第117話「封書」
エティカの朝は早い。
この数ヶ月間で、起床時間はエヴァンよりも早くなり、太陽が昇る前に活動を開始するようになっていた。
それは、アヴァンに料理を教えてもらいながら、仕込みの準備を一緒にしたいという気持ちからである。
本来ならローナと同じ時間に起きていいのだが、エヴァンのために料理を覚えたいという少女の乙女心からで、それをアヴァンは許諾した。
そんな白銀の少女が、鴉の一員となってからもう半年以上が経つ。
それを思い返す度、感慨深いノスタルジックな懐かしさを感じる青年も、今では依頼も幻生林への野宿もなく、なにか手伝うべきなのだが、それよりも自身の抱える気持ちと向き合うことを優先している。
そんな青年に文句を言う者はいなく、むしろ安寧な日々であることを喜んでいた。
無論、白銀の少女も同様の気持ちで、エヴァンと共に過ごす時間が増えることを誰よりも歓喜していた。
平和で、和やかに一日が始まり、暮れていく。
それがなによりも嬉しく、そんな環境をくれた鴉の面々へ感謝の気持ちが常にある。
その気持ちの表れが、鴉の給仕や調理の手伝いなのだろう。
◆ ◆ ◆
白銀の少女が覚悟を決め、悪魔の囁きからエヴァンの首筋にキスをする、という行為に至ってから一週間ほどの時間が経った。
エティカにとっては長いようで短い期間であったが、雰囲気を作ることの難しさを痛感した。
祭りの時、雰囲気をつくること自体は困難ではなかったが、なぜか鴉に戻ってから意識すると、失敗してしまう結末が続く。
いつものような行動も言動も変に意識すると、ぎこちない所作に繋がって、右手と右足が一緒に出てくる不思議な少女になった。
それも最初の方だけで、一週間の半分が通り過ぎる頃には少し諦めの気持ちも滲んで、仕事中のミスも目立たなくなる。
注文を取り違えることも、出前のミスも、発注数の桁を異様に増やしてしまうことも無くなった。
そのフォローにあたったローナが思ったことは、意外と白銀の少女はプレッシャーに弱く、下手に意識すると逆に失敗する子なのだと。
むしろ、今までが自然な精神状態だったからこそ、上手くいっていたわけで、それが彼女の可愛さに繋がっていたのだろう。
かえって、少女にとって悪いアドバイスになってしまったのか、と不安になったローナであったが、仕事のミスも減りいつも通りの業務に励むエティカを確認できて、ホッと胸を撫で下ろした。
これで、ローナが原因だとなった場合、青年にあれやこれやと追及されることになる。
それだと、せっかく少女の決めた覚悟が無駄になりそうで、避けたい事象である。
だから、一週間の半分ほどの時間が経った中でも、立て直せたエティカにはある意味感謝している。
紫紺と白銀の計画がバレてしまうことで、青年がまた抱え込んでおかしな様子になってしまうのは、非常に面倒であった。
せっかく、エヴァンもいつも通りになっているのに。
これでまた、上の空の姿をみるのは耐えられそうにない。
目潰しも、責め立てることもしたローナが、次はなにをするのか本人でさえ分からなかった。
そんなお昼時、定期配達の料理を運び終え、鴉に帰ってきた紫髪の婦女の目の前には、王都からの依頼書を持った青年の姿が映った。
そして、その手紙がどういうものなのか、一目で理解できた。
あぁ……。対の魔女は残酷なのだ。
青年の安寧も、平和も、のどかで安らかな日々を許さないのだ。
◆ ◆ ◆
昼食を食べ終えた青年がいつものカウンター席で、のんびりと食休みしていると珍しい人物が、鴉の扉を開いた。
ガチャっと開かれた先、暑い季節が過ぎ去った少し柔らかくなった光を背に、屈強な肉体の老人が入ってくる。
「あら、バルザックさん。珍しいですね」
受付で事務仕事をしていたヘレナが迎えたのは、冒険者組合ギルド長のバルザック・ボーディリアであった。
顔中に切り傷の跡、坊主頭は輝き、筋骨隆々な肉体の第一印象は怖い、近づきたくないという老人。
そんなバルザックが、仕事終わりに飲みに来ていたのに、昼の太陽が真上に位置している時に鴉へ訪れた。
たった、一枚のやけに小綺麗な真っ白な手紙を持って。
「おう、今日は用事があってのう。エヴァンはいるかい?」
「えぇ、いつもの席にいますよ」
「そうかそうか、ありがとうなヘレナ」
「いいえ」
にっこりと笑ってバルザックの姿を見送ったヘレナであったが、手にしていた封書があまりにも綺麗なのと、王国印の封がされているのを見逃さなかった。
少し、暗んだ表情を隠し、事務作業へと戻る。
ただの召集状であることを祈りながら。
ドスドスと肩で風をきって歩く老人は、呑気に食休みの居眠りをしているエヴァンの元にたどり着く。
「よぉ、エヴァン。しっかり休むことはできたか?」
「ん? バル爺?」
少しうたた寝をしていたからか、返事がふわふわとなってしまったエヴァン。その様子を見て、バルザックは安堵する。
「その様子ならしっかり休むことが、できているようじゃな」
「なんだ、皮肉でも言いに来たのか?」
「馬鹿言え、感謝こそしても皮肉を言うつもりはないわい。お主のおかげで、ストラは平和だと言っても過言ではないからの」
「そこまで、褒められると反応に困るんだが……」
実際、寝ぼけた頭脳はなにが正解か分からず、戸惑った表情を選択していた。
しかし、そんな惚けた脳内を一瞬で覚醒させるものが、カウンターの上に乗せられる。
「そんなお主に、もっと反応に困るものを持ってきてしまったが……。なぜ今の時期かは分からんが、王国からの依頼書のお届けじゃ」
純白の手紙には、王国印で封がされていた。
一時期、エヴァンが寝る間も惜しんで『救世主』として活動していた頃、何度も見てうんざりして、ノイローゼになりそうなほどの無機質な紙切れ。
それが、王国からの手紙で、青年の平和な日々が終わることを告げているものであるのは、瞬時に理解できた。
一気に覚醒していく意識の中、白銀の少女への申し訳ない罪悪感と、嫌な予感がすると警鐘が騒々しく響く。
エヴァン・レイの安寧が、音を立てて崩れ落ちていく。
そんな手紙を貰ったと同時に、ローナも帰宅し、その光景を目の当たりにした。




