黄色いリボン
十五歳の年の冬には、成人式のような集まりがあり、多くの貴族が寄付金を用意して王都の教会へ祈りを捧げに行く。槍を掲げる女神像を祀っている本聖堂と呼ばれる長椅子の並ぶ大広間で神父の語る説教を聞き終えてから、集まった友人たちと教会の外で談笑し帰宅後、豪勢な夕飯を家族揃って食べるのだ。
アルメリアも定例通りに教会へ行く予定でいた。
朝日を浴びて輝く白いレースのカーテンの向こうから小鳥の鳴き声が響いてくる。それはいつものことだが、この日はコツコツと何かが当たる音もした。不思議がったアルメリアは、寝巻き姿のままで窓辺へと近付いていく。出窓の窓ガラスをゆっくり開くと、青い鳥たちが小箱の飾り紐を嘴で摘んで運んで来てくれた。
高級感の漂う濃紺色の小箱を両手で受け取ったアルメリアが、蹄の音に窓から視線を落とすと、馬が走り去るのが見えた。
ゴールデンレトリバーを彷彿とさせるゴールド色の馬は珍しい。ハッとしたアルメリアが、クローゼットからコートを引っ張り出して羽織り追いかけていく。
裏庭の森の中を突っ切り先回りしようとしたアルメリアが前方に声を張る。
「待ってっアルフェルト様っ!」
息を切らしたアルメリアが乱れた呼吸を整えつつ顔を上げると、その声に驚いたように振り向いたアルフェルトが、こちらに視線を寄越す。乗馬服を纏うアルフェルト・レガーは、白い息を吐いていた。
アルメリアが吐く息も白い。周囲を薄霧が包み込むので視野は狭い。
「これっお祝いの品ですよね?ありがとうございますっ」
小箱を持ち上げてから微笑むが、アルフェルトは頷くこともしない。黙ってこちらを見詰めていた。アルメリアが、飾り紐を解いて小箱を開くとリボンが一つ入っていた。
(ビタミンカラー?)
グラデーションになっている黄色のリボンは珍しい。しかし、何故黄色なのか小首を傾げる。アルフェルトカラーは藍色なのだ。
(一周回って夜空の星じゃないかしら?)
「君は夜空に輝く星‥そのものさっ」とアルフェルトが囁いている気がする。
(俺の星ってことっ?)
「箱ごと大切に保管しますっ」
「いい加減気がつけよ」
顔を伏せたアルフェルトが何かを言った気がするが、風で揺れる葉擦れの音で聞き取れなかった。
刺激しないようにゆっくり近付いていくと、苦しそうに顔を顰めたアルフェルトを確認することができた。
アルメリアは小箱のリボンを掴んで髪に飾ってみる。
「似合いますか?」
「‥‥」
笑い掛けてみるがアルフェルトは無表情のまま何も言わずに背を向けようとする。
「アルフェルト様っ!待ってくださいっ朝ごはんを一緒に食べませんか?少しだけ‥少しだけ一緒に過ごしませんか?」
手紙を出しても返事をくれたことはない。話し掛けても背中ばかり向ける人だ。けれど、諦めの悪いアルメリアには、特別な人であることに変わりはない。
(特別な日に特別な人と過ごしたいと思うのは可笑しなことじゃないわ)
気難しいげな表情を向けたアルフェルトは、しかし、振り切ることをせずに馬から降りてくれた。
屋敷に戻るとそのままふたりで馬小屋へと向かう。馬小屋では、馬丁に交ざって御者の息子のリュークが働いていた。彼は、こちらに気がつくと駆けてきてアルフェルトの愛馬を預かってくれる。
「うぁっ綺麗な馬ですねっお預かりします」
馬が好きなのだろう。無邪気な笑顔を見せるリュークにアルメリアも微笑む。
「ありがとう、お願いね?」
屋敷の玄関の扉を開く頃合いで欠伸を噛み殺したラムダスが、食堂へ向かうところに出会す。そこでアルメリアは声を掛けた。
「ラムダス、おはよう」
無防備に寝惚け眼を向けて「おはよう」と言い掛けたラムダスが、目を丸くして足を止める。
「おはようございます、アルフェルト様。お姉様?」
混乱したようなラムダスは、疑問を投げ掛けるような眼差しを向けてくる。そんなラムダスにアルメリアは、髪飾りのリボンを人差し指で突いて注意を向けさせた。
「贈り物を届けてくださったのよ」
「へぇ?はぁ〜」
嬉しそうに笑んだアルメリアに何とも言いようのない表情をしたラムダスは、アルフェルトの真意を探るような視線を向けてくる。
「私は着替えてくるからアルフェルト様を食堂へご案内して?」
「分かったよ。こちらです」
「大急ぎで着替えてきますっ」
アルフェルトに一言告げてからアルメリアは、足早に階段を上がっていく。部屋では侍女が困り顔を浮かべていた。突然、支度もせずに消えてしまった令嬢を待っていたらしい。
「ごめんなさいっ今日のドレスはこのリボンが似合うものに変えてもらえないかしら?」
この日も藍色のドレスを着ていくつもりで前日に髪飾りまで用意していたのだ。急を要する変更に侍女は、小さく頷くと駆けるようにクローゼットへ近付きドレスを見繕う。
この日纏ったベージュのドレスに黄色のリボンは、アスレット・レグザの好みの色合いだった。
「偶然だとしても凄く不思議な心地だわ」
全身を映す大きな鏡の前で小さく呟いたアルメリアに、慌てた様子の侍女が「急いでくださいっ」と声を掛けてきた。時計を確認すると、もう直き食事の時間となりつつある。大慌てで階段を下りて食堂へ向かう。食堂では明るい声が響いていた。
「朝からアルフェルト様の顔が見られるなんてっ私とても幸せです」
頬に両手を当てて頬を染めたフローラの視線の先には、無感情なアルフェルトが居た。大袈裟な表現で甘えて見せるフローラに無反応なアルフェルトは、一言も発しない。これに唇を尖らせて更に拗ねて見せたフローラは、強請るように首を倒した。すると、ふんわりと甘い香水の香りが広がる。全てが計算尽くだろう。
(男の子は好きそうよね)
母のアナベルが強い香水を好きではないと知っているし、茶葉の調合や紅茶の試飲の邪魔になるので、アルメリアは香りの優しいオーデコロンを使っている。だから、フローラのように香りを撒き散らすことができない。
「遅くなってごめんなさい」
アルメリアが食堂に姿を現すと侍女が椅子を引いてくれる。だから、自然とアルフェルトの隣の席に腰掛けることができた。アルメリアの着席を待って父のジョナサンが優しく微笑んだ。
「では、祈りを捧げよう」
両手を組んで目を閉じたアルメリアに声を掛けてきたのはフローラだ。
「お姉様、そのリボンは何?」
揶揄うような声に些かムッとする。しかし、静かに祈りを捧げなくてはいけない時間だ。ちょっかいに反応してはいけない。
「お姉様には全然似合っていないわ」
「フローラっ黙って祈りを捧げなさいっ」
母のアナベルが雷を落とすとフローラがきゃっと小さく悲鳴をあげる。フローラの評価には悪意がある。しかし、折角のプレゼントなのに‥と、申し訳ない気持ちになってしまう。
「俺が渡した。似合うと思う」
気落ちしていたアルメリアは、我が耳を疑う。それは、プリムス家の全員に言えることだったようだ。皆が目を点にする。
「え?でも‥」
戸惑うフローラが無理に笑顔を作るが、その言葉を無視するようにアルフェルトは、黙って食事を始めた。アルメリアは、嬉し涙で視界が暈ける。涙の膜が張ってしまったアルメリアは、鼻をグスっと鳴らして目元を拭った。
朝食を食べると「ご馳走さまでした」と席を立ったアルフェルトは、玄関へと向かう。話し掛けても言葉を発しないアルフェルトに同性のラムダスは飽きてしまったようで見送りにも来なかった。
「また、おいで?」
優しいジョナサンの言葉に小さく頷いて返したアルフェルトは、颯爽と愛馬に騎乗して駆け去ってしまう。
「ねぇお父様?私もアルフェルト様と仮婚約がしたいわっ私かお姉様かを選んでもらうのっいいでしょうっ?」
同じおもちゃを強請るようなフローラの言葉にアルメリアは顔を顰めてしまう。
「馬鹿を言うもんじゃないっ」
「私が聖女じゃないからっ?」
「聖女だろうとなかろうとお前たちは私の娘だ。姉妹で仲良くできないかい?家族なのだから互いを大切にしよう?」
はぁ〜っと肩を下げて落胆の溜息を吐いたフローラが、苛立たしげに顔を背ける。
「もういいっ!」
「フローラっ」
「お父様の有り難い言葉は聞き飽きたわっ美人で賢くって周りから好かれる。結局、自慢の娘はお姉様なのよっ」
宥めるように呼び止めたジョナサンの声を振り払うように皮肉り嘲るフローラの表情は醜悪に歪んでいた。
「私は大人しくお姉様のおこぼれを頂戴することにするわっ有り難くねっ」
こちらに視線を寄越しキッと睨み付けたフローラは、逃げるように駆けていく。
「昔はとても素直な子だったのに‥」
額に片手を当てて気落ちするジョナサンの肩にアルメリアは、手を添えて慰めるように微笑む。
「いつかきっと分かってくれるわ」
「そうだね。家族なのだから‥」
アルメリアの手に手を重ねたジョナサンの手にアナベルが手を添える。そんな光景を自室の窓から見ていたラムダスは、階段を駆け上がってくる音にドアへと視線を向ける。廊下を駆け抜けた足音が止まり、近くの部屋のドアを激しく叩き締める。その音に目を閉じてから廊下へと顔を出す。
「フローラっ?」
「煩いっあっちに行ってっ!」
「あっちへ行けって僕の部屋は‥」
「お姉様ばかりっお姉様ばかりっわぁぁぁ〜っ‼︎」
感情に任せて泣き叫ぶフローラに溜息を吐いてからラムダスは自室のドアを閉めた。




