第591話「鷹の羽」
「しかし、よく勤勉の魔女に一泡吹かせることができたのう。あー、アヴァンよ。ワシのツケで飲み物でも適当に出してくれ」
「え、いやそこまでしなくても――」
「いいんじゃよ」
遠慮しようとした俺を制したのは、ハーストさん。
翼人族の長であり、自身は気高き鷹の翼を備えた人が、俺の目の前で堂々とした姿勢でいる。
「祝賀会……いや、それに近いものにはなったが、儂ら主導のものじゃからな。お主らは下宿先でもあり、家でもあるから払わなくてもいいのかもしれんが、儂らは違う」
「そうそう。ワシ達にとっては、客でしかないからな。払うといえば、素直に受け取るのが店のためでもあるし、エヴァン達のためでもあるからな。大人しく手にしておけ」
そういうものなんだろうか。
しかし、ここまで言われたら流石に従うしかない。
あまり奢られた経験とやらはないし、そんな付き合いがなかったから仕方ないのかもしれない。
それが礼儀だと知らないのなら、ここにいる人なら許してくれるだろう。
「で、これだけの人が黙する鴉に集まってどうしたのかしら? 説明してあげては?」
アヴァンと一緒に、五つのコップを持ってきたヘレナが、俺達が取りやすいように並べていく中でも、そうやって促してくれる。
「そうですね。偶然集まったわけではありますけど、同時に必然でもあったと言いましょうか」
「また難しい言葉を使われるんですね。『賢者』様」
誰かが、バイスさんの言っていることにちょっとした小言で茶化す。
いや、そんな奴いるのか。
そう思ったが、隣で出されたコップに口をつけ、匂いを充分に堪能しただろう傲慢の魔女が言い放ったのだ。
恐ろしいやつだ。
初対面じゃないのか。
「あら、短い言葉で表現するのも一つの技術ですよ。貴方は相変わらず、惚れ惚れするような茶化し方をするものですね」
「元来、私達はそういう生き物ですから」
どうやら小言を言い合えるくらいには仲がいいようだ。
一体、傲慢の魔女はどういう生き方をしてきたのか気にはなるし、交友関係だって底が知れないけど。
それを聞いてしまうと、話が逸れるだろうし。
なにより、ここぞとばかりに擦り寄ってきそうな予感しかしないから、辞めておこう。
「バイスさんを『賢者』と知っているなんて、お主は何者じゃ? 儂だって知ったのはついこの前じゃぞ」
「ついこの前って……。三十年のことを随分最近みたいに言いますね、ハースト」
「これだけ長生きしておれば、昨日も去年も十年前も、三十年前も変わらんわ」
バイスさんからの追及に対して、少しぶっきらぼうに答えるハーストさん。
俺も歳をとってしまえば、そんな風に感じてしまうのだろうか。
だったら、魔人族にとって一年というのは、本当に最期から見ればあっという間じゃないか。
「私は私ですよ。鷹のおじ様」
「うむ、そういう話ではないんじゃがな。まぁ、悪い人間ではないことは確かじゃな」
「はい。私はエヴァン様の所有物ですので」
「だったら破棄してもいいってことか?」
「それもエヴァン様のご趣味とあれば、私は意向に沿うまでであります」
この……。
素っ気なく返したら、それ以上のことで返してきやがって。
しかも、俺の印象が悪くなりそうなことだし。
慣れているもんじゃない。
こうなることを見越していたのだ。
「冗談だから、そんなこと言わないでくれ」
「はい。エヴァン様のご趣味については秘密にさせていただきますね」
そこまで長い時間関わっていないはずだろ。
趣味なんて大したものじゃないだろ。
「エヴァンさん。あまり、大真面目に話をすると疲れるだけですから、適当でいいですよ。構って欲しいだけでしょうし」
「『賢者』様。私はそんなに適当な人間ではありませんよ」
弁明した傲慢の魔女であったが、バイスさんは真顔で見つめ返すことでそれ以上の言葉を封じる。
なんとも慣れた様子だろうか。
それとも、魔女とやらは決まって見つめ返せば黙るのを知っているからだろうか。
どちらにせよ、後で処世術とやらを教えてもらおう。
「さて、説明してもよろしいかな?」
ここまで黙っていた屈強な老人――バルザックことバル爺がそのいくつもの戦いが刻まれた両手を叩く。
流石というか。
こういった会議によく出ているからだろうか。
一瞬で注目を集め、話題修正を図るには絶好の機会。
それを見計らって、実際に沈黙と集中を促しているのだから、言葉では置き換えられない実績が刻まれている。
「ワシ達が集まったのはまさに偶然じゃ。しかし、バイス様の言う通り、必然でもあった。それを、そうじゃな。ワシから言おうかのう」
そんなバル爺がいざ言おうとして、手元をチラッと見る。
何もない。
だからだろう。
ヘレナへこっそりと耳打ちして、何かを頼んでいた。
おそらく、口を休ませ潤わせるためのお茶での頼んだのかと思ったが、ヘレナが持ってきたのは黙する鴉でも一番大きな入れ物で。
一番大きなジョッキなのだ。
「おぉ、すまんな。無理をさせてしまって」
「いえいえ。運動するのもいいことだとお医者さんも言ってましたので、このくらい平気ですよ」
いや、そのジョッキを今からバル爺が飲むのか。
中身は確認するまでもないだろう。
ビールに違いない。
ただ、バル爺も。ハーストさんも。ましてやバイスさんも、この状況を偶然の必然の祝賀会と言っているのだから、文句を言うのは違うだろう。
なにより、小さな樽と勘違いしてもおかしくないジョッキでもバル爺が酔うことはない。
心配するだけ杞憂に過ぎない。
そして、ついでと言わんばかりにハーストさんの目の前には、普通の大きさのジョッキが置かれる。
「お気遣い感謝じゃ。よく分かったのう。儂が飲みたいと思っていたなんて」
「伊達に黙する鴉で働いていませんよ?」
そんなヘレナが、続いては――と、バイスさんの元に置いたのは、ささやかなティーカップ。
客人――それこそ、酒場を利用する客に向けたものではなく。黙する鴉へ、様々な案件を持ちこんでくる依頼主に出されるような華奢なカップを出した。
立ち上る湯気からは、甘い香りにふんわりと紅茶独特の緩やかで芳醇な匂いがする。
結構いい茶葉を出したんじゃないか?
「あら、ありがとうございます」
「いえいえ。すみません、あいにく紅茶しかありませんけど」
「いいんですよ。紅茶も好きですから」
「おや、バイスさん。紅茶が好きなら、いい茶葉への経路が確保できましたし、今度取り寄せさせましょうか?」
「あら、それならお茶請けもいいものを用意しなければいけませんね。私の村では中々、お茶に合いそうなものというのも、限られてきますし。ここのストラで、ちょうど気になるものを見つけましたし、良かったら皆さんからの感想を聞かせて貰えると嬉しいですね」
そう言いながら取り出した大きな紙袋から、多種多様な物が飛び出してきては机に整列していく。
ビーフジャーキー。
蒸した芋。
ここまではいい。
よく出店――というか、そこら辺で出されているような安価で、食べ応えのあるもの。
しかし、だ。
その後に出てきたのは、見た事もないようなものである。
「あ、『賢者』様。よく買うことができましたね。そんな高価なものを」
傲慢の魔女が指差したのは、真っ白な包装紙にくるまれた長細いもの。
なぜか、包まれていた包装紙を濡らしてしまうようには見えないのに、シミができているようなもの。
それが何本も。それこそ、多くの量が入っているのだ。
「えぇ、お救いした人の中に貴族の人がいらしたようで。お礼に、と」
「なんじゃ、貴族の礼が菓子か」
「私が何度も何度もお断りしても、お礼がしたいと仰っていたので。根負けした中でもかなり譲歩したものですよ?」
「……ふむ。まぁバイスさんがそう言うならよいか」
そう言いながらビールに口をつけるハーストさん。
まぁ、確かに。
貴族の礼の中でも、相手に突き通せたのが菓子というのは印象的によろしくはない。
特に命を救われたというのだから、安すぎるほどだろう。
いくら、高級品だったとしてもだ。
「ちなみに、バイスさんや。これはどういうものじゃ?」
興味津々なのか。
ハーストさんは、伺うように聞く。
いや、興味津々になるのは仕方ない。
珍しく、見たこともないものを貴族がバイスさんへ勧めたのだから、それ相応の需要があるということ。
つまりは、販路の拡大に繋がるだけではない。
翼人族の分野に入る可能性だってあるのだ。
長が気にならないわけがない。
「等間隔に刻んだ芋を油に揚げて、塩をまぶしたものだそうですよ」
「なんじゃ、油を使うのか。そりゃ、市場に出回らんわけじゃな」
「なんでも、最近新しく作られたそうで。貴族の中で流行っているそうですよ」
「ほう……」
まじまじと。
それこそ、穴が空いてしまうほどに見つめるハーストさん。
商売魂が騒ぐようだ。
まぁ、舌の肥えた貴族の中で流行っているのなら、味に間違いはないのだろう。
「問題があるとすれば、出来たてがいいそうですね。こちらは、出来上がってからかなり時間が経っているそうで」
「なるほどな。いや、そんなものをバイスさんに渡したのは許せんが」
「なかなか、食べる時間ができませんでしたから。でも、その貴族の方が言うには冷めても美味しい。とのことですよ」
「……ふむ」
そう言いながら、ハーストさんが実際に手に取ってみて、間近で眺める。
棒状の。手のひら程度の大きさ。黄みを帯びているそれを目で楽しんでいる。
「まぁ、味は保証されているわけじゃし。これを肴にして話をしてもいいのう。すまんのう、バルさんや。話を遮ってしまって」
「いいんじゃ。実はワシも気になっていたからの」
そうやって、バル爺も揚げられた芋を手にして、ハーストさんと一緒に口に運ぶ。
そのあとは言うまでもないな。
ただ、そうだな。
気に入ったようで、ハーストさんは原材料の把握と、必要な物品の情報収集や、バル爺に至っては塩だけではなく、甘酸っぱいトマトのソースが合うんじゃないかと言い始めたのだから。
意外とグルメで、商売に関してかなりの手練な二人が、貴族のお菓子だったものを庶民でも楽しめるようにしたのはそれこそ、言うまでもないだろう。




