第89話「秘密」
「それで、その子を保護したのは『救世主』の能力で導かれたからですか?」
静かにポツリポツリと紡がれる。
バイスの表情は依然として穏やかなまま。
「いえ……よく分かりません……。なんとなく、と言いますか」
「そうですか。それでも、人助けならいい事ですよ」
バイスは薄く庭を照らす光を見つめる。
「『救世主』だろうとそうでなくても、貴方が魔人族の子でも救う事は私にとっても誇りです。
私の孫の意思を無理に継がせてしまったと、申し訳ない気持ちにならなくて済みますし」
「孫……?」
エティカはちょこんと身を乗り出して、老婦へ尋ねる。
「ええ、私の孫ですよ。……もしかして、エヴァンさんはそういった話をせずに、ここまでエティカさんを連れて来たわけではありませんよね?」
ゆっくりとエヴァンを見る動作が、これほどにまで重圧を感じるとは思えなかった。
思わず、青年も目を逸らしてしまう。
それは大した説明をせずに、保護し実家まで連れて来たなによりの証明になった。
「はぁ……話すのが苦手なのは、変わらないようですね」
「すみません……」
「責めてはいません。家族関係くらいお伝えした方が、エティカさんも早く馴染めるというだけですし」
「うぐっ」
正論が青年をひっぱたく。
しかし、口下手な青年が白銀の少女に好かれているのならば、成長していることだろう。
そうバイスは思うことにする。
「では、エティカさん。私たちの話をお聞きになりますか?」
青年の隣。白銀の髪へ優しく声をかける。
少女にとって願ってもない言葉であった。
「はいっ」
元気よく、姿勢を正したエティカをみるとバイスは「いいでしょう」と話し始める。
「まず、はじめに。私とエヴァンさんは血が繋がっていません」
「えっ」
「エヴァン・レイという名前も、貸したものになります。本当は私の孫、『勇者』の名前なのです」
その言葉に思わず、隣の青年の顔色を伺う。
しかし、その様子にエヴァンはなんとも言えず黙ってしまう。
語りたくないほどの過去。
それを抱えているのが、白銀の少女には分かった。
「『勇者』であった孫は、『魔王』と出会い。死闘の末、敗れました。その時にエヴァンさんが、傍にいたので『勇者』は能力をエヴァンさんへ引き継がせたんです」
青年の脳内へその時の光景が、鮮明に映し出される。
血にまみれた『勇者』が、エヴァンへ能力を譲渡したこと。
その記憶が想起される。
「しかし、周りの者はそんなエヴァンさんを非難しました。『勇者』は『魔王』ではなく、エヴァンさんに殺された、と」
「え……」
「『勇者』が死ぬのはおかしい、『魔王』と共謀した者がいるのではないか、と。勤勉の魔女によって、事実はねじ曲げられていきました」
勤勉の魔女。
エティカにとっては初めて聞く名前であったが、どこかで聞いたような既視感。
「普通はおかしいと思うはずなんです。しかし、それさえも作り替える勤勉の魔女は、あることを要求してきたのです」
「あること……?」
恐る恐る白銀の少女は続きを求める。
バイスの瞳は伏せがちになるものの、言葉を絞り出す。
「『魔王』を倒し、無実を証明しろと」
生贄に仕立てあげたのだ。
『勇者』でしか対抗できない『魔王』へ無謀にも挑むように。
悪魔のような要求であった。
その一言に、エティカも息を呑む。
かける言葉が見つからない。
「『勇者』の代わりとして、能力を受け継いで『魔王』を倒せ――。当時はまだ十歳の少年だったエヴァンさんには、とても重い責務でした」
しかし、とバイスは付け加える。
「エヴァンさんは幸か不幸か、『救世主』という能力しか継げなかったんです。それを良く思わなかった勤勉の魔女は、『勇者』の名前も継がせて外面だけは『勇者』に仕立てたんです」
『救世主』という未完成な少年を、名前だけでも継承させて『勇者』の仮面を着けさせた。
エヴァンは、そんな舞台で演じなくてはいけなくなった。
『魔王』を倒す『勇者』という演者の代わりを。
「それが、エヴァンさんの両親と名前が違う理由です。そして、彼が『魔王』を倒さなければいけない理由です。ご理解いただけましたか?」
「は、い……」
とても重苦しい空気に潰されそうなエティカ。
隣の青年の運命は、考えきれないほどに重圧を背負わされている。
そんな過去を持っていて、なにも言えなかったエヴァン。
相談できる相手がいなかったという事実。
今にも泣きそうな少女は、エヴァンの手を強く握る。
その瞳には強い意志が宿っていた。
「重苦しい話になってしまってすみません。せっかく楽しい気分でやってきたのに、老害がお邪魔してしまって」
「いえいえ……! ありがとう、ございます。エヴァンの事、教えて、くれて……」
「ふふっ。強い子ですねエティカさんは」
穏やかに笑みを向けるバイス。
その瞳を見て、エティカは再確認した。
この人もエヴァンを守ってくれたのだと。
瞳の奥に宿る優しい揺らぎが、それを証明していた。
しかし、老婦はなにか思い出したように。
「そうでした……! もう少ししたら祭りをするので、良かったら参加していってください」
気分を一変させようと明るく声を出した。
「祭り?」
「ほら、冒険者組合で言ってたやつ」
と、青年は補足する。
その言葉で少女は思い出す。
そういえば、ヴェルディとエヴァンとの話で聞こえた言葉だ。
その言葉に期待が膨れ上がったのは言うまでもない。
「この時期の採れたての野菜や果物をたくさん使って、盛大に行うんです。ぜひ参加していってください」
チラリと青年を伺う紅色の瞳。
その様子に「いいよ」という意味を込めて優しく頷く。
「はい!」
エティカは元気よく声を張り上げた。




