第627話「進展あれど、ゆるやかなり」
その後、数年間。
いわゆる目立った進展とやらはなかった。
いや、実際にはささやかな前進はしていたのだろうがなにせ、魔人族との共存とあれば事が事だ。
かつての敵対勢力と、「王の洗脳が解けたので仲良くしてください」と言われて、友好関係を築けるかといえば難しい話だ。
特に、国民の中には『魔王』に殺された遺族の人だっている。
そういった人からのごもっともな意見が上がってくる以上、長い年月を掛けて信頼を得ていくしかない。
そういった意味での、エティカを魔人族の大使にして、常駐させるというのがおおよそ丸い案ではあったのだろう。
特に、エティカはストラ領での信頼は恐ろしいほど獲得している。
あの領主でさえも、エティカを知っていて、【白銀の柔姫】という通り名だって使っていたのだ。
しかも、エティカに助けられたことがあるらしいし、俺の知らないところで、だ。本人いわく、咄嗟のことであまり覚えていないらしいので、それこそ給仕になってすぐの話だろう。
かといって、そこまで信頼を獲得している実績もあってか、王都での生活が上手くいく――なんてことは決してないわけで。
むしろ、風当たりが強くなるのが然るべき反応ではあるはず。
…………そのはず、なんだけど。
「エティカちゃん! この間、手伝ってくれた礼を渡し忘れてた! ありがとうな!」
「エティカさん。よかったら、またお手伝いをしてくれたら嬉しいわ。お礼とはいってなんだけど、魔術書をどうぞ」
「エティカさんや。この間はどうも、ねぇ。うちの孫が作ってるお菓子だけど、よかったら食べて頂戴」
と、道行く人、店主、図書館の館長からお礼を貰っているわけで。
……エティカは凄い、以外の感想が出てこないほど、凄まじいスピードで人心を掌握していったのだ。
本人には自覚がないだろうけど。
「いいのかな、こんなに貰っちゃって」
「貰えるのなら貰っておきな。善意を謙虚に断るのは失礼らしいぞ」
「そっか……」
俺も荷物を代わりに持っているものの、それでもすれ違う人だけでないから、家に帰る頃には両手が塞がってしまっている状態になっていた。
いやはや、玄関をちょっと広めにしてもらって良かった。
狭かったら、荷物だけであっけなく埋まってしまう。
――ということで、俺とエティカはヘレナの子どもがある程度大きくなった段階で、王都へ引っ越してきていたわけだ。
建築家に依頼して、エティカの要望通りの家を建てて貰ったので、そこそこの大きさになってしまい値がはった。
……まぁ、金はあるから一括で済んだが。
そうじゃなかったら、と思うと寒気がするくらいの見積書だったのは言うまでもない。
まぁ、土地代が安くなってたのは救いだった。
「エティカ、ひとまず飲み物を入れてくれるか?」
「うん、わたしも喉が渇いたからいれるね。紅茶でいい?」
「紅茶がいい。ありがとう」
玄関に置いたものをリビングに避難させ、新品同様のソファーへ腰掛ける。
一部屋一部屋をでかくしておいて良かった。
心底そう思う。
「……それにしても、ここまでエティカの印象がガラリと変わるか……」
「びっくりだよね」
「まぁ、びっくりだけど、それ以上にどうなってるんだって話だよな」
そもそも、最初の印象だってそんなに悪くなかった。
だって、魔人族てだけで血相変えて逃げるか、立ち向かうか、の人族が、軒並み警戒はするけど、それ以上のことはしないんだから。
悪評だって流れていなかったし。
どういうわけだろうか。
「イラオが、ちょくちょく交流する機会を作って話をしたりしていたらしいよ」
「それでも、手のひら返すくらいだぞ」
「多分、対の魔女とかの信用が裏返った結果じゃないかな」
……そういうものか。
というか、人族の中でも信用していた存在が実は諸悪の根源だったとすれば、気まずいか。
気持ちや、気分や、気がまずいか。
だから、エティカへの申し訳なさとか、自分達の今までの行動に罪悪感をもっているのだろうな。
それでも、どちらにも非はあるだろうに。
人族も、魔人族も、どちらにも悪いところはあっただろうに。
「多分ね、元々王族とか貴族の人以外はまともだったんじゃないか、てイラオは言ってるよ」
「まとも……だったのか?」
「どこかの貴族のお嬢様が、頑張ってたらしいよ」
あー……。
なるほどね。
あの人か。よく動いてくれるものだ。
……というか、こうなることを見越していたのだろうか。
そうなると、凄まじい先読みではあるけど。
「今度お礼でも言っておくか」
「だったら、この家に招待するのはどう? そういうのも必要だってローナちゃん言っていたし」
そう言いながら、俺へティーカップを渡し、隣にちょこんと座ってくるエティカ。
ふわっと、甘くも茶葉独特の豊かな匂いが漂う。
宝石を溶かしたような、なめらかできらめく水面。
そこに映る自分の顔が少しぼやけて見えるのは、きっと湯気のせいだろう。
「そうだな、落ち着いたら招待状でも送ろうか。まだまだ家具とか揃っていないし、必要な雑貨とかあるし」
「そうだね。やること一杯だ」
一口、桃色の唇がティーカップの縁へ押し付けられ、紅茶を飲み込む喉がささやかに動く。
「いい紅茶だね」
「確か、向かいの家が紅茶専門の喫茶店をしているんだって。そこから貰ったやつだったかな」
「へぇ、今度なにかお返ししなきゃ」
そう言いながら、貰った物を見つめる紅色の瞳。
そこには大変だと思う気持ちは微塵もない。
むしろ、楽しんでいるくらい輝いている。
実際、楽しんでいるんだろう。
「楽しそうだな」
「うん。だって、ここにいてもいいって言われてるみたいな気がして、わたしもお返し頑張らなきゃて思って」
それもそうか。
境遇を思えば、ありのままいてもいい。なんて、言葉じゃなくても、物として表現してくれているなら、これ以上ないくらいエティカは喜ぶだろう。
だから、貰って嬉しいだけじゃなくて、同じように喜んでもらいたいと思うのだろう。
……んー、いい子すぎる。
「また、一緒に出掛けられるな」
「うん!」
……そういう俺は、エティカと一緒にデートできるから嬉しい、なんて言えるわけもないけど。




