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第611話「手向けて、助けて」


「魔人族と人族との和平は無事結ばれたぞ」


 愛しのエティカから朝食を食べさせて貰っていると、黙する鴉の扉を強引に開け放って言われる。

 白髪の少女に。

 イラオに。

 いつの間にここへ来たのかという疑問よりも。


「いつの間に和平式典までやってたんだよ」


「お前らが帰ってから少しだな」


 そんなにすぐなのか。

 あれから音沙汰なく、数日は経っていたどころじゃない、数ヶ月はゆうに越していた。

 その間で済んでいたとすれば、とてつもない早さだ。

 信じられないくらいだ。

 数百年間――千年間もの魔人族と戦争してきた人族にとって、それらの歴史を覆すことは容易じゃない。

 だから、あまりにも早すぎる。

 

「そんなに早く和平が成立するわけない。少なくとも、時間が解決してくれるなんて言葉を無に帰すようなことじゃないか」


「まぁな。和平といっても、言葉だけさ。表立った書面にあったものと、裏面に書かれていることは別というだけだ」


「……どういうことだよ」


 そのままズカズカと進んできては、俺の隣へ座ってくる。

 そこはエティカの隣じゃないんだな。

 にしたって、もう少し時間を考えてくれないか。

 まだ朝飯を食っている最中なんだが。


「政治というのは複雑でな。それこそ、お偉いさんにはしがらみが多いということだ。お前も王になれば分かる」


「分かりたくないね。一生を賭けてでも俺は平穏な暮らしがいい」


「まぁ、そうだろうな。間抜け面を見ていれば心底そう思う」


 誰が間抜け面だ。

 これは寝ぼけているだけだ。


「イラオ、和平て言っても条件付きだよね」


「おや、本の虫は勘がいい。これだから、こんなところには置いておきたくないんだが――ここにいたおかげで勘が良くなったならいい所なんだな。ここは」


 そう言っては並べられた酒瓶を眺める。

 傲慢の魔女が居座るようになってから、陳列されていった酒瓶だ。

 ローナが出掛ける用事がある度に買ってきては、置き場所に困ってしまって最終的に飾ることになった装飾品みたいなものだ。

 でも、イラオはそれを綺麗だとは思っていないんだろうな。

 多分、どれか飲みたいくらいにしか思っていないはずだ。

 酒の顔をしている。


「飲みたいならせめて注文してくれ。それにあの棚の物はローナの私物だ。欲しいなら本人に許可をとってくれ」


「それもそうか。残念だが、今度頼んでみることにしよう」


 イラオは背もたれへ寄りかかり、天井を見つめる。

 ほふーと吐き出した息が、空虚に消えていく。


「条件というのは魔人族の誰かを王国のどこかへ滞在させることらしい」


「ほう」


 なんとも、いやらしい提案だ。

 そして、なんとも人族の利益が多い話だ。


「なるほどね。政治関係は本当に分からないことの方がいいだけじゃない。関わらない方がいい」


「だろ。まぁ、住居が変わるだけで別に王政とやらに参加しろというのはない。安心しろ。そこにいればいいだけだ」


「……えっと、エヴァン何の話?」


 エティカはコテンと首を傾げる。

 昔から変わらない癖だ。

 疑問があれば首を傾ける。

 柔らかな髪をゆらめかせ、質問する。

 うん、実に可愛い。


「本の虫。お前とエヴァン・レイは王都へ移り住めと言うお達しだ。そういう条件で和平が結ばれた」


「……そっか」


 悲しげな顔をするエティカ。

 無理もない。

 エティカにとって、ここが――黙する鴉は家だ。

 帰るべき場所であり、出発するための地点でもある。

 特に家を追い出され、魔人族の街でも家族さえいなかった彼女にとっては、唯一の家だ。

 離れることは尋常ではない悲しみが伴う。

 俺だって、イースト村を出ていく時は背中を向け続けることしかできなかった。

 振り向いてしまえば、そのまま泣き喚きながら帰っていただろうから。

 そんな俺がここまで生きてこられたのも、男の意地でもあるし、黙する鴉(ここ)が居心地のいい場所だったこともある。

 だが、エティカはまだ知らないだけだ。

 家は一つしかないと思っているだけに過ぎない。

 だから、慰めにもならない言葉をかけようとしたが。


「大切な場所がまた増えるんだね……」


 少し寂しそうだけど、嬉しそうな顔を見てしまっては引っ込んでしまった。

 相変わらず、賢い。

 だからだろう。

 エティカが滞在される魔人族に選ばれたのも。

 任せていいだけの理由がある。

 未来もある。

 全く、イラオの奴め。ついこの間まで殺し合ってた奴とは思えないぞ。


「そういうことだ。家は自分で好きな物件を見つけてこいとのことだ。猶予はたくさんある。そこの浮かれ野郎と一緒にゆっくり選ぶといい」


 そう言いながら、イラオは立ち上がる。


「もう帰るのか」


「あたしはこのことを伝えに来ただけだ。すぐラスティナへ、とんぼ帰りさ」


「忙しいようだな」


「あぁ……忙しいさ」


 それでも、横顔は喜んでいるようであった。

 全く。

 魔人族は働き者の血でも流れているのかよ。


「少しは休めよ。国交や会談て言っても問題が問題だ。時間をかけて解決しなきゃいけないことだってあるだろ」


「それもそうだが、そんなことをしているとお前達はいつの間にか地の底へ寝ているからな。わざわざ叩き起すのも申し訳ないだろ」


 それもそうか。


「それに、頑張っていればアイツへ会わせてくれるかもしれないからな」


 最後の一言はあまりにも小さく。

 か細く、頼りないものではあったけど、それでも信じていることを辞めない希望の糸。

 その言葉を呟いて、あっけなく黙する鴉を後にしたイラオ。

 残された俺とエティカは、お互いに目を合わせる。


「とりあえず、家探しだな」


「うん」


 一緒にいられるならいいや。

 それでいいや。

 ただ、まぁ。

 結局、本格的に家を探すのはヘレナの出産が落ち着いてからに二人で決めた。

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