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第629話「墓守と最奥」


「あんた、名前はなんと言う?」


「エティカです」


 墓守の役割を与えられた人の前。

 老婦人の家の前で行われていたのは、個人の確認であった。

 まぁ、大事なことだろうな。

 しかし、そこに問題点があるとすれば些細な見落としに近いものだ。


「エティカ……? 家名は?」


 そう。

 老婦人のふわふわとした白髪をポリポリ掻きながら、聞いてきたこと。

 それが唯一、俺とエティカ、果てや黙する鴉の面々でさえも見落としてきたことでもある。

 家名である。


「家名……?」


「なんだい。家名も知らないのか」


 その言葉に嘲笑は一切含まれていない。

 無論、馬鹿にしているわけでもない。


「気にすることはないよ。家名を覚えている奴の方が稀さ。アタシらは長生きしすぎているからね」


 そうエティカの負い目を軽くしてくれるのだ。

 なんと優しい人だろうか。

 それでも、やっぱりエティカにとってはショックなのだろう。

 少し、悲しげな瞳をしている。


「エティカ……んー、エティカと言ったかね。ちょっと、中に入って待ってて貰えるかい。副村長さんは、お茶でも入れてくれたら、アタシも楽になるからやって欲しいのだけども」


「いいですよ」


 あれよあれよと、いつの間にか家に招かれ、俺とエティカ二人して椅子に座っていたのだ。

 質素な、それでいて最低限度の生活品が並ぶ。

 机なんてのも年季が入っている。

 濃いめの木目が、長い年月を掛けられ、さらなる深みを出している。

 キッチンに置かれたティーカップなんかも、来客用とおそらく自分が普段使う物とを別けられている。

 その中でかなり綺麗なものを副村長は取り出し、手慣れた様子で湯を沸かす。


 それも普通に火にかけて沸かすわけではなく、鍋に魔結晶を触れさせるという如何にも、魔力溢れる種族にできる方法をとっているのだ。


 そんな副村長はそそくさと、お茶を三つ用意して俺とエティカの目の前に置いてくれる。

 もう一つは、自分の目の前に。


「多分、帳簿辺りを探しているんだと思います」


「……帳簿?」


「言ってしまえば、墓に入っている人の帳簿ですね。そこに家名が入っているので、家名を覚えている人はそこから家族の墓を見つけるわけです」


「……じゃあ、わたしの家族の墓て、探しても見つからないんじゃ」


「そうですね。エティカ様が()()()()様でなければ、見つからなかったでしょう」


 それはどういうこと、と聞く前に、ドタドタと足音も勇敢に墓守の老婦人が戻ってくる。


「やっぱり、エティカと聞いてもしかして、と思ったが。そうかそうか。探しやすかったぞ」


 意気揚々と、机にバカでかい帳簿をドスンと置く。

 それこそ、机が悲鳴をあげ、置いた衝撃でティーカップが浮いてしまうほどの重量で、だ。

 小さな子どもくらいの大きさで、どうやってそこに書かれている紙をまとめているのか分からないほどの、古びた革に包まれたソレ。

 しかも、意気揚々と老婦人が持ってきているのだから、驚きだ。

 俺でも持てないくらいの、帳簿だ。


「あの、それってどういう……」


 エティカは困惑した様子。

 無論、戸惑うのは仕方ないだろう。

 本人が一番気づかないことではあるわけだし。


「エティカ。あなたは、千年前の人。それも勤勉の魔女に封じ込められた、可哀想な宿命の子。そして、アタシ達魔人族の命運を握っている子であったわけさ」


「……」


「今までの魔人族が小さい頃に聞かされた名前の人が、今目の前にいるなんて、思ってもみなかったさ。でも、エティカ。あなたのことを知らない魔人族は、いないてことさ」


「つまりは、エティカ様は有名人というわけです」


「……有名人なんて、そんな」


 謙遜でもない。

 もちろん、自分を卑下したものじゃない。

 他人の評価が自分の身に余ることなんてよくある話だ。


「でも、それでわたしの家族の墓なんて、見つかるなんて――」


「エティカ。なんで魔人族なのに、墓守がいるのか。その理由を考えたことはあるかい?」


「……? いえ」


「魔人族はただでさえ長寿だ。それこそ数百年生きたものがいるくらいには、長生きする。その中で、自分のことを覚えている者なんて家族か、親しい友人だろう。

 子を成しにくい種族でもあるからこそ、そういった狭い範囲でしか、墓を気にする者はいない」


「なにせ、衰退の一途を辿るような種族です。墓のことを気にするよりも、日々の生活。果ては自分の朽ちゆく時までを見越して行動しなければいけないわけです」


 子宝に恵まれない。

 かといって、長寿な種族でもあり、隔絶された土地に追いやられたこともあり、一日を生きること。

 それを数十年。

 百数年。

 続けることを考えなければいけない。

 いつの間にか、隣の誰かが死んでいた。

 いつの間にか、自分のことを覚えている人が消えていった。

 そういう宿命にあるのだ。

 もちろん、新しく人と関わることでこれらは解消されるだろうけど。

 かつての友を覚えているのは、自分だけになってしまう。

 ここが気がかりな部分なんだろう。


「もちろん。墓のことを忘れないよう、皆気遣ってくれてはいるわけだが、どうしようもできない時はくるからね。アタシだって、歩くのが精一杯なくらいさ」


 ……本当に?

 え、この帳簿を運んで来て精一杯なんて。

 嘘だろ?


「後は長生きし過ぎるから、忘れっぽいというのもあります。ですので、墓守の人がいるわけです。

 そろそろ墓参りに来なさいと、通達をするために、ね」


「忘れてあげないことが一番の供養になるからね。そういうわけだ、エティカ。あなたの家族の墓だが、しっかりあるから、案内しよう」


 そう言うや否や、座っていた椅子から勢いよく立ち上がり、そそくさと玄関へと向かう墓守の老婦人。

 ……本当に歩くだけで精一杯なのか?

 同じように疑問を持ったエティカと目が合う。

 まぁ、魔人族の基準とやつだろう。

 もしくは全盛期と比べてなのかもしれない。


 そして、墓守の老婦人に急かされるまま、丁寧にならされた山道を進んでいく。

 山の麓にある墓守の家から、山の中腹へ向けて伸びている一本道。

 その先に共同墓地とやらはあるらしいのだが。

 墓守の老婦人はそんな山道をものともせず、平地と変わらぬ早さで登っていくのだ。

 ……絶対、歩くだけで精一杯とか嘘だろ?

 

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