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第610話「寝床に至れり尽くせり」


「エティカは傲慢の魔女についてどう思ってる?」


「……」


 ベッドの上で読みかけの本を読んでいながら、机の上に鏡を置いて髪を櫛でといていたエティカへ尋ねる。

 まぁ、見事に動きが止まってこっちを見たまま固まっている。


「どうって?」


「いや、旦那様とか言ってくるから、エティカとしてはどう思っているのかなって。嫌だったら辞めさせるけど」


「……嫌では無いよ」


 嫌では無い。

 そう、嫌では無いらしい。

 でも、なにか思うところはあるような表情をする。

 それも詳しく見るなら、観察するなら、思うところはなんとなくあるけど、それが明確な言語化をできない、そういった困惑を帯びたものである。


「他に思うところがありそうだな」


「……うーん。旦那様と言ってるのも気にならないんだ。ローナちゃんから教えてもらったけど、メイドは主人を旦那様と呼ぶらしいから」


「そうなのか、でもメイドを雇ったこともないし、頼んでもいないんだが」


「ルシさんは無理やり気に入った人について行くらしいから。小さい頃もそうだったらしいよ」


「……小さい頃ね」


 傲慢の魔女が小さい頃だったらまだ可愛げがあったかもしれない。

 今やただの大人だ。

 今やいい歳した大人だ。

 そんな女性が勝手に男へついて行くなんて、事案だろ。

 何もしないけど、身の危険はある。俺のね。


「だから、ルシさんはエヴァンのメイドさんになりたいんじゃないかなって思うから」


「メイドなんて、俺にとっては持て余す存在だよ」


 自分のことは自分でするわけではないけど、ある程度の自立はしている。

 身の回りを任せるなんて、俺にとっては申し訳ない方なのだ。

 身の丈にあっていないというか。

 いつまでも俺は平民思考でいいのだ。


「まぁ、だから思うところはあんまり無いかな。まだ知り合って間もないし」


「『魔王』の城にいた時は? 話さなかったのか?」


「イラオにずっと捕まってたから。魔女様が来たことなんて分からなかったよ」


 あー、なるほど。

 なら、ほとんど初対面なわけか。

 それなら、嫌な感情を聞き出そうとしたのは早すぎた。

 まだ向き合ってすらいないのだ。

 まだ、折り合いすらついていないのだ。


「そうか。まぁ、もし傲慢の魔女のことで嫌なこととかあったら、すぐに言ってくれよ」


「嫌なことなんてないと思うけど……」


「まぁ、一応な。そのくらい気楽に接してくれ、てことだよ」


 それでもエティカはうーんと可愛らしく唸る。


「エヴァン。例え、嫌なことがあってもね。わたしにとっては、あまりにも短い時間だから。きっと黙っているかもしれないよ」


「それでも、だよ」


 それは分かっている。

 理解してはいる。

 エティカは魔人族だ。

 一生は数百年になり、その中で数え切れないほどの別れが訪れる。

 嫌なことも、いいことも訪れては流星のように消えていく。

 もしくは、大切に瓶詰めしているかもしれない。

 例え、そうであっても、彼女達にとってはあまりにも一瞬だ。

 俺との出会いもそうだが、他の人との出会いも、嫌なこともいいこととの一期一会も。

 だから、いちいち気にしていてはしょうがないどころか、気にするだけの余裕が違う。

 時間的余裕も、引っ張られるように伸びた精神的余裕も。

 だから、黙っていることの方が都合のいいこともある。

 言う前に、言っていたとしても相手は自分より先に死んでしまうのだ。


「嫌なことでも、言いな。俺が死んだ時にエティカはいい子ちゃんじゃないって神様へ言っておいてやるから」


「そこはいい子であることを言わないの?」


「じゃないと俺と一緒のところには行けないぞ? 俺はあまりにも命を奪いすぎた」


「仕方ないことだと思うけど」


「奪ったのは事実だよ」


 そういうやエティカは、とかした髪をふわふわと弾ませてながら、俺の隣に座ってくる。

 定位置。

 それも、肩にコテンと小さな頭が寄りかかる。

 その動きに合わせて甘い匂いが俺へ幸せを満たせてくれる。


「じゃあ、わたしが生きている人にエヴァンはいい人だって伝えなきゃね」


「ん? 生きている人に言っても仕方ないだろ」


「だから、その人達が神様に会った時、お願いしてもらうの。エヴァンはいい人だって。そうすれば、例え地獄に落とされたとしても間違いだったてすくい上げてくれるかもしれないし」


「……そうか。

 ……ありがとう。

 まぁ、死んでもエティカと一緒にいられるならどこでもいいけどな」


 そう言って柔らかな頭を撫でると、ゆったりと瞼が落ちていく。

 紅色の瞳が隠れ、微睡みに浸るような穏やかな時間。

 これが例え、死んでも続いていて欲しいな。

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