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第634話「結を誓いて、結びて【前夜3】」


「ほら、お望みのものだ」


 朝早く、それこそ日が昇りきるよりも先にイラオは玄関を、騒々しく叩いては、一枚の封書を差し出してきた。


「……なんだよ、まだ夜明け前じゃないか」


「なんだ、まだ起きていなかったのか? 瑠璃色の空が見えたら起きるものだと思っていた」


「そんな詩人みたいなやつだったか? イラオって」


「千年前なんぞ、世界の美しさをどうやって表現できるか競っていたんだぞ。それが暇潰しでもあったわけだ。そして、それが地位や名誉に箔をつけることにもなる。

 お前も覚えておけ」


「一生使うことはないと思うが」


「――本当にそう思うか?」


 寝ぼけ眼でも、イラオの悪戯な笑みはよく見えた。

 いや、印象的だったというべきか。

 ともかく、これから友達を驚かそうとしているのは充分に伝わった。


「で、なんだよ。封書――て、王国印付きじゃないか」


「そりゃそうだろ、あたしが持ってくるんだから。ところで、本の虫はどこにいる?」


「エティカなら、今朝飯の用意してるけど」


「なら、上がろう」


 いや、家主の許可なくあがるのか。

 なんてやり取りは、もう気の遠くなるほど繰り返した。そして、その度に「本の虫に聞いてみろ。きっと了承する。快諾する、あたしが家に上がるのをな」と言うのだ。

 しかも、自信満々を顔から浮き上がらせて、だ。

 癪だし、なんならイラオが独り身でやってきても、何も文句を言ってこない隣家の人だったり、向かいの人がいるんだから、嬉しくもある。

 まぁ、『魔王』が目の前にいるから何も言えないのかもしれないけど。

 てか、怖いはずだ。こんな『魔王』が普通に民家に入っていくんだから、気が気じゃないはずだ。


 ……それも考慮して夜明け前に来たのか?


「……おい、上がるなら手を洗えよ」


「わかってるよ」


 ……子どもみたいなやつが、そこまで考えている、わけもないか……。

 いや、失礼な話かもしれないけど。

 とてとて、と手洗い場まで向かっていくイラオを見送り、そのままリビングへと歩いていく。

 すれば、トウモロコシの甘い匂いが充満し始めた空間に、可愛らしい白銀の髪で尻尾を作ったエティカがそこにいた。

 ふわふわとして、ふりふりと揺れ動くポニーテールに、真っ白なエプロンを着たエティカがこちらへと紅色の瞳を向けてくれる。

 ……あぁ、可愛い。


「あれ? イラオは?」


「手を洗ってるよ。朝ごはん食べるんだって」


「あぁ、さっきの足音はイラオのだったんだね。そっか、多分食べるんだろうなと思って多めに作って良かったよ」


「そこまで考えてたのか」


「だって、イラオが家に来る度に食べていくから」


 それもそうだな。

 ほぼ、毎回だ。

 たまに、王国からの使者に見つかって連れて行かれる時以外は、しっかり食べて帰る。

 昨日もだ。

 一昨日もだ。

 ……ほぼ毎日じゃないか。


「あいつ、俺たちの家(うち)を別荘だと思っていないか?」


「まぁ、友達の家にお邪魔してるだけだと思うよ」


 あぁ、そうか。確かにそうだ。

 ……でも、たまに泊まってないか?

 しかも連泊で。

 ……それも友達との関係からのものだろうか。

 まぁ、俺もアヴァンの家に厄介になってたとこもあるから、そういうものだろう。


「そのうち、自分の部屋が欲しいとか言い出さないか?」


「この間言ってたよ」


 言ってたのかよ。

 もう、そんなことまで言い始めたのかよ。

 なんたる、傲慢なやつだろうか。


「客間がない。ならあたしの部屋を作れ、でなければ客人をもてなす部屋を作れ、て」


「あー……そういえば、用意してなかったか」


 引越しからのゴタゴタや、関係各所への挨拶があって忘れていた。

 実際には()()()()()部屋はあるが、今は倉庫になっている。

 まぁ、物をあげれば物が帰ってくるし。

 なんなら、定期的にイースト村から色々送られてきてはいるから、ひとまずの避難場所にしていたわけで。

 それに、家にやってくるのがイラオだけだったのもあって、客間自体を意識していなかった。


「必要か? リビング(ここ)で良かったりしないか?」


「するわけないだろうが」


 手を洗い終わったイラオが、ずかずかと入ってくる。

 そして、おもむろに俺の斜め前に座る。

 目の前は空けてくれるんだな。


「いいか、客間は急いで用意しろ。難しいなら、誰か捕まえてでもいい、掃除させろ」


「また、急に。いや、今まで倉庫にしていた俺が悪いんだけど、どうしたって必要なんだよ」


 イラオが帰ってきたのを見計らってか、エティカがさりげなく紅茶の張ったティーカップをコトリとそなえる。

 昨日飲んだものだ。

 そして、俺の前にも置いて、エティカはキッチンへと戻っていく。

 といっても、テーブルの向こう側、腰壁を挟んだところに彼女の戦場はあるので、顔を見ながら会話もできる。

 素晴らしい設計だと思うね。

 眼福だよ。


「お前の肩書きが変わる、と言ったら納得するか?」


「肩書き?」


 今や『救世主』と言っても、形だけに過ぎない。

 いや、形だけでいいのだけど。その方がいい。

 ただ、それ以上のものと言えば、勤勉の魔女の見張り役。

 これが正しい。

 ただ、王城に常駐しない特別待遇なので、この見張り役というのも、印象が薄い感じはする。

 まぁ、それでもいい。

 それがいい。


「国王が難癖をくらってな。働きもしないやつが、民からの金で遊び暮らしていると根も葉もないことを言ってくるやつがいてな」


「今までの貯蓄で暮らしているだけなのに、そんなことを言ってくるやつがいるのか」


 実際、エティカとの引越し後、俺もエティカもまともな職に就いていない。

 というより、就けないのが正しいだろう。

 エティカは魔人族で、まだまだ世間の目が普通だと映すには時間が足りなさすぎる。

 かといって俺も冒険者やら、傭兵やらの仕事に就くのは難しい。

 見張り役という責務がある以上、この間のエティリカへの訪問だって、相当な反感を貴族連中から買っていたらしい。

 それくらい、王都から離れないことが条件かつ、不慮の事故が起こらないことも前提となる。


「となると、俺の肩書きてのは実用的なものになるわけか」


「そうだ。お前には【準男爵】が与えられることになる。おめでとう、これからお前も貴族の一員だ」


 ――下っ端だけどな。


 と言いながら、差し出された封書。

 王国印で押さえられたものを恐る恐る開封すると、そこには国王直筆でイラオの言っていた通り、俺へ爵位が与えられ、正式に貴族となったことが示されていた。


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