第635話「結を誓いて、結びて【前夜4】」
「……準男爵て、なんだ」
「知らないのか。お前、今まで何度も貴族と関わってきたんだろ」
「興味がなさすぎて、後嫌いだから」
「そういう存在だ。貴族というのは。爵位を与えられるやつというのは」
そうなのだろうか。
いい印象がない。
どころか、ロドルナのせいもあってか嫌な印象しかない。
だから、知ろうとも思わなかったし、知りたいとも思わなかった。
なんだ、爵位って。しかも、下っ端て。
「一番下、てことか?」
「いや、一番下には一代貴族てのがある。まぁ、言ってしまえば、お前を一代貴族にしようと動いていたらしい。
しかし、だ。お前と本の虫との間にできた子が勤勉の魔女の見張り役に相応しいよう教育するのも、仕事にしてしまえば、今後王国は新しい人材を探さなくていい。そのことに気づいたらしくてな」
「その一代貴族てだけじゃいけないのか」
「お前にしか効力がない。つまり、お前の子どもは貴族じゃない。ということになる。個人の実績だけを評価したものだからな。あまり幅をきかせられないし、なにより一代で終わってしまう」
それだと、確かにそうか。
新しい人材を探すというのも一苦労だ。
今やラスティナ王国だけではない。エティリカといった、『魔王』の都まで捜索範囲になってしまったのだから、大変というレベルではない。
しかも、それが国の今後を左右するんだから、死にものぐるいで探してようやく見つかるかどうかの運を掴める程度。
土俵に立てるかどうかだ。
とすれば、王国もそのことに労力を割くくらいなら、適任者に今後の役割を与え続けるよう、責任を負わせればいい。
つまりは、子どもに教育する。
もしくは、子どもができなければ、養子にでも教える。
師匠と弟子のような関係性を続けること。
そういう目的があるのだろう。
わかりやすいし、納得もできる。理解もできる。
なにより、王国がそういった方向で動いてくれる。
それがわかれば、充分なのかもしれない。
「俺のすることは子どもに勤勉の魔女への対処法を伝授していくこと。あわよくば、能力を継承し続けること、でいいのか?」
「そうだな。そもそも能力自体継承できるのかは不明だ。そこに期待はしていないよ、国王もあたしも」
「だとすれば、能力者を見つけるようにすればいいのか」
「というより、勤勉の魔女を助けようとする存在を抹殺できるようにしてもらいたい、というのが国王の意向らしい」
抹殺……物騒な話だ。
喧嘩嫌いに、暴力反対の道を進む俺に向かって、抹殺とは。
真逆もいいところだ。
「そもそも、勤勉の魔女の封印。あれがかなりの効力を発揮していてな。お前がやったにしては、それこそ外部からの干渉がなければ、自力で封印を解くことは不可能なくらいらしい」
「まぁ、そう願ったから」
幼子の状態。
つまりは勤勉の魔女は能力を獲得した直後の体になっている。
自我すら芽生えず、本能に従って生存することを最優先にする状態であれば、この世界をどうこうする思考にはならない。
そもそも、エヴァン・レイを送り込んだのも勤勉の魔女にとっては嫌なことなはず。
彼の魂を書き換えて、『救世主』に近い存在にしたのだから。
きっと、勤勉の魔女の内部では様々な熾烈な争いが繰り広げられているだろう。
つまりは、勤勉の魔女は絶対に封印を解くことはできない。
外部から、なんらかの解術がなければ、の話だが。
「で、俺たちは外部から勤勉の魔女へ接触してくる怪しいやつらを排除する。そういうことができるようにすればいい、てことか」
「そうだな。いわゆる、暗殺をしろということだ。大っぴらには言えないが、それはあくまでお前達の本分ではない」
「ちなみに、断ったら?」
いい話ではない。
そもそも、エティカも俺も、子どもにそんな使命を押し付けたくない。
そんな可哀想な、それこそ陽の光の下を歩けないような役目を与えたくない。
エティカも暗い表情をしているし。
「何もお前達がするのは自分の子どもに人殺しをするように、教育するわけじゃない。言っただろ? お前達がするべきことは勤勉の魔女への対処法の伝授、外部からの干渉を防ぐことだと」
「人殺しをしなくてもいいってことか」
「様々な方法があるはずだ。王城や牢屋を強固なものにしてもいい。それこそ、暗殺を生業にしている奴を雇ってもいい。そういった、様々な対処法を後世まで伝えていき、その時その時に合った方法で防いでいく。
それが本質だ。なにより、お前達が人殺しなんてできるわけもないだろ」
魔獣が元の人だと気づいてから、落ち込んでいた俺には、酷く効いた。
人殺しなんてできない。
それこそ、勤勉の魔女でさえ処刑せず終身刑にした人間だ。
イラオの見抜いた通りだ。
「ということだ。湿気た面するな。人殺しをしたくなければ、人殺しをしない方法を考えればいい。
そうするだけの知恵も知識も、お前達にはあるだろ」
――あたしという存在が証明してやる。
と小さな体で胸を張るイラオ。
まぁ、一考の余地ありて感じか。
どうするか、というのは今後エティカと一緒に決めていけばいい。それこそ、子どものしたいことに合わせてもいい。
そのための権力も権威、そして地位も与えられたわけだ。
……だからといって、何でもし放題というわけじゃないと思うが。そんな免罪符を貰ったわけじゃないしな。
「まぁ、そういうことだ。今日この紙を受け取った時点でお前は貴族の一員ということだ」
「あれ、授与式とかは――」
「そんな位じゃないからな。まぁ、正式な授与はまだ先だと言っておこう。いわゆる仮期間だと思っておけ」
「……仮か」
「あくまで仮という名前を使っているだけでお前は立派に貴族に属している」
「エティカは、まだ結婚していないから同居人という扱いなわけか。なるほどね」
意図していることは分かった。
けど、当の本人はポカンとしながら、自分のティーカップを持ってきて、俺の隣に座る。
「政略結婚というのに近いのかもしれない。むしろ、そう表現するのが適しているだろうな」
「イラオ、どういうこと?」
ついでに、とお茶菓子まで並べ始めるエティカ。
……これから朝ごはんじゃなかったけ。
「お前は外交官。国交において重要な役割を担っている。そして、果たさなければいけない。このことは理解できるな?」
「うん。実感ないままここまで来たけど」
「なら、お前の愛おしい人間は今どうなった?」
こちらをじー、と見つめてくる紅色の瞳。
赤い宝石が爛々と輝く。
「貴族になった?」
「そう、下っ端でも貴族は貴族。仮であろうと、国王が授与するのは確定されたも同然。その人間が魔人族の外交官と結婚するとなれば、どうだ?」
政略結婚。
政治的な意図もある結婚には違いない。
ただ、こればかりは一纏めにしてしまうのは違う。
全くと言っていいほど。
「いいんじゃない? わたしは政治とかよく分からないけど、エヴァンの立場が貴族じゃなくても多分悪い方向には進まないだろうし」
「そこだ。さすが本の虫、伊達に色恋をする前は本を愛していただけのことはある」
「それって褒めてないよね」
ジト目で睨みつけるエティカ。
そっか、最初の恋人は本だったわけか。
今は俺だけど――て思ったけど、エティカは今だって本は読んでるから乗り換えられたわけじゃないのか。
二股……二股!?
「少なくとも、悪い方向へ流れるとすればそれはあたし達魔人族へ向くはずだ。国王を誑かしたんじゃないかってな。
でも、そんなのは後にでも撤回させることができる」
信頼とはそういうものだろう。
得るのは難しい。
ただ、時間を掛けていけばいい。
それこそ、長い時間をかけて。
だが、それだと貴族連中からの言い分が通ってしまう。だから、急遽俺に爵位を与え、一週間後にはエティカと結婚するようにしたわけだ。
先にあった予定が前倒しになっただけ。
ただ、それだけなんだろう。
「じゃ、大まかな話は聞いたな? 理解したな? 質問はないな? だったら、本の虫、早く飯を持ってきてくれ。もうお前の飯抜きじゃ生きられないんだ、助けてくれ」
「あぁ、はいはい。焦らなくても逃げないから。ちょっと待ってて」
お菓子と空いたティーカップを素早く纏め、腰壁に置く。
そして、とてとてとキッチンまで向かうと白銀の尻尾がふわりふわりと優しい匂いで、空気に色付けながら朝食の準備に取り掛かる。
……なんというか。
……子どもができたら、こんな感じになるんだろうか、と白髪の少女を見ながら、そんな失礼なことを思う朝であった。




