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第3話「救世主」

 

「えてぃかね。しゅーると、いっしょに、きたけど、しゅーる、うごけなく、なって。

 それで、えてぃか、にげながら、ここまで、きてね」


 確信をつくようなことが、えてぃかの口からポツリポツリと零れる。

 まるで雨粒のように。小雨が打ちつける石畳の音のように。


「えばん、に、あえて。よかった、やさしい」


 今にも泣き崩れそうな表情をしていながら、無理やりに笑顔をつくりエヴァンへ言った。

 そのあまりに美しい、絵画にもできそうな笑みを受け取った青年にとっては、新しいしゅーるという名前のことやどういった関係なのか考え始めたものが、明後日の方へ傾き始める。

 というか傾いた。


(絶対、こんな状態じゃなかったら間違いなく美人だぞ)


 かすかに感じていた。

 身体は痩せているが、しっかりとした食事なら可愛い子になっただろうと。顔つきは痩せていても、顔立ちが整っている。

 そんな的外れなことを思うくらいには、好みだったのだろう。


「ありがとうな。でも剣を持っているやつに近付くのは危ないぞ。野盗、もしくは盗賊とか山賊かもしれないし」


「みた。でも、えばん、は、ちがう、て、おもった、から」


 また、確信をつくようなことをエヴァンは聞き逃しそうになる。

 聞き逃しそうになった理由は、えてぃかが再び食べ始めたところに骨があり、体をびっくりさせたのだ。



 ――ビクッ



 小さな細い身体が揺れ、小骨の攻撃で涙目になるえてぃか。

 その仕草が、可愛いものでなければよかったのだ。

 骨の刺さったところを小さな汚れた手で押さえ、俯きながら、口内を鋭く刺した痛みに耐え、震える。


 それを見て、エヴァンの動きも少しおかしくなる。

 後ろを振り向き、口元を手で隠す。

 尊さで吹き飛びそうになった顔を見られないようにした。


 顔を見てから一時間も経っていないのに、少女の可愛さでニヤけ、背ける。

 さっきまで警戒していた姿がこの有様である。


 実際、普通の冒険者にとってはありえないことのはずなのだ。

 えてぃかの身なりや顔付きはお世辞にも可愛いとは言えないほどに汚れている。なにより、魔人族。

 そんな子を数十分足らずで、可愛いとさえ思えるエヴァンがおかしいのだ。

 しかし、エヴァンの持っている『救世主』という能力のことを、考えるとおかしいとも言えない。

 それが『救世主』という証明なのだから。

 差別意識もなく、平等に見れてこそ、救済ができるのだから。


 ニヤケ顔もそこそこに、エヴァンはこのまま、この子と一緒に野宿をするのかどうかを考える。


 野宿するにしても、夜が明けたら帰らねばならない。

 そうしたら、この子は魔獣がいる幻生林へ置き去りにするのか。かといって、このままエヴァンの下宿(げしゅく)先にまで連れて行くのか。


 無論、『救世主』としての立場も、良心の呵責(かしゃく)も含めると十中八九、下宿先まで連れて行くことは決まっているのだが、都合のいい言い訳が思いつかない。


 そもそも、魔人族が人族の町にやってくること自体無い。

 それも身なりがボロボロの、女の子かどうかも分からない、素性(すじょう)も不明な子。

 喋り方もたどたどしい。

 それこそ、意志を持ってようやく言葉を喋られる歳なのだろう。


 もしくは、強烈なショックから喋るのもやっとな状況なのかもしれないが。

 連れて行く行かないの選択の前に、ある程度の彼女に関わることを知っておかねばいけない気がした。

 その方が良い言い訳も浮かぶだろうと。


「見た、てことは誰かに会ったのか?」


 コクン、と小さな頭が縦に振られる。


「それは俺みたいな格好をした奴か?」


 フルフル、と力なく小さな頭が横に振られる。


「じゃあ……」


 一体誰が……と、言う前にカサついた小さな口は開かれる。


「おんな、のひと。だった。……ながい、ふく、きてた」


「女の人で長い服?」


 コクン、とまた縦に振られる。


 続けざまに開かれた口はパクパクとして、どうやって言葉を繋ぐか試行錯誤しているようだった。

 どう言えば青年に分かりやすく伝わるのか、それを考える女の子が危険な場所に一人放り出されていたのだ。


「まえ、おとうさんとおかあさん、あってた、ひと。でも、ここで、みたら、どこ、かいっちゃった」


「そうか……。その人は魔人族なのか?」


「ううん」


 フルフル、と弱く白銀の髪が横に揺れる。

 魔人族でもない者が魔人族と交流があって、しかもこの幻生林で姿を見掛けたと言うのだ。

 しかも女の人と。


 魔人族と交流があるのなら、目撃者がいれば大きな噂になって街中に知れ渡るのだが、噂にもならないほど情報を規制できる立場の人物。

 ただ、幻生林に入ることができる立場の人間はそもそも少ない。


 魔獣が蔓延(はびこ)って徐々に規模を拡大している幻生林は、討伐依頼を受注した冒険者か。

 エヴァンのように、魔獣討伐を一人で(おこな)っても問題ないレベルの冒険者か。

 王国関係者くらいしか入ることはできない。

 そうやって、規制しなければいけないくらいには、危険な場所なのだ。


 この森の外には見張りもいる。その見張りにもある程度顔が知れていて、顔パスで入ることができるのだろう。

 なによりエヴァンが入る時に、見張りの傭兵(ようへい)との会話で「特に異常なし」との報告を貰っていた。

 何日か前であっても、誰が幻生林へ入ったかの報告義務があるのだ。情報の所在を明らかにするために。


(幻生林へ入ることは簡単で、見張りへも口封じができる関係……。王国関係者か、王国直属の冒険者しかできない事ができる人物……)


「えばん、こわい、かお。だめ」


「え…」


 えてぃかを見ると涙目は変わらず、不安が浮き出た表情をしている。

 幻生林のことを、えてぃかのことを何か知っている人物なのかもしれない、そう思うと青年は「怖い」と呼ばれる表情になっていた。

 エヴァンは切り替えねば、と頭を振る。


 誰かが何かをしている、それは今後調べていけばいい。

 今は、この子のことだ。

 寄り道した思考回路を繋ぎ直す。


「ごめんな、えてぃか。大丈夫だよ」


「ほんと?」


「ああ、それよりえてぃかのことについて、一つ」


「……うん」


「もし、もし一人で不安なら、一緒に来るか?」


 一人かどうかも分からない。

 ここに来たのも、たまたまなのかもしれない。


 ただ、これはエヴァンの仮定だけでなく、彼の持っている『救世主』がそうさせようとしたのか、仮定はほぼ根拠の無い自信となってエヴァンへ口にさせた。


 えてぃかが救いを、助けを求めたように感じた。


 ここに来たのも、月明かりも全く通らない暗がりの中に篝火(かがりび)が見えたから、救いを求めて来たのかもしれない。

 そんな予感。エヴァンにとって都合のいい予感。


 ただ、ここで見捨てるという選択肢は『救世主』によって無いのだ。

 エヴァンの心境にもないのだ。


 ジッ、とえてぃかを見据えるエヴァン。

 反対にえてぃかは目を大きく見開いていた。

 大きくて綺麗な目だ、と青年は少女への素直な感想を抱いた。



 そう思ったのも(つか)の間。



 見開いた驚愕(きょうがく)の表情は、涙と一緒に歪んだ。

 大きな瞳には一杯の涙が溜められ、溢れ出てくる。

 頬を伝う涙は、流れ落ちていく程に勢いが増していく。

 小さな身体もしゃっくりで揺れる。


 細々とした指先で涙を拭いていくが、(ぬぐ)いきれないえてぃか。

 焦ったエヴァンは視線が泳いでしまう。


 どうしたらいいのか、経験値の少ないエヴァンが咄嗟(とっさ)に取った行動は、えてぃかを抱き締めることだった。

 力を込めてしまうと折れてしまう。そんな不安定な身体を温めるように優しく包むように覆う。


 えてぃかは驚くも、泣きじゃくりは最高潮に達した。

 魔獣に音を察せられないように、声を抑えた泣き方。

 エヴァンの腕の中で小さく揺れ動く身体は、更に小さく感じられた。


 魔獣のいる場所でたった一人。怖いに決まっている。

 常に命は狙われているし、いつ奪われてもおかしくない。

 その不安の()り所である親はいない。

 膨れ上がった不安が今、爆発した。


 そう思うと決死の覚悟で、エヴァンの前に姿を現したのだろう。

 どのくらいの時間、一人だったのだろう。

 しゅーるが動けなくなってどのくらいなのだろう。

 しゅーるとは、一体誰なのだろう。


 考えがいくつも浮かんではくるが、ゆっくりと(ほど)いていけばいいと抱きしめながら思う。

 危険な場所へ一緒に来るような、信頼関係のある者がいなくなった不安も大きいだろう。


 拠り所も寄る辺もない。

 そんな子の安心できる場所になってもいいではないか。

 それが『救世主』ではないか。その考えに至り、壊れないよう抱きしめる。


 焚き火に照らされた二人。

 夜明けはまだ先。



 ◆    ◆    ◆



 落ち着くまでどのくらい掛かったのだろう。

 一度おさまったものは、二度ぶり返した。

 その間もずっと、何も言わず抱きしめていたエヴァン。

 大きな瞳が当たっていたローブはずぶ濡れだった。


 涙は止まり、紅色の瞳に泣き腫らした目元。

 ()けた頬に伝った涙の跡。

 しゃっくりも止まらない。


 ただ、返事がまだ貰えていないエヴァンはもう一度尋ねた。


「落ち着いたか?」


「……ひっく……。う、うん」


「じゃあ、もう一回聞くけど、一緒に来るか?」


 しゃっくりに揺れる身体を一度だけ静めるえてぃかは、紅色の瞳へ意志が宿ったように輝きを放った。


「……うん!」


 白銀の髪を揺らし、チカラ強く頷く。


「じゃあ、一緒においで」


 答えたエヴァンは今までに無いくらい、優しい表情をしていた。

 聞きたいこともいっぱいある。

 連れて行くことに不安も山積み。

 それでも放っておけないのは、『救世主』としての(さが)か、本人のお人好しか。


 それを一番知っているのは、答えたエヴァンに抱き着いた、えてぃかなのかもしれない。


 火にかけた魚は、とっくに焦げて(すす)けていた。

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