第23話「バル爺」
いくつもの木でできた酒樽を両手に持っていながらも、ローナは軽々と持っていた。
「帽子は完成したようですね」
「ああ、完璧だぞ」
「最初から出来ていれば良かったのに、何はともあれお疲れ様です」
「一言多いな」
「事実ですから。それよりも席に座るか、隅の方で立つかして下さい。邪魔です、鬱陶しいです」
「お前が呼び止めたんだろうが」
そう言うや否や、早々に酒樽を厨房まで持っていくローナ。
その姿は仕事を完璧にこなす、できる女という印象もあるのに口を開けば、罵詈雑言に無表情。
もし、言い寄る者がいるなら手を合わせて拝まなければ、という失礼な事を思うエヴァン。
エヴァンが手持ち無沙汰なのも事実で、邪魔になってしまうという意見も真っ当なので、エティカの隣へそそくさと向かう。
エヴァンの姿に気付いたエティカの笑顔は、満面の笑みでありながら興味や好奇心で輝いていた。
「エヴァン!」
「お待たせエティカ。随分綺麗になったな」
「えへへ、ヘレナ、と、ローナちゃん、の、おかげ」
「そうかそうか」
と、フードを被ったままの頭を撫でるエヴァン。
心なしか布を一枚隔てただけだが、肌触りが違う感じがした。
エティカは蕩けた顔で、エヴァンに撫でられる。
泥だらけだった顔も綺麗になっていた。
「あー、そうだ。ヘレナがエティカに帽子をプレゼントしてくれたんだ、後で渡すよ」
「ぼう、し?」
「ああ、少し地味な色だが、あれなら人目につかない。術式もさっき掛けたんだが、持って来れば良かったな」
少々の後悔がエヴァンに残る。
持ってきていれば、フードを深々と被らずに色々な物を見ることが、できただろうに。
そんな少しの後悔。
「あり、がとう」
「どういたしまして。また俺の部屋で見せるよ。ローナからのプレゼントもあるんだ」
「そか、えへ、みんな、やさしい」
モジモジと指をくすぐるように交わすエティカ。
なんと分かりやすい照れ方だろう。
「いつかお礼しなくちゃな」
「うん!」
いつかのお礼まで、そんな温かな優しさがエティカに沁みる。
幻生林で一人だった時、父親と死別した時、そんな事を考えもしなかった。
いつかお礼を伝える。そんな、いつかの為に過ごす。
それが当たり前の日常がとても温かく思えた。
「そういや、エティカは飯食べたのか?」
「うん! おいし、かった!」
「そうかそうか。じゃあ、俺はせこせこ働く二人を見て、食事にありつける訳だ」
「お前の飯は、俺が作ってるのを忘れてないか」
エヴァンの軽口に、木皿へ盛り付けながら応えるアヴァン。
「アヴァンが飯を作ってくれなかったら、今頃俺は野垂れ死にしてただろうな」
「それも、そうだな。お前が依頼だ何だと、飯も食わずにぶっ倒れるまで動くなんざ、当たり前だったしな。エティカもちゃんとこいつの事見張っとけよ」
「おい、エティカに無茶吹っ掛けるなよ」
「どう、すれば、いいの?」
自身の見張り云々がエティカにとって、無茶だと、自虐じゃないのか、と感じるアヴァン。
対してエティカは真剣で、真面目だった。
茶化すのも申し訳ないと感じたアヴァンは、至極真っ当に返答する。
「そうだな……。とりあえず、倒れたら抱き締めて『バカ』とでも言えばいいぞ」
「おい」
「わかった!」
エティカは純真無垢だった。
ただ、いつかの為に覚えておこうと、念入りに頭の中へ覚え込ませようとするエティカ。
エヴァンは、軽口を叩き合う空間に、エティカの姿があって安堵していた。
幻生林で感じていた、考えていた不安から、ようやく解放されたような気分にもなっていた。
そんな雑談をしているとエヴァンの前にいくつも、皿が並べられる。
と言っても、そんなに大量に盛り付けられた訳でもなく、通常量に盛り付けられた、牛肉のシチューとパン、オレンジとキャベツのサラダ、ひよこ豆が並べられた。
いただきます、と手を合わせ食べようとした時、酒樽を持った老人がエヴァンへ話し掛けてきた。
「おう、エヴァン、今日は随分と可愛い子連れてるじゃねえか」
「……ダル絡みか爺さん? 酒は程々にしとけ、て孫に言われてなかったか?」
「馬鹿言うな、これでもワシの中じゃ一割にも満たない酒じゃ、ほろ酔いにもなってないわ」
「そうかよ、話し相手が欲しいなら、そこの紫髪の美人に話し掛けたらどうだ? 相手してくれるぞ」
「んなことするかよ。ワシはお前と話したいから、声を掛けただけじゃ」
なんとも気色の悪い、とさえエヴァンが思っていたが、そもそもこの老人は顔も名前も通りのいいので、そんな態度が出来るのは恐れ多くもエヴァンか、ローナくらいであろう。
ローナは単純に態度を変える事が少ないからだが。
「それで、なんの用だよ。見ての通り、食事中なんだが」
「まあ、時間は一杯あるんじゃ。気長に話そうじゃないか」
いや、食事中なんだが、とエヴァンは白い目にもなる。
老人はエヴァンへ顔を近づけ、小声で話す。
「ワシの見立てじゃと、そこの子、何かおかしいのう」
「は!?」
「いや、あくまでのワシの見立てじゃ、何ともないエヴァンの連れには、見えるが如何せん初めて見る顔での。これでも常連だと自負しておるから、初めて会う者には挨拶せんといけんからのう。そう思ってエヴァンに声を掛けた訳じゃ」
老人は笑い皺の出来た顔に笑みを浮かべる。
「特に何かは聞かん。エヴァンを信じておる。だから挨拶してもいいかの?」
エヴァンが徹夜で完璧に作った術式であろうと、見破り、なおかつそれを黙っていてくれる。
完璧にできたと思ったはずが、こうもあっさり違和感を与えてしまうのか、と傷心してしまうエヴァン。
「おっと、勘違いするなよ。ワシはその子に初めて会うから、挨拶をするだけじゃ」
とフォローを入れる老人。
実際、エヴァンの術式はかなりの出来だ。
ただ、この老人が侮れないというだけなのだ。
「ああ、あまり怖がらせるなよ。ただでさえ怖いんだから」
「馬鹿言え、ワシは小さい子には好かれるんじゃぞ」
たかられる、の間違いでは、とエヴァンが内心で思いつつも声には出さず、胸に秘める。
そんな老人はエティカへと顔を向け、腰を下ろし、エティカの目線に合わせる。
「初めまして、小さな人形よ。ワシはバルザック・ボーディリアじゃ。バル爺とでも呼んでくれ」
「は、はじめ、まして……」
「おお、偉いのう。ワシを怖がる者が多いから、てっきり引っ込まれると思ったが、いい子じゃな」
「え、えへへ……」
「小さな人形よ、名前を教えてもらってもよいか?」
「え、エティカ……」
「エティカか……。いい名前じゃのう。これからよろしくじゃな」
「うん、よろ、しく、おねがい、します」
おお、怖がらずによく挨拶できた、と大声で褒めたいエヴァン。
対して老人の割にガタイのいいバルザックは、エティカへの挨拶が済むと、エヴァンへ向き直る。
「それでじゃ」
「おい、さっきまでの気色悪い笑顔はどこにいったんだよ、俺にも向けてくれてもいいだろ」
「アホ抜かせ、大事な話じゃ、一応聞いておけ」
と、真面目な雰囲気に様変わりする。
「ウレベがストラに来たそうじゃ」
「は? ウレベが? あの王国直属の魔女がどうして、ここに」
「それは分からん。ただ、傭兵のヴェルディがおるじゃろ。あやつがストラでウレベに会えた、とはしゃぎ回っておってな」
(ヴェルディがストラで会った? あいつ今日は見張りで、街にはいないはずだぞ)
「あの勤勉の魔女が来たという事は、一応お前の耳にも入れておこうと、思ってな。何を仕組んでるかは知らんが、気をつけるにこした話はないじゃろ」
「まあ、確かに」
魔女というだけで危険視、もしくは警戒するべきなのだ。
それだけで恐ろしい存在とも言える。
「ありがとうバル爺」
そこまでの速報に近い情報を、なぜこのバルザックという老人が知っているのか、それはバルザックが冒険者組合の取締役とも言える長の立場にいるからだ。
バルザック・ボーディリア。御歳六十歳を超えてなお、冒険者組合の長、ギルド長を務める。元は冒険者で、かの『魔王』討伐隊を指揮していた経歴を持つ。六十歳でありながら筋骨隆々な肉体と、笑い皺ができている顔には薄くだが、いくつもの切り傷の跡が残っている。頭髪は本人がめんどくさいと丸坊主にしているので、第一印象は怖いと思う者が大半だろう。
「お前が素直にお礼を言うとは、気色悪いのう」
それでも、エヴァンが『救世主』でありながら、冒険者として活動していけているのもバルザックのおかげであった。
「それで、ウレベは今どこに?」
「王都へ帰ったそうじゃ、しかし、何かあるのはワシの気のせいではない。ここ最近の魔獣の被害も目撃も少ないからのう」
「魔獣の被害がないのはいい事だろ?」
「それはその通りなんじゃが、こうも出来事が重なるとな、長年の経験が身震いするんじゃよ」
バルザックはウレベの事を昔から知っているので、何かの予感はあるのだろう。
エヴァンはその予感を信じてもいい気がした。
それも何となくだが、バル爺や王政関係者からウレベの事を聞けば聞くほど、「恐ろしい魔女」という印象を植え付けられたかもしれないが。
魔獣の事や、色んな事と関係があるのかもしれない。
「まあ、気にしすぎかもしれんがな。老いぼれに付き合ってくれてありがとうよ」
「いや、こちらこそありがとう。気をつけるよ」
「おう、エティカちゃんも邪魔したな」
「うん、バルじい、ちゃん、またね」
バル爺はエティカに「じいちゃん」呼びされたのが嬉しかったのか、誰にも見せたことの無いような溶けた笑顔で、エティカへ手を振った。
そんな顔、冒険者組合の連中が見れば卒倒するだろうな、とバルザックを見るエヴァン。
話をしていたからか、少し冷めたシチューを掬う。
ウレベにもし出会う事があるのならば、細心の注意を払うべきだろう。少なくとも、エティカは守らねば。
掬った白いシチューを飲み込むエヴァンであった。




