼルの取り巻きに成り損なった面子の冷やかしに苛立ったアルフェルト事アスレットが、足を止めて表情を顰めつつ振り向くと、四人は案の定凄んでくる。
「なんだよっ!」
「やるのかっ⁉︎」
ガタンッと椅子を鳴らして立ち上がり机の足を蹴ったリッキー・ホワイトやカイン・ロックスの牽制などに興味はない。黙らせるには頭を潰すしかないのだ。リッキーやカインの乱暴な振る舞いに怯えた生徒達の中には悲鳴を上げる者もいたが、睨み合う両者には気を遣って視線を向ける者はいない。
大国レグザの第三王子だったアスレットに貴族風情が面と向かって楯突くことはなかった。とても不快な気分でフレデリック・エドガーを見ていると威嚇するように歯噛みした途端、中腰を上げて肩を揺する。突撃してくるつもりなのかもしれないが、投げ飛ばすことは難しくないだろう。体格差はあるが、アルフェルト事アスレットには王子として武術を学んだ記憶がある。レグザの第三王子だったアスレットは、戦場へ出向くことも想定されて鍛えられたのだ。破落戸風情には負けない。
「駄目よっ喧嘩は駄目っ」
両手を横に伸ばして間に入ったのはアルメリア・プリムスだった。
「ごめんなさいね。私たち仲がいいのよ。嫉妬してしまうわよね?失礼するわ。行くわよっあっあっあっ‥アッくんっ」
不自然な吃音にフレデリック達も言葉を失ってしまったようだった。
「だから陸地で溺れるなよ」
つい突っ込んでしまうと真っ赤になったアルメリアが背中を押してきた。こちらを不思議そうに見ていたリゼルは、自分のお弁当をルイス達に預けようとするところだったようだと分かる。助勢するつもりだったのかもしれないが、護身術しか習わないステファニアの王子だ。乱闘になれば足手纏いだろう。
多くの生徒達が不思議そうな視線を向けてくる中で廊下へと出て裏庭を目指した。その途中、アルフェルト事アスレットは、ロッテナの教室の入り口で、見覚えのある金髪の巻き毛を見掛けた。壁に隠れるようにして消えた巻き毛に嫌な胸騒ぎを感じるが、此処で足を止めても仕方ない。
「そんなことがあったのか」
「うん」
花壇の近くの日向には芝生が生えてる。その上にベンチがあり、そこでアルメリアと並んで座ったアルフェルト事アスレットは、二年生の家政の時間に起こった事件を知った。
「ドレスが破かれるイベントなんてないんだけど‥。アナイス・レガーは、ある事件で悪役令嬢になる内気な令嬢なのよ。その前に陰険な意地悪なんてしない筈なのになんか変よね?」
「あぁ‥それよりこれ食えるのか?」
年頃の令嬢のお弁当とは思えない茶色弁当を広げて思うのは、焦げが気になるということだ。
「失礼ねっ料理長の妻アルプの料理監修の下で作られた美味しいお弁当なのよっ?」
「‥うん」
サラダの胡瓜をホークの先端で持ち上げてみると千切りが伸びて繋がっている。
「食べれば一緒よっ美味しいから食べてごらんなさいっお肉好きでしょう?」
「あぁ」
よく見てみればお弁当には、アスレットの好きな肉料理が詰め込まれているのだ。
(覚えてたのか‥)
単純だと分かっているが嬉しくなる。アスパラの肉巻きを一口食べてみると、焦げているので苦味はあるが、甘辛のタレが好みだと気が付く。よく火が通っていると考えれば悪くない出来栄えだろう。
どのお菜の味付けもアスレットの好みなので食べやすい。
(変なところで気が利くんだよな)
「ん?」
「どうした?」
「私、この葉っぱみたいの入れた覚えがないの。アルプが入れてくれたのかしら?アスレットはサラダを食べないで?」
そう言いながら自分は口にするのだから心配になる。一見、害のない水菜のようだ。料理人がサラダに一手間加えたようにも思える。
「お前も食べるなよっ」
「うん‥でもアルプが入れてくれたのなら悪いでしょう?」
(他人より自分を気遣えよ)
つい眉を下げてしまう。
「そうよ。誰を入れたかの方が気になるわよね?」
「はあ?」
「私の体よ。アスレットと結婚した私は誰だったのか‥喋らない以外に何か不自然な行動はなかったの?」
アルメリアの言葉に前世を思い出してみる。
「‥‥そんなにあの娘が‥」
「え?」
「バルコニーの手摺りから突き飛ばされた時に言われたんだよ。‥なら‥お前もって」
ごにょごにょと口籠るアスレットを不思議そうな顔で見ていたアルメリアは、ハッとしたあとで声を張る。
「お前だっ!って突然叫ぶ奴は幽霊よ?日本の怪談話とかのオチによくある展開なの」
「脅かすなよっ」
脈絡もなく叫ばれては流石に驚く。アスレットの文句にふふふと笑ったアルメリアが、腑に落ちないというように首を傾げる。
「私の体を乗っ取った人の目的がアスレットとの結婚だったのなら、アスレットを害する意味が分からないのよね?言い寄る相手を手酷く振った経験でもあるの?」
「え?」
「だってそうでしょう?アスレットと結婚までしたんだから。何処でそんな情報を掴んでいたのかは分からないけれど‥」
アルメリアは、アルフェルト事天音秀を振り向かせる為に帰国を許された。寛容とは言えない兄のルーカスが、聖なる乙女のアルメリアを向かわせたのは、アルフェルト事天音秀が渡り人だったことが大きい。渡り人の知識や前世から持ち運べる品に興味を抱いていた国王のルーカスは、貴重な渡り人を求めていたのだ。
「当人達も知らない情報だものね?」
アルメリアの帰国にルーカスはアスレットを監視役に付ける選択をした。その際、アルメリアは恐らく結果を出せないと踏んでいたルーカスは、戻り次第アスレットと結婚させると決めていた。出発前にルーカスに呼び出されていたアスレットは、帰国する迄にアルメリアを説得するようにと命じられてもいたのだ。
「いいや、帰国後にアメリアと結婚させるつもりだと国王に言われていたんだ。だから、知っている奴は居たかもしれない」
「じゃあ問題は何故アスレットを害したのかよね?念願叶って手に入れたのに何か不満だったのかしら?」
「悪い‥俺が巻き込んだ可能性を考えなかった。お前が体を奪われたのが俺の所為なら‥」
そもそも他人だと疑うことすらしなかったのだ。
「大丈夫よっ苦しんだのはアスレットでしょう?」
「いいや、でも‥‥」
「やっぱり王子ね。変に責任感が強いのよ。相手はまたアスレットを狙ってくるかもしれないのよ?」
困り顔で冷静に考えるように諭されたアスレットは真剣に振り返ってみる。
「入れ替わったのは海で溺れた時ってことになるよな」
「何か変なことがあった?」
「お前を海に落としたのは旅行中の貴族だったんだけど、お前を水面を持ち上げたとき、連れの男に何かの粉を被せられたよ。その時一瞬眠くなったんだ」
「もしかしたらアスレットの体も欲しかったのかもしれないわね」
「あいつらっ」
悔しさに拳を握り締める。
「その後はどうなったの?」
「俺たちは、船に引き上げられて問題の貴族は捕まった筈だ。レグザで身柄を引き受けて処罰したとシリウスから聞いたけど」
唐突にコテって頭を寄せてきたアルメリアにアルフェルト事アスレットは目を見開き驚く。
「おいっ」
肩を押すと力が抜けていると気が付いたアルフェルト事アスレットは、顔色を確認する為に隣を覗き込む。肩に頭を置いたアルメリアは、規則正しい寝息を立てていた。
大きく息を吐いたアルフェルト事アスレットは、自分の騒がしい心臓の音に頬が染まってしまう。
結局、全てが無駄な足掻きだったのだ。初恋の相手を忘れられる訳はない。
(もう一度‥もう一度だけ)
不安がない訳じゃない。でも、惹かれていく心を素直に認められる今ならもう一度向き合えるような気がするのだ。
授業開始時刻に近付いてもアルメリアは目を覚ます気配がない。仕方なく眠り込んだアルメリアを横抱きに抱えて救護室に運んだアスレットは、養護教諭に事情を説明した。気絶したようなアルメリアに驚いた養護教諭は、直ぐに駆け寄ってくれた。
彼女の指示に従いベットにアルメリアを横たえる。
「そう気掛かりはサラダに混ぜられた見慣れない野菜?私に見せて頂戴。私、普段から料理が好きで山菜取りもするのよ」
そう言う養護教諭にお弁当を広げて見せると彼女は真剣な表情でサラダを確認する。
「オルギル草という眠り草の一種が混入してしまったみたいね。強い睡眠導入剤としても使われる素材なの。見た目だけはミズナに似ているのよね」
「彼女は預かるわ。安心しなさい。一時間も寝れば目を覚ますわよ」
明るく笑んだ養護教諭に頭を下げてベットで眠るアルメリアに視線を向けてから救護室を出ていく。
(あいつも大変だよな。いつも何でもない顔をして問題解決してたけど‥)
国王のルーカスの指示で一緒に駆け回っていたあの頃が懐かしいと思えてくる。よく言い合いになり喧嘩もした。けれど、あの頃から明るく前向きなアルメリアにアスレットは惹かれていたのだ。
教室に戻ると不可解な視線を向けられた。何かを話していた様子の同級生達が気不味げに視線を逸らすのでアルフェルト事アスレットは、周囲に視線を向ける。アルフェルト事アスレットと視線が合うのはリゼル・ステファニアだけだった。しかし、顔色が悪い。
(よくない噂が流れているのか?)
昼休みに問題の多い生徒達と喧嘩寸前まで険悪になったのだ。悲鳴を上げる同級生もいた。だから、敬遠される可能性は過ってもいたのだ。
周囲を遠ざけるつもりだった今までとは違うので、少し困る展開だ。学園では生徒同士の交流は、自衛の為にもある程度必要になってくる。関わりを断たれて得をすることはないと言える。
噂好きな生徒達にアルメリアを救護室に運んだところを見られた可能性もある。それなら尚の事厄介だ。レグザでも聖なる乙女として扱われていたアルメリアの傍にいたアスレットは、聖女に向けられる周囲の視線や信頼は大きく妄信的なのを学習済みだった。
(あることないこと広められそうだな)
些かの眠気はあるが何とか授業を終えたアルフェルト事アスレットが、帰宅する支度をしていると、廊下の方から密かにこちらを窺う視線を感じた。
手を止めて耳を澄ませていると、距離が近いこともあり会話の内容も拾えた。
「プリムス家の聖女と婚約破棄したらしいけど‥本当かな?」
「でもお互いに愛称で呼んでいるみたいだよ?」
壁になっている半開きのドアを掴んでアルフェルト事アスレットが顔を覗かせると、会話していた生徒達が視線を向けて硬直する。緊張感から喉を鳴らした生徒は、ニクロスでは見かけない生徒達だった。
(だからコソコソ覗き見してたんだな)
「誰から聞いた話だ?」
「え?」
視線を交わし合う生徒達が、凄むアルフェルト事アスレットに観念してそれぞれが聞いた場所や相手を告白し始めた。
「僕は昼休みにロッテナで騒いでる女生徒の話し声を聞いてしまって‥」
「俺は休み時間にこいつから聞かされて‥」
近くで視線を向けていた女生徒達も見慣れない生徒達だった。アルフェルト事アスレットの視線にビクッと肩を震わせた彼女達もおずおずと目配せ合うと口を開く。
「私たちもロッテナで聞いたと言う生徒から聞きました」
「わ、私は‥金髪の巻き毛の女生徒が廊下で騒いでいたのを見たので‥その人が詳しい事情を知っていると思います」
「そうか‥」
話を聞いたアルフェルト事アスレットは、ロッテナの教室へと向かおうとした。そこで手を伸ばす気配に気が付いたアルフェルト事アスレットがその手を払い落とす。苛立ちながら視線を向けると、呆気に取られた様子のラムダスが佇んでいた。
「何の用だよ?」
「今日は無視しないんだな?」
「何が言いたい?」
「フローラには僕から厳しく注意します。だから今はそっとしておいてくれませんか?」
「なら何故止めなかった?」
「今聞いてっ」
「嘘だろそれ?」
「‥‥」
「お前もついて来いっ」
制服のブレザーの上から腕を掴んで歩くアルフェルト事アスレットに抵抗をしないラムダスは、半ば引き摺られるようにしながら付いてきた。
苛立ちを纏ったアルフェルト事アスレットの不穏な雰囲気に一部の生徒たちが視線を向けているのには気が付いていた。リゼルが一部の生徒たちを伴い付いてくる選択をしたようだったが、追い払う方向に気持ちが向かわなかった。第二王子のリゼルを公衆の面前で邪険にすれば良くない噂に拍車をかけるだけだろう。
ロッテナの教室に向かうと明るい女性の声が廊下まで聞こえてきた。教室を覗くまでもなく嬉々とした声には聞き覚えがある。額を片手で覆って目を閉じたラムダスも一緒だろう。
「あのね、これは放課後の空き教室で聞いた話になるんだけど‥アルフェルト様は、お姉様との婚約を破棄したいと仰っていたの」
「きっと意中の方がいらっしゃるのよっだからアルフェルト様は‥」
「フローラっ!」
「アルフェルト様っ私ね‥皆さんに説明していたの。婚約破棄なんて外聞が悪いじゃない?でも、好きな人がいるなら仕方がないって皆さん納得してくださったわっだから」
嬉しそうに駆け寄り伸ばしてきたフローラの手をアルフェルトは払うようにして拒んだ。
「フローラ、邪魔するのはやめてくれないか?」
目と目を合わせて釘を刺すアルフェルト事アスレットにフローラは、払われた手を胸に寄せてたじろぐように一歩後退した。
「そんなっ違う‥私は‥」
「俺たちの間に亀裂を作ろうとするは邪魔以外の何者でもないっ」
恐らくフローラにはアスレットの言葉を素直に聞き分けるつもりはないと分かるから苛立ちは最頂点に達してしまう。
「そ、そんな‥違うのにっ」
今回の忠告も時間が経てば自分の都合のよい解釈をするだろう。それを無視し続けるのは難しいと踏んだアスレットは、公然の目を利用することを思い付いた。本人が毅然とした態度で噂の出所に抗議するところを目撃させれば例えフローラが、あとから何を言っても信憑性は低くなる。
フローラの発言力や人間性を問題視する生徒も出てくる荒療治だ。ラムダスはそれを止めたかったのだろうが、口を挟める正当な理由はない。
そもそも何故、自分とアルメリアの関係を他人に邪魔され続けなくてはいけないのか納得ができないアスレットは激しい憤りを抱えていた。




