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無題

作者: 夏野簾

時折、ガリガリと頭を掻きむしりたい衝動に駆られることがある。けれど、僕はそれをしない。きっと、痛がって掻きむしることすらできずやめてしまうんだろうな、ということが薄々分かっているからだ。

 爪を皮膚に突き立てれば、当然痛い。それほど伸びていない爪だって、ぎゅっと力を込めれば血が滲んでくることもある。それがわかっているから、衝動に身を任せられないし、やってみたところで、その衝動は痛みの前に消え去ってしまうだろう。

 大声を出してみたい、と思うこともある。けれどやらない。誰も周りにいないことがわかっていても、なんとなく、気恥ずかしいからだ。

 あぁ、自分はなんてつまらない人間なんだろう。衝動に身を任せることができず、自らを破壊することもできないなんて。いや、そもそもの話、僕が感じている衝動は決して衝動ではない。けれど、そこから目を背けて衝動ということにしたい。そういった、僕という人間の尺度からはかられる“おかしい”ということへの渇望と、同時にそれへと委ねることができず、ただ只管時が過ぎていくのを待つだけ。

 本を読んでいると、有名な学者だったり文学者だったりが薬をやってることを自伝的に語ってるものに出くわすことがある。そうでなくても、小説でやけにリアルなそういった描写が描かれていることもある。それがたとえ創作なのだとしても、僕はそれを目の前に突きつけられると、自分がひどくつまらない人間に思えてしまうのだ。

 人生は一度きりで、もう一回はない。にも関わらず、誰が作ったかもわからないなにかに縛られてしまう。あるいはそれを常識というのだろうか。それとも規則、ルールだろうか。

 知らず知らずのうちに、僕はそれにがんじがらめにされてしまって、ひどく一般的な尺度から物事を眺めてしまう。そうしたときに、やはりガリガリと頭を掻きむしってみたい衝動に襲われるのだけれど、僕の中の常識的な部分がそれを拒否してしまう。むしろ、そうしたものに囚われているからこそ、掻きむしりたくなるのかもしれない。そうすれば、僕は少しだけ道を踏み外すことができるのだろうか。

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