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第592話「祝賀」


「まぁ、ワシがここに来た理由というのも大した話ではないな。ここで待っていればエヴァンが帰ってくると思っていたから、待っていただけにすぎん」


「それは何か用事があったとか?」


「用事と呼ぶには軽すぎるな。というより、先ほどのでワシの用事はほとんど済んでおる」


 勤勉の魔女が機能停止したことへの祝いの言葉。

 それがバル爺の用事だというのだ。

 なんとも、耳が早いというか。

 情報が出回るまで早すぎる。


「勤勉の魔女が()()()姿()()()()()、一日も経ってないのに、どうやってバル爺の耳に入ったんだ?」


「なに、難しい話ではない」


 バル爺への疑問を代わりにハーストさんが答える。

 あー、それだけで察せられる。


「あの場にいたのは人族だけではない。翼人族や獣人族、他の種族もおったからのう。したらば、翼人族が知っている――その場面を見たとすれば、後は分かるじゃろ」


 荷物、人、情報。

 それらを届けることで有名な翼人族。

 そして、そのことに――運搬そのものに絶大な信頼が置かれている理由が正確さと、早さ。


「にしたって、バル爺のところまで早いんだな。流石は翼人族というか」


「うむ、それはそうじゃな。伝えるべき人間に、もっとも素早く伝えるということに関しても、正確じゃな」


「そう頭ごなしに褒めるな。できることができるだけにすぎん」


 照れる代わりに、いや、照れ隠しにビールを口に含めるハーストさん。

 先ほどの正確さ。

 この場合においては、伝えるべき相手に正しい情報を伝達する。

 だから、ストラ領主にだって話は言っているだろう。

 冒険者組合の組合長にまで話が渡っているのだから、他の商会や貴族、村長にまで知れ渡っていることだろう。


「実際、庶民なんかに伝えたところで意味がないからのう。処刑というだけで、尋常じゃない人間が集まっておったから、広める必要もなく勝手に広まるじゃろうしな」


「色々尾鰭がつきそうですけど」


「それもご愛嬌というものじゃ」


 ご愛嬌程度で済めばいいけど、そうならないのが情報の怖さというものだ。

 かといって、今さら訂正するかどうかの確認なんて無駄だろう。

 なにより、そんな時間なんてない。


「で、なんの話だったかな……。あ……あぁ、そうじゃ。用事というのはほとんど終わってはおるんじゃが、ちょっとエヴァンに伝えておくことがあってのう」


「今……てことは、急ぎのものか」


「まぁ、後で確認して欲しいんじゃが」


 そう前置き。バル爺はなんとも微妙な。それも確証にないものを伝えることに僅かな戸惑いを含めた表情になる。


「なんだよ。バル爺らしくない歯切れの悪さ」


「まぁ、歯切れも悪くなるじゃろ。未だに調査中のものじゃからな。これからどうなるかだって分からん」


「……で?」


「お主も知っておるじゃろ。幻生林のことじゃ」


 幻生林。

 エティリカだけでなく、前まではそこで野宿していたくらいには聞き慣れた単語。


「あの幻生林が()()()()()()()()らしい」


「……小さく?」


 小さく、というのはあれだろうか。

 文字通りの意味か。

 それとも、豆粒ほどの大きさになったとかだろうか。


「あぁ、小さくといっても観測できる範囲の話じゃが。幻生林自体が縮小しているそうじゃ」


「……そんなことがあるのか?」


 山火事が起きたとしても、数時間後には何事もなかったあの幻生林が。

 木を切り倒しても、次見た瞬間には切っていなかったことになっているような森が。

 縮小していっているというのだ。


「勘違いだったりとか。観測の仕方を間違えているとかではなくてか?」


「それはないのう。『鳥瞰(ちょうかん)』の能力者が観測しておるんじゃ。間違いなぞない」


 ――もしあったとしたら、ソイツに休みを与えるだけでよい。


 と簡単に言うのだから、観測者の人とやらはバル爺の信頼をかなり得ているらしい。

 だとすれば、俺の言っていることは当てはまらない。

 勘違いでもなく。

 観測の仕方が間違っているわけでもない。

 なにより、そんな言い切るんだから、バル爺だって観測した際に傍で見ていただろう。

 だから、未調査ではあるものの、確証を得ている情報を伝えてきたのだ。

 それが幻生林の縮小だと。


「そうなると、魔獣は?」


「居場所を無くした魔獣が飛び出てくる。そんなことを思っていたとすれば、そうじゃな、それも不正解じゃ」


「なにより、エヴァン様。魔獣が飛び出してきたとすればストラは大騒ぎになっていたはずですよ」


 バル爺の言葉を補足してくれる傲慢の魔女。

 確かに、その通りかもしれない。


「狼型だけでも手に負えない中、鹿型が出てきたとなれば帰ってきた時に気づくだろうし」


 俺や傲慢の魔女、ローナが帰ってきた時は何一つ変わらない街並み。人並み。風景だった。

 異変が起きていたとすれば勤勉の魔女のことであって。

 魔人族のことであって。

『魔王』のことであって。

 魔獣のことではなかった。


「まぁ、どうなったかなんて言うまでもないだろうな」


「そこまで言っておきながら黙るなんて無しだぞ」


「原因不明じゃし、未だに調査中じゃから大声では言えないんじゃが、それでも良ければ簡単になら言えるぞ」


 なんでそんなにもったいぶるんだろうか。

 そこまで大変なことになっているのだろうか。

 もしかして、近くの村が襲われて根城になっているとか。

 有り得る。


「現状、観測範囲にいる魔獣が全て。死んでおる」


「……死んでる?」


「あぁ」


「全て、てことは。魔獣全員?」


「その通りじゃな」


 思わず閉口。

 仕方ない。

 いや、奇想天外とよりかは規格外というか。

 そもそも、何があっても魔獣は不変な存在だった。

 常に幻生林で巣を作り。増え。冒険者によって、増減を繰り返す。たまに出てきては、村を襲う。

 そんな変わらず脅威で。

 身近な日常を壊す存在が死んでいるとなれば、熟考の余地はあるだろう。

 だから、バル爺も渋ったのだろう。

 先の原因不明。そして、全ての魔獣が死んでいるとあれば、感染症だったりを疑う必要だってある。

 なにより、徹底的に調べなければいけない。


「だから、バイス様もいらっしゃる時で良かった。バイス様なら、何か分かるだろうと思って」


「あら、私は『賢者』と言われているだけで、全知全能ではありませんよ」


 ――それは神の御業です。


 と、謙遜するバイスさんだったが、それでもある程度の目星はついているのだろう。

 一口、お菓子を口に含んでは白く濁った瞳を嬉々として輝かせる。

 まるで子どもみたいに。


「バイス様でも分からないこともあるのですか」


「全知全能ではないと言っているだけで、問いへの答えはしていません」


 ムッとしたわけではない。

 思いの外、煽られたからではない。

 単純に。

 考える中でも、もっと簡単な方。


「そうですね。今言うべきことではない。その内分かることですから、その人に任せるだけ、と言いましょうか」


「全く、『賢者』さんはいつもそうやって煙にまくのが得意じゃの」


「褒めないでください」


「褒めとらんがのう……」


 ここまでバイスさんが茶化す姿というのも初めて見た気がする。

 いや、のらりくらりしている現場自体を見る機会がなかっただけに過ぎない。

 それだけ、この人のそばにいなかったこともであるし。

 それだけ、この人のことをしっかりと見てきてこなかったことでもある。

 なんとなく、申し訳ないな。


「まぁ、組合長や。気にするだけ無駄じゃぞ」


「……そうですね。そういうことじゃエヴァン。詳しくは今度、分かり次第伝える」


「あぁ」


 そうこうするだけでも、分かった情報というのは結構ある。

 幻生林が縮小している。

 魔獣が全滅している。

 これだけで、おおよそ『魔王』絡みなのは予想できる。

 問題は、なぜそれをバイスさんが知っているような素振りをしているのか。

 関係があるのだろうか。

 いや、ここで考えるだけ無駄だろう。

 答え合わせするまでは、秘めておいた方がいいというものだ。


「バルザックの話も終わりましたら、次は私でいいでしょうか?」


「はい。すみません、長々と」


「いいんですよ。気長に、ゆっくりとしましょう。未来は変わりませんから」


 また、思わせぶりな発言をした。

 バイスさんが、そんな深いことを言う。

 それだけで、この祝賀会とやらは本当に祝賀会としたいらしい。

 俺としては、また別の日にズラして欲しいものだけど。

 ここにいるだけでも長が三人となれば、時間だって取れないだろうし、高齢なこともあって遠出なんて難しいだろう。特にバイスさんに至っては、イースト村からストラまではかなりの距離だ。

 この機会以外ないのだろう。

 悲しいことに。


「それで、私がここに来た理由はいくつかありますけど。

 まず、一つは被害者への治療に関しての報告ですね」


 ここで、バイスさんはバル爺へと改めて向き直る。

 姿勢を正し。

 まっすぐと、白く濁った瞳を向け。

 それに思わず、バル爺も背筋を伸ばす。


「被害者の中には、もちろん生き返ることができない。既に亡くなった方もいらっしゃいます。

 そういった人へは、遺族による本人確認や共同墓地の利用を勧めておきました」


「わざわざ、ありがとうございます」


 そもそも、バイスさんの目的は治療必要者の救済であって、既に亡くなった人のあれこれをすることではない。

 それでも、バイスさんにとってはしたいから、した。

 できるから、した。

 それ以外の理由も、それ以上の高尚な意義もない。

 ただ、それだけなのだろう。

 それだけで、充分なのだろう。


「で、ここからが本題ですが。治療完了した中でも、意識が戻らない方もいた。そのことに関しての治療ですが、そうですね。ゆっくりではありますけど、元に戻りつつあります」


「おぉ、それはそれは」


「良かったと言うべきでしょうが。なにぶん、あくまで元の状態へ戻っているだけに過ぎません――いえ、元にさえ戻っていると言うべきかは怪しい状態ではありますけど」


「天下の『賢者』様も、あやふやな言い方をするものですね。はっきり言ったらどうでしょうか?」


 傲慢の魔女はここぞとばかりに、バイスさんを責め立てる。

 ――いや、責め立てているわけじゃない。

 はっきり言わないことに煮え立っているわけじゃない。

 きっぱり言いきらないことに憤っているわけじゃない。


「……そうですね。報告ですから、しっかり話すべきですね」


 あくまで報告の形式をとっているのならば、状況を正確に伝えるべきなのだ。

 それが情報共有においては、非常に大事な部分でもあり、報告――それも口頭によるものを使用している以上、簡潔なものを求められる。

 難解で、複雑な回答では充分な成果がでない。


「失礼しました。元に戻っていることに関しては、状態を見ても分かるかと思いますが、一部分にだけ限ったものになります。

 言えば、一部分以外は戻っていません」


「完治とは程遠いということかの、バイスさんや」


 ハーストさんがビールを一口、ささやかな潤いを喉へ通す。

 酒を飲みながらでも、この人は頭の回転が正常なのか。

 それとも、()()()()()()()()()

 どちらにせよ、ハーストさんの言葉は正解だったようでバイスさんは頷く。


「一部分――この場合で言うと、意識に当たりますが確かに意識が戻ってはきています」


「……だいたいの状況は当てずっぽうに言えば当たりそうじゃが。そうじゃな、決め打ちするなら……。意識以外――体が不自由な状態になっているとかかのう」


「えぇ。大当たりですよ」


 嫌な大当たりだ。

 言えば、歩くことさえままならないどころじゃない。

 ベッドから起き上がれるか分からないのだ。


「一時の精神乖離で、体が思い通りに動かないなんてことはありましたが、数日ほど経てば違和感程度に治まるはずです。しかし、それもありません。兆候すら。良くなることもないのです」


「……原因は?」


「恐らく、対の魔女の影響かと」


「……」


 露骨な、重苦しい溜め息がバル爺だけじゃない。

 ハーストさんからもこぼれでる。


「あやつは、厄介なことばかりしよる。物語の幕引きくらい、綺麗さっぱり立つ鳥跡を濁さずとはいかんのか」


「伊達に長生きしていませんよ。生への執着は人一倍――いや、数千倍はあるでしょうし、恨みなんてそれ以上です。神々への無意味な羨望もね」


「……なるほど。報告承りました」


 バル爺は、それでも言葉を受け取る。

 なにも、希望的観測を抱いていたわけじゃない。

 もしも。もしも、があった時のことを最初に考えていたのだろう。

 それの答え合わせが済んでしまった以上、その後の対応に努めるだけに過ぎない。

 そうしなければ、報われない。

 そうしなければ、自分が許せないのだ。

 そうでなければ、冒険者組合の組合長なんてできないだろう。


「……それで、いくつかあると言っていましたが、他には?」


「別に、これ以上に重い話ではありませんよ。単純に()()()()()()()()()()()()()()


「……それは誰に?」


 バイスさんを怒るような人はいるのだろうか。

 そんな礼儀知らずなんているのだろうか。

 ……。

 …………いや、いるじゃないか。


「あ、エヴァンさん。まだ黙っていてくださいね」


「……分かりました」


 そんな二人だけのやり取りに、傲慢の魔女は分かりやすいほど不機嫌になっては俺の腕をつねる。

 ささやかに。

 強引に。

 つねって、ぐねる。

 痛いって。

 

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