赤い花
あれから数ヶ月後、真っ赤なアリストロメリアが温室で咲いた。
「やっぱり鈴雪が良かったみたいね」
鈴蘭の花言葉は、再び幸せが訪れるだ。呪いが蔓延し幸せの遠のいたステファニアに一番必要な言葉ではないだろうか。鈴蘭に似た鈴雪の花を赤く染めてからアリストロメリアの球根の側に地植えにし、「とても幸せです」のクチナシや「幸福を告げる」カランコエや「小さな幸せ」のスミレに「幸せを招く」「永遠の幸福」の福寿草などの幸せを連想させる花言葉の花々をあの神秘的な場所で採取し温室で育ててながら肥料として与えている。
次第に桃色から真紅に変わったアリストロメリアの花を眺めてアルメリアは、祖母のフィカスと微笑む。
赤く染まった花を摘んで乾燥させてから調合した茶葉に加えて缶を密閉する。それをアリシャーヌ・オーガレットに届けるのだ。
送られてきた手紙を読むには、アリシャーヌの偏食に早速効果が現れているようだった。
アルメリアは、真っ赤に染まったアリストロメリアの花束を王宮に献上し、尋問を受けるカルンディラ当主の手に改良した茶葉が届くように外交官補佐のジョナサンに手渡し託した。
「お祖母様、身分の高い方からのお手紙のお返事に困っているのですが‥」
「フェラニー先生に尋ねたらいいでしょう?」
「いいえ、あまり知られたくないお手紙なのです」
深い意味はないのだと思う。けれど、お誕生日で花束をもらったことがきっかけとなり、ユリアス・ステファニアから手紙が届くようになった。内容は当たり障りのないものだ。
(好きな花を聞かれたり、お茶会で聞いた話が書かれていたりする程度なのよね)
「どんな方であろうとお返事はきちんとするべきですよ?」
「はい」
「‥‥ただ単に親しみを感じて貴女を知ろうとしたのかも知れないけれど、何か聞いて欲しい悩みがあるのかも知れませんよ?」
「悩み?」
ユリアス・ステファニアには秘めた悩みがあるのだろうか。まだ幼いユリアス・ステファニアは、前世で出会った完全無欠の王太子然とした素振りではなかった。
(此の辺も前世とは違うのかも知れない)
祖母のフィカスが赤いアリストロメリアの花を摘みアルメリアが桃色のアリストロメリアの花を摘んで温室から出たところで目を丸くする。プリムス家の屋敷は王族御用達のブティックではない。けれど、王族と知り合える場所の一つになりそうだと思ってしまう。
佇んでいたのはユリアス・ステファニアだった。
俯いたままで表情は分からない。こちらへ歩み寄ってきたユリアスは、そのままアルメリアの肩に額を当てて肩を震わせる。
(えぇーっ⁉︎ちょっとっ)
「ふっ‥」
泣いているのだと理解して困惑した。
「‥‥僕は、迷惑だろうか?」
(さっきの話を聞いていたのかしら?)
「いいえ、ただ理由が分からずに困惑しています。何故、泣いていらしゃるのか聞いてもいいのでしょうか?」
第一王子のユリアスが相手だ。慎重になる必要がある。ただ、子供だとしても彼は分別があると察せる。口外してはいけない問題を感情に任せて口にしたりしないだろう。
「僕が最低な王子だからだ」
「‥‥それだけでは分かりません」
「青い鳥に好かれているリゼルが疎ましい。僕とは違って誰からも愛される弟が‥許せないんだ」
(本当に悩みがあったのね)
ユリアスの腕に手を添えてゆっくり体を起こすように促してみる。唐突な展開に驚きはしたが、此処で彼を突き放せば良くない方向に進んでしまいそうな予感がした。難しい表情で何も言わずにその場を離れたフィカスも同じような雲行きを感じていそうだ。
「ユリアス王子殿下も青い鳥に好かれているではないですか?」
「僕のはおまけだ。あの子達はリゼルと親しくしたいのだから」
顔を背けたユリアスは、自嘲気味に薄ら笑いを浮かべた。
「お友達におまけなんてありませんっリゼル王子殿下とユリアス王子殿下ふたりと仲良くしてはいけませんか?」
アルメリアの言葉にユリアスは目を丸くした。
「青い鳥は私とも仲良しです。私は青い鳥に優しくしてくれるお友達が増えたら嬉しいですっ」
ドレスのポケットからハンカチを取り出して涙を浮かべるユリアスの目元を拭う。
「人間達が、妖精のエルとエムにしたように何かを欲しがるのではなく、種族が違っても優しく受け入れてくれたら嬉しいです」
エルとエムはステファニアでは有名な童話である。
「君は優しい人だな」
涙目で微笑んだユリアスにアルメリアの心臓がドキッと高鳴る。
(顔はいいからね)
冷静になれば自分の好みが分かる。面食いなのだ。優しく目を細めたユリアスは心が落ち着いたと理解できる。
「僕と手紙のやり取りをして欲しい。もっと君を知りたいんだアルメリア・プリムス」
「はい」
疑問符が浮かんだままにアルメリアは返事をしてしまっていた。
あれからあの日の出来事を考える。頬を染めてユリアスを見つめながら返事をしたアルメリアは、分岐点を間違えているのではないだろうか。
(ドキッじゃないわよっドキッじゃっこの軟弱者っ!)
残念系乙女ゲームに二心など以ての外だ。アルメリアは封入特典のファンディスクとスペルファンディスクでしたか、『屍のような心で貴方を愛する』をプレーしたことはない。しかし、全てのエンディングはある程度知っている。何故なら天音優がスチルをコンプリートしていたからだ。ファンディスクでは、スチルには音声が加えられており、それを豊城澪香は聞いたのだ。
「あぁ〜っこれは二心じゃないかしらっ?」
ハラハラとしてしまうアルメリアは、勉強の手を止めて天に願う。幾ら頭を抱えて苦悩していてもユリアスからの手紙は週に一回律儀に送られてくる。そこには間近に迫るお茶会の招待状が同封されていた。
(私はどうしたらいいのっ⁉︎)
王族直々に招待されたら断り続けることは難しい。立て続けにユリアスからの招待を断ると王妃殿下からの催促のお手紙が届いてしまうと学習したアルメリアは、王宮のお茶会にちょくちょく顔を出すようになった。
(王妃殿下もひとりの母親よ。息子が元気がないってなると母親として黙っていることはできないのよね)
この日もお茶会へと向かうアルメリアは、赤いアリストロメリアの小さな一株を持って出掛けた。
お友達としてできることをしようと決めたのだ。
(お友達は二心ではないわっ)
(ユリアス王子とこのまま仲良くなってもアルフェルト様と婚約していることを知っているのだから、応援してくれるわよ)
王宮の渡り廊下を歩いて温室へと向かうところで見覚えのある少年を見掛けた。一作目の攻略対象者のアルディナス・ムーアだ。黒い艶やかな髪に意志の強そうな灰色の瞳をしている。
「あっ」
今世ではまだ初対面である。思わず声を出してしまったアルメリアにアルディナスが不思議そうな視線を向けた。
「俺を知っているのか?」
「常に自分を持ち上げて欲しい男アルディナスでしょう?」
「‥‥俺は君に何かしただろうか?」
「えっ?はっ!いいえっ!」
「どっちなんだ?」
腰に片手を当てて不機嫌そうな表情で尋ねてくるアルディナスにアルメリアはそっと視線を逸らす。
(まだ会ったことないのに失礼よね)
前世では渡り人として王宮で両陛下と謁見したアルメリアは、アルディナス以外の攻略対象者の早期婚約を提案した。
(アルディナスを王太子の専属の護衛にしてはいけないと言った時、彼は凄く動揺していたのよね)
ファンディスクで追加登場するアルディナス・ムーアのストーリーは、どれも比較的穏やかなものが多い。ブラックエンドと呼んでいた悲しいエンディングも主人公以外の被害者を出さない。だから、アルディナスの夢を叶える道を残したつもりだった。しかし、結果として言えば、彼の本願を断つ選択になってしまった。
王宮の廊下で恐らく父親が別の道を模索するように諭したのだろう。「何故ですかっ⁉︎」と、必死の剣幕で父親に抗議するアルディナスを見ている。その時、彼は袖で涙を拭っていた。思い出すと気不味い気分になる。あれからジョナサンに聞いた話では、自分に見張りをつけてでも王太子の護衛の道を選んだという。それを提案したのはユリアスであり、ふたりの信頼関係を築くきっかけになったようである。
(ただ、自分に枷を掛けてでも王太子の護衛騎士になった人とは思えない選択肢が目立つのよね)
アルディナスのストーリーでは主人であるユリアスの話も度々登場する。しかし、ユリアスを褒めるような選択肢をプレイヤーが選ぶと好感度が下がる。つまり気分を害するようなのだ。
「貴方はユリアス王子殿下の護衛騎士を目指しているのですよね?それとも王太子の護衛騎士を目指していらっしゃるのですか?」
「ん?どちらも同じことだ。第一王子のユリアス殿下が王太子になられるのだから」
「お前は青い鳥の加護に縋る周りの貴族とは違うとユリアス殿下が仰っていたが、王太子の座を争うリゼル殿下に肩入れするつもりか?」
「私はおふたりに夢を叶えて欲しいと思っておりますっ」
前世では王太子の座を退いたのはユリアスの方だった。しかし、競い合った訳じゃない。同性の婚約者を選んだユリアスは、自ら進んで宰相になる道を選んだと聞いている。
「ふんっ所詮、綺麗事だなっ」
嘲笑うようなアルディナスにアルメリアはムッとしてしまう。
「王太子になる道だけが全てではありません。それに夢は美しい方がいいに決まっていますっ」
つんっと顔を背けたアルメリアがアルディナスの横を歩いていく。
(もう少し身長があれば足を踏んでやりたいわ)
嘗ては、自分の言動で追い詰めてしまったと反省したりもしたが、今のアルディナスに気遣いは無用である。
(年下の女の子だからの見下しているのよねっ?)
ステファニアは男尊女卑の国である。アルディナスのような男性が活躍する騎士家系には、染み付いた考え方があるのだろう。
(頑固にこびりついたギトギトの油みたいな陰険な考えは理解できなくっていいわ)
王妃殿下の許可を得て温室の隅に赤いアリストロメリアの花を植えたアルメリアは、遅れてお茶会に参加した。
「遅くなり申し訳ありません」
「ふふふ。庭師かと思っておりましたわ」
手袋を脱いでテーブルへと駆け寄ったアルメリアに白々とした視線を向けた令嬢が嘲笑う。
「はいっ庭仕事は大好きですっ」
名前も知らない令嬢の意地悪に泣き出すような泣き虫としての知名度はない筈だ。ハキハキと答えるアルメリアにユリアスが思わず笑い出す。
「君は相変わらずだなアルメリア」
顔を真っ赤にしたのは意地悪を言った令嬢の方だった。悔しそうに歯噛みした令嬢が紅茶を口しにた途端、ホッと穏やかな表情になる。
「アリストロメリアの茶葉はプリムス家が献上してくれている。この紅茶には多くの人が助けられている」
ユリアスに興味深そうな視線を送っている令嬢達も紅茶を口にすると年相応の無邪気な表情を浮かべてくれる。
「ぼくこのこうちゃがすき」
可愛らしいリゼルの微笑みに令嬢達が頬を染めるのはいつものことだ。
「今日は僕の護衛騎士になるアルディナス・ムーアも呼んでいる」
ユリアスから紹介されたアルディナスが椅子から腰を上げて一礼した。
「伯爵家のアルディナス・ムーアです。以後も精進して参ります」
令息達が拍手するので令嬢達も遅れて手を叩く。そんな中でアルメリアだけが目を閉じて知らんぷりをしていた。そっと片目で確認したアルメリアに気が付いた様子のアルディナスがムッとする。
「君達が仲良くなってくれればと思っていたのだが‥」
ふたりの状況を知ったユリアスが悲しげに目を伏せるので、ふたりで揃って顔を向ける。
「仲良しですわっ」
「仲良しですっ」
ふたりの声も揃うと皆が笑い出す。不満と恥ずかしさで顔を染めたアルメリアとアルディナスが羞恥心に堪えていると、それを見たユリアスも眉を下げて笑っていた。




