第45話「立場」
ロドルナとの交渉も済んだエヴァンは、そのまま王城を出る。
あっさりと終わった会議であったが、ロドルナと話させねばならない状況で、胃がキリキリと痛んでいたエヴァンは、ようやく外の空気を吸えて、ホッとする。
ストラ領とは違う空気ではあるが、あの息苦しい空間での空気よりもエヴァンを落ち着かせるには、充分だった。
しかし、この会議が終わったという事は、別件が控えている。
何より、それが一番本腰を入れなければ、いけないのかもしれない。
能力研究所への訪問。
あの、勤勉の魔女ウレベが、所長を務めている本陣へ向かわねばいけない。
そう思うと、再びエヴァンの胃を締め付ける。
しかし、黙する鴉で待っているエティカに早く会いたい、抱き締めたい、そう思うことで沈んだ気持ちを奮い立たせる。
足踏み状態では、物事も進まない。
気合いの入れ所なのだ。
エヴァンはその足で、王城を出て左へ向かう。
王城の隣に建てられた、小さな城のような外観。
魔除けとして悪魔の形の彫刻が、飾られた外壁。
そこが、能力研究所だ。
研究所の入口前で、エヴァンは立ち尽くす。
小さな城のようなものと言えど、王城が巨大なだけで、研究所も立派な大きさだ。
そして、研究所の中には魔女がいるかもしれない。
そう思ってしまったエヴァンは、中に入るのに躊躇した。
ウレベによって変えられた人がいる。
その事実が、エヴァンの足を鉛のように重くする。
もし、自分自身も変えられてしまったら、エティカはどうなるのか、『救世主』としての使命は、アヴァンやヘレナ、ローナはどうなってしまうのか、そんないくつもの可能性が脳内を駆け巡る。
いざ目の前にした恐怖を認識すると、気合いの入れ所が無駄になってしまった。
人間味溢れると言えば溢れているが、いくつもの可能性に臆する臆病者とも言える。
しかし、それだけ魔女は恐怖対象なのだ。
何をされるか分からないどころか、何をされたかも認識できずに、自分自身の全てを変えてしまう。
七つの魔女が、生存者を残さず全員殺してしまうように。
対の魔女や勤勉の魔女に、都合のいいように変えられてしまうかもしれない。
人間性を変えられ、今まで培った人間関係が無くなる。
そう思うと、エヴァンは動けなくなってしまった。
しかし、そんな臆病者のエヴァンの脳内に、一つの記憶の断片が蘇る。
一週間も経っていない、新鮮な記憶の断片……それは、エティカとの出逢いの断片。
白銀の髪の少女が、紅色の瞳で見つめ、ローブの端を小さな手で握ったあの瞬間、エティカは「いっしょに、いる」と言った。
魔人族である事を隠し、それでもエヴァンと共にいる事を選択したエティカの勇気は計り知れない。
小さな身体へ、大きな勇気を宿したエティカが、意を決したのに、エヴァン自身はこんな所で足踏みしていいのか。
臆病者でいいのか。
いいわけがない。
エティカを守ると決めた以上、降り掛かる困難を払い除ける覚悟がなければ、一緒にいることは難しい。
それでも一緒にいる為には、歩みを止める暇などないのだ。
考えが決まったエヴァンは、大きく息を吸い込む。
しっかりと吐き出すと、自然と覚悟は定まった。
「よし」
その一言で、エヴァンは能力研究所に足を踏み入れる。
魔女の庭へと。
中は王城まではいかないが、明るく上品な装飾が施されていた。
控えめではあるが、それでも置かれた花瓶やテーブル一つ取っても値が張る代物が、ある一定の間隔で置かれていた。
入って正面に備えられた受付と思わしき、場所まで向かう。
そこに一人の女性が座っており、エヴァンの姿を確認すると、目を離す事はない。
ただ、ジーッとエヴァンを見て離すことはない。
何とも不気味な印象をエヴァンに与えた。
「こんにちは、何か御用でしょうか?」
声が聞こえてホッとする事はなく、余計に不気味さが増した。
女性は、抑揚もなく、棒読みでエヴァンに話し掛けてきたのだ。
これには、思わずエヴァンも覚悟が揺らぐが、すぐに立て直し、努めて平静に応対する。
「こんにちは、『救世主』のエヴァン・レイです。こちらに来るように言われたのですが――」
「『救世主』エヴァン・レイ様ですね。失礼ですが、確認の為にコインと召集状を出して頂けますか」
「は、はい」
女性の食い気味の対応にエヴァンは少し、臆してしまったが、言われた通りにコインと召集状を出す。
それを即座に受け取った女性は、確認をすぐに済ませる。
「確認できました。お返し致します。申し訳ありませんが、右手の部屋にて、お待ち頂けますか」
と、エヴァンの右手側の部屋を示す。
たった一部屋しか右手側にない為、分かりやすかった。
「分かりました、ありがとうございます」
「いえ」
エヴァンが、コインと召集状を受け取り、部屋に向かおうとすると、女性は視線を外すことなく、ずっとエヴァンの動きを見続ける。
熱い視線でも、冷たい視線でもなく、ただ観察しているような、そんな視線。
エヴァンはそれから逃れようと、そそくさと示された部屋に入った。




