第616話「それぞれへ」
エミルと赤ん坊との邂逅が済んでから、俺は呼び出しを受けていた。
誰から?
エミルからだ。
「すみません、わざわざお忙しい時に」
「忙しいのはエミルも一緒だろ? それに俺はここ最近は暇なもんさ」
実際暇だ。
待機状態ではあるけど、王国が方針を決まってからじゃないと動けない。
まぁ、それでも王都で暮らすための建築云々で色々あるけど、それは時間を掛けていい。
だから、目先で解決しなければいけないものはない。
せいぜい、転居届けくらいだ。
「聞いたぞ、解術師になるよう薦められたんだってな。良かった」
「はい、お陰さまで」
「まぁ、大変だろうけど」
「エヴァンさんのお陰です。色々ありましたけど」
確かに色々あった。
それこそ、エミルの心が折れてしまっておかしくない事態ばかりだ。
それでも、エミルはここにいる。
これは凄まじいことだ。
恐ろしいほどに。
「色々あったもんな。本当に頭を下げなきゃいけないことだったり、土下座しなきゃいけないことだったり」
「土下座なんて、しないでください。多分、能力研究所のことでしょうけど、あの経験がなければ私は解術師になろうと思わなかったはずですから」
「そうか。……これは知的好奇心から聞きたいことなんだけど、どうして解術師になろうと思ったんだ? あんなことがあったら、大抵の人は魔術だったり人と関わろうとしないだろうに」
その質問を投げて数分、エミルは考え込む。
耳を前、後ろと動かし、脳みそを動かしているのに合わせているようにも見える。
エティカが見ていたら、釘付けになっていただろうな。
「……許せなかった、からですかね」
「許せなかった、ね。自分をか?」
エミルは首を横に振る。
くせっ毛な赤髪が揺らめく炎みたいに、火花を散らす。
心做しか、色彩が輝いているようにも思う。
気のせいか。
「対の魔女が、です」
「これまた、すごいな」
そのままの感想が飛び出てしまい、慌てて訂正を挟む。
「ごめんな。普通だったらさ、怒りの感情とかよりも怖いと思う人が多いだろうし、少なくともそういう人も見てきたことがあるから、余計に、な。なんていうか、並外れた精神力て言いたかったていうか」
「実際、おかしいとは思いますよ。怖かったはずですし、もう二度とこんなことに関わりたくないとも思っていたはず。
それでも、こんなことをする対の魔女を許せないと思ったんです」
思い出して、エミルの拳が机の上で震える。
固く握られた手指は、今にも血が滲みそうではあった。
「偉いな、エミルは。だから、解術師になろうと思ったのか? 対の魔女へ対抗する手段として」
「はい。魔術では到底敵わないのは明白でしたから、せめて対の魔女の思惑をいじくれるような立場になれればいいかな、と」
魔術だけではない。
魔法だって。
能力だって、対の魔女にとってはほぼ際限がない。
だから、せめてもの抵抗として。
せめての対抗手段として。
対の魔女が仕掛けた魔術を台無しにできる術を確保する。
そう思考したのだろう。
そう、選んだのだろう。
あえて、魔術で挑まず、他の選択肢の中からより勝ちやすいものを選定したのだ。
「ですので、エヴァンさんには謝らないといけないことがありまして」
「ん? 謝ること?」
何かあっただろうか。謝られるようなことが。
……ないはずだけど。
「せっかく、面接で選んで頂けたのに、なかなか黙する鴉に来なかったことをです」
「それは仕方ないだろ。そもそも、解術師を目指す人の中から選んでいたんだし、その道があるなら優先して欲しいと思っていたしな」
「でも……」
「エミル。もし、謝らなきゃいけないことがあるとしたら試験の日程を教えてくれなかったことだけだ。自分一人で受けようとした姿勢にだけ、俺は怒っているくらいだ」
「……すみません」
「そう落ち込まなくていい。ただ、俺にだって知り合いはいる。解術師じゃないけど、魔術の扱いが上手で知識も豊富な人がな。その人にエミルの手助けをしてもらうことだってできたし、俺よりも教え方が上手だからエミルの腕が上達することだってできたし」
こればかりは、あくまでの予想でしかない。
教える側も、教えられる側も相性がある。
それがハマればぐんぐんと成長する人がいれば、その逆もしかり。
こればかりは運だ。
だが、解術師の試験となれば、そんな運を度外視してでも圧倒的知識と知恵が必要となれば、話は変わってくる。
だから、一人で挑み、一人で背負おうとしたエミルへの怒りは多少だけある。
「まぁ、俺が忙しかったから仕方ないけどな。そのことを気遣ってくれたんだろ?」
「……言い訳になるかもしれませんけど」
「それだったら、俺が忙しいと言っていることの方が言い訳だから、気にしないでくれ」
なにより、エミルの試験の日程からして多分頼られたとしても、俺が期待している相手は忙しかっただろうし。
過ぎたことをいつまでも気にしていてはいけないな。
切り替えよう。
今までじゃなくて、これからへ。
つまりは、会話を戻すわけだ。
……これじゃ今までじゃないか?
まぁ、いいか。
「ところで、エミルはこれからどうするんだ?」
「これから、というのは……」
「俺はエミルの教師でもあったし、雇い主でもあったわけだ。しかし、生徒が最もよく成長する道があるのなら、阻むのだけはやめておきたいわけだ」
「……」
今に決まったわけじゃない。
だが、いつかくるわけだ。
エミルが黙する鴉を旅立つことも。
「ちなみに、エミルが解術師になってくれること。それを目指すことに集中してくれること。そういったことには、黙する鴉の面々は賛成だ。大賛成だ」
「……あまり、手伝うことができませんでしたけど」
「……そうなのか」
いや、そんなわけあるかい。
「買い出しやら、給仕の仕事、エティカへ魔術のことも教えてくれてたじゃないか。あれは手伝いに入っていなかったのか」
「私じゃなくても良かったように思いまして」
あー、なるほどね。
分かった分かった。
つまりは、申し訳なさが限界突破して良くない方向へ感情が進んでいるわけだ。
よくあるよくある。
俺もそうだった。
「まぁ、そうだな。エミルのしていたことは、他の誰かがやっていてもおかしくはなかったと思う」
「……」
「でも、手伝ってくれたのはエミルだ。エミル以外に任せられないほどだった」
それでもエミルは俯いたままだ。
おやおや。
これは重傷だ。
「だから、皆エミルじゃなきゃダメだった」
「そ、そんなことは」
「実際、俺なんかそうだぞ。エミルが買い出しに出てくれて、全く酒場に来ない獣人族の人が来てくれた。そのお陰で、俺も、いや、魔人族を救う手助けになったと言ってもいいくらいだ」
「そ、そこまで大袈裟なことは……」
「事実だぞ」
謙遜しないでもらいたいくらいだ。
真実だ。
おかげもなにも。
縁の下の力持ち以上の手助けをしてもらったのだ。
そのことを、エミルはわかっていない。
理解していない。
人との繋がりがどれだけ大切なのかを。
「エミルが連れてきてくれた獣人族の中に、領主の屋敷で仕えている人がいてな。その人が魔人族の和平に協力してくれるように、領主へ持ちかけてくれてな」
「ぐ、偶然です」
「偶然だろうと、引き寄せたのは実力だ」
運を掴めるかどうかは偶々で片付けるべきではない。
必然だ。
無意識下の必然だ。
取るべくして取って。
逃すべくして逃す。
ただそこに意識が介入できる余地はほぼないから、偶然だと片付けられるだけで。
事実としては、手を伸ばしたか。
閉じた手に握っているかどうかだ。
その中で、エミルは掴んだのだ。
「だから安心しろ。そして、自分を信じろ。謙遜するな」
「……はい」
「だから、胸を張って解術師になったことを報告してこい。何年経ってもいい。決して諦めるな」
ジジ臭くなってしまった気がするけど。
実際、大事なことだ。
だが、それでもエミルはなかなか自分の中で納得できていない部分があるようで。
あまり芳しくない反応だ。
仕方ない。最終手段を使おう。
「エミルはあの対の魔女から生きて帰ってこられたんだぞ」
「……確かにそうですね」
「それを運がいいなんて片付けられるか?」
「……いえ、全く」
運なんて不安要素の塊でどうにかできる相手じゃない。
それこそ、格上相手との戦いでは運が絶対的にはなってくるが、そういったものとは次元が違う。
そもそもの次元が違う。
運という概念自体ぶっ壊してきそうな相手だからな。
「信じる切っ掛けになればいいけど」
「……確かに対の魔女から生きて帰って来られたのは、私の実力ですよね」
「うん、ちょっと過信気味だけどそうだな」
「すみません、弱気になってしまって。ちょっと、寂しかったのかもしれません」
本当はそれだけじゃないだろうに。
試験への不安とか。
受かるかどうかの心配とか。
自身への不信が募っただろうに。
まぁ、これなら後ろ向きに倒れることはないだろう。
「また、顔を見せにこい。その頃に俺がいるかどうかは分からないけど、その時は王都まで来てくれればもてなしの一つくらいできるかもしれない」
「はい」
そうやって、エミル・ポセンドの契約は完了となった。
いや、この場合は終了と言うべきなのかな。
もしくは、更新保留か。
だって、エミルは解術師になっていない。
完了でもないし、終了でもない。
むしろ、今から始まったと言っても差し支えない。
まぁ、そうだな。
提出する書類には満了と書いておこう。
いつか、また会えることを祈って、エミルへ適当な酒を手渡したのだが、ちゃんとローナと傲慢の魔女に叱られて、後日高い酒を買わされたのは言うまでもない。




