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第642話「怠惰な乾きを癒す後日談」


「よ、やって来たぞ『勇者』」


「あれ? 向こうはいいのか?」


「あぁ、もう何事もないさ。王の引き継ぎも済んだ。勤勉の魔女の監禁部屋も無事完成した。憂いなく、あたしはやって来たわけだ」


「なんだ。思ったよりあっという間だったな」


「ところで、()()()が勤勉の魔女か?」


「そうだよ。今さっき寝たばかりさ。もう慣れたものだよ、寝かしつけるなんて」


「……いや、不思議だとは思わなかったけど、本当に赤ん坊の姿なんだな」


「そうだね。これが彼女の本質みたいなもんさ。願望そのものだと思う。起きてたら頭の中に声が響くけど、一切喋ることはできない」


「そうでもしなければいけない、と。『勇者』はそうなるように書き換えている、と。そういう感じか?」


「前まではね」


「前? 今は違うのか」


「今は作り替えようという気持ちすらないんだって。甘やかされ続けたいんだって」


「なんだよ……それは」


「外に出て言えたら良かったな。俺ともう一人の『勇者』だけで充分だ。帰ってもいいんだぞ」


「あいにく、あたしも既に死んでいる立場さ。言ってしまえばここに居場所が無くなると、天に召されるだけになる」


「じゃあ、成仏してもいいんじゃないか。どうやって成仏できるか分からないけど」


「イラミジャアを置いて、一人だけ生まれ変わろうなんて思わない」


「ご執心なことで。代わろうか?」


「いや、お前にも伝言を預かっているからそれを伝えるまではいろ」


「伝言? ファクトからかい?」


「いや、ロイアだ」


「…………あー、ロイアか。うん、ありがとう」


「と言っても一言だけだ。手紙でも持ってこられたら良かったが、そんなのができるわけもない。許せ」


「なにも怒らないって。仕方ないだろ。伝言を聞かせてもらえるだけでありがたいもんさ」


「じゃあ、言うが」


「ちょっと、待って。深呼吸だけさせてくれないか?」


「……いいだろう」


「すぅー……はぁー……」


「じゃあ、言うが――」


「ちょっと、待って。水を飲んでもいいか?」


「………………いいだろう」


「こういうところには水なんてないだろうけど、願えば出てくるものだから、不思議だな。お前も堪能すればいい……ぷはぁ」


「……じゃあ、言うが――」


「ちょっと、待って――」


「待たない。いい加減腹を括れ。心して聞け、一回しか言わない」


「……」


「【愛する人へ、また会おう】だとよ」


「…………」


「さて、あたしの仕事は済んだ。お前はイラミジャアと代わってくれ。あたしも伝えたいことがある」


「……もう一回、言ってくれないか?」


「無理だ。お前、そうやってずっと聞くつもりだろ。壊れた人形みたいに言い続ける趣味なんかないから、さっさと代われ」


「代わって欲しいなら、言ってくれなきゃな〜」


「おまっ……! いいぞ、ここでならあたしの本気を出して、お前をぶん殴って無理やり言わせることだってできる」


「やってみろよ。ちょうど、赤ん坊の相手ばかりで暇してたんだ、少しだけじゃれあってやるよ」


「あたしが勝ったらイラミジャアに代われ。あたしが負けたら、ロイアの言葉を何度だって復唱してやる。飽きるまで、な」


「いいぞ、それでいい。後悔してももう遅いからな」




 ◆    ◆    ◆



 重厚な壁に、無機質な空間に、鉄格子なんてなく、頑強なドアノブすらない密室に、赤ん坊は留置されている。

 かつて、人々を操り、一つの種族を滅ぼそうとした大罪人は、『救世主』によってあるがままの――本人の望みを叶えられる最適な姿へと変貌を遂げた。

 彼女の願いは『構って欲しい』『甘やかして欲しい』ただ、その二つだけであり、今までの空虚で、終わりゆく人生に絶望した彼女が、天真爛漫を描いたような『勇者』を見て、心惹かれてしまうのも無理はない。

 だから、当時の『魔王』と恋仲へ至りかけたことが、彼女を駆り立てた。

 魔人族の長寿的生命。更には、病気にかかりにくい、有り余る体力に魔力。そのどれもが、勤勉の魔女を嫉妬させ、怒らせるには充分であった。

 故に、彼女は滅ぼすことを誓う。

 故に、彼女は肉体そのものを作り替える。

 故に、彼女は長き時を生きようとする。

 故に、彼女は孤独であった。

 苦し紛れとして生み出した対の魔女も、自分自身の欲望を分けただけの存在で、本質的には自分の鏡合わせでしかなかった。だから、どれだけ戯れようと言葉を交わそうとも、虚しさしかなかった。

 故に彼女は求めた。

 故に、彼女は理解したくない願望に気づいた。

 本当は、閉じこもった自分へ関わって欲しい。

 本当は、一緒になにかしたい。

 それだけだった。それが、初恋の人であれば良かった。だから、彼女は初めこそ嫌がっていたものの、最終的には甘んじて受け入れたのだ。

 例え、その場に『魔王』がいたとしても。

 自分を構ってくれる人が多ければ多いだけ、いい。

 だからだろう。

 本来、誰かによって助けてもらわなければいけない幼児が、監禁されていても怯えることなく、穏やかな表情で寝ている。

 

 これで、勤勉の魔女は悪さを働かないと。そう願って止まない人が密かにいることも含めて、ようやく、世界は平穏な日々を進み始めたのだ。

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