勇者じゃないってば
今日の除霊はいつもより数が多った。おまけにタチの悪い生き霊もいたので、美言の疲労は通常の倍くらいは溜まっていた。
けれど幻覚を見るほどではないと思いたい。思いたいが、目の前の現状はあまりに現実離れしていて情報の処理がまるで追いつかない。ただ握った剣の柄は金属特有の硬さと冷たさで、そこだけがやけにリアルに美言の感覚を刺激した。
「な、なによこれ」
「聖剣エクスカリバーだ」
「エクスカリバーって……ゲームの中じゃあるまいし。だいたいあなた何者なの? 石から出てくるし、剣は心臓に突き刺さってたし……そもそも……生きてるの?」
この状況に驚いてはいるものの、現状を把握して適切な処置をしようと無意識に動いてしまうのはもはや職業病だ。
実体はあるが、相手が悪霊の類いであるなら即座に祓えるよう、全神経に意識を集中させる。御幣の紙垂は男によって千切られ一本になってしまったが、霊力を込めれば何とかなるだろう。あとでしっかり直してやらなくてはと、御幣をぎゅっと強く握りしめた。おかげで左手に御幣、右手に聖剣を持つ巫女という宗教の入り混じった女が完成してしまった。
「無論、生きている。俺はアルトリウス・ヴィルオルセン。聖剣エクスカリバーの護り手だ。勇者、お前の名は?」
「素性のわからない相手に名前なんて教えられないわ」
「さっき名乗っただろう。聞こえなかったのか?」
「ちゃんと聞こえたわよ。アルトリウスって言う長ったらしい名前がね。でもそう簡単に名前は教えられない」
名を知られるということは、支配されるのと同じこと。相手が美言にとって害のない存在であるとわかるまでは、そう簡単に名乗るわけにもいかないのだ。ちゃんと自己紹介をした男に対して礼を欠くことに若干の良心が痛んだが、祓い屋として線引きはちゃんとしていた方がいい。
そう思っていたのに、不意に家の方から父親である雅就の声がした。
「美言ー。さっき大きな声が聞こえたが、何かあったのかー?」
「わあぁぁっ! お父さん、名前呼ばないでーっ!」
のんびりとした雅就の声がだんだんとこちらに近付いてくる。美言ほど霊力は高くないが、それでもこの神社の宮司を務めている雅就も低級の悪霊くらいなら難なく祓えるだけの力を持っている。アルトリウスと名乗る男が悪霊である可能性は低そうだが、父と二人で力を合わせれば追い払うことができるかもしれない。
けれど父を呼ぼうとするより先に、巨石の罅割れる鈍い音が美言の声を遮った。
「石が……!」
何十年も変化のなかった石に、縦一本の鋭い罅が入る。なおも深く罅割れる石に限界を超えたしめ縄がぶちぶちと音を立てたかと思うと、間を置かずに巨石が縦真っ二つに割れてしまった。
「そんな!」
割れた石の中から大量の黒い瘴気があふれ出し、辺り一面が夜とは違う不気味な闇に覆い尽くされていく。さながら突風のように吹き荒れる瘴気は鎮守の森を大きく揺らし、空高くまで渦を巻いて伸び上がったかと思うと四方へバラバラに弾け飛んでいった。そのうちのひとつが美言の前にこぼれ落ち、周囲は再びねっとりとした不気味な瘴気に包まれていく。
聞いたことのない獣の声がした。同時に瘴気が大きく揺らめき、その中に隠れていたものが美言の前に姿を現した。
右手に剣。左手に盾。緑色の硬い鱗で覆われた屈強な体。唖然とする美言の前にいたのは、二足歩行の大きなトカゲだった。
「ト、トカゲ男!?」
「リザードマンだ」
「そう! それ!」
ゲームでよく見かける敵キャラと似たような見た目のトカゲ男が、瘴気の中から次から次へとあふれ出してくる。驚いてる間に周囲はリザードマンで埋め尽くされてしまい、美言たちは完全に逃げ場を失ってしまった。
「ちょっと……。これ、どうするの……?」
「お前なら倒せるはずだ。勇者ミコト」
「勇者じゃないってば!」
「聖剣を使え。低級の魔物くらい、一薙ぎで倒せる」
「そんなこと言われても、剣が重すぎて持ち上げられないんですけど!」
右手に持った聖剣の剣先は地面にずぶりとめり込んでいる。御幣を帯に差し込んで両手で持つと剣は抜けたが、それを持ち上げるほどの力が美言にはない。強いて言えば水を張った大きなバケツくらいの重さで、がんばれば一回くらいは振り回せるかもしれないが、敵を相手に戦うのは無謀というものだろう。
「あなたが使ってよ」
「俺では聖剣の力を引き出せない」
「剣で斬ることくらいはできるんじゃないの?」
「斬ったところで、時間をおけば魔物はまた復活する。完全に倒すには聖剣を使うしかない。本来なら選ばれた時点で剣が使い手に馴染むはずなのだが……魔力の質が違うのか、あるいは量が足りないのか」
アルトリウスの言う魔力というものが美言の霊力の話なら、確かに今日は祓い屋の仕事を終えて心身共に疲弊している。試しに霊力を練り上げてみたが、いつもの半分にも届かないほど弱々しい力しか聖剣に流し込めなかった。
「わぁっ! な、なんだ、君たちは!」
リザードマンの壁の向こうで、雅就の声がする。さっきの異変でこちらに歩いてきていた雅就が、タイミングの悪い時に神社裏へ到着したのだ。美言たちを取り囲んでいたリザードマンの一部が、標的を雅就に変えて動き出す。
「お父さん!」
「美言! そこにいるのか!?」
「逃げて! こいつらは私が何とかするから!」
そう叫んで、美言は聖剣を無我夢中で持ち上げた。残り少ない霊力を柄から剣に送り込むと、ほんの少しだけ重さが軽減されたような気がする。それでもリザードマン相手に振り回すには到底及ばず、剣は斜め下に向いたままだ。
まるでホウキを手に庭掃除をする巫女のよう、いやゴルフクラブを持つ巫女と言った方が近いかもしれない。この剣で敵を倒す自分などまるで想像できなかったが、絶体絶命の状況を覆すことができるなら意地でも剣を振るってやると、美言は歯を食いしばって覚悟を決めた。
「仕方ない。手伝ってやる」
呆れたような声が聞こえたかと思うと、美言の体がくんっと真後ろに引き寄せられた。アルトリウスの胸に背を預ける形で抱き寄せられ、背後から腕を回される。そのまま聖剣を握る美言の右手を上から強く掴むと、アルトリウスはいとも簡単に聖剣を持ち上げてしまった。
「わっ……」
「お前は聖剣を落とさないことだけに集中していろ。動かすのは俺がやる」
そう言うが早いか、アルトリウスは美言を伴ってリザートマンの群れめがけて走り出した。
耳のすぐそばで風を斬る音とリザードマンの潰れた悲鳴が聞こえる。正直美言は何が起こっているのかわからなかった。状況を把握する前に体がアルトリウスに引きずられ、目を開ける余裕もない。右に左に体を引っ張られ、まるで嵐のなか翻弄される小さな船に乗っているかのようだ。
あまりの激しさに目が回って吐きそうだ。けれど右手の力だけは緩めず、美言は残り少ない霊力を必死にかき集めて剣に送ることだけに集中した。
たんっ、と体が大きく跳ねた。途端感じた無重力状態に思わず目を開くと、揺れるポニーテールの毛先の向こうに七楽町の街並みが見える。
「えっ? と、飛んでる……っ!」
「黙っていろ。舌を噛む」
握られた手の甲から、何か今まで感じたことのないような力が流れ込んでくる。美言の持つ霊力でもなく、悪霊が放つ邪気でもない。はじめて触れる未知の力ではあったが、それは美言が握る聖剣から伝わるものと同じ波動をしていた。
おそらく、彼らにとっての力の源。魔力と呼ばれるものだ。さきほどアルトリウスが言っていた、互いの魔力の質が違うというのはこういうことなのだろう。
とはいえ、質が違いすぎる。美言の霊力はどちらかというと霊感に近いものだ。霊の姿を目視し、その力を言霊に乗せて祓う。力のない者から見れば美言の能力も不可思議に映るだろうが、アルトリウスが操る力の比ではない。宙に浮くこともできなければ、魔法陣を盾にして敵の攻撃を弾き返すこともできないのだ。
「あなた、本当に何者……」
「行くぞ、ミコト。最後だ」
促され視線を眼下に向けると、残ったリザートマンが一箇所に集まっていた。アルトリウスがさきほどから空をぐるぐると駆け回っていたのは、地上のリザードマンたちを誘導するのが目的だったようだ。
宙に浮けない彼らは、上空の美言たちめがけて鋭い棘に変化させた鱗を飛ばしてきた。それらを難なく魔法陣で防ぎきると、アルトリウスは美言の剣を握る右手を更に高く振り上げた。
「聖剣に力を込めろ」
霊力はすでにカラッカラだ。それでも何とか最後のひとしずくを絞り出すと、心なしか聖剣の輝きが増したような気がした。
「上出来だ」
背後で、アルトリウスが静かに笑う気配がする。それを確かめる間もなく、美言の意識がついに限界を迎えた。
視界が黒く霞んでゆく。霊力が底をついてしまったのだ。それでも聖剣は離すまいと、必死になって右手にぎゅっと力を込めた。同時に腰に回されたアルトリウスの左腕にも力が入り、二人の体が隙間なくぴったりと重なり合う。
背に感じるぬくもりは、まるで体を包み込む布団のようだ。――と、そう思ったのを最後に、美言の意識はそこでぷっつりと途切れてしまった。