第94話「分岐ノ少女」
黒髪の青年が、苦手な猛暑の日差しに照らされ、膨大な数の木箱を運び、体力を消耗していた頃。
白銀の少女は、村長の屋敷で、エプロン姿のリラを目の前にしていた。
屋敷の一室。木箱に詰められた野菜、果実、調味料とまな板、包丁といった調理器具が並んだ調理場。
間取りとしては、かなりの広さがあった。
しかし、所狭しと置かれた様々な食材で少し窮屈な空間になっていた。
その中、普段は乱暴とさえ思える声音の女性が、珍しく優しい音でエティカへ語りかける。
「じゃあ、説明するんだけど……」
「はい」
なんとなく、歯切れの悪い喋り方。
いつもなら横暴とさえ思うほどに、はっきりと決めていくリラが、なんとも申し訳なさそうに頬をかく。
「本当に良かったの? エヴァンと離れることになったけど」
「はい、大丈夫、です」
あっけらかんとした少女の態度に、リラは言い訳のように考えを語る。
「いや、昨日も一緒に寝てたみたいだし、いっつも傍にいたじゃない? なにか離れられない理由があるのかな、て思ったんだけど」
離れられない理由。
それはエティカの中にはいくつかあるが、今は大丈夫。
このイースト村ならば、離れていても大丈夫だと。そう思えた。
だから、少女は別行動を容認した。
その分、昨日の夜はたくさん甘えたが。
「大丈夫ですっ。わたしも、子どもじゃない、ですからっ」
ふんすっと意気込む。
その様子がまさしく子どもみたいで、微笑ましくなるリラ。
本人が大丈夫だと言うならそれを信用するのが、大人というものだろう。
そう納得させる。
ならば、私情を挟んでしまっても問題ないだろう。
エティカのその一言で雰囲気が変わった目の前の女性は、含みのある笑顔を浮かべる。
怪しい、なにか企んでいる。そんな笑みで。
「じゃあ、たくさん働いてもらおうかしら。ふふふ……」
「え……」
白銀の少女。
ここで後悔という言葉の意味を痛感する。
「こら、そんな切り方じゃ肉が切れるわけないでしょ」
「ちゃんと筋を取りなさい」
「まな板はちゃんと洗う、常に清潔にしなさい」
「猫の手を忘れないの」
まるで監督のように、後方から檄を飛ばす。
ひぃひぃ言いながらも、ついて行くエティカであったが、あまりの量の多さに気が遠くなる。
それが如実にも作業スピードが、遅くなるという結果に繋がる。
ただ、ここで休ませるほどリラは甘くない。
しかし、あまり厳しく言ってしまうと余計に作業効率が落ちる。
なら、別の言葉。
リラのみえた未来通りに進むのなら。
ここで少女に火をつける言葉は決まっていた。
「あらあら、これじゃあエヴァンの嫁には、ほど遠いわね」
「……っ」
姑のような嫌味であったが、これがエティカにはよく効いた。
嫁。
リラという母親に認められなければいけない。ならば、ここで気の遠くなる作業に臆している暇はない。
紅色の瞳が、燃え上がる。
その言葉からものの数秒で、作業スピードは見違えるほど倍速に。
その様子でリラは確信を得る。
やはり、この子は好きなのだ。
保護者へ向ける家族のような愛情ではなく、一人の異性へ向けた恋情なのだ。
それが分かれば後はこの火を絶やさぬように、焦らして、風で消えないような焔へ火力をあげるだけ。
それはいつしか燃え広がる。
延焼して、全てを巻き込む大火とも、業火ともなる。
関わる人々の心へ火を灯す、旅人の帰るべき篝火となるように。
その思いを込めて、リラは発破をかける。
「ほら、玉ねぎなんて木っ端微塵切りにしなさい」
「木っ端微塵!?」
調理場の空気は夏の陽光に負けぬ、あつさであった。




