聖剣に選ばれし者
六畳一間の質素な室内に、ろうそくの灯りが揺れている。結界を張った部屋の中に満ちるのは腐臭だ。人間に取り憑いた悪霊が放つ、負のにおい。何度嗅いでも慣れることのない悪臭に心の中で嘔吐きながら、美言はそばに置いていた愛用の御幣――木の棒に二本の紙垂を付けたもの――を手に取った。
「悪霊退散!」
依頼人の女性、その背後に向かって御幣を振る。紙垂の乾いた音にまぎれて、彼女に憑いた悪霊の呻き声が室内に木霊した。その声が聞こえるのは美言だけで、依頼人の女性は何が起こったのかわからない様子で目を瞬いている。けれども明らかに体の変化はあったようで、文字通り憑き物が落ちたように晴れやかな表情を浮かべていた。
「もう大丈夫です。あなたに憑いていた悪霊は無事祓いました」
「……本当だわ。体が軽くなってる!」
「体質的に憑かれやすいようですのでお守りも用意しました。私が言霊による念を込めているので、肌身離さず持ち歩いてみてください」
「ことだま?」
「言葉が持つ力のことです。発した言葉通りに導く力があるので、こうなったらいいなって思うことは積極的に口に出して言ってみるといいですよ」
「そうなんですね。ありがとうございます」
女性に渡したお守りの中には、「悪霊はこの人に近付くべからず」と美言が手書きで記した退魔の護符をいれてある。同業者が見れば、護符をメモ紙に使ったような扱いに見えるだろう。けれど今のところ彼らからお叱りを受けたことはないし、お祓いに来た人たちからも悪評を流されたことはない。むしろ「お祓い・神社」をヤプゥで検索すると、トップに表示されるくらいその界隈では有名な方だ。
七楽町の古守白狐神社。ここには、どんな悪霊も言葉で祓う巫女がいる。
それが、神社の跡取り娘である古守美言の噂だった。
「はぁ~。やっと終わったぁ……」
今日のお祓いの予約はさきほどの女性で終わりだ。美言専用に作られたお祓い部屋から外に出ると、空はすっかり赤い夕焼けに染まっていた。まるで血のようだなんて一瞬でも思ってしまったからか、神社の裏手に広がる鎮守の森からカラスが一羽、哀愁漂う鳴き声を上げて飛んでいく。
「あとは石の状態を確認して……っと」
悪霊を祓う際に必ず身に付けている白狐のお面を外し、深呼吸と共に両腕をあげて伸びをする。早くお風呂に浸かって凝り固まった体をほぐしたいところだが、美言にはもうひとつ仕事が残っていた。神社裏に祀ってある巨石の状態を確認しなければならないのだ。何でも大昔に誰かが何かを封じたらしいのだが、詳しいことは何も伝わっていない。ただ先祖が代々守り続けているので、美言も一日の終わりに様子を見ることが日課になっている。
「最近は悪霊に憑かれる人がやたらと多いし……何かの前触れなのかしら」
そんなことを思っていると、神社の裏手から元気な少年の声が聞こえてきた。
「くらえ! イザナギレーザー!」
その声にあわせて「イザナミリフレクション!」と続く別の声もする。聞き覚えのある少年らの声に、美言はがっくりと肩を落として溜息をついてしまった。ただでさえ除霊で体力を消耗して疲れているのに、最後の最後でこれは勘弁してほしい。
「あーなーたーたーちー!」
御幣を袴の帯に差し込んで、空いた両手を腰に置く。仁王立ちをして凄んでみせた美言の前には、それぞれ色の違うおもちゃの剣を持った三人の少年たちがいた。
赤い剣が草薙剣、黄色い剣が八咫鏡、青い剣が八尺瓊勾玉をモチーフにしているらしい。いま子供たちの間で流行っている「八百万戦隊! アマテラッシャー」の隊員たちが持つ武器である。
「げっ! ミコ姉」
「げ、じゃない。ここで遊んじゃダメだって何度も言ったでしょう?」
「そんなこと言ったって、アマテラッシャーの秘密基地は神社の地下なんだからしょうがないじゃん。それに俺たち、いま悪の組織ヤマタノオロチの幹部を倒しに行く途中だから邪魔すんなよな」
「ミコ姉。ヤマタノオロチの女幹部やって! 紙をこう……ぱぁーって飛ばすヤツ」
「だーめ。護符は遊びの道具じゃないの」
美言をミコ姉と呼んでくる彼らは近所の子供たちだ。七楽町はこぢんまりとした田舎なので、住人たちのほとんどはお互いが顔見知りである。
「ハイハイ。いいかげん、遊ぶのをやめて家に帰りなさい。もういい時間でしょ」
「ちぇっ。ミコ姉はノリが悪いんだよな~」
「ノリとかそういう問題じゃないの。そもそもここは関係者以外立ち入り禁止って札に書いてるでしょ。わかる? この石だって本当はとーっても危険なものなんだから、もう二度と近付いちゃダメよ!」
「あんまり口うるさいとモテないぞー!」
「だからいつまで経っても彼氏がいないんだね?」
「そういうのを生き遅れと言うらしいです」
「うるさーい!」
小生意気な少年三人に向かって叫ぶと、彼らは蜘蛛の子を散らすように走り去っていく。
「逃げろー!」
「あ、こら! 待ちなさいっ。次それ言ったら本気で怒るからね!」
「ミコ姉が怒っても全然怖くないもんね」
「それじゃ、またね! ミコ姉。彼氏できたら紹介してね」
「最悪、僕がミコ姉をお嫁にもらってあげても……」
みんな言いたい放題なのに、帰る時はしっかり美言に手を振っていく。それがまた年相応にかわいく見えてしまうので、結局最後はいつも彼らを許してしまうのだった。
「余計な時間食ったわね。さっさと石を見て帰ろっと」
ようやく本来の目的を果たせると石の方へ目を向けた美言は、そこで初めて巨石の異変に気がついた。
石の側面に金色の剣が突き刺さっている。いや、物理的に剣が石に刺さることはないので、刃の一部がしめ縄に引っかかっているのだろう。
「ちょっと、剣忘れてるわよー!」
大声で叫べば、まだ声は届くかもしれない。そう思いながら金色の柄を握りしめた瞬間。
――ぬるん。
まるで板こんにゃくを切るような感触と共に、石の中から銀色の剣身と――そしてその剣に心臓を貫かれた神父服姿の青年が飛び出してきたのである。
「……」
人間、本当に驚いた時には思考が一瞬止まるらしい。石から現れた青年の胸には剣の刃が深々と突き刺さっている。その剣の柄を自分が握っていることを理解するまでに、美言は数秒を要した。
「ぎ……ぎゃああああっ! なっ、なん……なな、なぁぁぁぁっ!?」
「ここは……」
「ひゃぃ!? まだ生きてる!」
むしろ生きてる方がありがたいのだが、心臓に剣を突き刺されたまま平然とされても何だか怖い。咄嗟に剣から手を離そうとしたが、美言の右手は青年本人の手によってガッチリと固定されてしまった。
「ちょっ……やだ、離して!」
「やっと見つけた」
グイッと顔を近付けてきた青年のとんでもない美貌に思わず胸がキュンと鳴ったが、それとこれとは別である。心臓に剣を突き立てられても生きている時点で人ではないし、何より銀髪に金色の目をした人間なんてファンタジーの世界でしか見たことがない。
「離してったら! イケメンだからってやっていいことと悪いことがあるのよ!」
「イケ……? 何を言っている。そんなことよりお前、これを」
「悪霊退散! たいさーん!」
掴まれていない方の左手に御幣を持って、青年の顔の前で激しく振り回す。ばっさばっさと乾いた音を立てて揺れる紙垂が青年の美貌を容赦なく打ち付けた。
「何だ、これは……ぶふっ!」
「あれ、効かない? 悪霊じゃないのかしら……。悪霊退散だってば!」
霊力を込めて言霊を発するも、この美しい男にはまったく効果が見られない。ならばもっと強く霊力を込めなければと、美言は更に激しく御幣を振った。
「おま……いい加減に、ぶへっ! あぁ、くそっ」
容赦なく顔を打ち付ける紙垂を青年が煩わしげに引っ掴んだ。
「邪魔だ!」
ブチィッと音を立てて、紙垂が青年によって引き千切られる。同時に美言の堪忍袋の緒もブチィッと切れた。
「ヘイちゃんに何するのよ!」
ヘイちゃん――紙垂を引き千切られた御幣は、美言が除霊をするようになってからずっと使ってきた、謂わば相棒のような存在だ。今までずっと美言の霊力を込め続けてきたおかげで、古いながらも替えの効かない唯一無二の除霊道具でもある。
それを無碍に扱われては、いくらイケメンとて許せるものではない。怒りのあまり、美言は青年の体を力一杯突き飛ばした。
その拍子に青年の胸から金色の剣がスポンと抜ける。パァァッと辺り一面がまぶしい光に包まれるなか、思わず目を閉じた美言の耳に青年の声が届いた。
「やはり勇者だったか」
「え? なに?」
「聖剣に選ばれし者。お前は唯一、聖剣エクスカリバーを扱える勇者だ」
「はぁぁ!?」
あまりの電波発言に、美言の素っ頓狂な声が響く。それに合わせて光が緩やかに薄れてゆき、美言の視界に薄暗い夜に包まれた神社の景色が戻ってくる。
向かい合う美言と神父服を着た銀髪の青年。美言の右手には、抜きたてホヤホヤの聖剣エクスカリバーがしっかりと握られていた。