第630話「土の下、雲の上、希望の先」
中腹までを登りきる。
そうすると、急に開けた場所に出た。それも、びっくりするくらい広々としたもので、バランスよく配置された石碑には、様々な名前が刻まれていた。
しっかりとした墓で。
ちゃんと整備されていて。
どこかの誰かが墓参りに来た跡だろう、みずみずしい、生き生きとした花が生けてある。
しかし、エティカの家族の墓は手前にあるわけでないようで。
そのまま墓守の老婦人は、奥へと進んでいく。
先程までの山道を登りきったとは思えない。
真っ直ぐと、ふらつきもなく、しっかりとしてした足取りだ。
「エティカ。ようやく墓参りに来てくれたことを、アタシは嬉しく思うよ」
「すみませんでした……」
「謝らなくていいよ。なにも事情を知らないわけじゃないからね。むしろ、嫌味に聞こえたのなら、アタシこそ謝らなきゃいけないわけさ」
見回しても、たくさんの墓が並んでいる。
しかし、そのどれもが必ず手入れはされている。
もしくは、家族が定期的に訪れているのだろう。
雑草だらけというわけじゃない。
人族の墓とは、死者への気持ちに違いがあるんだろうな。
「心配していたのさ。お祖父さんから聞いた時には、アタシの番で良かったと思っているさ。誰も参らないような墓が、一番奥にある。決して、その墓の手入れは欠かしちゃいけないと言われていたからね」
「綺麗にしてくれていたんですか」
「そうするのが墓守の仕事さね」
決して謙遜じゃないんだろう。
自慢しているわけでもないんだろう。
謙虚というわけじゃない。
ただ、自分の仕事を全うしているだけなのだ。
「さっきも言ったけど、家名すらあやふやな人が来るてことはアタシ達墓守は皆聞いていたのさ。それでも、エティリカに住んでいる人間なんて分かる。分からなくても誰かに聞けばいいし、最悪『魔王』様に聞けばいいからね。
でも、分からない人がやってくる。そう聞いていたのさ」
「それが、わたし、だと?」
「『魔王』様があなたをエティリカへ連れてきた時に、もしかして、と思ったのさ。エティカという子じゃないのかってね」
ずんずんと突き進み、そのまま林の中へと入っていく。
広場に墓は無いようだ。
それもそうか。
あの場所を整備したのが最近だとすれば、昔の――それこそ、千年前なんて墓に埋葬するという文化が発展途上だったに違いない。
しかし、決して悪質な環境というわけではない。
林の中だろうと、そこにある石碑は日当たりがよく、周りには花が囲っていたのだから。
「さ、エティカ。ここがあなたの父親、母親の眠る墓さね」
「……これが」
石碑には文字が刻まれている。
【クティーラ家】
周りに苔が生えているけども、字がしっかり見えるようにされていて、ボロボロになっていてもそれは長年の風に吹かれていた程度のもので。
およそ千年ほど、そこにあったとしてもあまりにも綺麗な状態であった。
「そこの隣に置いてあるのが、入っている人の名前さね。母親とか父親の名前は覚えているかい?」
「はい……」
隣に看板のように建てられた石碑。
そこには
【ベルモット・クティーラ
エラスト・クティーラ 】
と、二つの名前が刻まれていた。
それを紅色の瞳で確認したエティカは、コクンと頷く。
「間違いないです。お父さんとお母さんです……」
「そうか、なら良かったよ。アタシの代で来てくれて」
「あの、綺麗にしてくれたのは墓守の皆さんが?」
「そうさ。代々ね。もっとも、最初に二人を埋葬してあげよう、墓守を作ってその家に代々守ってもらおうと考えた人がいてね。そう言ってくれなければ、恐らく無かっただろうね」
「……あの、ありがとうございます」
深々と頭を下げ、ふわふわの髪が野花に近づく。
黄色や白色。ピンクに赤紫色。様々な彩色に、白銀の髪がきらめく。
「お父さんとお母さんを大切にしてくれて」
「いいさ。そのためにアタシ達はいるんだ。まぁ、ようやく家族が来たのなら、ここまで手入れに来なくてもいい理由ができたけどね」
――年寄りには辛いものがあってね。
そう言いながら腰をさする墓守の老婦人。
……本当に?
と疑いたくはなるけど、よる年波には勝てないものか。
「さ、後はゆっくりしな。来た道は覚えているね?」
「はい」
「なら、大丈夫だね。アタシは帰るとするよ」
そう言いながら、墓守の老婦人と副村長は踵を返す。
林に消えていき、残されたのは四人。
俺とエティカと、エティカの両親である。
そのまま、俺は自然とエティカの隣にしゃがみこみ、手を合わせる。
聞いた話では、相当な苦労をしてきたらしい。
イラオから聞いただけではあるけど、エティカを身を呈して守ってくれた母親。
勤勉の魔女に操られる前に勇敢にも立ち向かった父親。
その二人にとって、相手が悪かった――もしくは、運命が悪かったと、言えるくらいには残酷な人生だっただろう。
ただ、その二人のお陰で、俺はエティカに出会えたわけで。
そのお陰で、ここまで生きてこられたのだ。
そのことに感謝しなければいけないだろう。
そう思って手を合わせていると、エティカは真っ直ぐ石碑を見つめる。
「エヴァン。お墓の中に二人はいるのかな?」
「どうだろう。人によって違うかもしれないけど、魂だけになって傍で見守ってくれていると思う人もいるらしい」
「……一緒だといいな」
「自分の愛娘のために、勤勉の魔女へ抵抗した人達だ。きっと、一緒に見守ってくれているんじゃないか」
こういうのは確かめようもない。
そういう能力者がいれば別だろうけど、その人に聞いたとしても「あなたの信じている両親なのだから、あなたの信じているところにいますよ」と言うだけだろう。
と、いうか、そう言われたわけだし。
生きている人がいて欲しいと思っているところにいるべき。
そう考える方が幸せだと思う。
両者ともに。
「お父さん……お母さん」
手を合わせず、そのまま石碑に向かい合う。
いや、石碑を見ているわけじゃない。
その先にいる、父親と母親を見ているのだろう。
「ごめんね。来るのが遅くなって」
きっと、仕方ないと言うだろう。
「でも、いざ来てみても昔のことをなかなか思い出せないんだ」
千年間、寝ていたのだから仕方ないと言うだろう。
結晶の中にいたのだし。
「覚えていることって、背中につけられた傷くらいだし」
そういえば、背中に大きな切り傷があったな。
寝ている時にだって見えるくらい、首筋から腰まで伸びた大きな抉り。
それが長い時間を掛けて、ゆっくりと、着実に、細胞が密接になったことによる皮膚の盛り上がり。
可愛い女の子には、大変酷なことだと思い、聞かないでいたこと。
エティカへ聞いて、トラウマを引き起こしてはと恐怖で二の足を踏んでいた。
しかし、ヘレナからその後に聞かされたことで。
イラオからも聞いたことで。
聞かなかったことを後悔するのと、しないのとで半々の気持ちがあったくらい、悲惨な出来事である。
今なお、彼女の背中には刻まれたままだ。
あの時の苦しみが。
あの時から続く痛みが。
「でも、ね。仕方ないことだと思うの。悪いのって勤勉の魔女だと思うし、お父さんは操られていたわけだし。なにより、立ち向かったわけだし。
それでも、わたしは、ね。本当は生きていて欲しかったんだ……」
難しいだろう。
魔人族の寿命では、千年。エティカが産まれてくるまでを含めれば、千年と百数年。
その期間を生きてきたものはいない。
イラオのように能力と魂が同一存在となって、新しい肉体へ宿ってから生まれ変わるように、人格が形成されるくらいでないと。
難しい。
でも、そんなこと、エティカが一番よく分かっているのだ。
「だって、さ。酷いよ。女の子の肌を傷つけるなんてさ。しかも、背中だよ。好きな人に背中を見せられないんだもん」
……普通に寝ている時なんか背中見せてきてたけど……黙っておこう。
「だから、ね。会ったらお説教するから」
ぽつ、ぽつと。
彼女に雨が降り始める。
「いっぱいお説教するんだから。ひとりぼっちで寂しかった愚痴も言うし、気づいたら千年経ってたことも言う」
エティカは、こぼれ落ちていく。
それは、決して、諦めているからとかではない。
決別でもない。
とめどない思いが、かつての記憶が、脳裏に蘇ってきて、それが溢れてしまっているのだ。
例え、辛い別れであったとしても、今出会えた。
そして、この先も、会いに行くと。
「……向こうでも、お母さんと仲良くしてなきゃダメだよ。じゃなかったら、怒るから。わたし、怒れるようになったんだよ。外の世界に出ているんだよ……」
きっと成長だろう。
ただ、親としてその姿が見られない。
それは悲しいことかもしれない。
でも、それは俺達の視点の話であって。
都合のいいように考えるのが、両方の幸せだとすれば。
きっと、どこかで見てくれている。
「……わたし、ね。幸せだよ。外の世界に出て、エヴァンに出会ってから、ずっと。辛いこともやっぱりあったけど、傍にいられて、ね。幸せなんだ」
ぐしゃぐしゃの、土砂降りであっても、エティカは止まらない。
止められない。
雨はそういうものだ。
いつか降って、いつか止む。
「わたし、ね……幸せだよ。お父さんとお母さんの子どもで、幸せ……だよ!」
そうやって、エティカは思い出を話していく。
俺と出会った時のこと。
ストラ領でのこと。
酒場でのこと。
黙する鴉でのこと。
イースト村でのこと。
翼人族との出会いや、お守りのこと。
そして、美味しい桃の話。
蜂蜜や、果実のこと。
俺の母親と父親のこと。
そして、花火のこと。
たくさん。
辛いことや、些細な幸せをこれまでの千年間を埋めるように話す。
そんな彼女の横顔は悲しみにしずんではいない。
むしろ、涙を流しているのに誇らしげであった。




