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第609話「順風満帆は波風立てず」


「で、いつまで傲慢の魔女はいるんだよ」


「それはもう永遠に」


 心底願い下げなことをあっけなく言うものだから、どう返答するべきか詰まってしまう。

 そうこうしているうちに飲み物を持ってきたエティカへ抱き着く。


「ほら、エティカ様も私がいないといけないみたいですよ」


「え、え? え?」


「どこかだよ。幻覚でも見てるのかよ」


 溜め息を吐き出し、エティカから飲み物の入った質素なコップを受け取る。


「まぁ、幻覚を見たと錯覚するくらいには順風満帆すぎて現実の認識がふわふわしているので、あながち間違いじゃないかもしれませんね」


「……それは分からなくもないけど」


 あれから――国王からの誓いから数日。

 たった数日でも、なにも起こっていない。

 いや、王城では今なお議論は交わされているのだろうが、対の魔女どころか勤勉の魔女に目立った動きがない。

 全てが平穏で。

 今までの喧騒が、今までの凄惨な現実が嘘のように穏やかな一日を描いていた。


「大変だったみたいだね。エヴァン」


「心配してくれてありがとうなエティカ。でも、俺自体はなにもしていないから、大変だったわけじゃないけど」


 ちょこんと、俺の左隣へ座るエティカ。

 座った動きだけで、ふわふわの絹糸のような髪から甘い匂いが漂ってくる。

 ……あぁ、だめだめ。

 ここで理性は保たなきゃだめだ。

 でも、撫でたいくらい愛おしい。


「鼻の下が伸びてまぁ。旦那様、公衆の面前ですよ」


「誰が旦那じゃい」


 まぁ、伸びていたのは事実。

 かといって、それを恥ずかしがるのなんてとうの昔の話だ。

 今はむしろ誇らしいね。


「エティカ様は、この騒動の間どちらにいらしたのでしょうか?」


 俺の突っ込みを無視する傲慢の魔女。

 懲りていないようだ。

 いや、多分ずっとこんな調子なんだろうな。


「魔都に、エティリカにいました」


「そうですか」


 それからしばらくの静寂が場を包む。

 いや、何もないのかよ。


「そこの旦那様が私が話し下手だと思っていそうな顔をしているので、言い訳をさせてもらいますと」


「言い訳なんだな」


「はい、口に出してしまうので言い訳です」


 じゃあ、言い訳を思っている場合はどうなるのだろうか。

 思い訳か?


「エティカ様は千年前に生まれた方です。今から千年前ともなれば、魔人族の中でもそれだけ長い期間生きている者はいないでしょう。ですので、エティリカで何をしたのか聞くのはあまりに無神経だと思って、言わなかったわけです」


「うん、まぁ今言ったわけだけど」


「言い訳ですので」


 ――それに、エティカ様でしたら気にしないでしょうし。と傲慢の魔女。

 まだエティカと知り合ってから日も浅いはずなのに、そこまで信頼を置いているのか。

 いやまぁ、事実ではあるけど。

 実際、エティカはあせあせと両手を横に振って、必死の弁明を表現している。


「そ、そんな気にしないでください」


「ほら」


「いや、ほらて言いながらこっちを見るな。……だからって、袖を引っ張るな」


 うざったらしい。


「実際、何をしようか迷っていましたし。結局、色んなところでお手伝いしていたので」


「向こうでも働いていたのか」


「働いていないよ。お手伝い」


 それは……お手伝いていう範疇に収まらないだろ。

 特にエティカの場合。

 若さ有り余るだけでなく、年頃の魔人族が人族の酒場で働いても持て余した体力があるのだ。

 ただの手伝いが手伝いで終わるわけもない。

 一丁前に働いていたに違いない。

 全く。


「働き者なエティカ様。それに比べて、私は日がな一日妹の買ってきた酒を楽しんでいます」


「誇らしくするなよ」


 本当に。

 妹だからってしていいことといけないことがあるぞ。

 そのせいで、俺にとばっちりが飛んでくるんだから余計に。


「まぁ、そのお陰で妹ちゃんは旦那様と話せる切っ掛けになったんですから、良しとしませんか」


「いいわけあるか。俺が代わりに酒の代金を立て替えていることを忘れやがって。おい、また飲もうとするなって」


 まだ昼下がりにも関わらず、この魔女は酒瓶の蓋をしれっと開けようとした。

 思わず、その瓶を奪い取ってしまったがいいだろう。

 飲みすぎだ。

 飲ませすぎだ。


「あぁ……お酒が」


「傲慢の魔女なんだし、節度くらいわきまえてくれ。飲みすぎだぞ」


「お酒が美味しいのが悪いんですよ。これだけ美味しい、いかにも安く提供するための企業努力が垣間見える品を、いつまでも蓄えておくことのほうがもったいないと思いませんか?」


「思わないね」


「そうですか。見解不一致ですね」


 そう言って取り戻そうとしないでくれ。

 これ以上飲ませると本当にローナからお小言を貰うだけで済まない。


「俺のことを勝手に旦那様と言っているんだから、言うことを聞けよ」


「今、この瞬間だけは違います」


「都合が良すぎるだろ。やっぱり旦那様呼びは禁止だ。酒も禁止だ」


 調子に乗らせすぎたのかもしれない。

 もしくは、久々の街に興奮しているのかもしれない。

 ……どちらにせよ、これ以上は俺の身が危ない。


「エヴァン、そのお酒ね。ローナちゃんが()()()置いているらしいよ」


 そっと、左耳へ優しくも柔らかな声が囁かれる。

 

「わざと?」


「うん。どうせお姉さんが飲んじゃうだろうし、一人じゃ飲みきれないから、飲ませてもいいって言ってたの。ただ、飲ませすぎるのだけは注意して見て欲しいて」


「……でも、俺にはしっかり怒ってたんだが」


 無表情でも声の尖り方で怒っているかどうか分かる俺にとって、ローナは怒っていた。

 確実に。

 確かに。

 間違いようもないほど。


「それは飲ませすぎたからじゃない? 実際、酒瓶がすぐに空になったからエヴァンに怒ったんじゃないかな」


「俺はこいつの保護者になったつもりはないんだが……」


 そんなことを言っても、ローナだったら「旦那様と呼ばれている内はあなたが保護者です。子の責任は親の責任です」と言ってきそうだ。


「まぁ、そういうことです旦那様」


「そう言って酒瓶を取ろうとするな。泥棒みたいな真似をするな。もっとゆっくり飲めばいいだろ」


「美味しいのが悪いです。いえ、それだと作った人に申し訳ないので、美味しいからいいのです」


「ダメだって」


 そうやって傲慢の魔女攻防を繰り広げていると、エティカはくすくすと鈴を転がすように笑う。

 その顔をチラッと見て、思うところがないわけじゃない。

「千年前に生まれた方です。今から千年前ともなれば、魔人族の中でもそれだけ長い期間生きている者はいないでしょう」と言った傲慢の魔女言葉が、脳裏をチラつく。

 実際そうだ。

 魔人族でも数百年生きている人がいることは知っているけど、千年は聞いたことがない。

 イラオは別にして。

 だから、エティカの知り合いどころか。エティカのことを覚えている人なんていないだろう。

 いや、いたとしても話だけの存在に近いからこそ、神格化されていてもおかしくない。

 もちろん、墓なんてのもあるのか分からない。

 そもそも、魔人族が遺体を埋葬する風習があるのかだって不明だ。

 ……まぁ、出会った頃に墓の様子を見に行こうと言った手前、エティリカへは行かないといけない理由はあるし。

 その時のエティカの反応からして、墓自体はありそうだ。

 ……でも、知り合いがいないのも辛いだろうな。


 そう思いながら、傲慢の魔女へ情けの一杯を注いでいるエティカを見る。

 ……うん。

 色々終わったらなんて考えるのはやめだ。

 勤勉の魔女の処遇と、魔人族への今後の対応が決まったらすぐにエティリカへ行こう。

 墓参りに行こう。

 無かったら作ればいい。

 そう心の中で決めた。

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