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第37話「夢ノ二」

 わたしは、本をよく読んでいた。


 雨の日だろうが、晴れの日だろうが、風がよく吹く日でも、少し曇り空な日でも、雪の降る日でも、本の虫だった。

 文字という物を覚えていくだけで、世界が広がるようだった。


 人付き合いの苦手なわたしにとって、本は世界でもあった。

 父親の書斎が居場所でもあった。

 隙あらば書斎で本を読み、そこで眠りに落ちる事は良くあった。

 それを見兼ねた父親は、書斎にいつしか毛布を置くようになった。


 一目で、わたしの為に用意されたのだと分かった。

 人付き合いの苦手な、同い年の子達と遊ぶことがなかった私の居場所は、本の中だった。

 世界でもあり、居場所でもあり、わたしにとっては、唯一の外の世界を知る手段だった。


 ある昼下がり、少し雲に隠れた陽光の日。


 わたしがいつものように父親の書斎で、本を読んでいると、乱入者が現れた。

 とても乱暴に扉を開け、豪快なまでの大声の乱入者は、わたしと同い年の女の子だった。


「本の虫! 遊ぶわよ!」


 書斎の外からやって来た同い年の女の子は、読みかけの本など気にせず、わたしを外に引き摺り出したのだ。


 なんという事だ。

 お気に入りの日に焼けた本は、その場に落ちる。

 折角の世界が、お気に入りの世界が零れ落ちた。


 そんな事には構わず、女の子は勢いに任せてわたしを連れて行く。

 痩せ細ったわたしの身体をいとも容易く引っ張る。


 それでも、抵抗しなければ。

 わたしの世界は、書斎しか、本の中にしかないのだから。

 連れ出されるギリギリの所で、踏ん張る。


 だが、貧弱なわたしを無理やり連れて行く女の子の方が、力があるのだ。


 悲しい事に、抵抗は抵抗とならず、そのまま書斎を飛び出し、家の外へと連れ出される。


 ああ、外には出たくない。

 あの居心地のよい、文字に浸る世界が一番なのだ。


 家の外へと飛び出した、女の子は急に立ち止まる。


「あなた、世界は一つしかないて思っているでしょ」


 連れ出されるというだけで、息も絶え絶えなわたしは、返事すらできない。

 それでも、女の子は語る。


「本の虫、あなたの世界は一つなの? 本の虫のように、本の中だけが世界だと思っているでしょ」


「……ち、違うの?」


 言葉を発するのは、久しぶりな気がした。

 それほどまでに、わたしの声は掠れて、聞こえにくいものだった。


「馬鹿ね、一人一人の世界があるのよ。あなたが本の虫で、本にしか書かれていない事が世界なら、あたしの世界は本に書かれていないのがあたしの世界よ」


 よく分からない。


「あたしの世界を見せてあげる。そうすれば、本の虫の世界も、もっと綺麗に見えるわよ。でもそうね。あたしだけじゃ、世界は小さいままだから、色んな人の世界を知りましょう。本の虫の父さんと母さんの世界も、あたしの父さんと母さんの世界も、エティリカの全員の世界を知りましょう。生きている人も死んでいる人も、これから産まれてくる赤ちゃんも、動物も、植物も、水も、雪も、風でもいいわね、雲の上はどうなのでしょうね、本の虫は海を見た事あるかしら、山もいいわね、色付く葉っぱも綺麗よ、桜の花びらも素敵だわ、土の感触もいいわね、泥にまみれたことはあるかしら、石もあたし達の角に負けないくらい固いのよ、雨の匂いは知っているかしら、音楽を聞くのもいいわね、人の声ていっぱいあるのよ、あたし達以外の種族にも会いましょう、獣人も、魚人も、人族も、翼人ていう翼のある人もいるみたいよ、混血の人にも会ってみたいわね、色んな人と色んな物に会って、話をして、空間を共にして、感覚を共有して、感情を知って、認識を正して、常識を覆しましょ。楽しい事も、悲しい事も時には必要よ。喜ぶことも大事よ。哀しい事も、虚しい事も人生では経験しておかなきゃね。本の虫がやった事のないものをいっぱいしましょう」


「……な、なんで」


 そんな事必要ないだろう。

 女の子の言う事が理解できなかった。


「なんで?そんなの決まってるじゃない」


 女の子は満面の笑顔で答えた。


「その方が、本を読むのがもっと楽しくなるからよ」


 女の子は、そう答えて、わたしを本の世界から連れ出した。

 わたしの足は、女の子に手を引かれながらではあるが、一歩ずつ踏み出したのだ。

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