第626話「愚痴の王」
「本当に何も話が進まないぞ」
「そういうものじゃないのか、政治って」
「だとしても、だ。国交くらいどうにかならないものか。ただ友好関係結びました、ってだけで充分じゃないか」
「そうやってると、悪いことを考えて動く奴がいるから無理だろうな」
「……むむ」
ようやくの休みを手に入れたイラオは、黙する鴉にやってきて早々、飲み物が運ばれて来る前に愚痴を吐き出していた。
しかも朝にやってきているものだから、目撃者なんていない。
どれだけ、嫌だったんだろうか。
想像したくはないけど、仕方ないか。
「エヴァン・レイ。お前もなぜ会議に参加してこない?そうすれば、全く進行しない話に終止符が打たれるはずだ」
「そうやって適当なことを言って俺を巻き込もうとするなよ。俺が参加したところで一緒だろ。この間の王城に乗り込んだ時だってそうじゃないか」
「お前が邪魔してくる奴の首根っこを掴むだけでいい」
「そんな脅迫で得られる自由なんかいらないよ」
恐怖政治に加担するつもりなんてない。
そんなことをして、いい結果になったことなんてない。
むしろ、悪化の一途を辿るだけだ。
なにより、それで魔人族の評判が良くなるなんて考えられないし、評判じゃなくても友好関係を結べているとは言い難いだろう。
「お前ならそう言うと思ったよ。……しっかしなぁ、実際困ったものだぞ」
「何に困ってるんだよ」
小さな背丈が辛うじて見えるくらいの彼女は、ぶらんぶらんと足で船を漕ぐ。
まるで子どものようだ。
……というか、何も知らない人が見たら子どもにしか見えないだろうな。
そんな子が魔人族の王をしているなんて、誰が想像できるだろうか。
「あいつ、誰だったか、よく肥え太った男がいるんだ。そいつが、ちょくちょく邪魔をしてきてな」
「邪魔、ねぇ……」
「例えば、そうだな……。同じ質問を違う言葉で聞いてきたり、明らかに会議を延長させる――長引かせる目的の行動ばかりしてくるものだからな。困ったものだ」
……きっと、ロドルナだろうけど。
あいつ、まだそんなことをしているのか。
勤勉の魔女が封じられた今、大人しいのかと思っていたが、やはり性根は直っていないみたいだ。
……というか、元々性根は腐っていたか。
「しかも、その男は王政関係者の中でも偉い立場らしくてな。退出を求めても【自分のいないところでの会議は認可できませんね】と言う始末でな」
「まぁ、そう言うだろうな……」
必死に違いない。
というのも、王都の――それも王政に携わる者への信用度はほぼ地に落ちかけているのだ。
今まで誰も叩いていない布団を叩いてみれば、ホコリどころか布団そのものが砕け散ったくらいには、ありとあらゆる情報が流出しているらしい。
自業自得というか。
然るべき罰というか。
そんな怪しい立場になってしまった以上、ロドルナは少しでも自分の居場所を作ろうとしているのだろう。
反対意見を持つ集団として。
もしくは、反対側の派閥として。
「諦めるしかありませんよ。その男は死ぬまでしがみついてくるほど、しぶといですから」
「給仕のお前がどうして、その男のことを知っているんだ」
イラオの目の前に、琥珀を溶かしたような液体で満たされたコップを置くローナ。
漂うアルコールの香り。
珍しい。蜂蜜酒だ。
しかも、これこの間俺が買ってきたやつか。
「私はその男の小間使いでしたので。悪い噂だけでなく、腐った策略を好む下衆野郎だとよく知っています」
「なるほどな。しかし、下衆野郎の相手なんてあたしはあまりしたくないんだが」
「そこの男もまぁまぁな下衆野郎だと思いますけど」
「さりげなく俺まで巻き込むなよ」
急に殴ってくるなよ。
痛いだろ。
下衆じゃないし。
「こいつは下衆じゃない。ただ、馬鹿なだけだ」
「それも酷いから。なんで二人して殴ってくるのかな」
そんなさり気ない主張も気にせず、イラオは一口蜂蜜酒を飲む。
飲み込んで、もう一口。
そして、目が潤って更にもう一口。
「美味いな」
「お気に召したみたいなら、馬鹿にしたことを謝って欲しいけど」
「それとこれとは別だ」
「どこが別なんだよ」
そうは言っても頑なに謝らない姿勢のイラオは、半分ほど飲むと、何か思いついたのか、唐突に立ち上がる。
「よし、しばらくここに居座る」
「はぁ……!? 会議はどうするんだよ。大事な国交が……」
「冗談だ。というか、そう言いたいのは山々だが、やるべきことから逃げているとアイツに怒られるかもしれないからな」
「……せめて、嘘なら嘘だと分かりやすいのを言ってくれよ」
本当に逃げ出すのかと思ったが、よく考えてみれば、そんなことをするような奴が王になんてなれないか。
そうこうしていると、イラオは残っている蜂蜜酒を勢いよく飲み干す。
「じゃあ、行ってくる」
「もうか、早くないか? エティカだってまだ帰ってきてないし……」
「いいのよ。本の虫を見たら、それこそ勢いが削がれちゃうわ」
削がれるような女の子では無い気がするけど。
まぁ、人によって印象は違うか。
「ありがとうね、蜂蜜酒、美味しかったわ」
そう言う彼女は疲れ切っているはず。
そのはずなのに、どうしてだろうか。
さっきまで愚痴をこぼして、弱音を吐き出していたはずなのに。
楽しそうに見えるのは。
いや、楽しい場所を目指しているからなのかもしれない。
そう思うようにしよう。
決して空元気ではないようだし。
「また飲みに来い。ローナの酒ならいくらでも飲んでいいから」
「誰がそんなことを許可しましたか……!」
思いっきり後頭部を叩かれる。
……本気で叩きやがって。
しかし、それを見てイラオは心配するどころか笑顔を浮かべる。少し悲しげだけど、それでも自分のしてきたことを無駄にしないように。
「……えぇ、また来るわ」
そう言って、彼女は王都へと旅立った。
無論、俺の財布から銀貨が数枚、旅立った。




