第596話「巻き戻し」
それこそ前代未聞の前例もなき会議の前日。
バイスさんは黙する鴉で宿泊していたし、ハーストさんも同様であった。
そんな中、二人がアヴァンの作った料理を食べながらいきなり言ってきたことがある。
「エヴァンさん。あなたに一つお願いしたいことがあります」
「今さらなんですか。改まって」
ミートパイを切り分け、それを口に運んでいたんだが、あまりにもバイスさんが姿勢を正すものだから、食べるのを辞めるくらいには、真剣であった。
真摯的でもあった。
「国王を含め、会議に参加している方達を書き換えて欲しいのです」
「…………」
「なんじゃ、書き換えるって」
ミートパイとトウモロコシの浮かんだシチューを交互に楽しんでいたハーストさんも思わず会話に参加してくる。
さて、どうしたものか。
どこから説明したものだろうか。
「――て、ハーストさんは知っているでしょう?」
「知っていますとも。ただ面白そうな話ではあったからな。参加したかっただけじゃよ」
「……全く、そんな面白い話じゃないですよ」
「国王を、貴族を書き換える。これがどんなに面白いことか、実際に見られるんだとすれば聞いておかねば損じゃろて」
そうなのか。
いや、それでもハーストさんは知っているとは意外だった。
「あー、エヴァンよ。儂がなんで知っているのかはバイスさんに聞いたからじゃ。世に広まっておる噂を信じているわけではないからのう」
「そうですよね。バイスさんと知り合いなら、知っていてもおかしくないですから」
俺も正式なことを聞いたのだって最近だ。
なぜそれをバイスさんがもっと早くに教えてくれなかったのか、という疑問は尽きないが。
ただ、同時に大変な能力であることに変わりない。
「申し訳ないです。言っても良かったんでしょうけど、危険な能力であることを思うとどうにも気後れしてしまって」
「そんな、謝らないでください」
わざわざ頭まで下げてくれるバイスさん。
無理もない。
早ければ、なんとかなっていたことがあるのかもしれないし。
遅くなったことで、不利益が生じたこともある。
ただ、それだけで。決めつけられて、責め立てるだけの理由はないのだ。
むしろ、時期的には申し分ないタイミングだったのかもしれない。
「勤勉の魔女を書き換えた時もですし、『魔王』を書き換えた時にも感じました。そこでようやく実感できたわけで。同時にこれがもっと早い内に理解していたら、俺が勤勉の魔女と同じことをしていたかもしれませんし」
「まぁ、エヴァンに限ってそれはないだろうけどな」
ハーストさんが自虐を否定してくれる。
だが、実際問題その可能性は捨てきれないのだ。
今でこそ、世直し的な意味合いで使っているものの、ある視点から見れば勤勉の魔女とやっていることに変わりない。
ただ、正義かどうかで。
ただ、大義名分があるだけで。
ただ、免罪符があるというだけで。
そこに溺れてしまっては、同じ道を辿るのなんて目に見えているのだ。
楽した力は人を堕落させるに充分な重さを持っているのだ。
「で、バイスさん。書き換えるて、どうしてまだ能力があることを知っているんでしょうか?」
「私は賢者でありながら、考える者でもありますから。貴方が、問答無用で能力を譲渡する可能性はないでしょう。特に勤勉の魔女が生きている以上、そんな危険な行動は取らないはずです」
見抜かれていた。
いや、考え抜かれていたのか。
それとも、単純すぎたのか。
「エヴァンさんが行ったのは一時的なこと。もしくは、『勇者』の残滓だった彼を書き換えて、仮の『救世主』にして、時間稼ぎをした。そのように私は考えていますが」
「正解です」
「なんじゃ、時間稼ぎが必要たってすぐに終わらせなかったのか」
「まだ、問題自体は解決していませんから」
そう、問題自体は一切未解決なのだ。
恐ろしいほどに。
手付かず。
「勤勉の魔女が望んでいる世界とやらは、『勇者』と『魔王』が拮抗状態にあること。そして、人々が不必要に増えないこと。だとすれば、『勇者』不在な現状、勤勉の魔女は意地でも復活を目指すでしょう」
「じゃが、『魔王』も書き換えたとすれば問題なぞ無いように思うが」
「あくまで書き換えたのは、『魔王』に仕組まれた宿命だとか、魂と能力を切り離しただけですから。人族と魔人族が争う原因にならないようにしただけで。勤勉の魔女が憎悪の対象である魔人族の絶滅は含まれていないんですよ」
「なんじゃ絶滅て」
「言ってませんでしたっけ」
「言ってませんよ」
そうだったのか。
なら今言ったからいいか。
「勤勉の魔女は魔人族を憎んでいまして。それがこの千年間に渡る争いの原因です」
「…………よう分からんのう」
「まぁ、そこは乙女心ですから」
ハーストさんが俺の一言に、何を言っているんだという目で見てくる。
だが、事実だし仕方ない。
かといって、こればかりは本人に確認するしかないかもしれないが、それはそれで面倒だし。
乙女心だと片付けた方が楽でもある。
勤勉の魔女の恋愛事情に興味があるとは思えないし。
「まぁ、魔人族が生きている以上勤勉の魔女が諦める理由もないことは分かった。人が不必要に増えないようにというのも、おそらくその憎悪感情を正当化するためのものだということも」
「後はややこしい話になっていますけど。『魔王』に掛けられた洗脳を解いたことも付け加えておいてくださいね。今の彼女は脅威でありませんし、過去のような暴虐の限りを尽くすような悪人ではありません」
「それは処刑場におった奴らが皆言っておったわ。あの『魔王』がエヴァンへ文句を言っていて仲睦まじく見えたと」
仲睦まじかったのだろうか。
いや、最初の印象が最悪だからこそ、あの程度のじゃれ合いでも仲良く見えるのだろう。
そういう意味では怪我の功名と言うべきだろうか。
「まぁ、そういうこともあって今すぐ『魔王』の印象が変わらない者は多いかもしれんが、王都に来て何もせず帰って行ったことに動揺する者は多かった。しかしじゃ。未だに危険だという人間は多いし、勤勉の魔女が全てだという人間も変わっておらぬ」
「そこで私のお願いに戻るというわけです。エヴァンさん」
バイスさんは白く濁って、今や見えているのか怪しい状態の瞳を向けてくる。
真摯に。
真剣に。
そこに一縷の希望を託したような。
そこにやましい感情を取り払ったような。
切実で。
「恐らく、勤勉の魔女の処遇を決める会議には大勢の貴族が参加するはずです。特に自分の主を取り戻す、もしくは希望通りにするため必死に参加権をもぎ取るでしょう」
「そこで能力を使って全員の洗脳を書き換える――と」
「はい。時間稼ぎは私達がします」
いつの間にか巻き込まれていたハーストさんは、やれやれと今後の予定を思い浮かべては疲れた表情をする。
しかし、それでも瞳が諦めていないのは見てわかる通り。
というより、ここにいる人間の誰一人として諦めるという行為は辞めているのだ。
諦めなかったからこそ、今がある。
諦めたとて、希望を捨てなかったから今この機会を勝ち取れた。
だからこそ、徹底的にやりたいのだろう。
「……でもそこにどれだけの人がいるか分かりませんし、どのくらい洗脳されているか分かりませんけど、それでも良ければ」
「そこは考えなくていいですよ」
――むしろ、時間稼ぎを担うんですから、最適な人物を選んでいます。安心して書き換えてください。
と、これ以上ないくらい用意周到な言葉を繋げるバイスさん。
その顔は、歳を感じさせない――いや、歴戦の感情を全て混ぜこんだ邪悪で、悪餓鬼の悪戯な笑みを浮かべていた。




