第623話「怒り、」
「ローナちゃんは怒っていないよ」
「本当に……?」
次の日。
つまりは、ローナから倉庫の掃除を任されて翌日には、エティカへ様子を聞いてみたが、ヘレナと同じ返事であった。
そうか。
うーん。
「本当に」
「ヘレナもそう言っているけど、俺にはそう思えなくてな」
「ちなみに、怒らせるようなことをしたの?」
聞かれたので、かいつまんで状況を説明して、もしかして怒らせた原因を言うと、エティカは苦い顔をする。
可愛い顔をそんなに歪ませないでおくれ。
「やっぱり怒っていると思うか?」
「人によると思うけど、ローナちゃんは怒らないと思うよ」
「えー……」
「もし、怒ってるように見えたなら、何かお詫びとかしてみたら?」
「やんわり断られたよ。謝っても素っ気ないし、機嫌が悪そうに見えるんだけど」
「んー……よく分からないから、本人に聞いてみるのが一番じゃないかな」
それもそうだ。
だけど、ね。
「気まずい」
「今更、そんなこと気にしないの」
確かにそうだけど。
でも、気まずいものは気まずいじゃないか。
エティカはそんな俺を見かねて、ベッドから立ち上がり、傍に寄ってきてくれる。
エティカの体が近づけば近づくほど、甘い香りが優しく撫でてくれる。
「二人は仲良しなんだから、仲良くしていなきゃ」
「別に仲良してわけじゃ……」
どちらかといえば、仲は悪いのかもしれない。
いや、どちらとも言えないか。
顔をつきあわせば、お互いへ嫌味を言い合ったり、時には殴られたり。
蹴られたり。
無表情で冷たくあしらわれたり。
とても、長い付き合いとは思えない。
ずっと、そんな調子なのだ。
「ちなみに、エヴァンとローナちゃんは出会ったのはいつ?」
「ん? んー……。出会った、というか倒れたところが一緒だったというか」
「二人とも黙する鴉に倒れてたんだっけ?」
厳密にいえば、俺は黙する鴉に入ってすぐに倒れて、ローナは店先の石畳で伏せっていたらしい。
まぁ、そのくらいは誤差だろう。
「そうだな。違うところがあるとしたら、俺は意識がなくて、ローナは意識があったということかな」
「そうなの?」
「腹も空いていて、意識も朦朧とはしていたらしい」
「凄いね……」
凄い。
確かに凄い。
だが、勘違いしちゃいけないのは、意識を失っても大丈夫な俺に対して、ローナは意識だけは失っていけないという危機感があったことだ。
「ローナが言うには、腹を空かせてぶっ倒れて、気付いた時には知らない貴族の男に襲われていたらしいからな。
どれだけ朦朧としても、いざという時に動けるようにしていたんじゃないか」
「……そっか」
椅子に座っている俺の上へ、膝の上にやんわりと腰掛けるエティカ。
そのまま俺と向かい合うわけもなく、横を向いたまま、ローナの心境を想像して悲しそうな顔をする。
いい子だ。
あまりにも、いい子すぎる。
「それから、感情は切り捨てたらしい。持って苦しむくらいなら、持たない苦しさの方が楽だって」
「それはローナちゃんが言ってたの?」
「あぁ、無表情で、しかも淡々と言い続けるから俺は怖かったよ」
自分がどういう状況に陥って、どういう思考をして、どんな生活だったかを、淡白に言い捨てる。
それも無表情で、だ。
悲しいなんてない。
怒りなんてない。
苦しみだって、あるのかもしれないが、それ以上の苦しさと比べたら楽だと思うから、気にしない。
しかも、自分の気持ちを分析し始めるんだから、怖いとしか思えなかった。
いや、失礼かもしれないけど。
本当に怖かったよ。
「それは、辛いことが当たり前だと思っているから……?」
「それもあるけど、一番は殺すことに躊躇がない」
「殺す……ローナちゃんが復讐なんて」
「なにも、殺すのは他人だけじゃないさ」
そう、なにも復讐目的で殺すなんてローナは考えていないだろう。
復讐はしたいんだと思う。
というか、酷い目にあって欲しいと思うんだろう。
それも、自分の目の届かない世界で。
だから、ストラ領まで逃げてきたんだろうし。
「ローナは自分自身を殺すことに躊躇が無さすぎた。だってよ、感情がないなんて口だけ言うなら簡単だけど。
ローナは本当に感情がなかった」
「……」
「嬉しいなんて言わないし、思っていない。でも、感謝だけはしてくれる。ただ、それは義務みたいなもんだ。
こう言わなければいけないから、口が勝手にその通りに動いているだけ。
何かをくれたら、感謝をしなければいけないから、ありがとう、と言う。
そうお手本の通りにやっているだけ。
決して、ローナが嬉しいからなんて理由は無い」
だから、唯一ヘレナの能力がローナの心情を読み解いてくれる手助けをしてくれたのは言うまでもない。
僅かな心の動き。
そして、避ける感情。
「だから、俺としてはよく分からないんだよな」
「……というと?」
「俺が今までしてきたことって、アイツを怒らせたりするようなことだった」
「……そんな意図とか無かったでしょ?」
「無いよ」
基本的に、普段通り接する。
それだけだった。
まぁ、適当に言いすぎてエティカに怒られたくないから、ここまでにしておこう。
太ももをつねられる痛みに耐えられそうにないし。
「まぁ、言っちゃえば俺が怒らせたのは確実なのに、ほかの皆が見たら嬉しい、ていうのがよく分からないんだ」
「……んー」
つねるのをやめてくれたエティカは、天井をみつめる。
紅色の瞳で。
その顔には、昨日のローナの様子を思い返して、いつもと違う点はないか、考えていそうだった。
「多分、だけどね」
「あぁ」
「……エヴァンが気にしなくてもいいことだと思う」
「えー……」
やっぱり、エティカにはなんとなくでも、わかっているらしい。
怒っていても、嬉しいなんて。
ほぼほぼ、逆の感情でも持つことができるなんて。
「多分ね。ローナちゃんにも聞かない方がいいよ」
「……そうか。ちなみに、聞いたらどうなる?」
「わたしが怒る」
「えー……なんでぇ……」
「言わないことが華かなって」
そう言いながら俺の鼻をつっつくエティカ。
よく分からないけど、あまり考えてはいけないのかもしれない。
エティカを怒らせたら怖いことなんて、よく分かってるし。
「あんまり深く考えないように、ね。ローナちゃんはエヴァンが思っている以上に、気にしていないから」
「それもそうだな。俺が謝ってるのに、それでも怒っている方が悪いしな」
「ローナちゃんはそもそも怒っていないけどね」
「まぁ、今度酒でも買ってきてやるか」
多分、本人に言えば付いてきてねだってくるかもしれないから、ローナには黙って買っておこう。
高いものだけじゃなくて、あれやこれたと催促されそうだし。
「その時はエティカも一緒に行こうな」
「うん。楽しみ」
柔らかな白銀の髪を俺の胸へ押し付けてくる。
こてん、と。
小さな頭を優しく愛でる。
ローナがきっかけでエティカとのお出かけが決まったし、良しとしよう。
それを本人へ――ローナ自身に言うと、思いっきりふくらはぎを蹴られたのは言うまでもない。
……やっぱり怒ってるじゃんか。




