第4話「安心感」
「ところで、しゅーるさんとえてぃかは、どういう関係なんだ?」
黒焦げな魚だったものを名残惜しそうに焚き火へ投下するエヴァン。
まともな食事は燃料になった。
魔獣の肉しか食べていないため、満足感は一切ない。
エヴァンを襲う空腹は、黒焦げになった絶望では膨れない。
対して、えてぃかはもったいないと魚だったものを見つめる。
この子の飢えは相当だろう。
ただ、焦げたものを好んで食べる種族ではないようだ。
「しゅーる、は、おとうさんだよ」
エヴァンへ寄り添うように座ったえてぃかは、彼へ視線を移して答えた。
しゅーるは父親で、動かなくなった。
それが何を意味しているか、エヴァンは容易に想像できた。
死んだ、もしくは重症ということが。
「ここには、しゅーるさんと一緒に来たのか?」
「うん」
泣き止むと返答はスムーズになったが、父親が亡くなった悲しみは計り知れないだろう。
いつ頃離れ離れになったかは不明だが、生傷やら泥が付いたままという事は、しゅーると一緒に来てすぐだろう。
「しゅーる、からだ、よわくなってて、きて、すぐに……」
「うん」
「いなくなっちゃった」
表現方法が独特と言えるが、体が弱くなって、幻生林へ来てすぐに動かなくなったという。
衰弱死なのだろう。
体が弱くなった、ということは衰弱魔法か何かだろうが、毒の可能性もある。
ただ、えてぃかはそういった毒やら魔法の影響を受けていないように感じる。
何かしろの悪影響を受けると、魔力にもそれが現れる。
それが本人の周りの空気が揺らぎ、みる者によっては変色したりする。
しかし、エヴァンに見えている部分だけでも栄養失調なことは確実なえてぃか。今見えている魔力の揺らめきが、正常かどうか判断をつけられない。
ただ、えてぃかが内包している魔力に影響が出ているわけでは無いため、受けていないとエヴァンは感じる。
なら、父親だけ衰弱死を仕組まれたということだろう。
幻生林へ入ってすぐ死ぬように。えてぃかが、一人になるように。
そう考えると怒りが湧き上がるエヴァンの表情は、尖るように鋭くなる。
また怖い顔になったのを、見かねたえてぃかはエヴァンの裾をちょいちょい、と引き、意識を向けさせる。
「えばん、しゅーる、はしかたない、ていって、た」
「え……」
「まじょ、さまの、おぼしめし、て。まじょ、さまが」
魔女のおぼしめし。
魔女に仕組まれた死を受け入れた、と。しゅーるは納得したのだ。
この世界の魔女は、畏怖として存在する七つの魔女とそれに対を成す対の魔女を意味している。
七つの魔女は『魔王』の関係者とも言われており、残虐行為を行う傲慢、強欲、嫉妬、色欲、暴食、憤怒、怠惰のそれぞれを冠した者で、今までにもいくつもの村や町を襲ってきた王国討伐対象だ。
最近では、残虐行為も見られなくなってきたが、影で動いていた可能性もある。
そもそも、住居や住処が不明。
行動理由も不明で、分かっていることが魔法の研究をしていたということ、女性だということのみ。
ただ、魔女に襲われた町は誰一人として生還者がいない。
全員惨殺される。
目撃情報もその町に訪れた行商人や旅人で、魔女の素顔といった情報がほとんどない。
そんな七つの魔女が、えてぃかただ一人を残すのか。
では、対の魔女は。
対の魔女は、七つの魔女とは対の――王国に仕える存在。
それぞれ冠しているのも、七つの魔女とは対のものを冠している。
王国直属護衛軍であったり、王国研究所に所属していたりなど。『魔王』とは関係ないとされている。むしろ、『魔王』を討伐する側なのだ。
エヴァン自身もあまり交流がないため、判断基準は少ないのだが、王国関係者からは「魔女は恐ろしい」と言われるほどの人物達。
えてぃかの指している者が、七つの魔女か対の魔女かは分からない。
しかし、魔女が動いているという事実には変わりない。
七つの魔女を疑う気持ちは強いが、あくまで憶測の範囲でエヴァンには自信がなかった。
「その魔女の名前は聞いたかい?」
「ううん」
首を横に振るう。
憶測の範囲に収まった。
これは密かに動く必要が、とエヴァンは思考を巡らせる。
「しゅーるさんはどこにいるか覚えてるか?」
「ううん……。すぐに、いぬ、きて、にげて」
魔獣に出会った。
それはしゅーるの亡骸が無惨な状態とも言える。
同種であろうと共食いをする魔獣。
そんな魔獣の目の前に新しい死体、もしくは肉体が転がっているのなら、貪らないわけにはいかない。
喜んで喰らい尽くしたのだろう。
肉だけでなく、骨さえも食べてしまっただろう。
どれくらいの時間が経っているかは分からないが、しゅーるという父親の亡骸は、もう形一つ残っていない可能性がある。
弔うことも、埋葬も、火葬もできない。
魔女のおぼしめしで魔獣に食われた。
その事実が、青年の脳裏へこびりつく。
「そっか…………」
エヴァンは何を言えばいいのか分からない。
率直な感想も酷い問答に思えて、できなかった。
魔獣に襲われた父親を置いて逃げた。
そんな心理状態にさせるような状況へ、相応しい言葉を持ち合わせていない。
ただ、寄る辺も拠り所もないのに不安へさせてはいけない。
そう思ったエヴァンは、過度に期待させないよう。
「落ち着いたら会いに行こう」
そう口にした。
少女は何度驚いたのだろう。
死んでしまった父親から逃げるように走り、泥も傷も堪えながら走った先。
そこにいた人はとても優しい人だった。
最初こそ警戒されて、殺されるのかもと考えたが払拭される。
彼の瞳は真っ直ぐと、えてぃかを見据えていた。
一緒にいてくれる。
それだけでなく、父親の元へ一緒に行ってくれると。
例え、父親の亡骸がなくとも彼は弔ってくれるのだ。
見ず知らずの人にさえ手を差し伸べ、共に歩いてくれるのだ。
そう思うと涙が再び込み上げて、抑え込む。
泣くより先に言うべき事がある。
「…………ありがとう」
えてぃかは強い子だった。
涙を堪えてお礼を言えるだけでなく、絶望の淵にいても前へ進む子なのだと。
お礼を言った頃には涙を拭き、笑顔をエヴァンへ向けていたのだ。
幼い年頃の女の子が、涙を堪えてお礼を言う。
えてぃかは見た目以上に強く、逞しい、痩せこけた身体には強い精神があった。
落ち着くのが、どれくらい先の話かは分からない。
ただ、その時までエヴァンは一緒にいる、と。
それだけで、えてぃかは強くいられた。
「どういたしまして。疲れただろ、もう寝ても大丈夫だからな」
「ううん……。だいじょうぶ」
怒涛の如く、色んな事を経験しただろう小さな身体。
その身体はうつらうつら、と船を漕いでいた。
つたない食事であっても、小さくなった胃袋を満たすには充分だった。
久しぶりに得た安心からか、否定したえてぃかは睡魔に飲まれていった。
寄りかかる肩はゴツゴツとしていたが、枕には最適だったようだ。
さて、と寝たのをこの目で確認したエヴァンは星空を眺めようと見上げる。
木々に囲まれた隙間から、僅かに見える程度だった。
夜明けには幻生林を出て、ストラ領へ向かう。
その後は、エヴァンの下宿先へ行き、身なりをできるだけ整える。
傷はえてぃかが寝たのを確認してから治療魔法を施したので、目立った外傷はない。
ただ、泥だけは落とさなきゃいけないし、ボロボロの衣服をどうにかしなければいけない。
そこは下宿先の女将に任せればいいのだが……。
だが……。
「一発かな……」
右頬か左頬か。
どちらにせよ、歯は食いしばった方がいいだろう。
過去に殴られた右頬を無意識に撫でる。撫でると痛みが蘇ったようにヒリつく。
いや、と頭を振る。
まずは見張りだろう。どう説明するか誤魔化すか。
何より魔人族であることは、隠さなければいけない。
魔人族は『魔王』の配下という噂さえ出ているのだ。
それくらい密接な関係にある魔人族の子が、何事もなく見張りに通してもらう事は不可能だ。
何より魔人族という情報が限られた中での噂だ。
ほぼ確定事項のように、身柄拘束からの処刑なんて当たり前だろう。
エヴァンはともかく、えてぃかは斬首刑か死刑、終身刑の前に人体実験をされるだろう。
ただでさえ少ない情報を得るための贄となる。
人は自身の行動が正当化されれば、悪魔になるのだ。
そうなってしまっては、しゅーるへ顔向けができない。
ならば、と、えてぃかの魔人族の象徴である角を眺める。
小さい角ではあるが、主張するには充分で、魔人族の身分証明書のようなものだ。
隠すなら角だろう。頭もお尻も隠せられれば万全。
そう思い、エヴァン自身が使っていたローブを見る。
フードも付いていて隠すには充分。
えてぃかの小さな身体は難なくおさまる。
他に足りないのは、言い訳とちょっとした細工。
思い付いたエヴァンの行動は、素早いものだった。
夜通しになる魔獣への警戒をしつつ、ローブに細工をしながら、言い訳を考える。
横で寝息をたてる、小さな身体は安らかであった。




