第625話「好物の話」
昼食時。
今日も今日とて、なにもない――どころか、なにも起きていない平穏な一日。
その中で、自堕落に過ごしてしまっている背徳感なんてあるわけなく、この今という瞬間を心底楽しむつもりだ。
楽しみの一つは、この食事が半分を占める。
もう半分はエティカと一緒にいる時間だが。
じゃあ、その半分を占める理由はなんだと言われたら、そんなの決まっているじゃないか。
「エティカの飯はいつも美味いな」
「えへへ……ありがとう」
自分の分をシック調に仕上げられたお盆に乗せ、俺の隣へ座るエティカ。
そこには、俺と同じ料理が並べられていた。
先程も言った通り、エティカの手料理だ。
「エヴァンはいつも美味しいて言ってくれるね」
「そりゃ美味いからな」
ふわっと、濃厚なトマトの香りが昇ってくるスープに、こんがり焼いた挽肉に少しの香辛料とニンニク、そして玉ねぎが焼き合わさったものを小麦の布団にくるんだミートパイ。
これがなんとまぁ、ちゃんと料理したと言うのだから、感服だ。
いや、この場合は乾杯だろうか。
「特にスープが美味い」
「ありがとう……」
ごろっと切ってある野菜の数々。
それだけじゃなく、切り刻んだベーコンまで入っているのだから、至れり尽くせり。
最高だ。
腹も心も幸せになるのは、この上ない贅沢かもしれない。
「でも、今日ね。ちょっと煮込むものに困ってて……」
「え、エティカが困ることもあるんだな」
「そりゃあるよ。エヴァンに食べてもらうんだし。毎日困ってるよ」
「そぉりゃぁ、ありがたいことで……」
それもそうか。
毎日給仕の仕事や買い出しをしているだけが、エティカの仕事じゃないもんな。
家事やヘレナの手伝いだったりも立派な仕事だ。
…………やばい、俺なんもしてないじゃないか。
「本当に……ありがとうございます…………」
「急にどうしたの……? そんな深々と頭下げなくていいから……!」
「いや、心底思っている次第で……」
いよいよ、俺も動き出さなければいけない理由ができた。
というか、危機感がないと動けない辺り、相当切迫した日々を過ごしていたのかもしれない――とだけ言い訳しておこう。
ここでエティカに愛想をつかされてしまっては、エティカのご両親にも申し訳ない。
「うん……。そう思うと、このミートパイも塩気が増して美味いよ……」
「それエヴァンが泣いているからじゃない?」
いつの間にか涙がこぼれていたらしい。
それをすかさず拭いてくれるエティカ。
あぁ……、なんと健気なんだろうか。
「それより、エヴァンはそのスープ、大丈夫?」
「え、どういうこと?」
急になんだろう。
え、なんかおかしなものでも入ってたのか?
いや……でも、見た目は普通だ。
ごろっとした野菜。柔らかなベーコン。ささやかにも点在している豆。
……うん、どれもおかしなところはない。
味だって……匂いだって、美味い。
うん、匂いだけで食欲をそそられる。
「おかしなところなんてないぞ?」
「いや、おかしい……というか、ちょっとエヴァンの嫌いなものが入ってるから……どうかなって思って」
エティカはもじもじと申し訳なさそうに、言ってくるが……はて? 嫌いなもの?
「俺の嫌いなものなんて入ってないぞ?」
強いて言えば、魔獣の肉だったけど。
もう食べる機会なんてないし、そもそも、もう食べられる気なんて起きない。
それ以外に苦手なものはないほど、ほぼ雑食なわけだ。
……貪食とでも言うのだろうか。
好き嫌いしているとうちの母親がボコボコにしてきたし、父親からは自分が苦手だからと俺に人参を押し付けてこられたし。
そういう家庭で育ったからか、食べられないものはない。
「ほら、エヴァン、豆を食べる時一粒一粒食べてたじゃない? だから、苦手なのかなって……思って」
「え、いや大好きだぞ?」
「え、そうなの? いつも最後に食べてたし、ゆっくり時間を掛けて食べてたから……」
あー、そういえばそうだったかもしれない。
確かに、いつも豆類は最後に残しているし、一粒一粒をゆっくり食べているから、そう思ってしまうのも無理はないか。
これは誤解させた俺が悪いな。
「気遣ってくれてありがとうな」
「うぅん。でも、大好きなんだね?」
「あぁ、エティカが作ってくれた料理だからさ。しっかり味わいたいと思って、だけど食べ切ってしまうのももったいないって思って……。豆だったら一粒ずつ、つまんで食べれば幸せが長続きするから、そうしてただけで……。
誤解させてごめんな」
「ううん、そうだったんだね。良かった……」
心の底から安堵したのか、胸を撫で下ろすエティカ。
そうか……。知らないうちに、気遣ってもらっていたのか。
俺が豆類を嫌いじゃないかって。
だから、スープに入れる時困ってたわけか。
……心なしか、豆の量も少なく見えるし、取り分ける時になるべく入らないようにしてくれたんだろうな。
……本当に、優しい子だ。
「じゃあ、今度からはいっぱいお豆さん入れてもいいんだね?」
「あぁ、じゃんじゃん入れてくれ」
そう言うとエティカは困ったように笑う。
「エヴァンの好きな物を教えて欲しいな。そうしてくれたら、給仕の合間に見ているだけでも分かるから」と、提案してくれたので、即座に「俺の好きな物はエティカだぞ」と答える。
彼女は呆れたような笑顔を浮かべていたが、「わたしも、エヴァンが好きだよ」と返してくれた。
そうやって、ある程度イチャイチャしたところで、お互いの好きな食べ物の話だったり、色々な人の好きな物へと繋がっていく。
そして、決まってローナからそろそろ買い出しに行くようにと急かされる。
そんな日々が俺の一番好きな物なのかもしれない。




