第618話「傲慢な妹」
そんなことを妹に報告したわけだけど。
妹て誰? と問われれば、傲慢の魔女の妹だ。
はい。ローナです。
そのローナへ傲慢の魔女が――あんたのお姉さんがどうなるのか伝えたわけだけど。
「そうですか」
あっけない返事なもんだ。
拍子抜けしてしまう。
まぁ、予想はできていたから、拍子抜けではないけど。
「なにも言わないのか? 姉がいなくなるけど」
「いなくなるのはいつものことですよ」
そう言いながら、カウンターの上に置かれたガラス細工のコップを飲み干す。
そこに入っていたのは紛れもない、酒だ。
それ以外はない。
近くに置かれた酒瓶をコップへ傾ければ、琥珀色の水面が満たされていく。
ロウソクに照らされた金色の人生の潤滑油は、アルコールの匂いに紛れて甘くも芳醇な香りを漂わせる。
……また、高い物を買ったのか。
「それより、エヴァンが不憫でなりません。あの姉に捕まってしまったら二度と、逃れることはできませんから」
「そう思うなら、ローナも姉を止めてくれれば良かったのに」
「姉を止めていれば、姉は生きていなかったでしょうね」
「……どういうことだ?」
「過去の話です」
禅問答か?
いや……確か、ローナの故郷は『魔王』の襲撃で生存者がいなかったはずだ。
ローナ以外。
書類上ではそうなっている。
だとすれば、傲慢の魔女が王国でメイドになったことは家族から勧められたとかではなくて、自分から志願したということか。
……もしかして、いけないことを聞いてしまったか?
「過去の話です、と言ったはずです。いいじゃないですか、傲慢の魔女になってもしぶとく生きている姉のことです。王都でも平然と、厚い面の皮で生き残ることでしょうし」
「面の皮が厚いというか、あれはもう別の面だぞ」
話題に合わせて、自分にとって都合のいい面を取り出して、それで乗り越える。
そう見えてしまって仕方ない。
一個じゃ足りないから、いくつも持っていた方が楽、だとも思っていそうだし。
「姉が聞けば怒りますよ」
「怒ってくれた方がいいよ」
「そのまま解雇したとしても、勝手に居座るでしょうね」
傲慢の魔女本人もそのつもりのようだし、だったら相手の感情を揺さぶるくらいの楽しみしかないわけだ。
どうやったって意味がないのだったら、少しでも相手の意に沿わないやり方をしてみて、反応を見てみたい。
いたずらっ子の考え方だ。
まぁ、それでも傲慢の魔女が怒るなんてことはないだろうけど。
「なぁ、ローナは黙する鴉にいるのか」
「王都には行きませんよ」
「いや、姉と変わって欲しいわけじゃなくてだな」
できれば変わって欲しいけど、ローナ自身、王都にいい思いなんてない。
むしろ、近づきたくないのだろう。
この間の処刑は本人曰く、暇つぶしだったみたいだし。
多分、本心はロドルナという元雇用主に、元気な姿を見せて意趣返しがしたかったんだろうけど。
まぁ、目的が達成されたとあれば、二度と近づこうとしないだろう。
気が迷わなければ。
「私の雇い主はアヴァンさんとヘレナさんです。その方達に救われてから、この方達へ恩を返すつもりでいます。一生をかけてでも」
「そう言うと思っていたけど、なら任せてもいいかな」
「なにを、ですか」
「俺の部屋。あそこは残しておいて欲しいんだ」
思い出深い場所でもある。
黙する鴉には俺だって恩義がある。
それこそ、倒れたところを助けてくれたのはアヴァンだし、ヘレナに怒られたことで目が覚めたわけだ。
ローナだけじゃない。
俺だって、一生をかけて恩を返したいと思っている。
「となると、宿泊費を払わなきゃいけないわけですけど。誰もいないのに、部屋を確保しておくのはお客様になんて言われるか」
「なんて言われても気にしないだろ。適当に、その部屋を片付けようとしたら、お化けが出てくるとでも言っておけばいい」
「気にしませんけど、どうしてそんな回りくどいことを? 宿泊費という名の祝い金を払っていきたいとか、思っているわけじゃないですよね」
まぁ、色々ある。
そう言ってしまっては簡単だけど、ローナは納得しないだろうな。
「これには深い深い、俺の器くらい深い事情があってな」
「小皿程度の事情ですか」
「アホ言うな。せめてスープ皿程度だ」
「……あっさい」
うるさいな。
「黙する鴉には、依頼掲示板があるだろ? あれが理由だよ」
「あー、そういえばややこしい制度がありましたね」
冒険者組合に認められた宿泊施設。
そして、冒険者組合から選ばれた冒険者の常駐。
それがなければ、依頼掲示板を設置できないので、酒場としての機能を活かしにくくなってしまう。
特に、冒険者が生還した時、大興奮した彼らから酒代を集めることができない。
また、宿屋としての側面もあるから、旅人から受け取った依頼をわざわざ冒険者組合へ持っていく手間だってかかってしまう。
せっかく、冒険者へ依頼を片付けてもらっている人を完了するまで泊める宿代が無くなってしまうのは、意外や意外と多い。
「でも、常駐ですよね。その制度の条件だと」
「いわゆる、居住地としての届出があるかどうかなのと、常駐というのも大雑把でいいらしい」
「大雑把、とは?」
「言ってしまえば、依頼を受けた冒険者がなんらかの事情で達成困難になった、もしくは不可能だと判断した時、代わりに依頼を受けたり、最悪の場合は冒険者の生存確認だけを済ませる役目ができればいいわけだ」
「長い。もっと短く」
文句言いおって。
「責任者だよ責任者」
「エヴァンほどの無責任者もいないでしょうに」
「本当にうるさいやつだな……!」
怒りに任せて暴れてしまいそうだった。
まぁ、でも。
無責任ではあるか。
「だから、依頼が未達成になった時に動ければいいわけ」
「ふむ。だから、居住地の届出だけ必要なわけですか」
説明しようとしたのを端折らないでもらえますかね。
「緊急時に対応出来る場所にいることが条件という見方もできますけど、それだとありとあらゆる酒場や宿屋で虚偽の申告が出てくる可能性もある。
だから、冒険者の常駐が条件になるわけですか」
「……まぁ、な。その内、この制度もある程度緩和されそうではあるけど」
「恩返しもかねて、と。この黙する鴉が維持し続けてもらえるように、部屋は残しておく。ということですか。
その部屋に滞在する予定があるし、常駐できるという証明にできるから、と。
……相変わらず、小賢しいですね」
「名案だと言ってくれないかな」
実際、こんなことをする人は他にもいる。
言ってしまえば、所帯を持っている人だな。
家があり、そこに住んでいるけど常駐している証明として宿屋の一部屋をまるまる借りる。
実際に使われてなければいけないので、ちょくちょく冒険者組合から抜き打ちで立ち入り検査があるので、本当に小賢しいことを考えている人以外は心配しなくてもいい方法だ。
「それかローナが冒険者になってくれたら、俺が部屋をわざわざ借りる必要はないんだがな」
「嫌です」
断固とした姿勢で言い捨てると、再びコップの中の液体を飲み干す。
美味しそうに飲みやがって。
「……一口くれないか」
「えー……」
渋る――ということは、結構お気に入りでしかも高いやつか。
うわ、そんな酒を豪快に飲むとか。
なんたる贅沢者だ。
「分かりました」
おや、素直になった――と思っていると、ローナはなにを思ったのか、俺へと向き直る。
体を向け、無表情で見つめてくる。
そのまま、俺の顔向けて酒をぶつけてくるのかと思ったが、違ったみたいだ。
酒瓶から少しだけコップに移し、それを口に流し込む。
いや、飲み込んでいない。
口に含んだままだ。
そして、それを俺へ見せびらかすように口を大きく開ける。
「ほぉれ、どぉぞぉ」
嫌だよ。
どうやって飲めばいい。
いや、飲まないけど。
だって、飲もうとしたら口の中へ舌を突っ込まなきゃいけないわけだろ。
そのピンク色がうるうると妖しく照り返すような場所に。
絶対、顔を近づけたら吹きかけられるに決まってる。
だから、俺がやることとすれば。
「やっぱりいらない」
「ほぉぐふぉ……」
その空いた口を下顎を叩いて、閉じさせることだ。
……まぁ、無表情の割にいかつい目つきでかえされたけど、気にしないでおこう。
こういうのは、あっけないくらいでちょうどいい。




