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現人神様は〝遊び〟がお気に入り

作者: 屋島夜鷹

「さて、勉強勉強…」


 いつもの様に机に向かって教科書を開く。シャーペンを手に取って書き込みを開始。中間テストも迫っているのだ。余裕は無い。無いのだが。


『ピンポーン』


「来たか」


 俺にとっては日常茶飯事となりつつあるチャイム音。勉強の妨げとなっていて良い迷惑なのだが、何故か不快感は感じない。玄関へと辿り着き鍵を開けてドアを開くとそこには。


「あ、こんにちは。霧嶺さん」


「今日も遊ぶか?科代(しなしろ)


「…出来れば。もしかして、迷惑でしたか!?」


「いや、暇だったしな。入れ」


 ドアの前に立っていたのは一人の少女だった。少女、科代は俺の言葉に安堵した様に胸を撫で下ろすと部屋の中へと入って来た。鞄を置いたところで互いに座って真正面から向かい合う。俺は改めて思った。


(…本当に美人だな)


 少女は言うなれば美少女だった。少し淡い水色の長髪は見る者の目を奪い、大きな瞳は多くの者を虜にし、整ったスタイルは男達を容易く意中に出来るだろう。そして何よりも予想していなかったのは、そんな美少女が俺の家に週四ペースで入り浸っている事だった。


「今日は何をするんですか?」


「これだよ。トントン相撲」


「トントン相撲?」


「知らないのか?互いに土俵の両端を叩き合って相手の力士を倒した方が勝ちだ」


「面白そうです!やってみましょう!」


 トントン相撲が開始。俺は相手の動きを見つつ慎重に攻めていく。一方、科代はやはり慣れていない様で叩いている手がぎこちない。よくよく見てみると本人の口が動いている。何をしているのか、少し耳をすませてみると。


「………頑張って下さい…!」


 紙の力士を応援していた。天然すぎやしないか?


 …にしても本当に良い表情をする。元々俺は他人には興味を持たない性質(たち)だった。最低限関わる奴とだけ会話していれば良いと思っていた。


 そう、科代と出会うまではーーーーー






























「は!?二位とか化け物かよ!?」


「人の成績表を勝手に見るな」


 前の席の友人に奪われた成績表を取り返して机の中に入れる。高校生活、及び一人暮らしが始まってニ週間。洗礼とも言うべき課題テストの結果が返却されて、悲喜交交の声が教室内に響いていた。


「でも良いよなー頭良いって。二位とか勝ち組じゃん」


「俺は満足してないけどな」

 

 そうだ。俺は満足していない。一位こそ勝者。それ以外は敗者だと俺が考える様になったのは小学三年の頃からだ。空き時間は全て自習に回し、睡眠時間も削り交友関係も減らしてただただ勉強してきた。一時期本気で親に心配されたほどには。今年からは念願の一人暮らし。より一層勉強が出来ると張り切っていたのだが、結果はまさかの二位。満足してたまるか。


「まさかお前()()()()に勝つ気なのか?」


「その呼び方恥ずかしくないのか?高校が始まってまだニ週間だぞ」


「分かってねえな。ニ週間でそんなあだ名が付くからすげえんだろ。お、噂をすれば」


 教室の目が一斉にそちらへと向く。教室の中に入って来た一人の少女に視線が集中。美しい淡い水色の長髪は、まるで物語か何かから飛び出して来た様で。男達は瞬く間にその美貌の虜となってしまってもおかしくない。


 こいつこそ俺から開幕テスト学年一位という勲章を奪い取った張本人。科代魅羽だ。


「やっぱ風格が違えな。科代グループの一人娘は」


 科代グループ。日本でも有数の大企業の一つ。そこの一人娘こそ科代魅羽。その特徴はと言うと…


 頭脳明晰!品行方正!容姿端麗!


 完璧を塗り固めた様な少女だ。確かにこいつの言う通りニ週間で現人神という呼び名が付くだけの事はあるかもしれない。


(でも、同じ人間。それどころかあいつは休み時間に勉強してる素振りも無い。大企業の娘なんだそこまで夜遅くまで起きていられる訳でも無いだろう。量なら俺が勝っている筈だ。…となるとやはり質か。もっとだ。もっと追い込んで中間でこそ俺が一位になる)


 対抗心を燃やす俺の気も知らず科代は楽そうに友達と談笑しているのだった。






























 授業が終わり、俺はいつもと違う道で帰宅する。昨日マップで調べた結果少々人通りは少なくなるが、この道だと五分程早く家に着くらしいのだ。俺にとって五分の差はかなりデカい。見慣れない道をひたすら進んでいると、子供達の声が響いて来た。これといった店も見当たらないのに何があるのだろうか。辺りを見回すと一つの店が視界に入った。


「おばちゃーん。これちょうだい!」


「はいはい。三百円ですよ」


(…駄菓子屋?)


 そこには、現代ではあまり見かけなくなった木造建築の駄菓子屋があった。如何にも昭和といった感じだが、思いの外賑わっている。いつの時代も子供達から安定の人気を確保しているのだろうか。まあ、俺には関係無い事だ。


「おばちゃーん。このクルクル回るやつ何て名前?」


「ええと。何だっけねえ。お嬢ちゃん。これ何か分かるかい?」


 俺には関係無い事だ。


「あ、それはクルクルスピンリングですね」


「ああ、そうだったそうだった。ありがとねえ。」


 …聞き覚えのある声だな。まあ、俺には関係無い…


「お姉ちゃんの髪サラサラで水色で綺麗だね!」


「フフ…ありがとうございます」


 事だ!?慌ててそちらを振り向くと、


「あ」


「あ」


 あろう事か、そこにいたのは紛れも無く科代魅羽本人だった。
















「………」


 気まずい。俺達は駄菓子屋を後にして近くの公園のベンチに二人して腰掛けている訳だが………何せ女子と二人きりという経験をした事が無い。しかも相手はクラス一の美少女。何を話せば良いんだ。


「あのー…」


「…何だ」


「霧嶺造さんですよね?同じクラスの」


「あ、ああ」


 まだ始まって一週間だぞ?コイツが俺の名前を覚えているとは思いもしていなかった。また沈黙が流れる。すると科代が意を決したかの様に立ち上がり、俺の前まで来るとガシッ!と俺の両手を掴んだ。………は!?


「お願いします!この事は家には黙っていて下さい!バレてしまったらきっと二度とあのお店には行けなくなっちゃいます!私に出来る事なら何でもしますから!あ、そうだ!男子高校生の方って確かお金不足になりやすいんですよね!?私の口座から下ろせる限りのお金を下ろしてくるのでどうかこの事だけは…!」


「いや待て待て待て!話が飛躍しすぎだし金なんか無くても別にお前の家族に密告するつもりは無いから安心しろ!!」


 どうにかして否定すると科代はジーーーッと俺の顔を見つめてからようやく安心したらしく手を離して俺の隣に腰を下ろした。


「良かった〜〜〜。私、本気で焦ってたんですよ?何せ家族には図書室で自習するって嘘を吐いてまで駄菓子屋で遊んでましたから…バレたら大目玉です」


「…なあ」


「はい?」


「黙っておく代わりに、って訳じゃ無いが一つ聞いて良いか?」


「何でしょうか?」


「どうしてそんな嘘まで吐いて駄菓子屋に?菓子なら幾らでも注文出来るだろ」


 本音を言うなら納得出来ないというのもある。少なくともこのニ週間コイツは嘘を吐いてまであの駄菓子屋に入り浸っていた訳だ。放課後に勉強していないならいよいよ学習時間は限られてくる。どうしてそんな奴に一位が取れる。


「…私、昔からお父さんとお母さんに教養を叩き込まれているんです。この会社を継ぐ為に必要な事だって。別に恨んだりはしてませんよ!?二人共私の事を想ってやってくれている訳ですし。ただ、」


「ただ?」


「窮屈なんです。交友関係に口を出された事はありませんが放課後遊ぶのは駄目だったり。連絡先を交換するのは自由だけど家に呼んだりするのは禁止されたり。中途半端な禁止事項ばかりでこれまで親友って呼べる人が出来た事が無いんです」


 少し、同情に値する話だったかもしれない。どうせならば外界との関わりを完全に絶ってくれれば良いものの。親のどこか半端な優しさがコイツの交友関係を阻害してしまっていたのだろう。


「それで、高校に入ってからはほんのちょっとだけ自由になったので気晴らしにいつもと違う道で帰ってみたんです。そしたら、あの駄菓子屋を見つけて。見た事の無いお菓子に暖かい空間。はっきり言って、癒されました」


「…それは良かったな」


「はい!でも、それ以上に嬉しかった事があって、あ、あれです!!」


 テンションの上がった科代が指差す先には、件の駄菓子屋が。目を凝らして見てみると、その店先に設置された椅子に座った子供達がボードゲームらしき物で遊んでいた。


「あれか?」


「はい!私、この世にあんなに楽しいおもちゃがあるなんて知りませんでした!だから今は駄菓子屋に寄ってお婆ちゃんの手伝いをしつつ子供達と遊んでいるんです!凄いんですよ!色んなゲームがあって…どれもこれも面白くて…」


「スマホゲームじゃ駄目なのか?」


「機械には疎くて…それに、スマホの中身は親がチェックしてますから」


 やはり大企業のご令嬢なだけはある。情報社会の現代でスマホに疎いというのは致命的な気もするが、余計な情報を大切な一人娘に与えたくないという事からなのかもしれない。にしても、ああいうボードゲームがそんなに好きか。何なら………あ、そういえば。


「ああいう玩具ならウチに腐る程あるぞ」


「え?」


「親父が昔ながらのゲームを収集する癖があってな。どんどんどんどん家に持って帰って来る。母さんはそれにうんざりしてて俺の一人暮らしを機に一斉に捨てようとしてたんだ。で、危険を察知した親父が俺にいつか取りに行くからって押し付けてきたんだよ」


 捨てられると分かっている物を何故買って返って来るのか昔から理解出来なかったが、折角の一人暮らしで荷物を増やされたのは流石にイラついた。とはいえ黙って捨てるわけにもいかず無為に場所を盗られているのが現状だ。


「まあ、お前には関係無い事だったな。忘れてく…」


 ふと科代を見る。キラキラと輝く瞳で俺を見上げ、だらしなく開いた口元からは少し涎が垂れてしまっていた。目は口ほどに物を言い、とは言うがもうこれはそんなレベルでは無いのでは………?


「あー………ウチ来るか?」


「ふぇ!?」


 驚いた様に科代が背筋を正す。…不味い事を言ってしまっただろうか。というか普通に考えたら不味い!!偶然出会っただけの喋った事も無い同級生に急にウチ来るか?とか怪しすぎる!!ヤバい!今すぐ取り消さないと不審者になって明日からの学校生活に支障が出る!


「待て!今のは他意は無くて…いや、ええと、何にせよ忘れろ!忘れてくれ!俺は帰って勉強する!!」


「あ、あの!」  


「何だ!」


「…行っても良いんですか?」


「………え?」


「お家、お邪魔しても良いんですか?」


「あ、ああ」


 かくして。俺は現人神を家に招く事となったのだった。
















「すぐに片付けるから少し待っててくれ」


「はい!」


 ドアを閉める。台所へ行き水を一杯飲んで一息吐く。フウ……………さて…………………………………………………


 何この状況!?美少女が俺の家の前に!?人生初がすぎるぞ!!と、とにかくあのガラクタの山から何か目ぼしいおもちゃを………これで良いか?いや、もうこれしかない!!


「入って良いぞ」


「し、失礼します!」


 玄関の先で健気に待っていた少女を中へと招き入れる。無骨な男の一人暮らしの部屋に突如として女神が舞い降りた様だ。…何故現人神様だなんて呼ばれているのか少しだけ分かったかもしれない。緊張を見せるな。平静を装うんだ。


「えへへ。私男の人の部屋に入ったの初めてなんですよ。緊張しちゃいますね」


 追い討ちをかけるな!


「あ、これ…オセロですか?」


「ああ」


 俺が選んだゲームはオセロ。シンプルにして原点。少々無難なチョイスだが下手に勝負に出てスベるよりよっぽどマシだ。


「ルールは分かるか?」


「分かりますけど、やった事は無いので楽しみです!」


 さて、ここでやった事は無いという言葉に騙されてはいけない。何せコイツは学年一位。素で頭が良いのだ。オセロの様な戦略ゲームは得意な筈。初心者だからと舐めて掛かれば返り討ちにされる。だから、


「悪いが手加減はしないぞ」


「ええ、望むところです!」


 学年一位、科代魅羽。この戦いでこいつの頭脳の一端を解き明かせるかもしれない。


 〜五分後〜


 碁盤は黒一色になっていた。ちなみに黒は俺の持ち石だ。


「負けちゃいました…」


(簡単に勝てた…)


「もう一回!もう一回やって下さい!!」


「別に構わないが…」


 その後。俺達は何回も、何十回も対局したのだが…


「俺の勝ちだな」


「ですね…もう一回!もう一回だけ…」


「時間は大丈夫なのか?」


「あ、そうでした!もう帰らないと……フフ」


 科代は口元に手を当てて小さく笑い声をあげる。それだけで絵になるのは純粋にズルいと思う。というか、何がそんなにおかしいのだろう。


「何で笑ってるんだ?」


「楽しいんです。こうやって誰かと一対一で遊ぶのが初めてだから」


「負けてるのにか?」


「少しは悔しいですよ?でも、でも、やっぱり嬉しいんです!勝っても負けても、楽しいのが一番ですから!」


 玄関先で鞄を科代に渡す。彼女は恭しくお辞儀をするとドアノブに手を掛けて開き、出て行く、その直前。ジーーーッと憂いを帯びた瞳で俺を見つめてきた。俺はそれの意図するところが分かり内心溜め息を吐きつつも、彼女が望んでいると思われる言葉をかけてやる事にした。


「また来ても良いぞ」


「!本当ですか!じゃあ、是非お願いします!」


「本当に遊びたくなった時だけな」


「はい!また明日学校で!」


 最後までただただ楽しそうな笑顔で科代は去って行った。


「…早く勉強しないとな」


 俺は勉強する為に部屋の奥へと戻る。でも何故だろうか。彼女の楽しいのが一番という言葉が、頭から離れなかった。


 それから更に一ヶ月ほど経った。


 本当に遊びたい時だけという約束は何だったのかというくらい科代はウチに来た。それこそ週四ペースで。俺も最初は難色を示す様に心がけていた。だが、俺が新しいゲームを持ち出す度科代は楽しそうに、嬉しそうに、笑顔を絶やす事無く遊び続けているのだ。


「これは!?これはどうやって遊ぶんですか!?」


「混乱するな!金はどれだけ進んでも裏返らないんだよ!」


「うわ!剣を刺したら海賊が飛び出して来ました!故障ですか!?」


「そういう仕様だ!気にするな!」


 そんな日が続いた結果、学校においても変化が起きた。それもかなり大きな変化が。そう。


「霧嶺さん!次の音楽室に一緒に行きませんか?」


「え、あ…ああ」


「ほら、行きましょう!」


 科代が教室でも積極的に話しかけて来る様になってきたのだ。周りがざわつき始める。俺の前の席の友人に至っては愕然としている様だ。


「科代!ちょっと来い!!」


「はい?」


 俺は無理矢理科代の手を引いて教室外へと連れ出す。背中に突き刺さる視線が痛い。廊下に出ると辺りに人がいない事を確認して俺は科代に説教を開始する事した。


「あのなあ、科代。その…悪い事をしている訳じゃないんだが、学校で堂々と話し掛けてくるのは止めてくれないか?」


「え、どうしてですか?」


「その…視線が気になって勉強に集中出来ないんだよ。中間テストも近いからな」


「分かりました…でも何で皆さんこちらを見てるんでしょうね?」


「さあな!」


 捨て台詞の様に吐き捨てて俺は教室へ戻る。顔見知りの男達が絡んで来る中、俺は科代の無自覚さに歯痒くなっていた。


 廊下に一人残された科代は。


「霧嶺さん…」


「ワ!」


「うひゃっ!?」


 科代の背中を誰かが勢い良く叩く。振り返って見てみればそこに立っていたのは科代の友人の一人、真岸(まきし)だった。


「真岸さん!?びっくりしちゃいました…」


「ヤッターーーッ!私の勝ち!」


 勝ち負けの基準が分からないが真岸がえらく楽しそうなので科代は良しとする事にした。


「あ、そうそう!科代ちゃんに聞きたい事が出来たんだ!」


「何ですか?」


「霧嶺君と付き合ってるの?」


「………………………へ?」


「最近仲良さそうに喋ってるじゃん。ねえねえ!どうなの?」


「つ、付き合ってるなんて…そんな…そんな…そんなの、分かりません!」


 科代は顔を真っ赤にして逃げる様に音楽室へと走った。何故自分がこんなにも恥ずかしい気持ちになっているのか分からずに。ちなみに、真岸は。


「………トイレかな?」


 何も分かっていなかった。































「来たか。まあ、入れ」


「…お邪魔します。」


 日常生活の一部に組み込まれつつある科代との遊び。ただ、何だろうか。どこか元気が無い様な…


「あの!」


「うお!?」


「私、迷惑ですよね!?」


 急に大声を出したかと思ったら意味不明の事を聞いてきた。当の本人は至極真面目な表情をしており何処と無く事の重大性を匂わせていた。


「今日、真岸ちゃんに私達が付き合っているのか聞かれたんです」


「はあ!?」


「それで霧嶺さんの言っている意味が分かって、思ったんです。周りからそんな風に見られてるって事には霧嶺さんも気付いてる。良くない噂だって立っちゃいますし…迷惑しか掛けない。だから、終わりにします。もうここには来ませんし、学校でも関わりません。でも…最後に聞かせて欲しいんです。私は迷惑でしたか?」


「………」


 今にも泣き出しそうな科代。根がどこまでも真面目で謙虚なんだろう。………ふざけるな。何で科代が思い詰めなきゃならない。俺は…俺は…


 俺は、科代の笑ってる顔が好きなのに。


「ああ。迷惑だよ」


「!…ですよね。短い間だけど、ありがとうございました。…失礼します!」


「話を聞け。迷惑なのは勉強時間が減るからだ。周りの奴らにどう思われようと何て噂されようと知った事じゃ無い」


「…え?でも、勉強の邪魔をしてる事には変わりありませんし、やっぱり…!」


「そして勉強の問題も解決した。来い」


 俺は不安そうな科代を部屋の奥へと誘う。戸惑いながらも俺の後に付いて来ている事を確認して、俺は先へと進んだ。


「これだ」


「…これは?」


 そこにあるのはいつも俺達が遊びに使っている机と椅子だ。ただし、向きが変わっていて横に小さな机が新たに設置されてある。机の上にはちょこんと一つのおもちゃが乗っていた。


「けん玉ですか?」


「そうだ。一応俺はこれが得意でな。そっちの机で勉強しとくから時々アドバイスをやる。困った事があったら聞け」


「は、はい!」


 科代は興味深そうにけん玉を手に取って見つめる。俺はその様子を視界に収めながら勉強を開始した。最初の五分ほどはオドオドしていた科代も好奇心が勝ったのだろう。やがて、けん玉で遊び始めた。苦戦しつつも俺のアドバイスも合わさって、十五分ほどで大皿に乗せられる様になった。


「やった!出来ましたよ、霧嶺さん!」


「ああ。その調子で上の棒にも刺してみろ」


「はい!」


 …やっぱりだ。やっぱり科代は、笑顔が良く似合う。


 〜一時間後〜


「えい!ああ…」


 けん玉を始めて一時間ぐらい経っただろうか。私は目の前の赤い玉と木で作られたおもちゃに苦戦していた。昔からこうだ。一人で張り切って、空回りして。そして、皆私から離れていく。理由は何となくだけど分かっていた。関係が浅いからだ。親の意向で一定以上人と親しくする事が出来ない。〝友達〟にはなれても〝親友〟にはなれない。いつもいつも煮え切らない態度しかとれない。


『科代ちゃんってつまんない!』


 小学校低学年の頃だ。友達だと思っていた子からそう言われたのは。不思議とショックでは無かった。いずれ言われるだろうと思っていた。でも、とても哀しかった。


 高校生になったところで、それは変わる事の無い現実だと思っていた。つい、一ヶ月前までは。


「…霧嶺さん」


 霧嶺さんは優しい人だ。一ヶ月も私の我儘に付き合ってくれて。嫌な顔一つしないでくれて。こんな私を、受け入れてくれて。彼のお陰だ。〝遊び〟を、やれるのも。〝遊び〟を、楽しめるのも。〝遊び〟を、好きでいられるのも。


「フウ…」


 大きく息を吸って吐く。少し膝を曲げて重心を安定させる。手首を下から上へと一気に振り上げて!


「…出来た?出来た、出来ました!出来ましたよ、霧嶺さ…」


 彼が勉強している筈の机を見ると、霧嶺さんはスウスウと寝息を立てていた。机に突っ伏したまま。とても安らかな寝顔で。


「………霧嶺さん」


 私は何かに吸い寄せられる様に彼の元へと向かう。…可愛い。何だろう、いつもしっかりしている霧嶺さんの無防備な姿を見ていると何か心に来る物がある。彼には感謝しかない。私は臆病になっていたのだ。拒否されたらどうしよう。嫌われたらどうしよう、と。嫌われるのはまだ良い。それを本人の口から聞かされるのが嫌だ。だから私は霧嶺さんに迷惑かどうかを聞いた。迷惑だとはっきり言われれば、私も未練無くお別れ出来るから。でも、彼はそんな人間では無くて。

 

 …今からする独白は私の身勝手だ。自己満足だ。本来なら彼の起きてる時に言うべき事。ただ…やっぱり少しだけ怖い。怖い…というか恥ずかしい。人にこんな事を面と向かって伝えるのは初めてだから。顔が熱くなる。挫けるな。私は、変わらなきゃいけないんだ!


「霧嶺さん、大好きです」


 …………………………あっれぇ!?


 私、ありがとうって伝えるつもりだったのに!何!?大好きって何!?あ、そっか!親友だからだ!私は霧嶺さんと親友になりたいんだ!大好きっていうのは親友としてってことだったんだ!!!


 納得して私はまた霧嶺さんの寝顔を眺める作業に戻る。…でも。親友として好きなだけなのに、どうしてこんなに胸がドキドキするんだろう?
















「…ン」


「霧嶺さん、おはようございます」


 目覚めると横に現人神がいた。


「ってうお!?」


「ぐっすり眠れましたか?」


「…え?あ!そっか…俺寝落ちして…」


「もう時間なので、私帰りますね」


「あ、ああ。鞄玄関まで持ってくよ」


 何故だろう。科代の機嫌が良い様に見える。今に鼻歌でも歌い出してしまいそうだ。俺が寝てる間に何かあったのだろうか。アレコレ思案している間に玄関へ着いてしまった。


「じゃあ、また明日遊びに来ますね!」


「…え?」


「もしかして迷惑でしたか!?」


「いや、そうじゃなくて。お前が遊びに来るって宣言するの初めてだよな。いつも来ても良いですか?って質問してくるのに」


「フフ、私だって成長するんです!」


 状況がよく飲み込めないが科代が楽しそうなら何よりだ。


「また、明日な」


「ええ。また明日」


 科代はとびっきりの微笑みを浮かべて部屋を出て行った。………。…最近アイツがいなくなると一抹の寂しさを感じている俺がいる。そういや、科代が泣きそうな時に俺、何て考えた?科代の笑ってる顔が好き?………はあ!?


 いやいやいやいやいや!確かに可愛いし愛嬌あるし見てるだけで何となく癒されるけども!…分かった!これは親友としての好きだ!アイツが俺の事を親友だと思っているかどうかは定かでは無いが俺の好きは恋愛の好きでは無いのだ!


 …まあ、感謝はしてる。科代と遊ぶ内に、俺も勉強でどことなくゆとりを持てる様になったから。


「さて、後片付けを…ん?」


 小さな机を片付けようとして俺は気付いた。机の上に、ちょこんとけん玉が乗っている事に。それも、赤い玉が木の棒に刺さった状態で。


「…やるじゃねぇか」


 俺は口元を綻ばせながら片付けを始める。明日はどんな遊びを用意してやろうか。そんな事を考えながら。

 二人が結ばれるまでには当分かかりそうですね。


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