第619話「偵察」
数日後。
それだけの日数が過ぎても、王国から手紙の一つすらやってこない。
バル爺に聞いても「ワシもよく分からん」と、お手上げらしい。
かといって、何か起こった雰囲気は感じない。
不穏な空気だって流れてこないし、王都からやってくる商人から話を聞いても、悪い噂だって流れていないとくれば、心配しすぎるのもよくない。
なにより、傲慢の魔女がいれば、なんとなく異常事態を察知してくれるはず。
だから、手持ち無沙汰になったわけじゃなくて、本来後回しにしていたことを優先できる。
「おはようございます、バイスさん」
「……おや、早いですね。てっきり昼頃に来られるのかと思っていましたけど」
俺がやって来たのは、民間診療所。
その中でも、集中治療室として設けられている部屋だ。
そこに、白衣を着た貴婦人こと、バイスさんがいた。
今日の目的はそれだ。
いや、厳密には違うけど、バイスさんから話を聞くことも目的に近いというだけ。
実際には、他のことである。
「患者なら、昨日の夕方には全員家路につきましたよ」
「あれ、今日までいるとか聞いていたんですけど」
「あまりにも元気すぎたので帰しました」
「……そうですか」
挨拶でもしておきたかったし、謝ろうかとも思っていたが、いないのなら仕方ない。
いつかどこかで出会うかもしれないし、出会えなくてもそれとなく、躓くけど起き上がれる道を進めるはずだ。
変に見返りを求める立場じゃないことを肝に銘じておかなきゃな。
「バイスさんはどうして白衣を? 患者が退院するまでの間だけの約束じゃ」
「聞いてください」
おぉ、食い気味に。
「私もそのつもりでした。しかし、ここの院長がうちで働いてくれないか、と誘ってきたのです」
「バイスさん、働けるんですか」
「そんなわけないでしょう」
まぁ、そうだろう。
隠居生活をしていた老婦人だ。
いざ動いたとしても、突発的なものだったらいざ知らず。継続的な行動となれば、話は別だ。
実際、勤勉の魔女や対の魔女によって犠牲となった人の治療のために動いているだけであって、それ以上求められるのは違うのだ。
話が違うわけだ。
「だから丁重にお断りしたんですけど。上手いこと丸め込まれまして」
「そんなチョロい人でしたっけ。バイスさんて」
「状況が悪かっただけです」
まぁ、縁側でお茶を飲みながら黄昏れることを幸せだと感じている人にとって、ストラ領は忙しないと感じるだろう。
そんな人が、わざわざここにいなければいけない理由とやらも、バイスさんの状況をより深刻なものにしている。
「いつまで王国は会議を開くんでしょうかね」
「分かりませんけど、たった数日で決めるようなら殴り込みに行くつもりでしたよ」
「意外と物騒ですね……」
いやだな。『賢者』が突然殴り込んできて、会議はどうなっているんだと直談判にくるの。
怖すぎる。
「物騒、暴力的なくらいじゃないと会議なんて進みませんよ」
「そういうもんですか」
「はい。かといって、早く終わらせて欲しいので、殴り込みに行こうと思っていますけど」
「それは暴君とやらでは」
――どちらでも変わりません。
そう言うバイスさんの顔は、本当に帰りたい表情をしていた。
痺れをきらして、泣き喚いた後、結局帰られないことを理解した子どものような、わかりやすい絶望を表出している。
それを感情的にならず、愚痴として消化しているだけ大人だということだ。
「それで、バイスさんはしばらくの間、診療をすることになったと?」
「いえ、そんな資格はありませんよ」
「……え、じゃあなんで白衣を?」
「着てみたかっただけです」
てっきり、診療まで任されていると思ったのに、ただただ勝手に着ているだけらしい。
紛らわしい。
「怒られません? そんなことしていたら」
「怒られませんよ。もう何回もしていますから」
常習犯のようだ。
「……名高き『賢者』様がそんなことを……迷惑まで掛けちゃって」
「いいじゃないですか。結構この姿でうろつくのは気分がいいですよ。何も知らない患者さんから手を合わせてもらえるんですから」
「そういうのは、ちゃんとした本職の人に回してあげてください……」
不憫でならない。
ただ、格好だけをキメた人が崇められるなんて。
いや、格好だけではなかったか。
ちゃんと治療していたのだから、そういった意味では手を合わせてもらうことは、ある意味筋は通っているのか。
誰も治せないと思われていた症状を改善させたのだから。
それに、結構似合っているから診療所に来た人が勘違いしてもおかしくない。
そのくらいしっくりきている。
しっくり着ている。
「ちゃんとそういった人達には感謝を伝えるように、と言っているので大丈夫でしょう」
「それこそ医者じゃなくて伝道者みたいですよ」
「まぁ、長居するつもりはないので。適当なことを言いふらしても大丈夫です」
「そこそこ、いいことを言ったのにそれを台無しにしないでくださいよ」
「エヴァンさん。いいですか。この世の半分は適当でできています。いいことも、悪いことも、適当が半分を独占しているんです」
また、適当なことを言うつもりか。
んー、権威溢れる人が口からでまかせを言うなんてないだろし、という先入観が必ず割り込んでくる。
実際、本当にいいことを言ったつもりなのか。
そうじゃないのか分からないから、反応に困る。
「ちなみに、残りの半分は?」
「嘘です」
そう言い放つと、バイスさんはそそくさと集中治療室から出ていく。
取り残された俺は、未だに頭が真っ白で、どういう意味なのか多少考えていた。
そのまま、気の向くまま部屋を見渡していると、壁に張られた小さな紙切れへ吸い寄せられる。
「わざわざ、清潔にしなきゃいけない部屋に紙切れを貼るか?」
大事なことでも貼っているのかと思っていた。
だが、近づいて見てみると全く関係ないものだった。
いや、俺には関係ある。
それこそ、バイスさんにだって関係ある。
その紙切れには、拙いながらも、綺麗ながらも、ぶっきらぼうでも、丁寧でも、多種多様な文字が書かれていて、更には名前まであったり、無かったりしていた。
【エヴァンさん、バイスさんありがとうございました。】
【助かりましたいつかこのご恩はお返しします】
【なんとお礼を言っていいやら。この感謝は一生忘れません!】
【ありがとう】
【ありがとう】
【ありがとうございました】
【ありがとうございます】
【ありがとう】
そういった感謝の言葉が大樹を作り出していた。
なんだよ。
入った時に気づかなかったけど、バイスさん、治療が終わった人にわざわざ書いてもらってたのか?
いや、書いて伝える方法があると教えただけか。
勢いのまま書いた、感情が現れた文字や、丁寧に、懇切丁寧にしたためた文字だってある。
そのどれもが、書かせたとは思えないほど。
気持ちの込められたものだ。
「適当な嘘が、この世の全て。というわけですか」
なんとも『賢者』様らしい。
そう思いながら、壁に飾られた大樹の葉を一枚一枚、大切に眺めていた。




