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第56話「ホットワイン」

 エティカもすぅすぅと寝息を立てた夜更け。


 エヴァンは寝る事が出来なかった。

 ロドルナとの話し合い以前に、オーマとの出会いが心残りで、それが気になってしまうと眠気も彼方へ消えてしまった。


 このままエティカの寝顔を眺めてもいいが、少し話をしたい気分になった為、ゆっくりとベッドから降りる。


 足元がひんやりとした感触のまま、部屋を物音立てないよう静かに出る。

 エヴァンは、その行為で親に見つからないよう、隠れて夜更かししている懐かしい気分になる。


 そのまま、階段まで進み、一足一足と降りていく。

 受付が見えるとヘレナが湯気のたつコップを傾けていた。

 そんなヘレナもエヴァンに気付く。


「あら、珍しいわね」


「ちょっと寝られなくてな」


 そのまま、受付まで歩み寄る。

 酒場も暗く、アルコールの匂いが居場所を作っていた。


「そう、なら少し待ってて、ホットワイン作るから」


 ヘレナはそう言うと、立ち上がり、厨房までそそくさと向かってしまった。

 気遣いとそれによる行動の早さを見習いたいとさえ思えるエヴァンであったが、ただ待つのも暇なので暗がりの中に掛けられた依頼掲示板を眺める。


 迷子の捜索依頼は無さそうだ。


 少しすると、コップを持ったヘレナが戻ってくる。


「はい、激熱よ」


「ありがとう」


 受け取ったエヴァンの目の前を湯気が遮る。


「本当に激熱だな」


「どうせ、何か話す事があったのでしょ。冷ましながら話しなさいね」


 どこまで見透かしているのか、エヴァンは心底不思議に感じた。

 ホットワインの香辛料がエヴァンの鼻腔をくすぐる。


「ロドルナと話をしてな」


「あら、あのロドルナさんと話をしたの」


 ヘレナは一口ホットワインを飲む。


「ロドルナさんてあなたに、自分の娘と婚姻(こんいん)結べとか強制してきた人よね?」


「ああ、全く変わってなかったよ」


 エヴァンが二度目のヘレナの平手打ちを食らう原因だ。

 憎まれ口も出てくる。

 実際、何も変わっていなかった。


「人を焦らせて、怒らせて自分に有利な話を進めるやり方も、謝る相手を見下すのも、利用できるものを利用するのも、何も変わってなかったよ」


「まあ、そうでしょうね」


 エヴァンの目の前のコップをただただ、眺める。


「あの歳になったらそうそう変わるものじゃないわよ。変わる事ができるのは若い者の特権だと思うし、あなたはそうならないように、反面教師にしなさい」


「そうするよ」


 一向に冷めないホットワイン。


「……でもな、バル爺がロドルナは変えられたて言ってたんだ」


「変えられた、て誰に?」


「勤勉の魔女」


 勤勉の魔女。

 その言葉に、ヘレナは悲しい表情へと変わる。


「勤勉の魔女ね……」


 それは(なまり)のように重さを持った。


「だから、ロドルナも被害者と言えるなら、どうにかしたいとは思ったんだ」


「……勤勉の魔女に変えられた人が、どうにか出来るとは思わない方がいいわよ」


 既に冷たくなったホットワインだったものを、ヘレナは飲み干す。


「それだけ全てを変えられてるのだから、どうにかしたいと思うだけにしなさい」


 ヘレナの主張は非情だった。


「でもさ……」


「でも、じゃないの。勤勉の魔女も含めて、魔女は恐ろしいものよ。どれだけの人が変えられて、人間関係もめちゃくちゃにされて、居場所を無くして、消えていったか」


 ヘレナは空になったコップを置く。


「『救世主』さんは、そういう被害者が出ないよう気を付けるだけにしなさい」


「それだと、今までの人はどうなるんだよ。放っておくままなんて俺にはできないぞ」


「どうしようも出来ないからよ」


「出来ないと思うから出来ない。手が伸びて届くなら、救い出さないと、俺が俺である意味は無いんだよ」


「じゃあ勤勉の魔女を殺せるの?」


 ヘレナの一言にエヴァンは息詰まる。

 勤勉の魔女を、人を、殺せるか。

 悩む間もなく口から言葉は飛び出る。


「殺さなくてもいいだろ。俺は『救世主』だぞ、救い出せる者は救い出す」


 そのまま見つめ合うヘレナとエヴァン。

 ふと、ヘレナに笑みがこぼれる。


「ならいいわ」


 ヘレナは立ち上がり、ホットワインを入れに行って帰ってくる。

 座ると、一口、熱々なホットワインを飲む。


「無茶な事したらボコボコにするわよ」


「出来るものならな」


 エヴァンもそう答えると、一口ホットワインを飲む。

 燃えるようであった。

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