第638話「結を誓いて、結びて【本夜】」
それぞれの領土や文化、国によって結婚の方式は異なる。
それこそ、翼人族であれば村の中で式を挙げた直後に新郎新婦揃って旅立つ。新居である場所に向かっていくわけだが、時折式の後に普段着へ着替えて、ハネムーンに飛び立つ者もいる。
つまりは、村に定住するのはごく稀だということ。
そして、帰ってくるのは歳を取った時で、自分の生まれた村へ帰ってきて最期の時を過ごすのだ。
そうやって、種族としての特徴があるわけで、人族にだってもちろんある。
例えば、東か西かで変わる。
バイスさんが好きなのは東の結婚式らしいが、どうにも俺とエティカには似合わない。
なので、西で一番有名なものを一つの候補として、挙げた。
あくまでも、ね。
花嫁でもあるエティカの、長きに渡る記憶へ残すためなら彼女のしたい結婚式にしようと思っていた。
しかし、エティカへ魔人族の結婚式はどうなのかと聞けば、
「わかんない……」
と、なってしまった。
仕方ないというか、こればかりは俺が失念していただけに申し訳ない気持ちが凄まじい。
エティカは、小さい頃に勤勉の魔女の手中にあったわけだ。結婚式だか、なんだかを見ることはあってもどんな形式だったかなんて覚えていないだろう。
千年間寝ていて、起きた時の記憶が混雑しているような状況で、覚えていることの方が少ないはずだ。
だから、エティカへはイラオにも聞いてみようと提案した。
その日の夜に――衣装合わせも済んだ日の夜に、いつもと同じく夕食を食べに来た人物に聞いてみたが。
「魔人族も、人族と変わらないぞ。空なんて飛べるわけもないし、海に面した土地でもないからな」
と、パンを豪快にちぎって食べながら言う。
仮にも『魔王』がそんな作法もくそもない食べ方をして、とは思ったけど。
まぁ、イラオが嘘を言っているわけでも、結婚式そのものを知らないことではないようだ。
「後、言っておくがエヴァン・レイ」
「その前に、パンくずを零すなよ。掃除が大変なんだから」
「おっと、失礼。美味いパンだったものでな」
あー、だからって袖で口元を拭くなよ。
テーブルに落ちたパンくずは、更にイラオが払い除けたことで床へと散らばっていく。
掃除の手間が変わらないだろ、って。
「もうちょっと、『魔王』らしい礼儀作法を教えて貰ったらどうだ?」
「残念だが、あたしはそういう教育を受けている」
「じゃあ、なんで」
「なんで気を休める場所で、気を遣わなきゃいけないんだ」
そんな心底理解できない顔をしないでくれよ。
嬉しいけど、気遣いはいるだろって。
バイスさんだって言ってたぞ。
「親しき仲にも礼儀あり、て言葉があるらしいぞ、東には」
「残念だが、ここは西だ」
そういう意味じゃないんだが。
まぁ、こんな押し問答、無意味に近いか。
俺が言うよりも、エティカの方が効き目があるかもしれないし。
「で、言いかけたものを言ってやると、だな、エヴァン・レイ。
これはそもそも、ただの男女の結婚式ではない」
「それは……そうだが」
「魔人族の外交官が、人族の貴族と結婚する。
しかも、居住地は人族の街だ。
だとすれば、魔人族の風習に沿った結婚式なんかしてみろ、お前は他の人間にどうやって示しをつける」
……そうか。
政略結婚とイラオが言っていたように、これはそもそもエティカが人族の中にいても大丈夫なこと。
そして、魔人族が友好的だという証明でもあるわけだ。
そんな中で、人族との結婚式が魔人族特有のものになってしまえば、いらない噂を流される可能性だってある。
というか……流す奴がいるだろうな。
魔人族は人族を内側から乗っ取るつもりだとか。
言い方は色々あるし、捉え方も様々ある。
だとすれば、
「いっそ、エティカは嫁ぎにきたと一発で分かった方がいいと」
「そういうことだ。だから、二人で人族の風習の沿ったものを選びな」
そんなやり取りがあったもので。
エティカと一緒に選んだものは、人族の中でも一般的かつ良心的な値段なもの。
それこそ、貴族らしく豪華にしてしまっても良かったが、さすがに、自分の懐を考えたら先々のために残しておくべきだと判断しました。
……はい、値段の高いものを選びかけたらエティカに止められただけです。
まぁ、そんなこともあってか。
結婚式の舞台は、王都の教会である。
◆ ◆ ◆
厳かな雰囲気とやらは、どうやっても空気を引き締める。それが神によるものだとすれば、この場所には確かな存在を主張しているのかもしれない。
見えなくても、そこにいる。
見えていても、そこにいる。
凍てつくような冷たさとは対極にある、慈しみに満ちた優しい羽衣のような空気は、その場にいるものへ豊かさを与える。
吹き抜けた天井に吊るされたシャンデリア。
幾重にも積み重なったガラス細工。これ以上ないほど、温かな光を降り注いでいるのはある意味、神様からの威光かもしれない。
いや、どちらかといえば、教会に入ってすぐ真正面にこれでもかと存在を放つステンドグラスかもしれない。
人ほどの背丈から教会の天井まで伸びた様々な色で装飾されたガラスは、太陽の光を屈折させて、鮮やかな色を照らし出す。
これこそを威光としてもいいくらいだ。
そこには、剣を携え、太陽と対峙する青年がガラスに閉じ込められている。
美的感覚が一切ないけど、なんだか、他人事には思えないくらい、目を奪われる。
だからだろうか。
いや、単純に手持ち無沙汰過ぎてキョロキョロしているだけだ。
「新郎様。あまり動かないように、じきに来ますよ」
「いや、ごめんなさい。緊張しちゃって」
「初めての人は皆同じく緊張されます。大丈夫ですよ、私達がついておりますので」
「ありがとうございます……色々と」
着付けだけじゃない。
神父様の前で待っている俺の傍で、待機してくれているお姉さんは、タキシードを選ぶ時から、今日この時まで手伝ってくれた。
式場を選んでから、様々な準備をだ。
関係者への招待状作成だったり、会場の設営だったり、結婚式後の団欒会の準備だったりと。
とても、それこそ服屋に任せてしまう内容じゃなかった気がする。
「いいえ。私は頼まれただけですので」
「……頼まれた?」
「内緒の話でございます」
それなら、仕方ないのか。
無理に聞くのはよそう。
……それにしたって、結構来てくれたもんだ。
俺はステンドグラスへ向いていた体を、教会の扉の方向。
出席者が座っている方向へ、翻す。
見知った顔ばかりが並んでいる。
特に、前列の破壊力は凄まじいものだ。
「……バル爺て燕尾服着るとあんなに、窮屈そうなんだな」
幾千もの戦いを刻んだ強面おじいちゃんは、それこそ年相応の衰えをものとはしない頑強な肉体を燕尾服へと押し込んでいたのだ。
……あれじゃ、胸を張っただけで服が破けるんじゃないか?
しかも、だ。
隣に座っている翼人族の村長――ハーストさんと、朗らかに会話しているものだから、あそこだけ空気がまた違う。
……というか、出席している冒険者のほとんどが厳つい見た目をしているせいで、列の前と後ろとで威圧感が一風変わるんだよな。
まぁ、皆大切な人に変わりない。
だから、これだけの人と関われたのは嬉しいことだし。
俺とエティカのことを。祝福してくれているのなら、諦めなくて良かったとさえも思う。
「エヴァン」
そうやって、惚けていると最前列にいる母親が声を掛けてくる。
豪快で、傍若無人な、暴力思考の母さんが、俺へ手招きする。
「なに?」
小さな段差を降りて、近寄っていく。
まだ新婦が来ないし、今は歓談の時間でもある。
実際、新郎の仕事だって多いわけじゃないし、自由な時には色々な人と話してくださいともお姉さんや神父様から言われている。
だから、近づくと母親――リラ・アンセムは天真爛漫を顔へ浮き出す。
「今日、親族からの挨拶みたいなのがあるでしょ」
「あぁ……勝手に組み込まれてたやつか」
知らない内に、式の予定に組み込まれていたのだ。
新郎新婦の家族からの挨拶が。
「あれ、エティカちゃんのところは誰がするの?」
「ヘレナとアヴァンだな」
「そうなのね。てっきり、『魔王』がするのかと思ったけど」
「イラオが? あいつはエティカの友達てだけで、家族じゃないからな……いや、家族みたいな関係ではあるけど、深い友情で結ばれてるみたいな感じだし」
昔馴染みというものかもしれない。
友達でもあり、家族のように親しい人でもある。
だが、イラオ自身は家族愛とやらではないと否定するだろうな。
どちらかといえば、友愛だろうし。
「だから、ヘレナさんとアヴァンさんなのね。わかったわ」
「まぁ、エティカの親代わりみたいな感じではあったし……」
俺自身保護者ではあったけど、エティカへなんらかの親らしい行動ができていたかといえば、そうじゃない。
一緒にいる時間はヘレナやアヴァンの方が長い。
それこそ、俺は不在になることも多かったし。
「あの子は? ほら、この間うちの村に来てた紫髪の女の子」
「ローナ? ローナは今日、欠席だよ」
「あら、それまたどうして」
「顔を合わせたくない奴がいるんだと。式が終わったら合流するらしい」
うちの母さんがその事情を知るわけもないだろうし、ここで疑問を抱いていたとしても流しておこう。
てっきり招待状送っても、不参加の知らせが来ると思っていた奴が出席するんだから、仕方ないことだ。
文句はあの何故だか居心地悪そうに隅っこで座っている男へ、心の中でぶつけておこう。
「じゃあ、うちだけなのね。三人が挨拶するのは」
「まぁ、そうなるな」
「怒られないかしら? 贅沢だろって」
「怒られたら殴り返すだろ、母さんなら」
「えぇ、よく分かってるじゃない」
そんなに威張らないで欲しいけど……。
まぁ、母さんの言う通り、俺の家族からの挨拶とやらは、三人で行う。
それをわざわざ確認したかったのかもしれない。
……いや、最終確認なんかうちの母親がするわけもない。
「うん、ならいいわ。ほら、さっさと戻りなさい」
「はいはい」
手で追い払うように言われるも、嫌な気分は一切しなかった。
むしろ、安心した。
なんとなく、凝り固まっていた心が砕けたような気がする。
…………砕けちゃだめか。
「お帰りなさいませ。そろそろ新婦様が来られますので、教会入口へ体を向けてお待ちください」
「……はい」
いよいよ、だ。
そう思って、言われた通り、渋い木彫の扉へと向ける。
彼方にある扉が、更に遠くに感じてしまうほど。
時間にしてしまえば、そんなに過ぎ去っていないはずなのに、それだけの時間を感じてしまうほど。
見つめていると、静かに。
それでも、歓談している人の口を閉ざしてしまうほどの、確かな音が響く。
ピシッと、引き締まった空気の中、開けられた扉からは、真っ白なドレスを着たエティカが姿を現す。
左隣にはおそらく新調したであろうタキシードに身を包んだアヴァンが。
右隣には紺色のノースリーブのドレスに、レースをあしらった羽織物を掛けたヘレナが。
そして、ヴェールに包まれた先には、遠目からでは分からないものの、ちらりと見える純白の肌に、ほんのりと赤みがさし、美しさと可愛さを兼ね備え。
前を見据える紅色の瞳は、ヴェール越しにでも伝わってくるほど、燃え。篝火を宿しているのがわかるほど、煌びやかで。
艶やかな曲線美を余すとこなく引き出させ、雪のような布地に様々な刺繍が施され、歩く度に床へ接しているはずのドレスのはずが、全く触れていないと思うくらい、ふわふわと軽やかに舞っている。
コツコツと、踏みしめる度、彼女らしさの象徴でもあり、柔姫の通称となったほど、印象的な白銀の髪は天使の羽のように羽ばたいている。
そうやって見蕩れていると、いつの間にか。
あっという間に。
花嫁は、俺の傍へとやってきていた。
介添え役をしてくれたアヴァンやヘレナへお礼を伝えると、エティカはこちらへ視線を向ける。
あぁ、可愛いなんてものじゃない。
今日は、綺麗と言うべきなんだろうな。
そう思いながら、手を差し出す。
ソッと置いてくれた手を、確かに支える。
……そういえば、最初出会った時も手を握ったけ。
あの時は小さな、か細く、それこそ折れてしまいそうな小枝くらいだったはずの手が、今や成人女性と変わらない――いや、ちょっと小さいくらいの手になっている。
それはそれで、感慨深いものだったが。
感傷に浸るのは、まだ先だと思考を切り替える。
神父様に失礼がないように。
それに、俺達を信じて。
俺達のために、動いてくれた人。
種族なんか関係なく、俺達を祝ってくれている人のために。
全うしよう。
そうやって、人々は紡いでいくんだから。




