ひとまず皆でご飯にしよう
「ミコト。マイ、スウィートハニー」
頭に金ぴかの王冠を載せた見目麗しい王子が、美言の前に跪いていた。美言の右手を恭しく持ち上げると、その薬指に赤い石のついた豪華な指輪をそっと嵌める。
「運命に選ばれし花嫁。僕の求婚を、受けてくれるね?」
目が潰れそうなほどのまぶしい微笑みと共に、王子が美言の右手、指輪を嵌めた薬指にそっとキスを落とした。辺り一面に薔薇の花びらが降り注ぎ、空の彼方からは祝福を告げる天使のラッパが鳴り響く。
(……ん? 天使のラッパは終末を意味するんじゃ……)
そう思った瞬間、あれよあれよという間に七つのラッパが吹き鳴らされ、薔薇の舞う美しい世界は死神が喜々として踊る荒廃した大地へと変化した。
「ミコト!」
王子が美言の右手を取って、空高く掲げた。その薬指に嵌められていた赤い指輪がパァァッと輝き、輪郭を崩して一本の黄金剣に姿を変える。
「勇者ミコト! 聖剣エクスカリバーに選ばれし者よ!」
声高にそう叫んだのはもう王子ではなく、神父服を着た銀髪の男――アルトリウスに成り代わっていた。
***
ゆっくりと目を覚ますと、視界に見慣れた天井が映った。何をしていたのだろうと思い出す前に、美言は自分が畳に敷かれた布団の中に寝ている状況を把握した。
和風作りの部屋は美言の自室だ。視線を横に巡らせると、壁際に置いた本棚にぎっしりと詰められた少女漫画が目に入った。美言の隠れた趣味である。
学生時代から恋を夢見る美言だったが、高い霊力と祓い屋業のせいでなかなかいい縁には恵まれなかった。二十一になった今でも誰かと付き合った経験はない。
だからだろうか。「海辺でつかまえてごらんなさいデート」や、冬のイルミネーションの下で「君の方が綺麗だよ」なんて甘くささやかれる、一昔も二昔も前の少女漫画展開に美言はずっと憧れていた。
(そういえば……何か、とてもいい夢を見ていたような気がするけど)
次第に覚醒する意識のなか、脳裏に銀髪の男が浮かび上がる。と同時に、美言は勢いよく布団の中から飛び起きた。
(そうだわ! あの正体不明のイケメン!)
布団から抜け出した美言は、巫女服ではなくパジャマ姿だった。時計をみると、朝の七時を指している。いつの間に眠ってしまったのだろう。もしかしてイケメン神父やリザードマンのことは、全部夢だったのかもしれない。
自然と安堵の息を漏らした美言だったが、枕元には紙垂が一本になった御幣が置かれていた。
「夢じゃ、ない……!」
確かに夢で終わらせるには難しいほどの感覚が、一晩経った今でも美言の体にしっかりと残されている。けれどリザードマンや、胸に剣を突き刺した銀髪の男など、普通に考えてもあり得ない現象だ。
もしかしたら悪霊の類いに惑わされてしまったのかもしれない。そういえば父親もあの場に居合わせていたことを思い出し、美言は御幣を引っ掴むとパジャマの姿のまま廊下へと飛び出した。
「お父さん!」
バンッと勢いよく障子を開けると、座卓の向こう側に座っていた父、雅就が呆れたようにため息をこぼした。
「こらこら、美言。お客さんの前だぞ」
雅就の正面、障子を開けた美言の前に座っているのは、あの銀髪頭の青年アルトリウスだ。彼は美言を一瞥しただけで、そのあとは何事もなかったように自身の前に出された茶を静かに飲んでいる。
元々穏やかな性格の上にあまり動揺もしない父だったが、見るからに怪しい風体の男を前にちょっと和みすぎではなかろうか。そう思っていると、父以上にほんわかした性格の母、加代が座卓の上に朝食を並べはじめていく。食器の数は四つ。明らかにアルトリウスも数に入っている。
「ちょっと、お父さん! どういう状況なのか説明して。お母さんも、何でこの人と一緒にご飯食べようとしてるのよ!」
「ご飯は皆一緒に食べた方がおいしいでしょう? それに昨夜裏庭で倒れたあなたを運んでくれたのは彼なのよ。後でちゃんとお礼を言いなさいね。そうそう、あなたをお姫様抱っこした彼があんまり素敵だったから、お母さん思わず写真撮っちゃったわぁ。あとで美言にも送るわね」
「娘が不審な男に抱えられてる状況で写真なんか撮らないでよ」
「落ち着きなさい、美言。ちゃんと説明するから、ひとまず皆でご飯にしよう。境内の掃除は私がやっておいたから、美言はまず身支度を整えてきなさい」
そう言われて、パジャマ姿のままだったことを思い出す。アルトリウスの視線がこちらに向きそうだったので、美言は慌てて障子を閉めると来た時と同様に忙しなく廊下を走っていった。
四人並んでの食卓には、いつもよりも少し豪華な朝食が並んでいた。
焼き鮭とほうれん草のおひたしに豆腐の味噌汁。小鉢にはきゅうりの酢の物ときんぴらごぼう、そしてひじきの煮物。和食に加えて、おそらくアルトリウスのためにベーコンエッグと野菜サラダも用意されている。
和食など食べたことがないはずなのに、アルトリウスは目の前に用意されたご飯を何のためらいもなく次々と口に運んでいった。見た目によらず大食漢のようである。
小さな一切れの焼き鮭をナイフとフォークで食べる姿は違和感でしかないのにとても上品で、美言は思わずアルトリウスの洗練されたテーブルマナーに見惚れてしまった。けれども味噌汁の豆腐はどうしてもフォークで掬えずに格闘していたので、美言はそっとスプーンを差し出してやった。
「さて。お腹も満たされたことだし、さっきの続きを話そうか」
食後の緑茶を一口飲んだあと、雅就がそばに用意してあった一冊の古びた本を座卓の上に置いた。和綴じの本は相当古く、表紙にタイトルのようなものはない。
「これは遠い先祖の日記でね。かつてこの七楽町で起こった妖怪と魔物の大戦争について記したものなんだ。ご先祖様は名のある霊媒師で、当時この町を仕切っていた大妖怪白冥を使役し、異世界ディセリアからあふれ出していた魔物を元いた世界へ強制送還したんだ。そのディセリアと繋がる穴を封じた石が、神社裏にある巨石だよ」
「ちょっと待って。突っ込みどころが満載なんですけど!?」
初っ端から話が何も理解できない。唯一頭に残ったのは、あの古びた本が先祖の日記ということだけだ。
「まぁまぁ、話は最後まで聞きなさい。美言は相変わらずせっかちだなぁ」
「せっかちとか、そういう問題じゃないでしょ」
「それでだな」
「結局そのまま話を続けるつもりなのね」
「長い年月のなかで石の封印も弱まっていたらしく、今回その穴を通じてこちらへ飛び出てきたのが彼――アルトリウス・ヴィルオルセン君だ」
自分のことを話されているのに、アルトリウスの意識は食後のデザートとして加代が用意した芋ようかんに釘付けである。朝食も見事な食べっぷりだったというのに、アルトリウスは芋ようかんをも綺麗に平らげてしまった。
「前置きはこの辺にしておいて……。美言、お前はこのたび誉れある聖剣エクスカリバーの使い手に選ばれたそうだ」
「前置きが濃すぎるくせに、本題が雑なんですけど!?」
巨石の成り立ちや古守家の歴史が異世界ディセリアと密接な関係にあったことは何とかむりやり理解したが、肝心の聖剣絡みのことは宙ぶらりんのままだ。
魔物を完全に倒すために必要な聖剣エクスカリバー。確かに昨夜戦った時も、聖剣に斬られたリザードマンは復活することなく消滅していった。
聖なる剣ということに間違いはないのだろう。けれどその剣を胸に突き刺した状態で巨石から現れたアルトリウスの正体がいまいちわからない。一緒にリザードマンを倒してくれたのだから、美言の敵ではないはずだが。
「どうした?」
謎だらけのアルトリウスを、美言はいつの間にか凝視していたらしい。視線に気付いたアルトリウスは緑茶を飲むのをやめて、美言の方へと顔を向けてきた。銀髪に金色の瞳というファンタジックな色がアルトリウスの現実離れした美貌に拍車をかけているようで、美言の胸が予告もなしにキュンと鳴る。少女漫画に憧れる身としては、アルトリウスの容姿は目の保養でもあり、猛毒にもなりうる危険な美しさだ。
「えぇと……アルトリウス、さん?」
昨夜はドタバタしていたので口調も荒くなっていたが、見た目から判断するにおそらくアルトリウスは美言よりも年上だと思われる。一応敬称を付けて名前を呼んでみたが、当の本人が「アルトリウスでいい」と告げたので、美言は少しだけホッとした。あれだけ言い合った後に、急に畏まるのもこそばゆい気がしたのだ。
「じゃぁ、アルトリウス。あなた聖剣の護り手って言ってたけど、昨日みたいに胸に剣を突き刺して大丈夫なの? 死霊……とかじゃ、ないわよね?」
「聖剣に力を溜めておくには、特別な鞘が必要だ。抜き身のままでは、聖剣からどんどん力が放出されてしまう。それに新たに力を溜めるには約一年ほどかかるんだ。その間に魔物に襲われでもしたら、いくら聖剣といえども簡単に破壊されてしまうだろう」
「剣なのに、鞘から出したら力がなくなっていくってこと?」
「簡単に言えば、そうなる」
「使ったら使ったぶんだけ、聖剣はどんどん弱くなるの?」
「鞘に収めれば、失った力は回復する。そのための護り手だ」
鞘から抜いたら力を垂れ流し、魔物を倒して失った力は鞘に戻して回復させる。一応魔物には絶大な力を誇るようだが、その力も正しく管理されていないとただの剣に成り下がるということか。
もはや聖剣と呼べるのかどうかも怪しい気がする。アルトリウス――人間の心臓を鞘にしている時点で、聖剣と言うより魔剣ではなかろうか。
「その鞘っていうのも、あなたの心臓なんでしょう? 聖剣専用の鞘とか作れなかったの?」
「聖剣に込められた力は膨大だ。聖剣を作った大魔道士でも、それだけの魔力を押さえ込める鞘は作れなかったらしい。だから代わりに俺が造られた」
「……え?」
「俺は聖剣の鞘。この身をもって聖剣を守るために造られたホムンクルスだ」
突然飛び出した重大発言に美言たちがびっくりするなか、アルトリウスだけは変わらず無表情のままだった。