それぞれの未来
晴れ晴れとした微笑みを浮かべたルティアナが集まったみんなに報告した。
「わたくし、第一王子殿下の婚約者候補を辞退いたしましたの」
「えぇっ⁉︎突然どうしてなの?」
「わたくしに王太子妃は荷が重いですわ。ユリアス殿下とも特別親しい訳ではないですし、今が離れるいい機会だと思うのよ」
親しい友人だけを招いて開かれたお茶会でルティアナが告白した言葉に衝撃を受けたアニーシャが目を丸くすると名残惜しそうに表情を暗くした。
今日のお茶会の会場は、バレット家が王都に所有する別邸であり、隅々まで管理された庭園には、色とりどりの花が咲き乱れている。花の優しい香りに包まれた春の庭園の中を散策した一行は、噴水を背にしたルティアナに倣い足を止めた。
大きな決断を報告した彼女には愁い一つ見られなかった。
「ルティアナさんなら素敵な王太子妃になれると思うのだけど‥」
「他に気になる方でもいらっしゃるの?」
不思議そうに首を傾げたアナイスにルティアナが目を伏せて頬を染めるとアリシャーヌが両手を合わせて微笑む。
「あら素敵っ」
「皆さんどんどん綺麗になって変わっていくのですもの‥」
唇を尖らせて拗ねてみせるアニーシャにアリシャーヌがキョトンとした。
「あらっ一番変わったのはアニーシャさんではないかしら?」
「そうよ。貴女は素敵な方と一番に婚約したのですもの」
ルティアナの言葉に悪戯に笑ったアニーシャも照れたように頬を染める。アニーシャ・ナイゼルの婚約は早かった。お相手は幼馴染だと聞いている。その次はアリシャーヌ・オーガレットだ。
「アニーシャさんは本当にライラック学園に通わないの?」
アネッサが寂しそうに尋ねるとアニーシャはこくりと頷く。
「えぇ、花嫁修行に専念するつもりなの。私は勉強や運動が得意ではないし、家庭学習で十分ですもの」
「ダンスもお裁縫も上手なのに勿体無いわ」
「ありがとうアリシャーヌさん。でも、社交界で活躍できる女性になるつもりよ?」
勝ち気なアニーシャは、挑むような視線を向ける。社交界は華やかなだけの場所ではない。相手言動の裏を読んだり、安易に信じてはいけない憶測を見抜き出所を探したり、支持する派閥の仲間と親交を深め、時には蹴落とし合う。気が抜けない戦場にも思えるような場所である。
(そこで活躍する人になるって凄い目標だわ)
社交界の中心人物になるにはある程度の地位や身分は勿論のこと、長けた人心掌握術が必要になるだろう。
ルティアナの気になる人は、恐らく二作目の攻略対象者のルイス・チャールズだ。『乙女は愛を嘆く』で登場するルティアナ・バレットは、ルイスの婚約者として自由恋愛の障壁になる。
アルメリアは二作目の主人公ではあるが、ルイスと恋愛するつもりは微塵もない。
大きな巻毛が特徴的な銀髪の髪と夜空を思わせる青い瞳のルイス・チャールズは愛らしい美貌でプレイヤーを魅了する年下の男の子だ。ゲーム序盤では守ってあげたくなる男の子という印象を与えるルイスは主人公と恋をする過程で頼れる男性に成長していく。
(前世でも困った時に助けてくれたのはルイスだったわ)
「私はルティアナさんの恋を応援するわっ」
「ふふふ。ありがとうございます」
両手を握って力強く宣言したアルメリアに少し驚いた様子のルティアナが優しげに微笑む。
「勿論、私もよ?」
「学園で距離を縮めていけばいいと思うの」
「何ができるか分からないけれど、私も応援するわ」
アネッサの意見は尤もだと思う。同じ時間を共有できる学生のうちにお互いを認識し理解を深めていければ、卒業後も素敵な関係を続けていけるのではないだろうか。最後にはにかんだアナイスの恋の行方も気になる。
「アネッサさんやアナちゃんには好きな人はいないの?」
「どうして私には聞いてくれないの?」
「え?アリシャーヌさんは婚約しているでしょう?」
「でも、別に好きな訳じゃないの」
貴族の結婚は利益の上で成り立つ。大半は、家と家を繋ぐ義務を課されるのだ。悲しげに目を伏せたアリシャーヌにも気になる人がいるのだろうか。
「誰か気になる人がいるの?」
「えぇ‥でも、子爵家との婚約は有益ではないってお父様達が‥」
「ならアリシャーヌさんも学園でお相手の方とよく話し合わなければいけないと思うわ」
「理解を得られれば婚約を白紙に戻してくれるかもしれないわ」
案じ顔のアネッサの言葉に同調したのアナイスである。
「カインは私を好きじゃないわっ」
「白い結婚なんて嫌ですものね」
政略結婚の貴族では、夫と愛人の子供を育てて養育することも珍しくはない。
「私、子供の頃から気になっていたの。でも偏食があったでしょう?だから諦める方がいいと思ったわ。でも、まさかカインと婚約することになるなんて‥それなら修道女になる方が良かったわ」
アルメリアもアリシャーヌの偏食が治ってしまったが故に意に沿わない婚約をする羽目になるとは思っていなかった。
(修道女になるか好きでもない人と結婚するかで悩むなんて貴族令嬢も大変よね)
「気になる人の名前を教えてもらえないかしら?」
「アルメリアさんっ」
ルティアナが咎める気持ちも十分に理解できる。慎み深い令嬢は、問題に首を突っ込みすぎない心掛けが大切だ。
「でも、名前も知らない人では応援できないわ」
「あらっわたくしは良いのかしら?」
不機嫌そうな顔も可愛いから困る。
「伯爵家のルイス・チャールズではないの?」
「えっ?」
思わず目を丸くしたルティアナは、咄嗟に自身の口を手で隠した。でも、王太子妃候補だったルティアナが、誰かに意中の人の情報を話しているとは思えない。
「エドモンドよ。エドモンド・カーソン」
思わぬ人の名前に目を丸くしたアルメリアは、悪巧みをするように目を細めた。
「アリシャーヌさん良い方法があるわ」
「え?」
「頭のいい人が好きだと言えばいいのよ。傑物なんて魅力的な筈でしょう?」
賢く勤勉なジョナサンは学園でもモテたとアナベルは言っていた。プリムス家の婿養子になれたのも身分ではなくジョナサンの頑張りが認められたからなのだ。
「それだけでいいの?」
不安そうなアリシャーヌにアルメリアはしっかりと頷いた。二作目の攻略対象者は頭のいい人が多い。エドモンド・カーソンも攻略対象者であり、成績優秀者を集めたクラスであるニクロスに在籍する予定である。ニクロスの首席組と呼ばれる仲間たちに加わって進級祝いにレグザを訪れるエドモンドは、二作目の主人公と接点を持つことになるのだ。子爵家でありながらも父親が手掛ける事業が軌道に乗った裕福な家庭で育った彼は、穏やかな性格をしている。カーソン家は、行く行くは社会的貢献を讃えられ有名になる家門だ。
「アルメリアさんありがとう。貴女は聖女ですものね。きっと何かいいことが待っている気がするわ」
「本当は私も勿体無いって少し思っているの。皆さんと一緒に学園に通えたらどんなに楽しいか‥想像するだけでも胸がときめくわ。でも、お父様とお母様が決めたことですもの‥仕方ないわ」
ぽつんと話を聞いていたアニーシャが、本音を打ち明けたのはアリシャーヌの問題にアルメリアが助言したことが大きそうだ。背中を押されたように真実を語ったアニーシャは、諦めてしまった未来に未練があるようである。
「説得しましょうっ?」
「そうですわね」
アルメリアの言葉に賛同してくれたのはルティアナである。
「女性も学びを受ける権利があるわっ」
「これから皆さんでアニーシャさんのお家にお邪魔してもいいかしら?」
手を握り締めて力強く訴えるアリシャーヌに穏やかな口調のアネッサが同調し言葉少ないアナイスも微笑みながら頷いて返した。
「ありがとうっ皆さん大好きよっ」
感動した様子で仲間達に抱き付いたアニーシャを受け止めながら皆で笑い合う。
「それで、アリシャーヌ・ナイゼルさんも学園の入学試験を受けるとこが決まったのです」
帰宅して早々に別館の居間で寛ぐアナベルとフィカスにアルメリアはその日の出来事を報告した。
「ふふふ。貴女は問題を解決するのが上手ね」
「未来を知っていますからね」
アナベルの耳に顔を寄せて囁いて返すと、スッキリした心地で小さく笑い合う。
「しかし、バレット家のご令嬢が王太子妃を辞退するなんて‥王妃殿下はさぞお困りでしょうね」
有力な王太子妃と目されていただけにルティアナの辞退は波乱を呼びそうだ。祖母フィカスの言葉にアルメリアが頷くと紅茶のカップをソーサーに戻したアナベルがこちらに視線を向けてきた。
「ユリアス殿下は何て言うかしらね」
後ろ盾を無くすのは気分のいいものではないだろう。昔、ユリアスが泣きながら弟王子のリゼルが疎ましいと言っていた言葉を思い出す。ユリアスを支持する貴族達はリゼルを快くは思わない。逆も然りだ。
(リゼル王子に毒を盛ったのも第一王子派のカブラ侯爵だったし‥リゼル王子に有力な婚約者が現れたらますます均衡が崩れるわ)
「アルメリア、アルフェルト・レガーに会ってきなさい」
「え?アルフェルト様に?」
何故、この展開でアルフェルトの名前が出てくるのか分からずに困惑する。
「私も行くわっ連れて行ってっ!」
突然、居間のドアが開いて顔を見せたのはフローラである。
「フローラっあんたはいい加減におしっ」
「それなら私にも茶葉の作り方を教えてくださいっねぇお祖母様っ?そしたら大人しく待っていられるから」
甘えて強請るフローラは、しおらしく両膝を突いて首を傾げる。しかし、フローラの上目遣いはフィカスには効果がない。紅茶のカップを持ち上げて口元まで運んだフィカスは、フローラを見ようともしなかった。
「あんたにもラムダスにも教えるつもりはないですよ。特にフローラ、今の貴女には毒を扱う資格はありません」
「怖くって教えられませんよっ」と、突っ撥ねるフィカスにフローラはムッとして立ち上がる。
「資格ってなに?聖女じゃないから?みんな馬鹿みたいっ」
部屋から駆け出していくフローラは、甘い香水の匂いだけを残していった。
「フローラは、今からでも厳しく躾ける必要がありますよ?あのままでは何処にも出せやしませんからね」
「はい。お母様」
表情を顰めていたアナベルが、しっかりと返事をするのを聞いたフィカスは、アルメリアに視線を向けてくる。
「アルメリア、この機会に一度アルフェルト・レガーの気持ちをしっかり聞いておいで?もし、婚約を破棄するなら早い方がいいですからね?」
「‥婚約‥破棄」
とても受け入れられない現実である。足場から崩れ落ちていく感覚がする。でも、独りよがりの気持ちを押し付けているのではないかと、自問自答しているアルメリアはもう大人と呼べる年になっている。いつまでも仮婚約のままではいられない。
廊下を駆けて目的の部屋のドアをノックもせずに開いたフローラは、涙ぐみながら声を張る。
「いつもお姉様ばかりが大切にされるのよ。それって狡いと思うでしょうっ?」
この部屋の主はフローラの双子の兄ラムダスの部屋だ。勉強机から体を離したラムダスが、フローラへと視線を向ける。
「だからアルフェルト様は私が貰ってもいいと思うのっ」
「アルフェルト様はお嬢様を嫌っているんじゃないの、恨んでいるんだわ」
「お願いだから協力してラムダスっ?」
「アルフェルト様がお姉様を憎んでいる?」
腑に落ちない表情を浮かべるラムダスにフローラは迷いなく頷く。
「そうよ?だから苦しめたいのよ。そんなふたりが一緒になっても幸せにはなれない。不幸になるだけでしょう?」
「お願い今回だけでいいのっ」
祈りを捧げるように手を合わせて必死に強請るフローラにラムダスは眉を下げて吐息を吐く。
「それ聞き飽きたよ。つまりどうしたの?」
嫌々とした口調で尋ねたラムダスの言葉を聞いた途端フローラの表情は、パッと明るくなり嬉々として別館で聞いた話を打ち明けた。




