移り行く日々
アナイス達との手紙のやり取りをコツコツ続けたアルメリアは、女子会のような集まりにも積極的に参加した。そこで必ず話題に上るのは王子達の婚約者についてだった。王子達と親交のあるアルメリアの関係を疑う野暮な人たちも少なくない。しかし、あくまでも友人だと告げると深入りはしてこなかった。王太子妃候補として前々から名前が挙がっている侯爵令嬢のルティアナの顔色を窺う令嬢達は、聖女であるアルメリアに付くべきか否かで悩んでいるような雰囲気であった。しかし、アルメリアが認めないので、彼女達は何方付かずな曖昧な態度を取らざるを得ないようである。病弱な豊城澪香の時には経験できなかった交流は新鮮だったし、仲良くなった友達を大切にしたかったアルメリアは誘われる集まりには必ず出席した。王宮のお茶会の常連にもなったアルメリアは、同席するアルディナスと喧嘩をしながらも王子達と親睦を深めていく。そして、ふと気が付けばライラック学園の入学試験を来年に控える年までに成長していた。
「アイラ・シャーロットの悪評も徐々に薄れつつあるようです」
ルティアナ達の報告では、アイラ・シャーロットの意地悪は相変わらずのようだが、我儘や乱暴な言動は少なくなっていると言う。突然、噴水に突き落としたり、プレゼントを横取りするような場にそぐわない振る舞いは自制できているようだった。
「そうかい」
「ルシーラ夫人も穏やかに過ごされているようです」
エシャリの母親のルシーラ夫人も穏やかな気分で一日を過ごせるようになり、突発的な感情の起伏の激しさも落ち着いてきていると報告を受けている。
小さく頷いたフィカスは、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「問題は、この茶葉をどうやってステファニア全土に広げていくかですね」
全く想像できない。赤いアリストロメリアの株を求める人は多いが、そもそも全ての人に届けられるだけの花卉生産ができていない。今、アリストロメリアの茶葉が行き届いていると言えるのは、プリムス領と王都だけである。
顎に片手を当て悩ましい現状に考え込んだアルメリアにフィカスは、ふふふと小さく笑んだ。
「貴女はよくやっていますよ。ひとりではできないことは誰かに助けてもらえばいいのよ」
「はっ!お祖母様のお弟子さんですね?」
恐らく全国の彼方此方にいるだろう祖母フィカスの弟子や孫弟子達。
「私も元々は弟子のひとりだったのよ」
「お祖母様の先生ってどんな人でしたか?」
「師匠は変わった人でしたよ。自分は不老不死だと言ったりしてね」
(冗談が好きな人だったのね)
「あの頃は旅をしていたようでしたね。私は不思議な巡り合わせの中にいると予言めいたことを言っていつか役に立つかもしれないからと茶葉の作り方や解毒の方法を伝授してくれたのよ」
「その頃の私は、貴族の務めとしての学びを終えて結婚し子供を産んだ平凡な女だったのよ」
「幼い頃から目立つことがなかった私は、師匠に出会わなければ平凡な人生を過ごしていたでしょうね」
「そのまま旅に出てしまったのですか?」
「そうよ。あの人が戻ってくることは一度もなかったわ」
遠い目をして追憶の中に思考を委ねていたフィカスが、ため息のような深い息を吐いてから、目尻を下げた。
「手紙を出してみましょう」
「ありがとうございます。お祖母様」
(お祖母様にも切ない思い出があるのね)
きっと、フィカスは師匠に会いたいと思っていたのだろう。しかし、過ぎた年月がそれを現実にするのは不可能だと告げている。
「不老不死か‥」
思わず小さく呟いてしまったアルメリアの言葉を温室のドアから吹き込んだ風が散らしていく。先に温室から出て行ったフィカスを追いかけてアルメリアもドアを開いた。
そこで佇んでいたのは侍女のクレマチスだった。
何か言いたそうな顔をしているクレマチスは、慎重にこちらの出方を窺っているようである。
「どうかしたの?」
尋ねてからそろそろ彼女が動く時期だと思い出した。前世では彼女に誘拐されているのだ。恐らく、司令塔が何らかの指示を出している筈である。
(タイミングを見計らっているのかしら?)
「レガー家に行く時は、私も連れて行ってくれないかしら?」
(やっぱり‥)
前世でアルメリアが、クレマチスに誘拐された状況はしっかりと覚えている。そっと囁くように告げられた言葉もありありと思い出せるのだ。
「出会いは大切です。男性が喜ぶものを渡すべきです」
尤もな彼女の助言に従って、レガー領へ向かう馬車から降りてしまったアルメリアは、その後クレマチスの仲間達に包囲されて港町へと連れて行かれた。
そこで「大人しく従いなさいっ御者の命と引き替えよ?」と、ナイフを向けた彼女たちの脅し文句に従って訳も分からずに船に乗り込んでしまったのだ。
(そもそもアルメリアの誘拐や拉致なんてゲームにはない展開だからね)
「誰が言ったか知らないけれど、迷惑だわ」
前世では、アルメリアの正体をレグザの国王ルーカスに告げた転生者或いは転移者に会う機会はなかった。強制的にレグザへ連れて行かれたアルメリアは、ステファニアへ戻るためにレグザの問題解決に奔走したのだ。
「そんなこと言ってる場合じゃないわよっ?私が失敗すれば次の人がやってくるんだから」
「つまり、私をレグザに連れて行きたいのよね?連れ去る機会を窺っているのでしょう?」
微笑んだアルメリアに眉を下げたクレマチスは目を伏せてしまう。閉じた唇に力を入れて何かを堪える様子を見せるクレマチスが、命令に背くことで孕む危険は察せられる。クレマチスと入れ替わる新しい人間が温厚である可能性は低いし、任務に失敗した仲間を見逃すとも思えない。
「付いてらっしゃいっ」
戸惑うクレマチスの手首を掴んで引っ張るように歩き出したアルメリアは、屋敷へと戻り階段を上がって自室のドアを開いた。
「これを使いなさいっ」
「何よっこれはっ⁉︎」
机の下の引き出しには、みっちりと日記帳が詰め込まれていた。困り顔で目を丸くしたクレマチスに一冊を取り出して差し出す。
「これには神語の解読に必要な言葉が書いてあるわ。先ずはそれを学ぶのよ?」
「何故、貴女が神語を知っているの?解読って私がするの?」
漢字は難しい。だが、ひらがなとカタカナを覚えておけばある程度読める筈である。
「貴女忘れていない?私は天才なのよ?そして、私はステファニアの聖女よっ」
「は、はぁ〜」
胸に片手を当てて自身を晒すアルメリアから悪態を隠すように「あんたみたいなのでも聖女なのよね」と、小さく呟いた言葉も聞き逃してはいない。
「そうよ?だから、貴女はレグザの聖女になるのよっ」
「‥‥大人しく付いてくるつもりはないのね?」
弱々しく視線を向けてくるクレマチスにアルメリアは胸を張る。
「私はアルフェルト・レガーと結婚するの。アルフェルト様はステファニアの貴族なのよ」
クレマチス達が、悪いようにするつもりがないことは知っている。誘拐され拉致されたアルメリアは、劣悪な環境で過ごしたことは一度もない。レグザの宮殿で貴族らしい暮らしをしていたのだから。だから言うほど憎んでいる訳じゃない。
「これは全てあげるわ。クレマチス。貴女はこの日記帳の通りに動くのよ?そうすれば、レグザの聖なる乙女になれる筈よっ」
「なれなかったらどうするのよ?」
呆れたように息を吐いたクレマチスから視線を逸らし窓の外へと向けた。
「もし、指示が必要な時は手紙を頂戴。私宛の手紙なら青い鳥に運んでもらえる筈だわ」
顎に手を当てて考え込んだクレマチスは、慎重に考えを巡らせているようだった。彼女も命懸けの行動になる。迂闊な判断はできないだろう。
「精霊王ピッピは知っているわね?」
「え?」
「エルとエムの童話は作り話ではないのよ。ふたりを楽園に連れて行ったのは名の知れない女神と言われているけれど‥本当は精霊王ピッピなの」
だから、童話としてふたりの悲しい物語は、この世界に残っているのだ。
「突然、何を言い出すのよ?」
「あなたのような瞳が欲しい。あなたのような髪が欲しい。あなたのように白い肌だったら。そう嘆く人々と望みのものを取り換えてあげたふたりの妖精は、最後は見窄らしい姿になった。すると、人々は妖精に見向きもしなくなった。人間と友達になりたいと願う妖精は力尽きるまで友達を探し続けるわ」
「知ってるわ。私の一番嫌いな童話よ」
怒りにも似た感情を抱いた様子のクレマチスが顔を顰める。
「裏切りに涙を流してしまう日もあったけれど、優しい心は失われていなかったの。全てを見守っていた精霊王ピッピは、彼らを楽園へと連れて行ったわ」
「その精霊王ピッピは、レグザの聖地にいるわ。日記帳に詳しく書いてあるから、船の中で読みなさい。叔父のエリオットに埠頭で待っているように指示しておくから合流して。ふたりで行動していれば簡単に手出しできないはずよ」
「本当に意味が分からないわっでも、もう‥泥舟に乗ったつもりで覚悟を決めるしかないわね」
「大船よ?」
「いいえ、泥舟よ?沈む時はあんたを恨みながら沈んでいくわ」
「エリオットは泳げるわっ」
「そう言う問題じゃないのっ!」
こんなやり取りができなくなるのは少し寂しい。
「クレマチス、貴女レグザが好きなのね?」
「当たり前でしょう?ステファニアも悪いところではないけれど、私が育ったのはレグザの田舎町よ。みんな貧乏で日々の生活が漸とだった。貧しくも優しかったわ。でも、こんな風に会話できるようになったのもあんたのお陰なのよね」
「クレマチスが頑張ったからよ」
アルメリアは首を振るう。フェラニー先生達の授業をしっかり受け続けたクレマチスの努力の結果だと思うからだ。彼女の感謝は身分に拘らなかった教師に向かうべきである。
「足が付く前に出発の準備を始めるわ」
そう言うとクレマチスは日記帳を抱えて背を向けた。
「ニーナには必ず声を掛けてあげてね?貴女を姉のように慕っているのだから」
「えぇ、私もニーナと過ごせて良かったわ」
ドアの前で振り向いたクレマチスは、出来損ないの笑顔を浮かべて涙を堪えているように見えた。
(ニーナはギリギリまでプリムス家で育てて寮に入れる方がいいわね)
王族でさえ護衛をつけないのだ。侍女や侍従を伴って入学する生徒は極めて少ない。
(子供の成長過程に問題があると判断した親が、お目付け役として同行させた事例が数件ある程度だものね)
外聞が悪いと知りながら同じ家から通う必要はない。アルメリアに取ってもニーナに取っても最善の選択をするべきだ。
(ニーナの目標は貴族の男性と婚約することだわ。自然な出会いを演出するのにも優秀な侍女のレッテルはない方が好ましい。私も問題児だと思われ兼ねないし‥それはプリムス家に取ってもマイナスよね)
姉のように慕うクレマチスとの別れを経験し一回り成長するだろうニーナは、母親のように慕うアナベルの手をも離す必要がある。プリムス家を出る選択は堪えるかも知れない。辛い寂しさを経験するだろう。けれど、今後の人生を思えば踏ん張りどころともいえる。
(ニーナには幸せを掴んで欲しいわ)
アルメリアより一年早くライラック学園に通い出したニーナは、侍女の仕事と勉強の両立ができている。頑張り屋の彼女には、貴族になるという目的のために結婚するのではなく、心から惹かれ合う運命の人と巡り会い幸せになって欲しいのだ。
その日の夜、クレマチスはニーナに別れを告げたようで早朝の暗がりに紛れてプリムス家を出て行った。
翌朝、アルメリアをひとりで起こしに来たニーナは泣き腫らしたのだろう。真っ赤な目が可哀想だと思うほどであった。
「ニーナ、来年には私もライラック学園に通うわ。その時は、ニーナはもう侍女ではないのよ?学園の寮に入ってもらうつもりなの。大丈夫そう?」
「‥‥」
何も答えないニーナは俯き気味に頷いて返した。
「ニーナ、お金の心配はしないでっ休みの日はプリムス家に帰ってきていいのよ?此処は貴女の家でもあるのだから。お母様達は勿論。ラムダスとフローラも喜ぶわっ」
うっと涙を浮かべて泣き顔に崩したニーナが口を開いた。
「お嬢様っ今までありがとうございました。私、頑張りますっ」
泣きながら抱き付いてきたニーナを宥めてから食堂へと向かう。少しずつ変わっていく日々の変化はこれだけではない。大きくなったラムダスとフローラは再来年ライラック学園の入学試験を迎えるのだ。
(再来年はアルフェルト様と同じ学年よね。クラスも一緒になるのかしら?)
フローラはアルフェルトに好意的なのだ。それがアルメリアの悩みの種でもあった。お洒落にも目覚めたフローラは、すっかり乙女である。
「お姉様っレガー家にはいつ行くの?私も連れて行ってね?」
「フローラお嬢様。アルメリアお嬢様はアルフェルト様の婚約者ですよ?邪魔をしてはいけないわ」
フローラの発言にムッとしたニーナが注意しても効果はない。
「ニーナには分からないわ。それに仮婚約でしょう?アルフェルト様が選ぶ人が本当の婚約者よ」
昔は、姉のように慕っていたニーナをふふふと小馬鹿にしたように笑ったフローラは夢心地で語る。そんなフローラに母のアナベルが叱り顔を向けた。
「フローラっ」
これには流石に驚いた様子のフローラが首を竦めた。
「貴女の婚約者をお姉様が同じように構ったら気分が悪いでしょう?もう少し分別を身に付けなさい」
「お姉様が向になってやり返さなければいいだけよっねぇリリーナ?」
甘えるような声音で味方につけようとするフローラにリリーナは、視線を彷徨わせてしどろもどろになる。
「え?えぇ‥その。まぁ‥ですが、アルメリアお嬢様は聖女様ですから‥その」
「聖女っ聖女って馬鹿みたいっお祖母様に茶葉の作り方を教わったら私だって聖女になれるわ」
苛立たしげに毛先を指に巻き付けて唇を尖らせたフローラに隣のラムダスが不思議そうな視線を向ける。
「フローラには茶葉作りは教えないって言われているじゃないか?」
「ラムダスっ」
「さぁっ祈りを捧げて食事にしよう?」
父のジョナサンの声に皆が従って祈りを捧げる。アルメリアとアルフェルトの関係は相変わらずだった。何故か一歩的に嫌って遠ざける。婚約者のアルメリアより、フローラの方に優しいのは見ていれば分かる。フローラが隙があると考えるのは、アルフェルトにも問題があるのだ。
(婚約を白紙に戻すって言ってこないから結婚するつもりではいるのよね?)
悶々とする胸の内を抱えてアルメリアは、この日もアルフェルトへ手紙を出した。アナイスからアルフェルトが文字を覚えたと報告を受けてから毎日のように手紙を書いているが、返事は今まで一度もない。




