第15話「化粧直し」
アヴァンが白銀の少女へのご飯を作っている間、手持ち無沙汰になったエヴァン、エティカ、ローナは座る場所をいつも座るカウンターの端へと移動した。
その場所は青年がいつも陣取る場所で、カウンターと厨房は空間が繋がっているため、暇な時はアヴァンと談話し、それにローナが混じってくるのがいつもの日常だった。
カウンターの奥にエヴァン、その隣にエティカ、そのまた隣にローナといつもの風景の中へ少女の姿が混ざった。
「それで、私への話というのはなんでしょうか?」
ぼー、と厨房にいるアヴァンを眺めるローナの横顔は、少し物憂げな綺麗な女性に見えたが、実際はただ暇で眠いだけなのだろう。
眠気覚まし程度に話してしまえ、というエヴァンへの意思表示なのかもしれない。
それに乗らない訳にはいかない青年はざっくりと、エティカと出会った状況を説明した。
その説明を聞いたローナは、フード越しに白銀の頭を優しく撫でながら。
「偉いね。とても偉い。とても凄いわ」
と褒めたたえていた。
エティカは撫でられる事さえ慣れていないのか、俯きモジモジと身動ぐ。
「……ありがとう」
お礼はしっかりと小さい声ながらも伝える、教育の賜物のような子だった。
「どういたしまして。エヴァンよりも礼儀正しいのは、とてもいい事よ。少しは見習って欲しいものね」
「本当に軽口だけは一丁前だな」
「あら、軽口だけでなく仕事も立派なものですよ。特に今日は受付で冒険者の対応をしましたし、午前中に済ませるべき業務は大体終わっています」
「まあ、確かに」
実際、普段の仕事ぶりも褒められたもので、仕事は丁寧で素早く、ほとんどミスもなく、こなしていく様は立派なものだ。
ただ、一つ欠点を挙げるとするなら、無表情で愛想がないということだ。
「でも、掲示板の前にいた奴を追い返したんだろ? いいのか、そんな事して」
「あら。あの冒険者達なら ああでもないこうでもない、と煮え切らないので、適当にこなせそうな依頼を提案して、それの対応をした上で追い返しましたよ」
それが当然でしょ? という、したり顔は表情が無くともできるようだ。
エヴァンにとって、その向けられたものは腹立たしいとさえ見て思えた。
そのしたり顔も一瞬で無表情に戻ると、コホン、と咳払いをし。
「それで、大事な話の前に一つ、私の方から言いたい事があるのですが」
と前置きをして、そのまま紡ぐように喋る。
「アヴァンさん、ヘレナさんが決めた以上、私がとやかく言うつもりはありません。何よりエティカちゃんと一緒にいられるなら、私もとても嬉しい事ですし、幼いエヴァンのように、言われた事に駄々をこねるわけでは無いので、遠慮なく話して下さい」
「駄々をこねてたのはローナじゃないのか」
「そんな事はありません。私はお淑やかに、慎ましくいましたから」
ああ、そうかいと肩を竦める青年。幼少期のエヴァンの事は知らないはずなので、ローナの軽口に変わりない。
ただ、エヴァンとエティカの方へ向き直り喋る姿は、真剣そのものだった。
「なので、大事な話が何であろうと決められた事は覆らない、と思って下さい」
その真剣さに当てられてか、少しの緊張はあったが、ローナの軽口のおかげでヘレナ達へ向かって言う時とは違い、とてもスムーズに言葉が出た。
「……エティカの事なんだが、この子はあの有名な魔人族なんだ」
「まあ、聞いていたので知っていましたが」
「は?」
思わぬ返答に怪訝な表情になるエヴァン。
聞いていないと言っておきながら、しっかり聞き耳を立てていたのだ。
「そもそも、普通に喋っていても聞こえますよ。特に人がいなければもっと聞こえます。だから、エティカちゃんの幻生林の事や種族の事なんて丸聞こえです。残念でしたね」
「……お前」
憎たらしい、と心の底から思えるエヴァン。
「優秀な看板娘ですから。腕も立てば、耳も立てます」
「本当に、その通りで完敗だよ。ついでに目くじらでも立てたらどうだ?」
「あら、いやらしい。エティカちゃんは聞かないようにしてね」
「何かとエティカに向けるんじゃない」
悪い言葉を覚えてしまったらどうするんだ、と憤慨するエヴァン。
当のエティカは、朗らかな表情で。
「ろーなちゃん、たのしそう」
「ええ、もちろん。エティカちゃんが来てくれて嬉しいからよ」
「えへへ」
傍から見れば仲の良い、年の離れた姉妹にも見える光景だった。
それこそ、そういうのが好きな者にとっては、尊い瞬間であっただろう。
心なしか、ローナの表情も柔らかいように見えなくもない。
そんな瞬間であった。
◆ ◆ ◆
そのやり取りから数分も経たない内に、アヴァンの調理は済みエティカ達の前に出された。
青年は二個の丸いパンに、ベーコンと目玉焼き、葉物野菜はサラダとして木のボウルに入れられ、野菜のスープも付いていた。
対して白銀の少女は、エヴァンの物より一回り小さいボウルに、ベーコンと玉ねぎのミルク粥のみだった。
「アヴァン、エティカのはこれだけか?」
当然の疑問として尋ねるエヴァン。腹を空かせたエティカには、全く足りない量だと思えたからだ。
使った調理器具を洗おうとしたアヴァンは、そんな事を聞くのかと言いたげな表情をして答えた。
「エティカがどれくらい食べるのかは知らないが、その身体の小ささなら、一回の食べる量より食べる回数を増やした方がいいんだよ」
「そうなのか」
「それより、泥のたくさんついた顔だとあれだろ、ローナ、拭いてやれ」
「あら、それならもう綺麗に拭きましたよ。とても可愛い顔です」
いつの間に、とエヴァンはエティカの顔を見ると、綺麗に泥のついた跡は拭かれていた。
それに対して少女は、目の前の代物が気になるのか、凝視していた。
「早く食べな、せっかくの美味い飯が冷めちまうぞ」
アヴァンの声で我に返ったエティカは、左右のエヴァンとローナを何度も見て、最後にはミルク粥へ視線を落とす。
昨夜食べた、焼いた魚とは違う、甘い匂い。
どんな味がするのだろう、そんな興味で一杯の紅色の瞳は輝いていた。
お言葉に甘えて、とエヴァンは見本のように両手を合わせる。
その動作を見たエティカも慌てて、同じように両手を合わせる。
「いただきます」
「いただ、きます」
エヴァンの見よう見まねで繰り返し、念願の食事を口にする。
とても甘い、優しい味がエティカの口一杯に広がり、量が少なかったのもあるが、あっという間に完食した。
エティカの一口は、手に持っていた小さな木のスプーンよりもとても小さなものだった。
しかし、両親の教育が素晴らしいのだろう。
食べる所作一つ取っても、行儀の悪いものは見られなかった。
むしろ、丁寧にすらエヴァンには見えた。
食べ終えたエティカは両手を合わせ。
「ごちそう、さま! おいし、かった!」
と、満面の笑みを向けた。
天使のような微笑みに思わず、エティカに後光が差したのかと思う青年。
かくいう、エヴァンも少女より一足先に食べ終えていたので、エティカの食べる姿をそれこそ、娘を溺愛する父親のように眺めていた。
「おう、どういたしまして」
アヴァンは、エティカの食べ終えた皿を洗うために回収する。
美味しものを食べれてウキウキ、といった感じがエティカからは見てとれる。
微笑ましい光景だ。
「美味しかっただろ? アヴァンの飯は、めちゃくちゃ美味いからな」
「うん!」
「それなら、食べ終わった事だし、一つお手伝いをお願いしようかしら」
そんな二人の後ろには、受付にいたはずのヘレナが来ていた。
「手伝い?」
「ええ、お手伝い……と言っても用があるのはエティカちゃんだけよ」
「……え?」
思わぬ抜擢にキョトン、とするエティカ。
そんな少女へ目線を合わせるように腰を下ろすヘレナ。
「大した事じゃないわ。鴉の案内も含めて、少し身体の汚れだけでも落としましょ?」
優しくエティカへ提案する。
それを聞いて、エティカは真っ先にエヴァンの方へ向く。
いいのか、どうか、分からないのだ。
なら助け舟がいるな、とエヴァンも口を挟む。
「せっかくだしお手伝いしてこいよ。ヘレナなら大丈夫」
その言葉を聞いて、少し迷いつつも決断した。
「うん、おてつだい、する」
それを聞いて笑顔を浮かべると、椅子の上で船を漕いでいたローナを起こす。
「ローナ起きなさい、エティカちゃんの化粧直しよ」
「分かりました」
その言葉に今まで寝ていたのが、嘘だと思えるほどの覚醒で素早く立ち上がったローナ。
「じゃ、しばらく借りるわね」
とヘレナとローナに手を引かれながら、エティカは連れて行かれたのだ。
ポツン、とカウンターに残されるエヴァン。
何をするか、と考えそうになった青年へ、アヴァンが投げかける。
「どうせ寝てないんだろ。ああなると長いし、仮眠でもしてきたらどうだ」
食後だということと、寝不足も相まって眠気に襲われていたエヴァンは、その提案を飲むことにした。
「じゃあ、眠いし部屋で寝るわ。あいつらが帰ってきたら部屋で寝てるて、伝えてもらってもいいか?」
「ああ、ゆっくり寝てこい」
アヴァンへ伝言を頼んだエヴァンは、そそくさと受付横の階段を上る。そこそこの部屋数の扉が並んだ年季の入った廊下を、そのまま奥まで進み、左手。そこが、青年が間借りしている部屋になる。
その向かいはローナの部屋となっている。
エヴァンはそのまま、自室に入り、ベッドに倒れ込む。
気怠い動きで靴を脱ぎ、柔らかい布団へ潜り込むと、睡魔は簡単にやってきて、夢の世界へと飲み込まれた。




