第608話「おいでませ」
まぁ、そんな回想を経て、会議はどうなのかと言うと。
勤勉の魔女の処遇――つまりは、終身刑にした場合の牢屋はどれが相応しいかの話なのだ。
はい、円滑に進んでおりますよ。
さっきまでの遅延なんてものともしない進み具合に思わず戸惑ってしまうくらいには、順調である。
順調順調。
すこぶる。
かといって、俺自身に何も仕事がないわけじゃない。
それこそ、最初の段階から決まっていたことではあるし、これは恐らく俺が死ぬ時まで続くようなことだと思うけど。
悪い方向へと願わないこと。
全ては良い方向へ。
たまに土砂降りになるくらいで。
気分転換に雨が降って。
快晴じゃなくて、様々な雲色を見せてくれるように。
あるがままの姿を望む必要があるのだ。
この目に映るあいだは。
この目に涙が出る限りは。
この目が選んだ景色を認めてあげるくらいには。
そんなことばかり考えているからだろうか。
いよいよ、どんづまったイラオがこちらへとグルンと首を回す。
振り回す。
「そういえば、『救世主』は何か用意していたんじゃないのか?」
「……え、ここで聞く?」
状況も状況。
決して最悪ではない。
でも、適してはいない。
だって、牢屋の頑丈さや能力が影響を与えない、魔法や魔術を無効にできる素材の検討をしていたはずじゃないか。
「どうせ、鉄格子だけじゃなくて壁自体作り替える必要がある。そうなると、牢屋そのものを別の場所に作った方がいい。だが、新しく作るのも金が掛かるし、時間も掛かる。だから、あるものを使うことに落ち着いたらしい」
「あるもの……?」
「あぁ、あたしも何を使うのかは聞いていない。これから話すらしい」
あるもの――有るもの。
あぁ、でも、そんなのあるのか。
そんな疑問が口を飛び出すよりも先に、飲み込ませる声が流れ込む。
「エヴァン殿。忘れておいでか?」
まさか、ここまで無言――他の魔女が会議に積極的な声をあげていても口を閉ざしていた憤怒の魔女が話したのだ。
喋ったのだ。
おぉ、ようやく声が聞こえた。
「忘れたもなにも……そんなところ」
「あるではないか。都合のいい場所が」
都合のいい……て。
いや、条件を考えれば浮かんでくるかもしれない。
王国内が望ましいよな。
それも王城の近くか。
もしくは、離れた場所にするべきか。
離れた場所だと管理が大変だし、何か起こった時に対象できる人員に限りがある。
いや、そのために俺がいるけど、万全を期したいなら遠くにあるものを使うのは避けたい。
まぁ、もちろん、近く――それこそ国王の近くに大罪人が捕まっているなんて危険と隣合わせなんだからそっちの方が良くないと思う。
かといって、今の牢屋だって王城の真下だ。
地下深くとは言っても魔術や魔法、それこそ勤勉の魔女の能力があればあってないようなものだ。
だとすれば……。
……どこなんだ。
「ピンときていないようであります」
「……すみません。あまり王都には来ないもので」
「それは仕方ないのでして」
「そうそう、アスモちゃんもこの広い都を案内しろと言われたら真っ先に近くの門へ行くくらいだもの」
――それはなぜでして? と聞く暴食の魔女。
――だって、門番ちゃんなら知ってるでしょ? それにあわよくば代わりに案内してくれるじゃない。と答える色欲の魔女。
賢いようで、他人任せな思考。
かといって、正しいわけではある。
その町に、その街に詳しい者に聞く方が早いし、確実だ。
曖昧で、なんとなくの記憶が頼りになることなんてない。
滅多にない。
僅かにはある程度だ。
「ですので、サタちゃんの言ってたことにイラオちゃんが答えてくれるわよ」
「いや、あたしも知らないが」
「うそうそ〜」
「……」
イラオは色欲の魔女の猫なで声に眉を顰める。
え、そこまで嫌なの?
……というわけじゃなさそうだ。
「あれか? 意趣返しがしたい。いや、この場合は結果的に自業自得になったというか、思わぬ結果になったと言うべきなのか」
「いやいや、わかりやすく説明してくれよ」
考えていたようだ。
それでも険しい表情は変わらない――いや、微細な変化はあった。
それはそこを真っ先に候補地にした七つの魔女の思考や。
思いつきじゃない、妥協でもない。
立派な、それこそ素晴らしい場所に思い至った発想に。
驚いているようで。
恐れてもいるようで。
「……能力研究所」
ぼそっと。
それでも誰かの耳には届いて。
誰かには聞こえるような。
そんな音が。
振動が、震えが。
場を揺らす。
「ご名答であります。魔法や魔術、その他能力の検知だって届かない場所。彼女達対の魔女が作った安息の地でもあり、禁断の園。そこへと幽閉するのであります」
……確かに。
あの場所自体不思議な空気が漂っていた。
それこそ、感覚がおかしくなったような。それこそ、浮遊感とは違う、虚しさ。
特に感謝の魔女が居座っていた部屋はとてもじゃないが、抜け出せる気がしなかった。
だからだろう。
エヴァンが――『勇者』が節制の魔女に転移魔術を頼んだのは。
「あそこは本当に都合がいいのでして。魔法や魔術が特定の人物でしか発動できないようになっているのでして。ゆえに、あの建物は今まで入ることができない禁足地へとなれたのでして」
「まぁ、特定の人物の中には対の魔女――勤勉の魔女も含まれているから、『救世主』の細工が必要になるんだけどね」
怠惰の魔女が俺を見てはウインクをする。
……あなた、そんな感じだったけ?
「まぁ、そういうことだから、能力研究所の改築に関しては後に回そう。本当に使えるか実地調査しなきゃだしね。
だから、『救世主』さんは何か用意してきたものを披露してもいいんじゃない?」
そのまま怠惰の魔女が誘導してくれる。
……この人は本当に。
お人好しなのか。それとも、適当に言っているだけなのか。
いや、でも、あの自信満々に。
期待を満ちた目でこっちを見てきているなら、確信しているのか。
ささやかでも。
確実な結果があることも。
それが、今の国王へ届くものだと。
どこまで見えているんだろうか。魔女は恐ろしい。
「……ラスティナ国王へ、お願いがございまして」
「ほう、『救世主』様の頼みでしたら。可能であるなら叶えるのに尽力しますぞ。あらぬ要求をしてしまった詫びもありますし、正気に戻してくれた礼もありますからの」
ここまで好意的になれるものなのか、という驚きもあったが。
これがこの人――ラスティナ国王。我が国の王の本当の姿であるなら、誇らしい。
ただまぁ、ほぼ私情に近いものを願うわけだけども。
「この場で言うのは場違いかもしれませんけど。
……魔人族の永住を許可していただきたいのです」
そう言いながら取り出したのは、数十枚の紙。
それを近くの騎士へと手渡し、国王の元へと届けてもらう。
すれば、国王は目を通す。
一枚一枚。丁寧に。
目を細め、見えにくいだろうにしっかりと見落としがないように。
「……これは?」
「それはストラ領に住む者の名前です」
「確かに、びっしりと書かれておるな。余白もないほどに」
そう、余白はあっても小さいくらいで、ほぼ人の名前だ。
文字に文字。
「これはどういったものですかな。見たところ、署名みたいではあるが」
「署名です。魔人族の永住を許可してもらう嘆願書もどきではありますけど、そこに名前を書いた者は皆魔人族との共存、共生、一緒に暮らすことを望んでいるんです」
「……しかし、これは。ふむ」
やっぱり効果が弱かったんだろうか。
かといってこれ以上の証明もない。
「……このたまに見かける【エティカ】という名前は誰かの?」
いや、目ざとい。
そう、署名をお願いしているのに何名か熱心な――熱狂的な人がエティカへの手紙みたいに書いたのだ。
だから、数十枚になった。
持っていくのに手間にはなった。
でも、それがいいきっかけにはなった。
「そのエティカというのは、断頭台で勤勉の魔女が処刑されそうになった時、処遇の決定を魔人族に委ねるよう提案した人物になります」
「…………あぁ、白銀の美しい髪の女性か。そうか、あの子がエティカというのか」
「はい、そのエティカはストラ領で魔人族であることを隠して私と暮らしていまして」
「どのくらいか?」
「数年になるかと」
「……ふむ」
考え込む国王。
無理もない。
かといって、即決するには内容が内容だ。
それは分かっている。
ここは持ち帰って検討するのがいいことは重々理解している。
……だから心臓が無意味に跳ねているわけだけどね。
「ここに書かれている者達は、魔人族との生活を望んでいる――そう解釈してもいいということじゃな?」
「えぇ」
「……即決はできない。それは断言させてもらいたい。『魔王』が同席している目の前で大変申し訳ないがの」
「それがあるべき姿だ」
イラオは偉そうに胸を張る。
自分のことのように。
……まぁ、その態度をとったのはある確信があるんだろうな。
「だが、これだけは言っておこう。今、このラスティナは勤勉の魔女に操られていない。今すぐに返答できずに申し訳ない『救世主』様よ」
きっと良くなる。
白んでいく空を見つめるように。
国王の瞳へ確かな灯火が宿っていた。




